泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺は初めて人が怖いと感じた。

 

 

 

 

 

レーゾンデートル

 

 

 

 

 

あれから三日、空は綺麗に晴れていて傘いらずな天気がずっと続いていた。

俺達は毎日部活の後、赤也が眠る病院へ足を運んだ。

目を覚ます気配のない、点滴を繋がれたその姿に俺達は眉間にシワを寄せるばかり。

だけどここ数日、それよりももっと気になることがある。 それは、

 

 

 

 

 

「蓮二、お前は今日もまた練習も出ずに赤也のところへ行くつもりか。」

「…弦一郎か。精市の許可はとってあるが?」

「しかし何故お前が練習を休んでまで見舞う必要がある。赤也が心配なのはわかるが…それじゃ部全体に示しがつかんだろう。」

 

 

 

 

 

真田の言うとおり、何故か柳が部活を休んでまで毎日赤也の見舞いに行っている。

それも学校が終わればすぐに、だ。

これは気にせずにはいられんじゃろう。

しかし部長である幸村が許可しただけに厳しくは言えない真田の複雑な表情から気持ちを汲み取ったのか、

柳はちらりと空を見上げて落ち着いた口調で言った。

 

 

 

 

 

「今日の放課後には雨が降る。それで少しは何かが変わるだろう。」

「…どういう意味だ。相変わらずはっきり言わない奴だなお前は。」

「すまない弦一郎。ただ今は黙って来るべき時を待っていてくれ。」

 

 

 

 

 

「人には、知らなくていいこともある。」

 

 

 

 

 

柳はそれだけを言い残すと着替えを終え、さっさと自分の教室へと帰って行った。

朝練を終えて着替えを済ました俺達も微妙な空気の中それぞれの教室へと帰る。

ただ気になるのは、柳の俺への視線。

何かを俺に伝えようとしてるんじゃないかって、そんな気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外はもうだいぶん暗くなった。

さっきからぽつりぽつりと降り出した雨に、俺は今日傘を持って来ていなかったことに内心舌打ちしたい気分になった。

まぁヒロシ辺り持ってるだろうから無理矢理入れてもらお。

 

 

 

 

 

じょきん、

ハサミを机の上に置いて残ったテーピングを綺麗に足首に巻く。

 

 

 

 

 

「あ、ちょっと仁王!テーピングなくなったんなら箱ん中戻さないでよ!」

「ちっ、バレたか。」

「あのねぇ、面倒臭がらないの!ごみ箱すぐそこでしょ!?」

「じゃあごみ箱取って。」

「甘えるな!」

 

 

 

 

 

俺の頭をパシンと叩いて朱音はテーピングの芯をごみ箱に捨てた。

ラッキーと思ったけど叩かれたんだからプラマイゼロじゃな。

まだ軽く朱音が睨んでくるけど気にとめずに鞄を肩に担ぐ。

すでにドアの前で待っているブン太と幸村とヒロシと真田とジャッカルのもとへと歩み寄ると

「待ってってば!」と叫ぶ朱音の慌てた声がした。

 

 

 

 

 

「お待たせ!」

 

 

 

 

 

しばらくすると外で待っていた俺達のもとに朱音がやって来て、

「遅かったね。」と地味に責めてくる幸村に二言三言告げると先頭を切って歩き出す。

 

 

 

 

 

「どうした?」

「ふふ、仁王が使ったテーピングが最後だったんだって。」

「…そりゃすまんかったのぉ。」

 

 

 

 

 

真田の問いに含んだ笑みを向けてくる幸村の視線から逃れるように空を見上げた。

どうやら朱音はテーピングの変えを探していたらしい。

見つからんかったみたいじゃけぇの。

 

 

 

 

 

「入るよ。」

 

 

 

 

 

そろそろ見慣れてきた病室のドアを幸村が代表で叩く。

すぐに中から柳の声が聞こえたから遠慮なく入ることにした。

 

 

 

 

 

「あ、さんも来てたんだね。」

「はい、お邪魔してます。」

「お邪魔だなんて、君は赤也の彼女なんだからそんな謙遜することはないだろ。」

「あ、それもそうですね。すみません。」

 

 

 

 

 

苦笑いを浮かべて再び視線を眠っている赤也に向けるに俺もつられて向けてみる。

赤也、少し痩せたか…。

 

 

 

 

 

「つーかさ、柳お前練習でねぇで何ずっと赤也の面倒なんてみてるわけ?そんなんでいいのかよ。」

「…そうだな。しかし赤也も目が覚めたときに俺がいた方が喜ぶだろ。」

「なぁそれ一体どんな基準なんだよ。絶対ぇビビるだけだろぃ。」

 

 

 

 

 

呆れたと言わんばかりに肩を竦めてガムを割ったブン太はそのままベッドの近くにあった来客用のパイプ椅子に座った。

誰からどんなことを言われようともこの三日間、柳はずっと気にもしない様子で見舞い続けている。

自分の大好きなテニスを休んでまでここに来ているわけだから、きっと相当な理由があるんじゃろう。

だから幸村も、真田だってあれ以上は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

「仁王、どうした?」

「…いや、何にも…」

 

