アイツがいなくなった教室を覗き込むたび、もどかしさが込み上げてきたあの日々。
あれほど会いたかった相手が今目の前にいるってのに、ものすごく遠い場所に存在しているように思えた。
「ジャッカル!」
俺が叫ぶとジャッカルと思わしき人物がゆっくりと振り返る。
ああ、ジャッカルだ。
俺の頭がそう認識した途端、ふと、体全身に衝撃が走る。
やばい。
何かはわかんねぇけど確かにそう感じた。
指先がまだ痺れて、痛い。
「丸井君?」
「ブン太!!」
立ち止まる俺の顔を覗き込むが顔を上げ、駆けてくるジャッカルの方を見る。
やべ、何か、霞んで見える…。
意識が、朦朧としてて…俺を呼ぶ声も遠くに聞こえる。
「丸井ブン太!」
名前を呼ばれハッと意識が戻る。
に肩を掴まれ、ジャッカルが怪訝の眼差しで俺を見ていた。
ああ、俺はまだここにいるんだ。
まだ、この世界でと一緒にいれるんだ。
そう思うことで妙な安心感が生まれた。
「どしたの、ぼーっとして。 お腹すいた?」
「んなワケねぇだろぃ。 さっきポテト食ったじゃんか。」
「そんなこと言ったってまだ物欲しそうにしてたじゃないか。 だからかな、って…。」
「バーカお前なんか勘違いしてるみたいだから言うけど、俺そこまで食いキャラじゃねえぞぃ。」
「えー。 うっそだー。」
うわ、何コイツ。
すっげ殴ってやりたい顔してんだけど。
「あ、そだ忘れてた! ジャッカル久しぶり! 会いたかったよ!」
「イタイタイタ痛い! もっとソフトにできねぇのかよお前は! しかも忘れてたって何だよ!」
「何よジャッカルのくせにアイアンクローも堪えられないのか。」
「何で三年ぶりの再開で突然アイアンクローなんだよ! …相変わらずだな、。」
「うん、相変わらずだね、ジャッカル。」
お互い頷き合いながら再開を分かち合うジャッカルとを視界にぼんやりと捕らえ、
いつの間にか力が入りすぎ汗が滲んだ俺の手の平の存在に気がついた。
この世界で生きていく方法 FINAL STORY
「空が、ずっと変な色してるよ。」
部室の窓から顔を出し、不安げな瞳を空へと向けるジローにいち早く反応を示したのは
ソファーで忍足の提出物を丸写ししていた岳人だった。
シャーペンを握る手を止め、同じくして、窓の向こうに広がる紫色をした空を見上げる。
その目は妙な不安に揺れ動いていた。
「ここ最近、ずっとだもんな。 もう七時だってのに明るすぎだろ。」
「空だけやない。 何や、気温もめっちゃおかしいやろ。 何でこんな寒いねん。」
「俺まだ冬服もしまってねぇしな。」
「宍戸、それはおかしいわ。 早よ春服と入れ換えや。」
「うっせーな! 暇がなかったんだよ!」
宍戸と忍足のやり取りを聞き耳立てながら今日の日誌をつける。
隣で無言のまま立っている樺地がちらりと俺の顔色を窺った。
チッ、大丈夫だっつってんのに、心配性な奴だまったく。
原因がわかってる以上、アレコレ言ったってしょうがねぇだろうが。
「大丈夫なんでしょうかね、さん。」
全員が部室の隅でぼそりと呟いた日吉に視線を向ける。
するとすぐにキョトンとした岳人の目が俺へと向いた。
「何が言いたい。 言っておくが俺様は何もしてないぜ。」
「何で? 跡部立海の奴らに会いに行ったんだろ?」
「全てアイツら次第だ。 今回俺様は一切関与しない。」
「どうしてですか!? 跡部さんあれほどさんのこと気にかけてたじゃないですか!」
意外だと言わずとも表情に出ている長太郎がネクタイを結びながら俺の方へと体を乗り出す。
シューズの紐を解いていた忍足が口許に嫌な笑みを浮かべながらそんな長太郎の肩を叩いた。
