泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺は初めて人が怖いと感じた。

 

 

 

 

 

レーゾンデートル

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ見てよコレ!」

「何だよ俺ら今飯食うのに忙しいの。」

「そりゃアンタだけでしょ、いいから見てってば!」

 

 

 

 

 

窓にもたれて前の席でパンにかじりついているブン太に朱音が突っ掛かるような物言いで

俺とブン太の間にある机の上に携帯を開いた状態で置いた。

 

 

 

 

 

「なに?」

「すっごく可愛いでしょ!?」

 

 

 

 

 

自信たっぷりに胸張って言うもんだから何事だと俺も携帯を覗き込んでみるが

のぞき見防止シートの所為で何にも見えなかった。

代わりにクマがこっち向いて笑ってるだけだ。

だけどどうやらブン太には見えているようで、そのまま携帯を手に取りまじまじと見つめた。

 

 

 

 

 

「誰この子?」

「ふふふ、赤也のカノジョだよカノジョ!」

「はあマジかよアイツ調子乗りすぎだろぃ!何こんな可愛いカノジョつくってんだよ!」

「赤也と同じ一年生であたしらの一個下なんだよ。」

 

 

 

 

 

いつの間に赤也がそんな可愛い(らしい)彼女をつくったのか、俺だって知らなかった。

ブン太はまだ見足りないのか画面を食い入るように見つめて

「赤也まじナマイキ!」とか何とか悔しいのか文句ばかりを口にしている。

 

 

 

 

 

「その写メいいっしょ?あたし赤也の先輩って立場利用して友達になってもらったんだー!」

 

 

 

 

 

どうやらこの携帯の画面には例の赤也の彼女の写メが写っているらしく、

ブン太はなかなか携帯を離そうとしない。

俺も見たいのに。

 

 

 

 

 

今、俺達は高校二年生で朱音は中学の頃からのテニス部マネージャー。

正直中学の時のメンバーがそのまま高校に上がったみたいな感じで、

高校に入ってもなお俺達全員がテニスを辞めずに続けている。

しかもつい先日三年生が引退してしまい、中学同様幸村が部長となって

マネージャーも朱音とあとは外部の中学から来た女子が数名いるという現状だ。

 

 

 

 

 

「でもこんな子中学の時はいなかったよな?」

「外部受験で立海に来たんだよ。ほら近くにもう一個中学あったじゃん、あそこ出身だって!」

「マジ?確かあそこの制服セーラーだったよな!うわー赤也まじウゼェ!」

 

 

 

 

 

先輩差し置いてふざけんじゃねぇよと叫ぶブン太の声に被さるように昼休み終了のチャイムが鳴り響く。

中学の時の制服がセーラーだろうが何だろうが今は共通してブレザーを着ているんだからあんまり関係ないんじゃないか。

結局俺は赤也の彼女とやらの顔を見れず仕舞いでブン太の手にあった携帯は朱音のもとへと帰っていってしまった。

ブン太の反応に満足したのか、朱音は気分よさ気に鼻歌を口ずさみながら自分の教室へと帰って行った。

 

 

 

 

 

「…俺、写メ見れんかった。」

「まあそう気を落とすなよ。そのうち見れるって。どーせ赤也のことだから見せびらかしに来るだろうし。」

「ウザいねぇ。」

「ウザすぎだろぃ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウィーッスみんなの赤也クンでーす!」

 

 

 

 

 

空気を読めていないテンションの高さで部室のドアをぶち破る勢いで入って来た赤也に注がれるのは冷え切った視線。

中学から持ち上がりの奴らは赤也のこの調子乗りな性格に慣れてるけど

外部からの奴は当然まだあまり慣れてないから控えろっつったのに。

可愛い彼女ができたことがそんなに嬉しかったのか、

今まで何人か彼女できたってそこまで浮かれなかっただろうに。

 

 

 

 

 

「おっ前赤也!彼女出来たってマジかよ!俺に報告ないってお前何様だよ!」

「はあ?何でそんなことわざわざ丸井先輩に報告しなきゃなんねぇんスか?」

「当たり前だろぃ!それに何で赤也のくせにあんな可愛い彼女つくってんだっての!」

「へへん、嫉みっスか?あーヤダヤダ男の嫉みはみっともないっスよセ・ン・パ・イ。」

「潰すぞお前。」

 

 

 

 

 

