僕が間違いに気づくまで

 

 

 

 

 

 

楽しかった。

初めてだった。

毎日を共に過ごす仲間。

また明日と言える、嬉しさ。

 

 

 

俺は、アイツ、丸井ブン太の勧めによって男子テニス部に入部した。

 

 

 

テニスなんて初めてやるから結構コツを掴むのに時間がかかったが、もともと運動神経は悪くない。

自慢じゃないけどむしろ人よりは良い方だ。

掴んでしまえばもうこっちのもん。

俺はあっという間にメキメキと頭角を現すことに成功。

毎日汗を流しながらの練習に満足していた、そんな矢先のことだった。

 

 

 

 

 

この世界で生きていく方法 -Another Story- *3

 

 

 

 

 

「は? 今何て言った?」

 

 

 

練習でくたくたになって帰ってきて、煩い腹を静めるために晩御飯を頬張っていた。

そこに申し訳なさそうに母親は告げた。

 

 

 

「だから、また九州に戻らなくちゃならなくなったのよ。」

「……いつ?」

「来年の春。」

「…冗談?」

「本気よ。」

 

 

 

思わず箸を止める。

喉まで出かかった言葉をご飯と一緒に飲み込んだ。

 

 

 

『行きたくない。』

 

 

 

それは、義務教育を終えていない俺が軽々と口にして良い言葉ではない。

わかっているから、母親の突然の告白が俺の心臓に重く圧し掛かってきた。

 

 

 

「…雅治には悪いと思ってるのよ。 小学生と違ってもう中学生なのに、また転校ってなるとね…。」

「しかた…ないじゃろ。 父さんの仕事の都合やしのう。」

「テニス部で頑張ってるってのに…ごめんね、雅治。」

「慣れとるけん、もうええよ。 それより、姉貴はどうするんじゃ?」

「あの子はここに残るわよ。 社会人だもの、もう一人前だしね。」

 

 

 

リビングでカフェオレを飲みながらテレビを観ている姉貴へと視線を向ける。

 

 

 

「さすがに会社を辞めろとは言えないわ。」

 

 

 

その言葉に、テレビを観ていた姉貴がカップをテーブルの上に置いて立ち上がった。

キッと力強い目をして俺と母親がいるテーブルの前へとやってきた。

 

 

 

「母さん、雅治もここに残ればよかよ。」

「それは無理よ。 アンタと違って雅治はまだ中学生なのよ。」

「雅治は私が面倒見るけん。 中学生にもなって転校なんてあまりにも雅治が可哀想じゃけん。」

「仕方がないじゃない、仕事の都合だもの。」

「雅治、アンタも言いたいことちゃんとハッキリ言いんしゃい。 転校したいの?したくないの?」

 

 

 

ちょっと怒り気味の姉貴が俺に訊く。

ハッとして、俯く。

そんな事訊かれたって、母親の言うとおり、俺はまだ中学生。

義務教育だって終わっちゃいない、親の力無しでは生きていけないケツの青いガキだ。

初めから俺に残された道は、たった一つしかないも同じだった。

 

 

 

「………別に。」

「嘘吐き。 アンタ今部活が楽しい言っとったろ? 学校辞めたくないんじゃなか?」

「そりゃ、部活入っとるしな。 部活は辞めたくなか。」

「ほら、だったらちゃんとハッキリ言いんしゃい。 母さんはアンタのことちっともわかってなかよ。」

「…ちっともわかってないことはないわよ。 でもね、」

 

 

 

母親と姉貴が何やら言い争いを始める。

そんな光景を、ただ黙ってじっと眺めていた。

争いの元は俺だと言うのに、俺はどこか第三者の立場の感覚でいる。

 

 

辞めたくない。 転校なんてしたくない。

 

 

 

そう我が侭を言って駄々を捏ねられればどれだけ幸せだっただろう。

言ってはいけない。

子どもながらにわかっていたから、どこかで俺は自分を抑制してきた。

だから母親も親父も、あまり気にすることなく今まで上手くやってこれたんだ。

 

だけど。

 

 

 

――― 転校したいの?したくないの?

 

 

 

「雅治、アンタ私と一緒にここに残らんか?」

 

 

 

姉貴が俺の目の前までやってきてそう尋ねた。

姉貴の後ろで母親が腑に落ちない表情で俺を見ている。

その二人を交互に見遣り、俺は一拍置いて言った。

 

 

 

「俺、ここに残ってテニス続けたい。」

 

 

 

楽しかったんだ。

初めてだったんだ。

毎日を共に過ごす仲間を作ったのも。

後ろめたさもなく「また明日」と言える、嬉しさを感じたのも。

 

 

 

手にしたばかりのモノ達をまだ、失いたくなかったんだ。

 

 

 

「そんじゃあ決まりっちゃ。」

 

 

 

ホッとしたように姉貴が笑った。

その後は俺抜きで、姉貴と母親が帰ってきた親父と三人で今後の事を話し合っていた。

 

 

 

最終的に決まった俺をここに残す条件はたくさんあった。

保護者代わりとして姉貴がちゃんと責任を持って面倒を見ること。

定期的に連絡を入れること。

何か問題があったらすぐ俺を九州へ戻すこと。

まだ何かいろいろ言ってたけど、俺が聞いたのはこの三つだった。

 

 

 

「雅治、テニス頑張んなよ。」

 

 

 

そう言って姉貴が俺の頭を撫でた手を、ガキ扱いするなって言いながら振り払った。

 

 

 

でも感謝してる。

俺に日常を与えてくれた、姉貴に。

テニスや仲間を守ってくれた、姉貴に。

口では言えなかったけど、心から本当に感謝していた。

 

 

 

「雅治ご飯まだー? お姉様お腹空いたよー!」

「ちと待ちんしゃい。 先に手洗って来い。」

「あと5分で出来てなかったらアンタ外で寝ろよ。」

「………。」

 

 

 

のは、二人暮らしを初めてからほんの少しだけの話。

 

 

 

 

 

2009.07.23