「しゃーないやん、なるべく“お荷物”は軽くして行かんと。 空見てみぃや。 アイツらがあっち行ってからさらに色悪なっとるやないか。
今ちゃんに会うっちゅーんは、それほど難しい事なんやで。」
「……雨なんてもうずいぶん降ってねえもんな。 そもそもアイツら、ちゃんと向こうに行けたのかよ。」
「心配はまずそこですね。 この状態だ。 違う世界に行ってしまえばそこまでですしね。」
「バカ日吉ー冗談に聞こえなーい。」
「冗談でないんだから当たり前でしょう。」
頬を膨らませて窓の外を眺め続けるジローに日吉は呆れ混じりのため息を零す。
確かに冗談なんかじゃなく、本気でアイツらは宇宙にでも飛ばされた可能性だってある。
もしそうなったとしたら元も子もねぇ。
今はただその僅かな可能性を打ち消す事しか俺達に手段は残されちゃいない。
無事、向こうの世界に降り立ってもらわねぇと話にならねぇ。
「何で、想い出は綺麗なままで終わらせてくれないんだろうね。」
そう呟いたジローの背中がやけに惨めに映った。
うっすらと浮かび上がった月が、赤く空を染め上げる。
まるで月が輝いているように見える。
……輝いているわけがねえんだがな。
「まったく、嫌な空をしてやがるぜ。 ………なあ、樺地。」
まるで独り言のように空に向かって呟いた。
少しの間が空いて樺地からいつもの返事が返って来る。
「この世界はもう、終わっちまうのかもしれねえな。」
少し乾いた俺の声が、静かになった部室に響いた。
「しまったのう…………地図、無くした。」
空っぽになった手の平を見つめ、苦笑い。
しばらく適当に歩いてみたものの、先ほど風で飛んで行ってしまった地図はもうどこにもない。
はなから探すつもりで歩いていたのではないが。
とりあえずじっとしてはいられなかったので手当り次第仁王は歩いていた。
「携帯、繋がるワケないか…」
ずっと表示が圏外のままの携帯の画面を恨めし気にじっと見つめる。
こんなことなら荷物になるので置いてくればよかった、そう後悔した。
はあ、溜め息を吐いて空を見上げる。
少し薄暗くなった空は、まるで自分達の世界と同じのようで、少し違う。
最近の異変に、気づいていない訳ではなかった。
「久しぶりに見たな、月なんて。」
まだまだ明るい都会であるため、それほどはっきり見えるわけでもないが、
空に浮かぶ丸く白い月を見たのは物凄く久しぶりだった。
独り言を呟き、空に向かって目を細める。
(………とりあえず、もうちょっとだけ適当に歩き回ってみるか。)
先ほどから周りからの視線をヒシヒシと感じていた仁王は人差し指で鼻の下を擦り、肩を解して再び歩き出す。
好奇の視線というものは、どうしてこうも突き刺さるのか。
自分の世界でも時に感じることはあるが、これほどまでに熱い視線を感じることは稀にしかない。
やはり髪の色に問題があるのだろうか。
全部が銀色なんて、滅多にいないから物珍しいのだろうか。
仁王はそんなことを考えながら、なるべく視線を気にしないように街中を歩き続けた。
「ねえ今の人、すっごくカッコよくなかった!? やば、好みかも!」
「ていうか……銀髪すげぇ。」
耳を傾ければ聞こえてくる声。
擦れ違う人が振り返って立ち止まることもしばしば。
だけど仁王は気にする素振りも見せずに長い足を動かし続ける。
(……何じゃ、俺は見世物か。)
ショーウィンドーに映る自分をちらりと横目で見遣る。
一瞬だけ見えた自分の姿に失笑しながら頭をポリポリと掻いた。
あの派手な赤髪の丸井が歩いてもこんな反応を頂くのだろうか。
銀髪より赤髪の方が物珍しいだろうに。
仁王は溜め息をフッと吐いて突き刺さる視線に耐えながら段々と薄暗くなる街を彷徨い続けた。
「なあ跡部。」
俺の呼びかけに、跡部は返事なしに視線だけを向ける。