 

 

 

 

俺のすぐ隣に立っていたジャッカルが俺の視線の先を辿りながら尋ねてくる。

俺の視線の先にあるものは窓。

大粒の雨が次々とぶち当たっている透明な窓。

今日も、雨だ。

 

 

 

 

 

「あの、私そろそろ帰るんでみなさん後は宜しいですか?」

「ああ、さん帰っちゃうんだね。いつもご苦労さん。あとは任せてくれて大丈夫だよ。」

「ありがとうございます。…あの、仁王先輩?」

 

 

 

 

 

座っていたパイプ椅子から立ち上がって向けられる視線。

心臓がどきりとして、途端に激しくなる動悸に俺らしくないと心の中で舌打ちをする。

でもそれはそれで仕方がないのかもしれない、だって彼女は彼女だから。

あの時の、俺の恐怖心を煽った、たった一人の少女だから。

 

 

 

 

 

「一緒に帰ってくれませんか?」

「…何で俺が…」

「昨日方向が一緒だったからですけど…ダメですか?」

 

 

 

 

 

ニッコリと人のいい笑顔を向けられても俺の掌には動揺の汗しか滲み出てこない。

可笑しいと、周りのみんなも気づき始めている頃だろうと思っても、ああ言われればどうしようもない。

外の暗さに加え、この雨だ。

女の子を一人で帰すにはヒロシ的に言っても少し気が引ける部分があるし、

だからと言って何故急に自分から送ってほしいと言い出すのかの考えていることが読めない。

それが余計にまた俺の恐怖心を煽ってくる。

 

 

 

 

 

「ならば俺が送って行ってやろう。」

 

 

 

 

 

そう言って席を立った柳にはキョトンとした目を向け、そしてすぐに人懐こい笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

「それじゃあ三人で帰りましょうか。」

 

 

 

 

 

少し長くなった髪をふわりと後ろに靡かせながら鞄を持って俺の隣まで歩み寄ってくる。

自然と俺の体は硬くなって息が詰まる。

せっかく俺の代わりに柳が自分から進んで申し出てくれたのにこれではそれの意味がなくなってしまうと思い

さっさと帰る支度を始めている柳に目を向けると、何故か心配そうな表情を見せる朱音と目が合った。

 

 

 

 

 

「それじゃ、今日は皆さんお疲れ様でした。」

「くれぐれも事故のないように気をつけて帰るんだよ三人とも。仁王、蓮二、頼んだよ。」

「りょーかい。」

「ああ任せておけ。」

 

 

 

 

 

先を歩くの手に握られた水色の傘を視界に捕らえながら、俺は後ろ手で病室のドアを閉めた。

少しの時間差でバタンと鳴った音を聞いて、たぶんもう二度とここに来ることはない気がしてしかたがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外はザーザー降りの雨。

地面に叩きつけられるような雨の音が今は俺の深く大きく鳴り響く心臓の音を消し去ってくれている。

それがありがたい、それだけで何とか冷静さを失わずにを家まで送り届けることができるだろう。

 

 

 

 

 

「雨すごいですね。何だか寒いです。」

「家に帰ったらしっかり体を温めることだな。風邪を引くぞ。」

「はい、気をつけますね。」

 

 

 

 

 

昨日と同様、少し前を歩く柳との背中をぼんやりと眺めながら、雨に濡れないよう傘を差して歩く。

今日はそれほどボロくない大き目のビニール傘、赤也の病室に置いてあったやつをあたかも自分の物のように奪ってきた。

きっとアイツらが帰る頃には誰か一人、俺の傘がないとか何とか言って騒ぎ立てることだろう。

まずヒロシはありえないな、行き道で入れてもらった時は柳と同様黒のでかい傘だったし。

 

 

 

 

 

「今日みたいな日って、事故が多いんですよね。」

 

 

 

 

 

雨の音に紛れて聞こえてきた言葉に俺の足は止まる。

いくら動こうとしても体が言うことを聞いてくれなくて、まるで金縛りにあったようにその場に佇んでしまった。

少し振り返るの口許に自然と目が行く。

 

 

 

 

 

だって、笑ってたんだ。

 

 

 

 

 

「特に歩道橋の階段なんか、危ないですよね。」

 

 

 

 

 

モノクロの中で彼女が笑う。

泣いているのに嬉しそうに歪んだ口許。

そこだけ色をつけたように真っ赤な胸元のリボンに、まだ雨も降っていないのに差された水色の傘。

 

 

 

 

 

彼女は何故泣いていた?

彼女は何故笑ってた?

