35話 寂しがりな奴ほどツンツンしてる。
向こうの世界と繋がっているのは立海の屋上にある給水タンクの裏側。
そこにできる時空の歪みに手を入れればたちまち人は世界を越える。
この龍ちゃんの言葉を信じた私達は他のみんなが待つ立海の屋上へと向かった。
時刻はもう夜の11時すぎ。
屋上にはすでに見慣れた顔がそれぞれの想いに耽りながら揃っていた。
ただ一人、赤也を除いて。
「遅かったじゃねえか。いつまで待たせる気だ。アーン?」
「跡部君までいるの!?それに氷帝のみんなまで!」
「杏璃先輩もいますから・・・」
チョタが苦笑いを浮かべて少し離れたフェンスにもたれ掛かり、ひとり月を見上げている杏璃ちゃんに視線を向けた。
こちらに見向きもしない彼女の横顔は今宵の満月に照らされて酷く泣き出しそうになっていた。
ここにいるのはそう。
真田、柳、ジャッカル、そして氷帝のみんな。
入院中であるはずの跡部までもがここにいて。
そして平然と立っている。
あれ?怪我は?
「この時空の歪みは・・・そんなに長い時間は開かないし、毎日開いているわけじゃない。」
「と、言いますと?」
「三日に一回くらいが限度かな。それも今日みたいに晴れた真夜中じゃねえと現れねえ。」
「そんなに条件ついてんの!?何で何で!?」
柳生の隣に立っていたジロちゃんが驚きながらも目を輝かせて言った。
あ、夜中なのに起きてる。
やっぱりあれかな。
こういう時のためにいつも睡眠取ってんのかな。
「世界を移動すんのって簡単じゃねえから。失敗したら死ぬし。」
「だとしたら今日は好条件の日、だな。」
「今日は満月か・・・。」
月の光でぼんやりと明るい空を見上げた宍戸に頷くガックン。
「まるでかぐや姫みたいだね。」
そう言ったジロちゃんにみんなが空を見ていた視線を戻す。
いきなり現れたお姫様は満月の夜に月へと帰っていっちゃうんだ。と儚げな笑みを浮かべて言う。
誰かが確かに、と呟いた。
「もう、会えないのか?」
「・・・たぶん。帰っちゃったらそうそう戻れないだろうね。」
「出会わなければ・・・なんて言わないよ。出会えてよかった。ありがとうちゃん。」
ジャッカルと幸村。
二人が歩み寄ってきて幸村は私に手を差し出す。
私はそれを黙って握り返した。
今度は出会った時みたいに痛くもないし邪険は伝わってこなかった。
あの時やっぱり私嫌われてたのかな・・・。
「普段は病院の地下でしか行われない、っつか現さない時空の歪みだ。何分・・・何秒持つかわかんねえから開いたら即入れよ。」
「・・・ねえ、私も行くの?」
気がつけばいつの間にか私の隣に立っていた杏璃ちゃん。
不安げに眉を寄せて私の服の裾を掴んでいた。
「帰りたくないの?」
ジロちゃんが問う。
杏璃ちゃんは弱々しくも首を左右に振った。
「・・・帰りたいんかいな。ほなら何やの?」
「・・・私は何のためにここにいたのかなって・・・ずっと考えてた。」
「杏璃・・・。」
「だってそうでしょ?私何もできなかった。それにも増して私まで弱っちいこと言って・・・この世界に残ろうとしてた。」
ギュッと、掴まれた服の裾に力が篭る。
「私の存在していた意味は?どうして私はここにきたの!?」
この世界にさえ来なければ。
私はきっと、自分の弱さを知らずに生きれた。
「・・・違うよ。杏璃ちゃん。」
「え?」
「ここに来たから・・・変われたんだよみんな。弱さを知ったから、強くなったんだ。」
優しく、だけど力強くはっきりと。
確信を持った口調で話す。
一つも聞き零したりしないように。
ゆっくり。ゆっくりと。
「ここでの想い出は何一つ欠けてちゃダメなの。全部あって今の結果だから。」
そう、それはこの世界という名のパズルのようで。
一つひとつのピースが一つでも欠けたら完成しない。
一つひとつが大切な存在。
「だから杏璃ちゃんの存在も・・・大切なパズルのピースなんだよ。」
ぱっと空が輝き出す。
月の光なんだろう。
だけど異常なまでもに明るい空に私達は思わず目を細めて見上げた。
「時空の・・歪み・・・」
誰よりもいち早く気付いた柳が給水タンクの裏を見る。
そこは目を疑いたくなるほどの光景が広がっていて。
今更ながらに思わずこれは夢なんじゃないかって思い始めてしまった。
だけど夢じゃない。
それは今までのことで痛いほど身に染みて体感してきたことだから。
「時間がないぜ。、早く行け。」
「・・・もう行っちまうのかよ。落ち着いて別れを惜しむ会話もできなかったじゃん。」
私の背中を押す龍ちゃんに拗ねたように口を尖らせるブン太。
確かにそうだ。
みんなにちゃんと別れを告げる時間すらない。