昼間のことを思い出したんだろうブン太がご機嫌な赤也に食いつく勢いで罵声を浴びせる。

でもいくら言ったところでそれはただのひがみにしか聞こえないから実に可哀相だと思う。

 

 

 

 

 

「つか何お前そんな浮かれ切った顔してんだよムカつく!」

「へへ、それはっスねー…」

「今日彼女が練習を見に来てくれるんだろう?」

「あ、わかっちゃいました?さすが柳先輩っスね!」

「ふーん、じゃあ仁王よかったじゃん。嫌と言うほど見れるぜぃ。」

「有難迷惑、じゃの。」

「ちょっと仁王先輩ぜぇーったいとらないでくださいね!惚れちゃダメっスよ!」

「あーはいはい。俺は可愛いだけの女に興味なか。安心しんしゃい。」

「嘘はよくないですよ仁王君。君はこの前の彼女を顔で選んでいたじゃありませんか。」

「えーじゃあやっぱり…っ!」

「…プリッ。」

 

 

 

 

 

納得しかけていた赤也だったのに柳生の一言で打って変わって俺に疑惑の眼を向けてくる。

余計な口だししよって…。

それにあれは顔で選んだんじゃなくてアイツの見事な二重人格っぷりに少し興味がわいただけじゃけん。

俺の前と女友達の前との“可愛い女”の使い分けがあまりにも素晴らしすぎたから

ちょっと近づいて本性暴き出してやりたかっただけ。

一瞬にして終わったけど…。

 

 

 

 

 

もう来てっかなー?」

「俺の推測ではもう来ている頃だぞ。早く準備をして練習を始めたらどうだ?」

「ホントっすか!?じゃあさっさと着替えてコートに行っきまーす!」

「…なにこの単細胞。馬鹿だろぃ。」

 

 

 

 

 

まんまと柳に乗せられちゃっちゃと着替え始めて早数分、いつものろのろとマイペースに着替えるはずの赤也は

あっという間に練習着に着替え終わり、上機嫌で部室を出て行った。

慌ててブン太が「俺らも行くぞ!」と言って俺の腕を掴んで赤也の後を追って柳と三人で部室を後にした。

ふと見上げた空は酷く泣き出しそうに霞んでいた。

 

 

 

 

 

「どれっ?何処にいんの!?」

 

 

 

 

 

赤也に追い付いたブン太が嬉しそうにコートより少し上から見ているギャラリーを見渡す。

フェンスにしがみついて見下ろす彼女達の短いスカートはパンツが見えるんじゃないかっていつも思う。

俺がそんなことをぼーっと考えていると、彼女を見つけたらしい赤也があ、と声をあげて

正面のギャラリーの最上段を指差した。

 

 

 

 

 

「いた!いましたよアレっす!」

 

 

 

 

 

はしゃぐ赤也にブン太が無意識のうちに写メより生のがもっとかわええ、と褒めるから

それを聞いた赤也はさらに表情を緩めてはにかんだ。

俺もさっき見れなかった分、余計に見たくなって人が多いギャラリーのなか赤也の指がさす方向を目で追う。

見ているギャラリーも何だなんだと後ろを振り返ったりして見つけることはたやすかった。 だけど、

 

 

 

 

 

どくん

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺が初めて人が怖いと感じた、帰り道。

 

 

 

 

 

カランと音を立てて手から滑り落ちたラケットが意識を現実へと呼び戻す。

気付けばみんなが俺を見ていた。

いつの間にこんなに汗を掻いたのか、額にはじんわりと嫌な汗がへばり付いている。

拭おうと思っても震えで腕が思うように上がらなかった。

 

 

 

 

 

「…あ、雨?」

 

 

 

 

 

ブン太の情けない声が耳に入ってきて、ぽつりぽつりと頬に当たる冷たい滴にそっと触れる。

 

 

 

 

 

「うっわ最悪!俺傘持って来てねぇし!」

「へへーん濡れワカメー。」

「…丸井先輩、やるならやるっスよ。」

「無理。俺今日そんな気分じゃねぇし?」

 

 

 

 

 

ギャーギャー騒ぐ赤也の声も今の俺には入ってこない。

ただ見上げた先の人物はもうその場にはいなくて、雨が降ってきたから

どこか屋根のあるところにでも避難したのだろうとあまり深くは考えなかった。

ただ、蘇った記憶と重なったあの姿が、俺の胸を激しく掻き乱して嵐のように去って行った。

 

