「…これは、実に興味深い。」
柳の手に握られた一冊の本。
この世界に降り立ち、早二時間。
ずっと本屋の一角で目を見開き(本人にとっては)同じ背広の本を読み続けている男を何度も店員が怪訝の眼差しで見つめていた。
もはや彼にとって何をしにこの世界に来たのかすら頭から消え去っている。
「一冊だけでもいいから是非持って帰りたいものだな。」
テニスの王子様と書かれた本を片手に、柳は時計を見上げた。
この世界の通貨は共通なのかもわからない今、迂闊にレジに行くことも出来ない。
見上げた時計が夕方を指していたので柳は潔く諦めて本を棚へと戻した。
「さて、と。 あそこで面倒を起こしている阿呆を引きずっての家でも探すとしようか。」
やれやれと肩の凝りを解し、本屋から出たばかりの柳は向かいの空き地で数人の柄の悪い奴らに囲まれている人物の元へと足を速めた。
この広い世界で離れ離れになってしまったが、こうも簡単に見つけてしまうのもつまらないな。
そんなことを考えながら。
「テメェその口の聞き方はなんだゴラァ!」
「足踏んどいて誰がゴリラだって! ああ!?」
「まあまあそんなに怒らないで。 ちょーっと口が滑っちゃっただけじゃないっスか。 あんまりしつこいと俺、キレちゃうっスよ。」
謝る気が更々なく、目も笑っていない後輩の態度に怒りをあらわにする柄の悪い奴ら。
明らか非があるのは彼の方なのだが、ついでに赤の他人ならばそのまま放置するところなのだが。
運悪くも出会ってしまったが百年目。
助けなければならないか……彼等を。
「赤也、時間がない。 行くぞ。」
「ああ? んだ、アンタこの糞ワカメの連れか?」
馬鹿が。
振り返った金髪の男に憐れんだ視線を向ける。
彼の背後で明らかスイッチが入った赤也の姿を見て柳は目の前の金髪の男に面倒事を増やしやがって、と暴言を吐きたい気持ちを抑えた。
「テメェぼっこぼこに殴り飛ばされたいらしいなああ゛!?」
「んだコイツの目、気持ち悪ぃ!」
「やるならやんぞコラァ! ワカメちゃん!」
「お好きにどーぞ! ただし、やれるもんならね。 それなら手加減しないっスよ!」
急展開を迎えた喧嘩。
柳がそろそろ止めようかと思ったその時、
「きゃぁああぁあ誰か助けてぇえ! こんなところで血みどろの喧嘩してるぅうう!」
突然の叫び声にその場にいた全員が肩をびくつかせた。
「あ、こっちですこっち! こっちで喧嘩が!」
「チッ、やべえな行くぞ!」
「余計な邪魔が入ったぜクソッ。」
男達は面倒事は御免だと暴言を吐きながら立ち去って行った。
その反対側の入り口から顔を覗かせた女子高生に柳は「あ、」と声を漏らす。
「逃げんじゃねえっ………イッテェエ!」
「少し落ち着け赤也。」
いまだ興奮が治まり切っていない赤也に容赦なく急所を蹴り上げた柳。
それを目の当たりにした女子高生は顔を引き攣らせながら、声も出せずうずくまる赤也達の元へと歩み寄った。
「とりあえず本当に人が来ちゃったらマズイからここ離れよ。」
「…ああ、そうだな。 赤也、立てるか?」
「………む、むりっス。」
「そんなはずはないだろう。 立て。」
「グエッ!」
首根っこを掴まれ無理矢理立たされる赤也。
目の充血は引いているものの、今度は白目を剥いていた。
この世界で生きていく方法 FINAL STORY
「真田君、ここじゃないですか?」
「うむ、案外近かったな。」
『』と書かれた表札を見上げ、柳生はインターホンの呼び鈴を鳴らす。
暫く待つと『はーい』という女性の声が聞こえて来た。
「あの、突然申し訳ございません。 私は柳生と申します。 さんはいらっしゃいますか?」