ここにいるみんなはまだしも、学校の友達。
それとここにはいない赤也も・・――――
「先行ってるね、ちゃん。」
「え、あ!小百合ちゃん!?」
「あっちの世界で待ってるから。バイバイ。」
私の肩をポンと叩くと苦笑いを浮かべて歪みの中へと手を突っ込んだ。
みるみるうちに小百合ちゃんの姿は歪みに溶け込んで消えていく。
みんなも口を開けたままこの摩訶不思議な現象をしかとこの目に焼き付けていた。
「じゃあ次私だ。」
「・・・杏璃!」
「みんな、今までありがとうね。私・・・ここでの想い出、忘れないから。」
「杏璃先輩!」
「辛かったことも楽しかったことも・・・全部逃げずに受け止めるから。」
「・・・やっと、アンタらしくなりましたね。先輩。」
給水タンクにもたれ掛かって腕を組んでいた日吉が月を見上げたまま視線を向けずにつぶやく。
振り返った杏璃ちゃんはそんな日吉を一目見て小さく微笑んだ。
「迷惑かけたね、日吉。」
「ええホントに。」
「はは、君のそういうところが嫌いだよ私・・・。」
歪みの中へ手を入れる。
さっきの小百合ちゃんの時みたいに歪みに溶け込み始める杏璃ちゃんの体。
みんなが不安げに見守る中、杏璃ちゃんの体が消える瞬間。
月を見ていた日吉が振り向いて叫んだ。
「俺は今のアンタみたいに強い目を持った人は好きですよ。」
消えていく杏璃ちゃんが最後に振り返り、今までとは全く違った心からの満面の笑みを浮かべて消えた。
それを見た跡部がフッと笑い「やっと笑いやがった。」と小さく呟き髪を掻き上げた。
跡部は、杏璃ちゃんに何を望んでいたのだろうか。
私にはわからなかったけど。
とにかく今氷帝のみんなは寂しそうで、だけどどこか嬉しそうな、そんな表情を浮かべていた。
まるで巣立つ子供を見送った母親の顔だ。
「次、最後の番だな。」
真田が私の肩に手を置く。
何だかとっても心は不安定で、物凄く寂しい。
帰りたい。
帰らなきゃいけないけど帰りたくない。
みんなと離れたくない。
矛盾した思いを抱きながら一歩、歪みに向けて足を進める。
その時だった。
「帰っちゃダメ!!!」
急に体が前に進まなくなって。
気がつけば私は誰かに抱き着かれていて。
唖然とする空気の中、歪みはどんどんその姿を縮めていく。
って、え!?
ちょ、ちょっと待って!!
え、ええ!?
何!?
何が起こったの!?
「赤也何してんだ!?放せよ!」
「嫌だ!」
「赤也!お前という奴は・・・が帰れなくなるだろう!!」
「それでいいんだよ!!」
腕に力が入る。
今もまだ小さくなっていく歪みに手を伸ばしながら私は赤也に抱き着かれている。
それを必死に引きはがそうとしているブン太と真田に抵抗の姿を見せる赤也。
キュン。
・・・じゃなくてどうすんの私!?
「ぎゃぁぁぁああああ歪みが消えていくー!!!!!!!!」
さっきまで身長分くらいあった歪みがどんどん小さくなって今やもう手の平サイズも残っていない。
どうすんの!!?
どうなってんの!!?
「やっぱ俺嘘なんてつけねえ!!嘘ついたままお別れなんて無理っスよ!!」
「おいジャッカル!何ボーっとしてんだよ!早く赤也を引き剥がせ!!」
「え、あ・・・おお!!」
「何!?何でコイツこんなに力強えの!?」
「赤也いい加減に・・・・・・・」
「嫌いなんて嘘!だからこの世界にいてよ!!先輩がいなくなったら俺・・・寂しいっスよ!!!!!」
夜の空に吸い込まれるような叫び声。
みんなにどれだけ引き剥がされそうになっても解けることのない赤也の腕。
震えた掠れた涙を含んだその声に。
私は自然と前へ進める足を止めてしまった。
「・・・・・・・・・・・・・ジ・エンド。」
龍ちゃんの声が耳に響く。
そう、時空の歪みは閉じてしまったのだ。
今日はもう帰れない。
赤也のせい。
そう言えばみんな赤也を責めるのだろうか?
「・・・・・・・・この馬鹿もんがぁぁあああああ!!!!!!」
「ちょ、真田!!!」
真田の鉄拳が赤也の顔に飛ぶ。
歪みが閉じてしまったことにより、緩んだ赤也の腕。
赤也は簡単にその場に弾き飛ばされてしまった。
「・・・・・・・・・・。」
「帰れんかったの。」
「・・・・・・・・・・赤也が来なかったら・・・・仁王君がしてたことでしょ?」
「ご名答。」
みんなが赤也に集中している隙に、一人たたずむ私に近寄る男。
仁王雅治。
奴は口元に笑みを浮かべて笑っていた。
「帰るんやったらせめて・・・」
「俺の肉じゃが食ってから帰って。」
月の光に照らされて。
私は堪えていた涙を今流した。
あとがき
仁王の肉じゃが食おうぜみんな!!!
2007.06.05