 

 

 

 

 

雨、雨、雨、雨。

俺は知っている。

見たはずなんだ、あの日に。

彼女が笑っていた理由を、彼女が泣いていた理由を。

それが何だったか覚えていないだけ。

 

 

 

 

 

「では私約束があるのでここでいいです。」

「約束?この雨の中か?」

「はい、それじゃあお見送りありがとうございました。」

 

 

 

 

 

ぺこりと頭を下げて歩道橋をのぼり始める

そんな彼女の一度も振り返ることのない背中を眺め、完全に暗闇の中に消えて行ったのを確認すると俺と柳は顔を見合わせた。

彼女の姿が見えなくなった瞬間、俺の体からフッと力が抜けていくのが判る。

嫌に変な汗を掻いたもんじゃ。

 

 

 

 

 

「のう、参謀。」

 

 

 

 

 

胸騒ぎ。

それはあの時からもうすでに始まっていたのかも知れない。

 

 

 

 

 

「お前さん、一体何を知っとる?」

 

 

 

 

 

ザアアア―――と、傘に降り注ぐたくさんの雨。

きっと、この声を掻き消してしまうつもりなんだろう。

 

 

 

 

 

「…調べたことがある。」

 

 

 

 

 

柳がぼそり、そう呟いた。

 

 

 

 

 

「赤也の彼女だからな、どういった人間なのか調べるのが精市から課せられた俺の仕事だった。」

「まあいつものことじゃけんの。」

「そうだ。だから俺も何も考えないでいつもどおり調べるつもりだったんだ。」

 

 

 

 

 

「しかし情報を得るという行為にこれほど苦労したことは今までにない。」

 

 

 

 

 

柳の閉じていた目がスゥッと開く。

歩き出した柳につられて俺も何も言わずに隣を歩く。

雨が降り注ぐ道路を行き交う車のヘッドライトが俺達を照らした。

 

 

 

 

 

「高校生になってからの彼女のデータは何処にもない。ただ、あったのは彼女があの中学に”いた”という記録だけだ。」

 

 

 

 

 

ピタリと足が止まって俺の方を見る。

 

 

 

 

 

「彼女は去年、死んでいる。」

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺が初めて人が怖いと感じた、帰り道。

 

 

 

 

 

拭い去ることの出来ない、彼女への違和感。

 

 

 

 

 

「…な、んだって…」

 

 

 

 

 

記憶の中の彼女と、今の彼女は同じ。

だけど感じるのは”彼女”ではないということ。

彼女は生きている。 でも…―――

 

 

 

 

 

「去年、あの歩道橋の階段から落ちて一人の中学生が死んでいる。それが彼女、だ。」

 

 

 

 

 

ぞくり ぞくり 背筋が凍るような感覚が俺を襲う。

あの日、俺が見たのは彼女の歪んだ微笑。

憎しみと悲しみが入り雑じった複雑な微笑み。

 

 

 

 

 

「当時同じクラスだったという人物に訊けば事故だったそうだ。 だが、」

「…友達と、いたんじゃろ?」

「ああ、その子に落とされたと見て間違いはないだろう。」

 

 

 

 

 

俺の記憶の断片で、彼女は笑っていた。

まだ少し幼さの残るセーラー服を身に纏った中学生の二人が歩道橋の上を歩いている。

ただ、笑って歩いていただけ。

 

 

 

 

 

でも、次の瞬間笑っていたのは、”彼女”の姿をしただった。

 

 

 

 

 

は去年に死んでいる。それに周りもそう思っている。」

 

 

 

 

 

ぴちゃん 水溜りの音も気にならないくらい雨が俺達の頭上へと降り続けている。

 

 

 

 

 

「立海の高校へ上がったのはじゃない。その時彼女を突き落とした友達だ。」

 

 

 

 

 

「彼女がに見えているのは、俺達だけだ。」

 

 

 

 

 

ああ、そうか。それだ。

 

 

 

 

 

ずっと感じていた違和感。

彼女はではない。

でもだという事実。

拭い去ることが出来ない、違和感。

 

 

 

 

 

「周りから見れば、俺達がずっと相手にしてきたのはではなく、彼女を突き落とした彼女の友達だったんだ。」

「………」

「周りには彼女がになんて見えていない。

彼女は普通の人間として映っている。俺達にだけとして見えていたんだ。」

 

 

 

 

 

それが真実だ。と柳は再び雨の中を歩き出していく。

だけど今度は俺の足はそれについて行こうとはしない。

動かない、地面にくっ付いてしまったように動かない。

そんな俺に気づいてか、柳は肩越しに振り返り、そしてまた前を向いて俺に背を向けたまま言った。

 

 

 

 

 

「彼女が…がずっと赤也の止めをさす機会を狙っていたみたいでな。俺は監視していたまでだ。」

 

 

 

 

 

それだけ言い残すと柳は今度こそ俺を置いて真っ暗な雨の中、姿を消した。

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺が初めて人が怖いと感じた、帰り道。

 

 

 

 

 

そうだ。

あの日、俺が見たのは…――――

 

 

 

 

 

、彼女が殺されたその瞬間だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仁王、せんぱい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞き覚えのある声。

振り向けない。

すぐ後ろにいるのが判っているけど、振り向くこともできずに手に持っていた傘を地面へと落とした。

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺が初めて人が怖いと感じた、帰り道。

 

 

 

 

 

死んだはずの彼女があの時呟いた台詞は…―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

― 死 に た く な い ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

2007.12.07 執筆

理解していただけましたか?笑

なんのこっちゃ、って人もいるでしょうが一応これでこの話は終わりです^^

ホラー書くの楽Cー!!