 

 

 

 

結局今日の練習は雨のため急遽屋根のあるところでそれぞれ自主練となって帰る人は帰る、

残って練習する人は残って練習するという何とも甘っちょろいメニューに切り替わってしまった。

もちろん俺もブン太も軽く打ってから帰るということにし、二人で屋根のあるところへと移動する。

 

 

 

 

 

「おい赤也、お前帰んの?」

「あー…ッス。待たせてるから今日はもう帰ろうかなーなんて…」

「ふん、お前絶対そんな調子じゃ真田の地雷踏むことになんぞ。」

「あ、やっぱりそう思います?」

「ま、バレないように気をつけるこったな。特に幸村君なんかバレたらお前のテニス人生に終止符打つようなもんだぜぃ。」

「縁起でもないこと言わないで下さいよ…否定できないから怖いじゃないッスか。」

 

 

 

 

 

もう制服に着替え終わって帰ろうとする赤也を目敏くブン太が見つけてここぞとばかりに言葉で責める。

一通りブン太の攻撃を受けた赤也はがっくりと肩を落として「お疲れッス。」と誰に言うわけでもなく小さく呟いて学校を出て行った。

俺はその時何か声をかけようとしたのだけれど、何故か喉の辺りまで出掛かって何も言えなかった。

 

 

 

 

 

「…赤也、」

「どうした仁王?さっきからお前なんかおかしいぜぃ。」

「…いや、何でもなか気にせんでいい。…練習するぜよ。」

「おう、じゃあ行こうぜ。」

 

 

 

 

 

ブン太がいつもどおりの笑顔で笑うから、俺もラケットを肩に担いで頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Pipipipipi・・――――――

 

 

 

 

 

携帯が突然音を立てて鳴り響く。

自室で眠りそうになっていた驚いた俺は慌てて携帯を握るとディスプレイを確かめ

それが電話だということが判ると、通話ボタンを押して耳に当てた。

 

 

 

 

 

「はい。」

『あ、仁王か?俺だ。』

「参謀…何のようじゃ?」

『赤也が病院に運ばれた。』

「!」

 

 

 

 

 

体中に電撃が走る感覚に襲われる、息が止まる。

何だか体が酷く重く感じて携帯を握る手に力が入った。

今、今コイツは何て言った? 赤也が?赤也が病院に運ばれた?

 

 

 

 

 

『何故だ、そう思っているんだろう?とにかく今はそんなことを考えるより先に金井病院へ来い。』

「…わかった、今行く。」

『ああ、じゃあ待っている。』

 

 

 

 

 

俺が切るよりも先に柳が通話終了ボタンを押したらしく、電話の向こうからブチッという耳障りな音が鳴る。

携帯をポケットにしまうと、かけてあったコートを適当に羽織って財布と鍵を持って家を出た。

外はもう雨が降っていてこれは傘なしでは向こうに着く頃にはずぶ濡れになっていることだろうと、

家を出てすぐの玄関に立て掛けてあった傘を手に取る。

 

 

 

 

 

「冗談きついって。」

 

 

 

 

 

独り言のようにそう呟くと急いで金井病院に向かって走った。

ズボンの裾が水溜りの水や泥が跳ねて汚いうえに随分重くなっている。

それでもそんなことが気にならないくらい全速力で走り続けた。

 

 

 

 

 

人はひとつのことに集中していると時間が経つのが早く感じるというだけあって

病院までの道のりはそんなに長く掛からなかった。

上がった息を整えながら病院内のエレベーターに乗り込む。

そういえば病室を訊いてなかったと携帯を開いてみてみると、ご丁寧にも柳から病室番号が書かれたメールが届いてあった。

さすがは参謀、抜かりはない。

 

 

 

 

 

切原赤也 と書かれた病室の前で一旦立ち止まると一応ドアをノックして中の返事を待つ。

すぐに「はい」という訊きなれた声が聞こえてきて「俺」と返すと入るように促されたのですぐにドアを開けた。

 

 

 

 

 

ベッドの上には白い顔をして横たわる赤也とそれを囲むようにして立っているテニス部のみんな、それに赤也の彼女の

 

 

 

 

 

「…赤也は?」

「頭を強く打ったらしくて…今は目が覚めるのを待っている状況だ。もしかしたら二度と目覚めないかもしれないらしい。」

「そうか、それで…どうしてこうなった?」

 

