33話 今日は私超ブルー。なぜなら尋常じゃないほど忙しいからさ。
虐められる人間がどこまで弱く惨めなのか、自分がその立場になって初めて気が付いた。
偉そうなことが言えたのはその人の本当の気持ちを知らなかったから。
軽率な行動だった。
笑顔が消えてしまう瞬間は妙に滑稽で、人ってここまで落ちぶれているものなんだと悲しくなった。
笑顔を忘れてしまった私は元気な笑顔の作り方を知った。
自分の弱さに絶望しながらもこれが間違っている選択だとわかっていてももう元の自分のように人を信じていられる自信がなかった。
そして今日もまた押し殺した感情のまま必死に一秒一秒生を刻む。
何度も何度も心の中で謝り続けながら・・―――
だけどこれがこの世界で生きていく方法なんだ。
ごめんね。
もう名前も思い出せない大切な人。
ピンポンピンポンピンポンピンポーン
突如鳴り響くインターフォンに苛立ちを覚えながらもそれが同時に私を現実に引き戻してくれたことに少し感謝する。
あともうちょっとでセンチメンタルに陥るところだったよ私。
「はーいはいはーい。」
インターフォンの通話ボタンを押し、画面に映るその独特な髪型を確認する。
「日吉・・・。」
モニターの向こうにいる彼は苦痛に歪んだ表情で額の汗を拭っている。
こんな時間に何の用なのだろうかという疑問よりも日吉から焦りが感じられるという方が妙に気に障った。
きっと良からぬことがあるに違いない。
本能が咄嗟に私に危険信号を発した。
このままじゃいられない。
「・・・どうしたの日吉。」
「先輩実はッ・・―――!」
マイク越しの日吉の息切れ混じりな声が私の全身の血液を上から下へと引きずり下ろした。
「さんがアンタの捜していた大切な人なんですよ!」
日吉は私の知らないところで一体何を知っていたんだろう。
切原が帰って一人になった俺はさんのあとを追って病室へ向かったがそこには誰もいなくてまさかと思った俺は病院内を必死に捜し回った。
だけどそんなに時間はいらなかった。
この病院の中でも滅多に人が通らない人気のない病棟の一角に院長(と書かれた名札を胸にさしている)らしき人とさんの姿が目に入った。
気付かれないように壁に体を這わせ、耳を澄ます。
『お願い早く教えて!』
『・・・別に教えるのは全然構わないけど・・・犬飼小百合の方は行っても家にはいないよ?』
『ど、どうして!?』
犬飼小百合。
この名前が耳に入ってより一層神経を集中させる。
さんの教えてほしいこととは何なのか。
『仁王雅治が犬飼小百合を私の家へ連れて行くために連れ出しに向かっているからね。もうすぐ犬飼の家に着く頃じゃないかな。』
『仁王が!?何でアンタの家!?』
『私の息子・・・君のクラスの生徒会長いるだろ?私の息子なんだ。その息子が今丸井ブン太と柳生比呂士と三人で私の家にいるんだよ。幸村精市と無道雪菜も今そこへ向かっている。』
どうしてこの人はこんなにも情報通なのか。
俺は今目の前でさんと話しているこの男がとてつもなく怖くなった。
異様なまでの作り笑顔に今すぐにでも倒れてしまいそうなほど不健康な青白い肌。
何だこの人は病人か?
病院の院長が病人でいいのか?
『な、何で!?何がどうなってそんなことになってるの!?』
『・・・貴女はそろそろ本来の目的を実行させなければならない。もう気付いているんでしょう?そこにいる日吉若との先ほどの会話で全て思い出したのでしょう?』
『え?』
視線を感じると共に俺の心臓はこれ以上ないってくらいに大きく波打つ。
くそ、バレてたのか。
俺は武道をやっている分、気配を消すことくらいたやすいことなのに何故気付かれた?
この人、本当に何者なんだ・・・?