『柳生さん? は今出掛けてますが。』
「…そうですか。」
せっかく偶然通りすがった交番にいた警察官にの家を聞いて探し当てたというのに。
といっても探し当てるという行為は至極簡単だったのだが。
『この近くにさんという家はありませんか?』
『さんねぇ〜…友達の家探してるの?』
『はい、というのですが。』
真田が彼女の名を述べると顔を引き攣らせた警察官。
どうやら相当辛く苦い思い出があるようだ。
まさかが前科持ちではあるまい。
二人はの性格をリアルに思い出し、何をやらかしたんだと思いながらも何があったか問う勇気はなく、
親切にも丁寧に描いてもらった地図を片手に見事家を探し当てたのである。
しかし本人は不在。
柳生が肩を落として「ありがとうございました」と礼を言って立ち去ろうとした時
『柳生、真田!』
「?、え?」
『俺だよ俺、幸村だよ!』
「幸村!?」
真田がインターホンに向かって叫ぶ。
機械を通しての声なので本人かどうかは確認できないが、この世界で自分達の名前を呼んでいるあたり、本人が言うとおり幸村なのだろう。
の家がここで正しかったということがわかったと同時に、逸れていた仲間とも出会えた喜びで二人はホッと息を吐いた。
『ちゃんのお母さんが上がって待ってればいいって言ってるからお言葉に甘えて入っておいでよ。』
「え、ええ。 迷惑でなければそうさせていただきましょうか真田君。」
「うむ、幸村とも出会えたことだし、お邪魔させてもらうとしよう。」
『真田、柳生、鍵は開いてるから勝手に入っておいでだって。』
言われた通り玄関へ行くと、確かに鍵が開いていてドアノブを掴むとドアは開いた。
律儀にお邪魔しますと言って内心ドキドキと心臓を高鳴らせながらも靴を脱ぐ。
勝手に入っておいでと行っただけあって誰一人玄関に顔出しにも来なかった。
流石はの母親である。
「いらっしゃい、えっと…真田君と柳生君でよかったかしら?」
「あ、お邪魔します。 はい、私は柳生比呂士と申します。」
「同じく、真田弦一郎です。」
リビングに入ると新たなお茶を二つ用意しているの母親の姿があった。
真田と柳生の存在に気が付くと、ニッコリ微笑んで声をかけてきたので
二人は少し緊張しながらも少しだけ頭を下げて名を名乗った。
どうやらとの関係は幸村から聞いているらしく、何者かは問われることはなかった。
「まあ座ってちょうだい。 狭いけど我慢してね。 あとお茶しかないけどどうぞ。」
「ありがとうございます。 どうぞお気遣いなく。」
「ふふ、どの子も礼儀正しいのね。 ったら一体どこでこんな素敵な男の子を引っ掛けてきたのかしら。」
ニヤニヤしながら腰に手をあて、二人を品定めするように見つめるの母親に三人とも苦笑いを浮かべる。
「幸村君はずっとこちらに?」
「ああ、運よく家の前だったんだ。 助かったよ。」
「それで、何をしていたのだ。 この散らかり様は一体……」
真田が呆れたように辺りを見回すと、アルバムやらアルバムに収納されていない写真やらで床は埋め尽くされていた。
真田の素直な反応にの母親と幸村は顔を見合わせプッと噴出し笑う。
いつの間にやらこの二人は格段に仲が良くなっているようだ。
「の小さい頃の写真見てたのよ、ねー精市君。」
「はい。 真田達も見るかい? ちゃんの野生的な一面が見れるよ。」
「や、野生的……ですか?」
「あの子ね、今もそんなに変わらないけど昔はかなりの野生児だったのよ。 動物に例えるなら猿ね。」
「あ、ああ……」
の母親の言葉に妙に納得してしまった真田。