 

 

 

 

俺の質問に無駄なく答えてくれた柳の奥に見える赤也の彼女、の姿をちらりと視線で捕らえる。

彼女はただベッドで寝息を立てて眠る赤也の寝顔を見ているだけだ。

俺の視線を黙って辿って開きかけた口を閉ざした柳の代わりに、今度は俯き加減のジャッカルがぼそりと答えた。

 

 

 

 

 

「歩道橋から、落ちたんだと。」

「ほお、歩道橋からねぇ。それはまたえらいドジを踏んだもんじゃな。」

「はは、本当、ダセェよな……バカ、だよな…」

「ブン太…」

 

 

 

 

 

肩を震わせながら自嘲気味に乾いた笑いを零したブン太にジャッカルが心配そうに声をかける。

 

 

 

 

 

「そん時、赤也はひとりやったんか?」

「いえさんと一緒に歩いていたそうですよ。きっと少し気が緩んでいたんでしょうね…可哀想に。」

「フン、練習をほっぽらかして女にうつつを抜かしているからだ。」

「真田、確かにそうだけど今は言うべき時じゃない。それは赤也が目を覚ましてから言ってやってくれ。」

「…それもそうだな。では目を、覚ましてから言おう。」

 

 

 

 

 

赤也を見下ろしていた真田の表情が一瞬だけ悲しそうに歪んだのに気づかなかった奴なんてこの場にはいないだろう。

みんな心配してるんだ。 赤也は俺らにとって可愛い後輩、弟のような存在。

ここで失うわけにはいかない、大きな存在なのだから。

しんとした空気の中、ずっと隅っこの方で俯いていた朱音がやっと顔を上げて「私帰るね。」と無理矢理笑って言った。

みんな突然のことで驚いて目を丸くして朱音の方に視線を向けた。

 

 

 

 

 

「いつまでも病院にいられないし…あたし家帰って弟達の飯作んなきゃなんなくて。また明日お見舞いに来るから。」

「そっか、それもそうだよな。よーっし俺も帰ろっと。」

「そういや俺も晩飯食ってる最中だったな…早く帰らねぇと。」

「じゃあ今日はみんな帰るとしようか。また明日、学校の帰りにでも様子を見に来よう。」

 

 

 

 

 

朱音、ブン太、ジャッカルに続いて幸村までもが帰る支度を始めてしまう。

今来たばかりの俺はただ入り口付近で呆然と立ち尽くしているだけで、

着々と帰る支度が整い始めているみんなをどうすることもできずに見つめていた。

ただそんな俺と、と柳だけがその場から動かずにじっと赤也の寝顔を見つめている。

 

 

 

 

 

「仁王君達はまだ帰らないのですか?」

「俺は…もうちょっとここにおる。先帰ってくれてかまわんよ。」

「俺ももう少しだけ様子を見てから帰るとする。生憎俺は何もすることがなくてな、気にするな。」

「あ、私もまだここにいます…その、赤也君が心配なんで…。」

 

 

 

 

 

ここにきて初めて声を訊いた気がするの声に俺はハッとして顔を上げる。

は不安げな瞳で帰ろうと入り口付近で固まる柳生達を見上げてここに残ると言った。

 

 

 

 

 

「そうですか。しかし女性があまり遅くまでいては帰りが危ないですよ。」

「大丈夫です。私これでも結構強いんですよ。」

「それでもやはり男性と女性とでは力の差が…」

「柳生、彼女は大丈夫だよ。自分でもああ言ってるわけだし…最悪仁王や柳が送っていけばいいさ。俺達は帰ろう。」

 

 

 

 

 

幸村の言葉に渋々頷いた柳生を連れて、みんなは赤也の病室を出て行った。

残された俺と柳とは静まり返った病室で座ることもなくただ立ったまま赤也の寝顔を見つめ続ける。

 

 

 

 

 

「赤也、目、覚めるといいな。」

 

 

 

 

 

沈黙に耐え切れなくなった俺がそう呟くと、「ああ」とだけ柳から返事が返って来て

あとはまたさっきと同じで誰も喋らない静かな病室へと戻ってしまった。

外の雨が窓を叩き付ける音だけがこの部屋を支配して、赤也の寝息さえ掻き消してしまう。

さっきからずっと胸の辺りが苦しいのは、きっと外が雨だから、俺はそう思って疑わなかった。

 