バレている以上仕方なく俺は二人の前に姿を現す。
さんは若干驚いていたが院長らしき男の方は全く気にもとめていない様子だった。
『いってらっしゃい。私の家はここです。』
男はさんに住所を書いているだろう紙切れのようなものを渡す。
まるで初めからそれの需要を承知していたかのような用意周到さだ。
そしてそのまま俺に視線だけくれると今度は俺にも紙切れを手渡した。
『日吉若には申し訳ありませんが来栖杏璃を立海の屋上まで連れて来てくれませんか?それで役者は全て出揃うはずです。』
『・・・どうして立海の屋上なんだ?』
『残った役者は全てそちらに向かわせるつもりですから。立海の屋上は第二ラウンドといったところでしょうね。』
『でも学校側にバレたら・・・。』
『心配いりません。もしバレた場合は私が一切の責任を負います。ですからお願いします。』
深々と頭を下げる男に疑いの眼しか俺は向けることができなかった。
何故ならこの男の裏が読めない。
一体何を目的にこのような頼み事をするのか。
だけど俺は断るわけにはいかなかった。
こんな大変で複雑な問題に本当は関わりたくなんてなかったはずなのに、なのにどこかでこのという可能性を信じていたんだ。
彼女なら俺の期待を裏切らない。
『貴女は仁王雅治達と合流したあと立海の屋上へと向かって下さい。』
『ねえ、屋上に何かあるの?』
さんはまだ信じられないと言いたげな顔付きで男を見上げる。
それを知ってか知らでか男は伏し目がちに微笑を浮かべると
『そこで全てを終わらせてください。』
そう囁き、俺達を一見してその場を去った。
廊下に響く足跡が今すぐにでも消えてしまいそうなほど軽やかに。
『病人が外出してよかったんですかね。仮にもあの人院長ですよね?』
『・・・さ、さあ?』
呆気に取られた俺と間抜けな声を出したさんを残して。
もう一度違う人生を歩めるのなら今度こそ強く、そして幸せに生きたいと思った。
だけど何故だろう。
あの子の顔を見るとそれが間違っているように思えてどうしようもないくらい後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
あの子、は私を見るととてつもなく苦しそうな傷ついた顔をする。
それがまた私の心を掻き乱すんだ。
何とも言えない罪悪感を植え付けて。
家のすぐ横にある公園のベンチで一服しながら薄ら姿を現した満月を眺めていた。
突如それが人影によって遮られる。
「何の用よ?」
仁王雅治。
息を切らしながら何も言わずに私の手を取る。
私は無条件で立ち上がると手に持っていた煙草を地面に落とした。
咄嗟にそれを拾おうと手を伸ばすと先に仁王雅治に拾われる。
「女が・・・しかも未成年がこんなもん吸うな。」
「返してよ!」
「ついてこい。」
煙草を私の前にちらつかせると仁王雅治は私の手を引いて歩き出した。
別にそこまで煙草に執着はしていなかったけれど仁王雅治の行動に少なくとも好奇心がわき、体が勝手についていく。
何処に向かっているのかなんて知らない。
だけど仁王雅治は決して行き先を言わないどころか何も言わずに無言でひたすら歩き続けている。
妙な気分だった。
「ねえ、何か言ってよ。」
今はただ会話がないのが嫌だった。
仁王雅治は動かす足を止めることなく黙って私に振り返る。
本当コイツ、人によって態度変わるわね。
の前とじゃ全然違うじゃない。
「・・・何でかの。お前を連れて行かなきゃならん気がした。」
「何処へ?」
「会長ん家。」
「渡瀬・・・龍?」
頷くとそれっきり何も話さなくなった。
今度は私も無理に話を切り出したりしない。
そんな雰囲気じゃないことくらい私でもわかっていたから。
でも少しだけ文句を言ってもいいのなら私の歩く速さを少しは考えろ。
さっきから私一人ずっと小走り状態なのよ。
しかもサンダルだし!
まさかこんなことになるとは思ってなかったから服もスエットだし!
女として結構恥ずかしいんですけど!
