僕が間違いに気づくまで

 

 

 

 

 

 

「神奈川県?」

「そうよ。 ちょうど四月からなんだけどね。」

「聞け雅治。 しかも今度はしばらくの間転勤しなくていいらしいんよ。」

「…え、じゃあしばらくはずっと神奈川に住むんか?」

「ええ、そういうことになるわね。」

 

 

 

突然の話だった。

親父の転勤先が神奈川に決まり、それに合わせて春から社会人の姉ももう神奈川での就職を決めたらしい。

いつの間に俺の知らないところでそんな話になっていたのか。

 

 

その日は確か、約一年間通った小学校の卒業式だった。

結局最後までクラスメイトの名前も全部言えないうちに卒業してしまったことになる。

別れを惜しんで泣いている奴が半部くらいいたが、もちろん俺はその反対の半分に属していた。

ああ、呆気ない小学校六年間だったな、と。 そんな感情しか抱く事ができない、悲しい人間だった。

 

 

 

「雅治はそうね。 立海大附属中学校なんてどう?」

「は?」

「中学校よ。 神奈川の中学校に通わなきゃなんないでしょ?」

「おいおいまさかここの中学に夜行バスでも使って通う気でいたんかお前。」

「…んなわけないじゃろ。」

「だったら立海大の中学でいい? って言ってももうそれで話は進めてるんだけどね。」

 

 

 

だったらわざわざ訊いてくれるな。 とも思ったが別に中学なんて正直どこだってよかった。

俺は昔から転校転校転校で生きてきた男だ。

学校や人間関係にそこまで深い執着心を持ってなどいなかった。

 

 

 

「確かここ、テニス部が有名なのよね。」

 

 

 

入学案内のパンフレットを捲りながら、何気なしにそう呟いた母親の言葉を、また俺も何気なしに聞き流していた。

 

 

 

 

 

この世界で生きていく方法 -Another Story- *2

 

 

 

 

 

「やっべーすっげーマジ感動なんだけどー!!」

 

 

 

うっさいな、なんて思いながら眉間に皺を寄せて隣の男を睨みつける。

入学式当日。 結局俺は母親の勧めで立海大附属中学校に通うこととなった。

その式の隣の席の奴がまた最悪で。

中学生のくせに髪が赤いからろくな奴じゃないとは思ってはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。

隣座るなり、目をキラキラさせて講堂の天井から床までを這うように見つめ、大声で叫ぶ。

しかもガムを噛んでその匂いが俺の鼻にまで入ってくる始末。

何じゃコイツ、ウザすぎ。

 

 

 

「なあなあお前部活何に入るー?」

「はあ?」

「やっぱテニス部だよなー! 見た!?見た!? さっきここ来るまでのコートで試合してたじゃん! マジかっこよかったよなー!!」

 

 

 

まだ相手が試合を見たなんて一言も言っていないのに同意を求めるそいつ。

後ろの席に座っていた肌が黒い頭がツルテカの男がそいつの勢いと馴れ馴れしさに驚き、困ったように苦笑いを浮かべた。

 

 

 

「なあテニス部入ったらモテるかな?」

「…動機が不純だろ。」

「でも強くなりゃそれでいいだろぃ! 俺テニス部はーいろっと! お前も入れよ!」

「はあ!? 俺もかよ!」

「あ、名前何てーの? 俺丸井ブン太、シクヨロ☆」

 

 

 

ニッコニコの笑顔でブイサインを向ける。

なんて自分のペースを崩さない男だ。

相手は少々困惑気味に、だけど初めてできた友達だからか、

 

 

 

「ジャッカル桑原。 よろしくな、ブン太。」

 

 

 

そう言って嫌味のない笑顔を向けた。

それに気を良くした丸井ブン太と名乗った赤い髪の男は遠慮と言う言葉も知らずに質問を続ける。

 

 

 

「なーなー何でお前そんな真っ黒なん? 何人?」

「ああ、俺、ブラジル人とのハーフなんだ。」

「マジ!? すっげ父ちゃん!? 母ちゃん!?」

「親父の方。」

「へーそうなんだ、すっげー。 あ、アンタは名前何て言うんだ?」

 

 

 

二人の会話を聞きながらボーっと新入生代表の言葉を述べる女子生徒の後姿を眺める。

ふと、会話が途切れたなと思いながら大きく欠伸を零すと、肩を軽くポンポンと叩かれた。

 

 

 

「もしもーし聞いてっか?」

「…なんじゃ? 俺か?」

「おおっ、お前何語!?」

「……は?」

 

 

 

さっきのは俺に話しかけていたんか。

欠伸の余韻に浸りながら若干涙目のまま振り向くと、相手は一瞬目を真ん丸くして驚いた表情を見せた。

意味のわからん質問をしよるの、なんて考えながら相手をじっと見つめると、ジャッカル桑原と名乗った男が丸井ブン太の言葉を補足するように言った。

 

 

 

「方言混じってるみたいだけど、どこから来たんだ?」

「下の方。」

「九州らへんって事?」

「まあそんな感じかの。」

「めっちゃ適当じゃん、お前。」

 

 

 

素っ気無い俺の返事に、ハハッと丸井ブン太は歯を見せて笑う。

 

 

 

「で、名前は? 結局何なわけ?」

 

 

 

その質問に、喉まででかかった言葉が突っかかる。

 

 

 

『雅治、また明日なー。』

 

 

 

守れない約束を結ぶくらいなら、約束を結ぶ相手をつくらなければいいだけ。

別れが来る事がわかっているなら、別れる相手をつくらなければいいだけの、話。

そうすりゃ、寂しくないだろ。

約束を守れない罪悪感に縛られなくたって、済むんだ。

 

 

 

『今度はしばらくの間転勤しなくていいらしいんよ。』

 

 

 

あの時、親父のこの言葉を聞いていなければ、きっと。

 

 

 

「仁王雅治。 シクヨロ。」

 

 

 

この先ずっと、一生、自分の殻に閉じこもったまま出て来れなかったと思う。

 

 

 

 

 

2009.07.23