思い起こしてみれば次々に蘇るの野生的な行動の数々。
確かに例えるなら猿が一番しっくり来るだろう。
だけどの母親の前で納得してしまうのは失礼だと思い、曖昧な返事でその場を誤魔化した。
ある意味そんな母親の前ではっきりとを野生的と言ってのけた幸村はやはり肝が据わっているのだろう。
「それがね、ずっとちゃんの写真を見てたんだけど、なんだか可笑しくってもう腹筋がイタイイタイ。」
「ねえ、あの子本能のままにカメラに飛び込んでくるからまともに写ってるのなんて数えられるくらいしかないのよ。 どう、見る?」
「……ちょっと見てみたい気がします。」
「じゃあおばさん洗濯物取り込みに行ってくるから適当に散らかってるの見てて。 腹筋壊さないでね。」
「……はい、気をつけます。」
の母親はごゆっくりと言いながら階段を上って行った。
最後上り切る寸前にどっこいしょというオバサンらしい掛け声が聞こえてきて、そのことに幸村はこっそり笑った。
「失礼ですよ、幸村君。」
「ごめんごめん、ちょっとちゃんのお母さんらしいなって思って。 面白いよね、親子揃って。」
「はあ、貴方という人は……。」
呆れながらも床に散らばった写真を一枚手に取る柳生。
真田もその隣に腰を下ろし、一枚写真を手に取った。
「何て言うかその…まんまだな。」
「さんらしいと言えばそれまでなんでしょうけど…これは酷い。」
「ハハハハハ二人とも、ここにちゃんのお母さんがいなくてよかったね。」
写真を片手に素直な感想を述べる二人に幸村は高らかな笑い声を上げる。
真田は写真をもとあった場所に戻すと、出してもらったお茶を一口すすり、しかめっ面をした。
「笑いすぎだぞ、幸村。」
「しょうがないだろ。 さっきの自分の顔を鏡で見てみろよ。」
「……それは真田君の表情に笑ってるってことですか?」
「いや、柳生も面白かったよ。」
「そんなこと言われたって嬉しくも何ともないですよ。」
やれやれと柳生もお茶を一口頂く。
そんな柳生の様子を見て幸村はニコニコと相変わらずの嫌な笑みを浮かべていた。
本当に、悪趣味な人間だ。
そうは思うも、柳生も真田もそれを口にすることはせず、ましてや幸村に対して嫌な気持ちを抱くこともなかった。
「それにしてもちゃんは女としての自覚が全くない生活を送ってきたんだね。 まさに野生児だよ。」
「…まったくです。」
何かを思い出すように微笑ましい表情を浮かべる幸村の手の中の一枚の写真。
それを横目で捉え、柳生はフッと口許に笑みを浮かべてもう一口お茶をすすった。
ねえ、ちゃん。
俺ね、少しだけ変わったんだ。
気づく人と気づかない人がいるかもしれないけど、確かに少し変わったよ。
たぶんアイツらは気づいてると思うけど、俺ね。
誤魔化すことはやめたんだ。
言葉を遠回しに伝えて、自分を守ることはやめた。
時と場合ってのもあるけど、普段はできるだけそのまま思った言葉を相手に伝えるようになった。
それも最近では、毒舌やら悪趣味やらそんなマイナス面に思われることもしばしばあるけどね。
だけど、楽しいよ。
大きな声を出して笑うって、物凄く楽になる。
押し殺した感情なんかより、そのままの感情を表に出した方が、断然いいんだって俺は気づいた。
君に、気づかせてもらった。
ありがとう、ちゃん。
あの日からずっと君に会いたくて、今日はここへ来たけど。
正直俺はまだ実感がない。
不安で、辛くて、寂しくて、切なくて。
そんな感情が俺の中を渦巻いて。
君と顔を合わせた時、俺はそのままの気持ちを君にぶつけてしまうかもしれないよ。
“離れたくない” って ―――――