ただ何となく。

君の存在はまさに空気のようで

必死に手を伸ばしてみても掴みどころなんてどこにもなかった。

 

 

 

 

 

-kurenai-

 

 

 

 

 

遠回りした道が、少しでも無駄にならないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

触れる背中が温かい。

実は頬を叩かれてこけた時に足をくじいていたらしい私。

それがわかると段々と増していく痛みに顔が歪む。

私だけじゃなく切原君だって十分なほどの怪我人だというのに私を負ぶって帰ると言ってきかなかった。

さすがと言うべきか、私を負ぶることはたやすく、しかし彼も限界に近かっただけに足取りは覚束ない。

一旦部室へ帰るらしく、足は学校へと向いていた。

 

 

 

 

 

「赤也!」

 

 

 

 

 

もう薄暗い学校に着くとボロボロな私達を見て心配そうに駆け寄って来た丸井先輩に返すのは苦笑い。

今すぐ手当するからと、丸井先輩は切原君から私を取り上げ部室に向かって歩き出した。

それは切原君の体を気遣っての行動だったのか、だけど切原君には自分で歩けと言いう丸井先輩。

切原君は不満そうな顔付きで丸井先輩と私の後を追うようにして歩き出す。

 

 

 

 

 

「で、素直になれた?」

「え?」

「この様子じゃ、うまくいったんだろぃ?」

 

 

 

 

 

所謂お姫様抱っこの体勢で、何もかもお見通しだだっていう表情を浮かべる丸井先輩を見上げる。

そうだ。

この人は心配してくれてたんだな、と思い出して何だか目頭がつんと熱くなってくるのがわかった。

今何か言うと確実に泣いてしまう気がした私は、無言のままただこくりと頷く。

丸井先輩が「そっか。」と言って満足げに微笑んだ。

 

 

 

 

 

部室に着くとそこには柳先輩、ジャッカル先輩、柳生先輩、仁王先輩が待っていて、

みんなとっくに部活も終わっていたんだろう、制服姿の彼らが私達を出迎えてくれた。

私と切原君のボロボロな姿を見て、柳生先輩の心配そうな表情の後ろで、柳先輩が無駄のない動きで救急箱を差し出してくれた。

手当ては俺がすると、仁王先輩が買って出て、私は仁王先輩に、柳先輩が切原君の手当てをすることになった。

 

 

 

 

 

手馴れた手付きで私の擦り剥いた膝に消毒液をかけてカット綿で吸い取っていく仁王先輩。

何だか仁王先輩とこうして向き合っているのが気まずくて、だけど逃げることの許されない私はただじっと伏せ目がちな仁王先輩の長い睫毛を見ていた。

時折滲みる痛さに顔を歪ませ、「いたっ」と声を漏らすと仁王先輩がちらりと視線を上げて「我慢しんしゃい」と言って作業を続ける。

私から少し離れた場所で柳先輩に手当てされていた切原君から悲痛な叫び声が聞こえ、そちらに視線を向けると半泣き状態の彼が視界に映った。

 

 

 

 

 

「いったっ、痛いッスよ!!ちょっと!!絶対ワザとでしょ!!?」

「おとなしくしてないと滲みるぞ。」

「もう十分滲みてる!!っつか滲みてるから痛いんでしょ!!?・・・ちょっ絶対おかしいって!いった!!」

「煩ぇな赤也。黙って治療してもらえねぇのかお前は。」

「そ、そんなこと言ったってブン太サンにこの痛みわかんないっしょ!?ちょ、もう限界!柳先輩ドSにも程があるっスよ!!」

「ここにも傷があるみたいだな。」

「だあああああああ!!柳先輩ヤダ!!柳生先輩代わって!代わってくんなきゃ俺の身体がもうもたねぇ!!」

「・・・仕方ないですね。私がやります。」

 

 

 

 

 

何だかおかしなこのやり取りに私は思わずフッと口元を綻ばせる。

そんな私をちらりと仁王先輩が上目遣いで盗み見た。

 

 

 

 

 

「あれ、やってほしいんか?」

「まさか。絶対しないでくださいね。」

「・・・・ピヨッ。」

 

 

 

 

 

私の膝の手当てが終わったのか、スッと立ち上がって今度は顔の手当てをする。

叩かれて切れた口の端。頬。

全てに仁王先輩の長い指が這う。

頬に触れられたところで手がピタリと止まり、じっと私の顔を見つめる仁王先輩の目がゆらゆら揺れて私の視線と絡まった。

 

 

 

 

 

耳には切原君の叫び声にも似た声が入ってくる。

丸井先輩の笑い声だって、ジャッカル先輩の笑い声だって入ってくる。

だけど、まるでここだけ世界が違うみたいに何の音もしなかった。

 

 

 

 

 

「氷で冷やした方がええの。」

 

 

 

 

 