 

 

 

 

どれくらいこの時間を過ごしていただろう。

気がつけば外はさっきよりも真っ暗で、さっき一度家へ戻っていたという赤也の母親と姉が揃ってやって来た。

「すみませんね」という母親の疲れきった声とは逆に、実に赤也にそっくりな姉が

「コイツも明日にはいつも通りに戻ってるって!」と明るく元気な声でそう言った。

 

 

 

 

 

「さあさ、もう帰った方がいいよ。仁王君たちは明日も学校でしょ?」

「え、ああ…そうですね。」

「じゃあもうこの子のことは気にせずに帰ってくれていいから。今日は本当忙しいところありがとね。」

「でも…」

「だーいじょうぶだって!赤也だよ?赤也は頭打ったくらいの方が丁度いいんだって!」

「…そ、うですか…」

 

 

 

 

 

バシバシと俺の背中を叩いて笑う赤也の姉に若干気圧されながら渋々頷く。

赤也の姉がそう言うくらいだからきっと大丈夫だろうと思い込むことにして視線を柳へと向ける。

初めから俺がそっちを見ることがわかっていたようにバッチリと合った視線に、柳はわかっていると言葉にしないで頷いた。

 

 

 

 

 

「では今日はこの辺りで失礼するか。さん、送っていこう。」

「え、私は一人で帰れますよ?そんなわざわざ…悪いです。」

「気にすることはない。仁王も一緒だ。」

「俺も強制かよ…ま、ええじゃろ。」

「ふん、放って帰ったら明日柳生に怒られるのはお前だぞ。じゃ、行こうか。」

 

 

 

 

 

はそっと立ち上がると地面に置いてあった自分の鞄を手にとって柳の元へと歩み寄る。

病室を出る前に赤也の母親と姉に一礼をして俺達は病院を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外は雨で、俺達はそれぞれ持っていた傘を開く。

随分遅くまで残っていたんだろう、学校の帰りにそのまま病院へ行ったらしい柳の少し大きめの黒い傘には

大きなテニスバッグもはみ出ることなくすっぽりと入っている。

俺のは出かけしなに適当に手に取ったそれとは比べ物にならないくらいボロくなっているビニール傘だった。

そして、俺の隣で自分の傘をそっと開いたに視線を向ける。

 

 

 

 

 

(…水色、か?)

 

 

 

 

 

暗くてよく見えないけど、たぶんその傘の色は水色だと思う。

ほのかに街灯に照らされたその傘は確かに薄い水色をしていたように思えた。

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺が初めて人が怖いと感じた、帰り道。

 

 

 

 

 

思い出すのは、彼女の微笑。

 

 

 

 

 

「おい、仁王…」

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

「すっごく可愛いでしょ!?」

「ふふふ、赤也のカノジョだよカノジョ!」

「赤也と同じ一年生であたしらの一個下なんだよ。」

「その写メいいっしょ?あたし赤也の先輩って立場利用して友達になってもらったんだー!」

「外部受験で立海に来たんだよ。ほら近くにもう一個中学あったじゃん、あそこ出身だって!」

 

 

 

 

 

ああ、そうだ、確かあれは帰り道。

俺は一人で雨が降り出しそうな空を見上げていたんだ。

 

 

 

 

 

「でもこんな子中学の時はいなかったよな?」

「マジ?確かあそこの制服セーラーだったよな!うわー赤也まじウゼェ!」

「どれっ?何処にいんの!?」

「…あ、雨?」

「おい赤也、お前帰んの?」

「おう、じゃあ行こうぜ。」

「はは、本当、ダセェよな……バカ、だよな…」

 

 

 

 

 

まだ雨も降っていないのに傘を差す女の子。

悲しいくらい冷たい水色の、傘。

 

 

 

 

 

「ウィーッスみんなの赤也クンでーす!」

「へへん、嫉みっスか?あーヤダヤダ男の嫉みはみっともないっスよセ・ン・パ・イ。」

「ちょっと仁王先輩ぜぇーったいとらないでくださいね!惚れちゃダメっスよ!」

もう来てっかなー?」

「ホントっすか!?じゃあさっさと着替えてコートに行っきまーす!」

「いた!いましたよアレっす!」

「うっわ最悪!俺傘持って来てねぇし!」

「あー…ッス。待たせてるから今日はもう帰ろうかなーなんて…」

 

