『幸村君、空、見てください。』
君が旅立って、早数年。
異変は突如訪れた。
『時空の歪みに、似ていませんか?』
薄っすらと暗くなった空に現れたどんよりとした空間。
まるで空と溶け込んでいるようなその空間は、以前、見たことがあった。
そう、柳生が言った時空の歪みだ。
『渡瀬君が姿を消したのと、何か関係があるんでしょうか。』
『……さあ、どうだろうね。 何も知らない今の状況じゃ、ないとも言いきれないよ。 ただ…』
『ただ?』
妙な胸騒ぎが、消えてくれない。
「どうした、柳生。」
「…いえ、ただ少し眩暈がしただけです。 すみません。」
「大丈夫なのか? 顔色、あまり良くないよ。」
「大丈夫ですよ。 ご心配ありがとうございます。」
笑顔を作ってかぶりを振る柳生に対して幸村は眉を曇らせた。
憂色ただようその表情に真田も釣られて唸り声を上げる。
「…無理はするなよ、柳生。」
「心配性ですね真田君は。 大丈夫ですから、お気になさらずに。」
「…だといいがな。 体調が悪くなったら隠さずすぐに言え。 わかったな。」
「はい、ではそうします。」
真田に対して素直に頷く柳生を横目に幸村はまだ納得がいかない様子でいた。
変な胸騒ぎ。
まるであの空を初めて見上げたときのような気分だ。
あの、異変を知らせる空を。
「皮肉だな。」
「え?」
柳生が困ったようにこちらへ振り向く。
ボソリと呟いた幸村の独り言を零さず聞き取ってしまったらしい。
幸村は何でもないよと言って先ほど柳生がしたように小さくかぶりを振った。
だけど、
「やっぱり世界というものは、二つも存在しちゃいけないんだ。」
続けて言った幸村の言葉に、
真田も柳生も何も言わずに先ほどの幸村と同じように眉を曇らせて視線を俯かせた。
閉め切った扉の向こうで、の母親の階段を下りる足音が響いていた。
この世界で生きていく方法 FINAL STORY
「え、じゃあ小百合に会ったの?」
素っ頓狂なの声が街の中に響き渡る。
数人の行き交う人が振り返りはしたが、声を発したのが女子高生だとわかり、何事もなかったかのように前を向いて歩き出した。
ブン太が「馬鹿、声でけぇよ。」と言って頭を小突けばは「ここ空気が澄んでるから声が通りやすいんだ。」と
ふざけたことを飄々とぬかしたのでジャッカルが「そんなわけあるか。」と呆れ交じりのツッコミを入れた。
「犬飼さん、綺麗になってたな。 びっくりした。」
「でしょでしょ! 小百合はもともと美人だからね!」
「そういうお前、ちっとも変わんねぇよな。 ちったぁ成長させたらどうなんだよ。」
「成長してるよ! ほら、よく見てみて!」
「いや、だから何も変わってないんだけど…。」
ガムをくちゃくちゃ言わせながら眉を下げるブン太には頬をぷーっと膨らませる。
そういうところも変わってないな、などとブン太とジャッカルは密かに同じ事を心の中で呟いた。
「の家教えてくれてさ、ここまで来たらもうわかるつってついさっきそこで別れたんだ。 バイトの時間ギリギリだったらしくて。」
「へー何のバイトしてんだろ。 今度聞いてみよっと。」
「つーことはもう近いんか、の家。」
「うん、そこの角曲がったらすぐだよ。 競走する?」
「一人でしてろぃ。」
ノリ悪いなーなんて言いながらもは走る気らしく、軽く助走をつけはじめた。
そんなを見てギョッとしたジャッカルの頭を咄嗟に嫌な予感が過ぎる。
「それじゃ、行くぞジャッカル!」
「だから何で俺!?」
「がんばれージャッカル。 男としてに負けるなよ。」
「お前、俺を犠牲にする気か! ブン太も走れよ!」
「俺今靴擦れしてて足痛んだわ。 つか早く行けよ。」
「俺だって魚の目できてるから無理だ! 、悪いな!」
「よーいドン!」
「聞けよ! つーか服引っ張るな! これ競走なんだろ!!」
叫びまくるジャッカルは全くの無視ではジャッカルの袖を掴んで走り出す。
こけそうになりながらもジャッカルは持ち前の瞬発力で態勢を立て直し、負けじとついていく。
そんな二人の後姿をぼんやりと見つめながら、ブン太はガムを膨らませ、
自分の手の平をじっと見つめ眉を寄せた。
「………んで、一つじゃないんだよ。」
霞んで見える手の平。
少しずつ焦りを感じ始めた心臓がバクバクと心拍数を速める。
『雨、か。』
もう何年も前に卒業した中学校の屋上から雨が降り始めた空を見上げる。
その空はどんよりとしていて、色もどこかおかしかった。
『お前ら、成功するかもわかんねぇのに、トリップすんのか?』
『みんな揃う日って今日しかねぇだろぃ。 だったらするっきゃねぇだろ。』
久しぶりに見た渡瀬龍の姿を横目で捉え、最後の一個となったガムを地面に吐き捨てる。