そんなこと気にもとめないでさっさと住宅街へと足を運ぶ仁王雅治。
だけど私から見える仁王雅治の微かに滲む額の汗はきっと私のことを必死に捜したんだと思わせる。
まあ家にいなかったしね。
よく公園だとわかったくらいだよ。
「犬飼・・・小百合!」
ふと呼ばれた私の名前に仁王雅治と同時に振り返る。
そこにはここまで走ってきたのだろう息を切らし汗を流した男と女が二人立ち止まっていた。
男の方は知ってる。
日吉若。
女の方は知らないはずなのにと会った時のような感覚に襲われた。
相手も何故私の名前を呼んだのか自分でもわからないといった風に口を押さえて驚いていた。
「お前さんは氷帝の日吉。それと・・・彼女か?」
「いえ、違います。」
「即答しやがったなコノヤロウ。」
この子は誰?
見覚えがある。
だけど思い出せない記憶の中で楽しそうに笑ってる力強いかわいらしい笑顔。
憧れてたんだその揺るぎない眼差しに。
私にはない強さを夢見てた。
だけど今眼の前にいるこの子にその面影は見当たらない。
激しくなる鼓動に何故か妙な焦りを覚えた。
「じゃ俺達はこれで。」
「何処へ行く?」
「立海の屋上です。」
「・・・立海?」
「今さんもアンタと同じところへ向かってる。もしかしたらもう先についてるかもしれない。」
「が!?」
「はい。そのあとアンタ達も屋上へ行くことになると思います。」
何があるのかは知りませんが と付け足して日吉若は歩き出した。
慌ててあとを追う女が私を不思議な眼差しで見つめて私の隣を通り過ぎていった。
振り返る。
日吉若が不敵な笑みを浮かべて私の方を見た。
「いくら逃げ続けてもアンタの生きるべき世界はここじゃない。」
目力で殺されるかと思った。
物腰柔らかな口調に貼付けたような得意げな笑顔。
なのに何故だろう。
そんな目の奥に隠された鋭い刃のような瞳に私は一瞬息をすることすら忘れてた。
まるで痛いところを突いてこられたように。
「行きましょう。」
「あ、ちょ、待ってよ日吉!」
仁王雅治も私に目もくれずにゆっくりと歩きだす。
まだ一人立ち止まっている私は遠ざかっていく三つの足音に聴き入って何故か無性に泣きたくなった。
みんなが私から離れるように歩いていく。
歩かない私はおいてきぼり。
それは自分が歩こうとしないから。
歩きだすために背中を押してくれる人をずっと待ってるから。
そんなので強くなんてなれやしないとわかっていても一人じゃ何もできない。
私は自ら歩くのをやめたただの弱虫。
「・・・・・・。」
もうずっと、背中を押してくれているあの子がいたのに私はそれをも拒絶した。
そのうえここに残ると覚悟を決めたくせに。
なのに・・・。
「はよ行くぜよ。んところ。」
いつの間にかまた私の目の前まで戻って来ていた仁王雅治は何とも言えない笑顔を浮かべると知らないうちに流れ落ちていた涙を自らの服の裾で拭った。
仁王雅治。
初めて見た時は心臓が跳びはねるほどときめいた。
初めて見るその整った顔に周りと違った独特な雰囲気。
だけど周りを寄せ付けず一人で教室にいる姿はどこか私と被った。
自ら引いた一線を越えてくれる誰かを知らず知らずに求めている姿。
今ここに仁王雅治がいるのはきっとあの子のおかげ。
頑なに引き続けた境界線を何の気無しに飛び越えてきてくれたあの子がいたから。
「・・・・・・ちゃん・・・。」
あの子は見捨てずにここまで追い掛けて来てくれた。
何度も何度もまた私を救いに来てくれる。
ああ、ちゃんがずっと私の中で存在していたあの子だったんだ。
「行こう仁王雅治。」
逃げ出すことに慣れていた私は一年前に歩くことをやめたその足を再び前へ踏み出した。
あとがき
またまた久しぶりに更新したらシリアスどっぷりだぜぃ。
一話つくるのも大変だなあ・・・orz
2007.04.26