 

 

 

 

泣いているのに、嬉しそうに歪む口許。

俺の瞳はそれに釘付けだった。

だけど、今は彼女の表情の全てを思い出すことが出来ない。

 

 

 

 

 

「今日彼女が練習を見に来てくれるんだろう?」

『赤也が病院に運ばれた。』

「頭を強く打ったらしくて…今は目が覚めるのを待っている状況だ。もしかしたら二度と目覚めないかもしれないらしい。」

「俺ももう少しだけ様子を見てから帰るとする。生憎俺は何もすることがなくてな、気にするな。」

「では今日はこの辺りで失礼するか。さん、送っていこう。」

 

 

 

 

 

微かな風で揺れる、揺れる、胸元の真っ赤なリボンが印象的で、

そんなリボンと同じ方向に少し長めの前髪と襟足が靡く。

 

 

 

 

 

歩道橋の階段の上から見るその光景に、足は棒のように動かなくて、ただずっとそんな彼女を見上げていた。

 

 

 

 

 

「あーはいはい。俺は可愛いだけの女に興味なか。安心しんしゃい。」

「…赤也は?」

「歩道橋から、落ちたんだと。」

「いえさんと一緒に歩いていたそうですよ。きっと少し気が緩んでいたんでしょうね…可哀想に。」

「仁王君達はまだ帰らないのですか?」

「大丈夫です。私これでも結構強いんですよ。」

「赤也、目、覚めるといいな。」

 

 

 

 

 

彼女は何故泣いていた?

彼女は何故笑っていた?

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

断片的に蘇る、

頭の中をモノクロで流れていく。

あれは、

去年の記憶。

 

 

 

 

 

俺が初めて人が怖いと感じた、帰り道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は、人を、殺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仁王!!」

 

 

 

 

 

柳の俺の名前を呼ぶ声にハッとさせられて顔を上げると、視界に入ってきたのは珍しく必死な形相をした柳と

俺を見つめながら心配そうな表情を見せる

俺はどうやら急に立ち止まってしまったらしく、いつの間にか手に持っていた傘すら地面に落としている始末だ。

髪から滴り落ちる雨の雫が鬱陶しいと濡れた手で掻き上げると、俺の視界が捕らえたのは見覚えのある階段。

 

 

 

 

 

「……そうか、そう…いうことね。」

「仁王どうした、大丈夫か?」

「ああ気にしなさんな。俺は平気じゃよ。」

「そうか、ならいいが…」

 

 

 

 

 

この歩道橋によく映えるの手に握られた水色の傘。

今は閉ざされた彼女の口許。

全てに覚えがあった、全てがあの時と重なった。

俺は、あの時彼女をここから見上げていた記憶がある。

 

 

 

 

 

「どうかしたか?」

「…いえ、何もないです行きましょう。早くしないと柳先輩達の帰る時間が遅くなってしまいます。」

 

 

 

 

 

再び歩き始めた柳との背中を見つめながら俺も落としたままだった傘を拾って歩き出そうとした、その時、

 

 

 

 

 

どくん

 

 

 

 

 

泣き出しそうな曇り空、

水色の傘、

嬉しそうに歪んだ口許、

揺れるセーラー服の赤いリボン、

落ち行く雫。

 

 

 

 

 

僅かに振り返った彼女の口許が、確かにあの日と同じように笑っていて

 

 

 

 

 

― お ひ さ し ぶ り で す ―

 

 

 

 

 

そう動いたのがはっきりとわかった。

俺の体中を駆け巡る熱い衝動に、瞳孔が開く。

あの時の面影と今の彼女の面影がはっきりと重なった今、俺が彼女に対して抱くのは恐怖以外の他でもない。

 

 

 

 

 

「仁王先輩?いつまでもそのままでは風邪引きますよ。」

 

 

 

 

 

そっと俺に自分の水色の傘を差し出すを動揺で揺れ動く瞳で捕らえると、

彼女の大きな瞳と形整った唇が視界に入った。

その奥で俺のことをじっと見つめて待っている柳が黙って立っている。

俺は何も言わずに、差さずに手に持ったままだった傘を差すと、

もう今更濡れないようにしても仕方がないだろうという考えを無理矢理振り払って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

2007.12.01 執筆

何だろうコレ…^^

しかも微妙に長くて…。

たぶん続きます。笑