あ、と思った瞬間、真田の拳骨が脳天を貫いた。
『丸井貴様! ガムを吐き捨てるとはどういうことだ!』
『丸井君、ガムは取れ難いのですよ。 それくらい高校生なのですからわかるでしょう。』
『へいへい、わかってますよ。』
やれやれと言った様子で柳生が持参のティッシュでガムを拾ってくれた。
ラッキーと思ってたらゴミはちゃんと俺に返って来たのでちょっと気分が沈んだ。
んだよ、ゴミ箱に捨ててくれたっていいじゃんか。
『これが最後になるかもしれないんだ。 それに、向こうに行ったって、どうなるかわかんねぇぞ。』
『……わかってるッスよ。 覚悟はできてますって。』
『ならいいけど………柳。』
渡瀬龍は髪に雨の雫を滴らせながら柳を呼んだ。
参謀は何だと言って差していた傘を閉じた。
『頼んだぞ。』
『ああ、任せておけ。 心配はいらない。』
『……何の話?』
幸村君が誰もが思った疑問を口にする。
それに参謀が小さくかぶりを振ると、
『では、行こうか。』
以前見たときよりうんと小さくなった時空の歪みに手を入れた。
朝、空は、まるで僕たちを包み込むように真っ青で。
夜、空は、まるで僕たちを嘲笑うかのように闇に包まれていた。
「こんなところで、何してんだ、渡瀬龍。」
振り返る。
表情なんてものはない。
ただ、呼ばれたから振り返っただけ。
「……何も。」
笑える。
何も、なわけがないんだ。
だってこの場所は俺があれほど通いづめていた場所だ。
これまでの俺の人生の大半を過ごしてきた場所だと言ってもいい。
俺の親父の、病院だった場所だ。
「どうするつもりなんだ、お前。 世界でも手に入れたかったのかよ。」
「……いーや、そんなんじゃねぇ。 俺はただ…」
世界を一つに繋げたかっただけ。
そう消えそうになる声で言うと、跡部景吾は鋭く尖った瞳で俺を見た。
「ま、今となっては結果は最悪だけどな。」
「わかってんのか? お前はこの世界を…」
「わかってる。 ただ自分の欲求だけのために全てを巻き込んだこと。 この通り、自分の親父だって、巻き込んだ。」
親父の病院は一年以上前に潰れた。
原因は公にしていないが、俺の研究が全てだということは明白だった。
どうしても、繋げたかった。
アイツらの友情を目の当たりにして、世界を自由に行き来できる空間を作りたかった。
作ってやりたかった、ただそれだけだったのに。
「まさか、こんなことになるとは俺自身思っても見なかったんだよ。」
私有地と書かれた看板に手を添える。
頭に過ぎるのは、の笑顔。
そして、その周りで幸せそうな表情を浮かべる立海のみんな。
「ただ、世界を一つにしようとしただけだったのにな。」
ぐっと奥歯を噛み締める。
悔しさと情けなさで泣くに泣けない。
そんな俺を見て、跡部景吾の隣にいた宍戸亮が一歩前に足を踏み出して言う。
「どうにか、なんねぇのかよ。」
「…さあ。 たぶん、無理なんじゃないかな。 もう…」
「んなっ! 何でお前そんなに消極的なんだよ!!」
「何れにせよ、時空の歪みは閉じちまう。 俺達の世界が元に戻ったとしても、もうの世界と繋がることは…ないんだろうな。」
「…マジかよ。」
宍戸亮の眉間に皺が刻まれる。
俺との会話に口を挟んでこない跡部景吾だって、表情は先ほどよりうんと険しい。
「研究が失敗した原因は、わかってる。 だからこそ、余計に無理なんだよな。 もう一度研究を続けても、時空の歪みは修正されない。」
「……原因だと? 何なんだ、それは。」
跡部景吾が怒気を含んだ瞳で俺を睨みつける。
ちょっとだけ肩が跳ね上がった俺はそんなに怒るなと言いながら苦笑いを浮かべてみせる。
美人に睨まれるとこれだから嫌だ。
「あっちの世界じゃ、もうこの世界は終止符を打たれてるんだよ。」
「意味わかんねぇよ、どういう意味だよ。」
はなから考えもしないで宍戸亮は疑問を口にする。
俺はそっと目を閉じ、僅かな風を全身で感じながら力なく笑った。
「全てを受け入れる覚悟があるのなら、話してやるよ。」
以前、アイツらに話した時、アイツらは全ての事実を受け入れた。
俺があれほど絶望感を感じた事実に、可能性を感じていた。
なあ、。
世界は一つじゃいけなかったのかな。
いつかアイツらが、と共に過ごせる日が来たらって、
それだけの為に世界を犠牲にしようとしていた俺は間違っていたのかな。
俺さ、
心から呼べる友情ってよくわかんねぇんだけど、
アイツら見てたらこれなんじゃないかなって思った。
だからどうしても会わせてやりたかった。
どうしても繋げてやりたかった。
もう一度、お前らの友情をこの目で、見てみたかったんだ。
叶えてやれなくてごめんな、。