窓の外一面に広がる空が、また一段と色を深くした。
「本当に、何もしないつもりなのかよ。」
「……ああ、しない。」
「何で、やれることは他にもいっぱいあるだろ?」
「………。」
黙り込む跡部の肩に寄り添って眠るジローの寝息が聞こえる。
それほど静かな部室には今、俺と跡部とジローしかいない。
きっとさっきみんながいた時からずっと俺が跡部に言いたがってた事を察して、
跡部はジローを理由に先にアイツらを帰らせたんだろう。
ご丁寧にいつも一緒に帰ってるはずの樺地まで先に帰らせやがった。
ジローをもう少しだけ寝かせて日誌書き終わったら起こして連れて帰るなんて言いやがって。
「俺達の世界は、アイツらの手にかかってる。 それで十分だろう。」
「他人任せにするのかよ。 激ダサだな。」
「馬鹿言え。 俺様が他人に頼ったりするかよ。 言葉を選びやがれ。」
「ああ? だって跡部が何もしないならアイツらに任せたようなもんじゃねえか。」
「任せたんじゃない。 言っただろう、アイツら次第だ。」
意味わかんねぇよ。
そんな視線を声に出さず跡部に向ける。
跡部はフンと鼻で笑って肩に寄りかかるジローの前髪を撫でるように少しだけ掻き上げた。
「どんなに足掻いたって、あのお転婆娘の仲間はアイツらだからな。 俺様の出番じゃねえんだよ。」
口許に笑みを浮かべ、だけど少しだけ寂しそうな目をした跡部。
そんな跡部を見て、俺は何も言えず閉口した。
ああ、そうか。
悪かったな、跡部。
跡部の手の中で小さく呻り声を零すジローの眉間に皺が寄る。
だけどすぐに気持ちよさそうな寝息に変わり、口許をもぐもぐさせながら再び深い眠りについた。
いったいコイツは何食ってやがるんだ。
俺ははあ、と大きな溜め息を零し、どっこいしょと立ち上がる。
ジジ臭ぇと言われたが、まあ気にしない。
「俺、アイツ捜して来るわ。」
そう言って少しだけ眉を下げて笑うと、
一瞬だけ目を見開いた跡部が少しの間をおいて「そうか」とだけ呟いた。
「見当はついてんのかよ。 思い付きじゃ、時間の無駄だぜ。」
「……だけど、俺じっとしてられねぇし。」
「…………。」
はあ、と今度は跡部から呆れまじりの溜め息が零れる。
バシッと物凄い勢いでジローの額を叩き、立ち上がった。
生理現象で涙目を浮かべたジローの目が薄っすらと開く。
「行くぞ、宍戸。 俺様について来な。」
鞄を肩にかけ、さっさとドアに向かって歩き出す跡部の背中を
寝起きのジローと呆気にとられた俺は茫然と見つめることしか出来なかった。
知ってるか、。
今、俺らの世界ってすっげぇ大変なことになってんだぜ。
どうせお前のことだ。
そっちの世界で悠々と過ごしてんだろ。
相も変わらず、そうだと逆に安心するんだけどよ。
そっちの世界のことについては、俺らの出番はねえみたいだけどよ、
こっちの世界のことについては俺らにだって、やることはいくらでもある。
本当ならもう一度お前に会ってあの日のことをガツンと言ってやりたいくらいなんだけど、
それはもう少し先延ばしにするとして、今は目の前のこの状況をどうにかしないとな。
だからあの日のスーパーでの出会いの話はお預けだ。
命拾いしたと思え。
もう会えなくなるなんて思っちゃいねえよ。
どうにかなる、そう思ってるから、俺は動くぜ。
どんな手を使っても捜し出してやるよ。
アイツ、渡瀬龍って男。
元病院の院長の息子だっけか?
今はもうないあの病院跡を見るたびに、俺の胸に妙なざわつきが生まれる。
たぶんそれは俺の本能が無意識に反応してたんだろうな。
この世界の大いなる異変に。
だから、どうか、
もう会えないなんて、お前の口から言わないでくれよ。