そう言って私の手を取って部室のドアへと向かう。

そんな私達に気づいた他の先輩達の視線が背中に突き刺さる。

仁王先輩はそちらを見ずともわかっているのか、「氷貰ってくる」とだけ言い残して私の手を引きながら部室の外へと出た。

背後で、バタンというドアが閉まる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

時刻は7時を回っていた。

もうほとんど誰もいない校舎。

氷なんて何処で貰えるのだろうか、という私の疑問はたぶん無駄なんだと思う。

私の手を引いてここまで来た仁王先輩が廊下の一角でピタリと立ち止まる。

私はつられて立ち止まり、目の前にある大きくしっかりとした仁王先輩の背中を見つめた。

 

 

 

 

 

「ええ暇潰しじゃった。」

「・・・・・・・・」

「でも、」

 

 

 

 

 

振り返る。

ゆらゆら揺れる瞳。

いつもより低い声。

 

 

 

 

 

見たこともない、彼の表情。

 

 

 

 

 

「面白くは、なかった。」

 

 

 

 

 

辛い

切ない

苦しい

寂しい

 

 

 

 

 

手放したくない。

 

 

 

 

 

「中途半端に付き合うんじゃなかったって・・・・後悔した。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『利用してもよかよ?』

 

『別れたいと思ったらすぐ別れていい。』

 

『俺にも少しだけは夢見させてってこと。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わりじゃの。。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どくん

 

どくん

 

どくん

 

 

 

 

 

高鳴る心臓

 

激しくなる鼓動

 

 

 

 

 

先輩の顔を見上げて、視界が歪んだ。

あまりにも、あまりにも彼の表情が切なすぎたから。

あまりにも、彼の冷たい手に触れられた私の頬がひんやりとして気持ちが良かったから。

そのまま、目を閉じて、最後のキスをした。

 

 

 

 

 

「別れよっか。」

 

 

 

 

 

唇から離れた熱から紡がれた言葉。

耳元を掠めてそれは風となった。

 

 

 

 

 

「赤也のところ、戻りんしゃい。」

「・・・・っ先輩」

「ずっと、邪魔しとったんは俺。わかっててやってたことじゃけん。仕方なか。」

「仁王先輩っ・・・・」

 

 

 

 

 

ぎゅっと彼の袖を握る。

俯く私の頭をポンポンと優しく叩いて何も言わずに保健室の鍵穴を弄くり始めた。

 

 

 

 

 

しばらくしてがちゃりと開いたそのドアを私が呆然と立って見ていると、

中へと入っていった仁王先輩が2、3分もしないうちに氷の入った袋を二つ持って出てきた。

そしてドアを閉めて「開けたままでいっか。」と独り言を呟いて部室へと帰る方向に歩き出した。

 

 

 

 

 

「ピッキング・・・・」

「特技じゃ。」

「犯罪者。」

「何とでも言え。」

 

 

 

 

 

仁王先輩は鼻で笑って再び歩き出し、

思い出したかのように振り返って私に袋を差し出した。

一つは切原君の分だろう。間違いなく。

私はそれを受け取ると仁王先輩の隣に並んで部室へと帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう、仁王先輩。

 

 

 

 

 

迷惑かけてごめんなさい。

 

 

 

 

 

好きだと言ってくれた事、嘘でも何でもいいから嬉しかったです。

 

 

 

 

 

もう、貴方に特別に優しくされることはないのでしょうけど

 

 

 

 

 

甘くと名前を呼ばれることはないのでしょうけど

 

 

 

 

 

願うは、いつか貴方に素敵な女性が現れてくれること。

 

 

 

 

 

好きだと、心から伝えてくれる人。

 

 

 

 

 

貴方に現れること、私は願ってます。

 

 

 

 

 

貴方の幸せを、願ってます。

 

 

 

 

 

私の幸せを丸井先輩が願ってくれたように、

 

 

 

 

 

私は貴方の幸せを願い続けます。

 

 

 

 

 

それが、私が貴方に出来る恩返し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部室に帰ると柳先輩がいなくて、どうやら先に帰ったらしく、残っているのは切原君と丸井先輩、ジャッカル先輩、柳生先輩だけだった。

仁王先輩が持っていた氷の袋を切原君に差し出し、それをお礼を言いながら受け取る切原君。

仁王先輩はそのまま纏めてあった自分の荷物を肩に担ぎ、それを見た柳生先輩も足元に置いてあった自分の荷物を肩に担いだ。

 

 

 

 

 

「帰るか、柳生。」

「ええそうですね。ジャッカル君達もどうです?久しぶりに四人で帰りませんか?」

「おう、そうだな。ブン太と二人だとあっちこっち寄り道させられてたまったもんじゃねえ。」

「うっせーな。ちょっと一、二件寄っただけでぶちぶち文句言ってんじゃねえっつーの。」

「・・・俺の財布の中身も考えろってことだよ。おかげで俺の財布にゃ何も入っちゃいねえよ。」

「ふーん、ま、俺の知ったこっちゃねえけど。じゃあな二人とも!戸締りして帰れよ!!」

 

 

 

 

 

騒がしい彼らが口々に何か言いながら薄暗い外へと消えていく。

最後、部室のドアが閉まる瞬間まで仁王先輩と目が合うことはなく、先輩はこちらに振り返ることもなく背中を向けたままだった。

残された私と切原君。

沈黙が私を襲う。

どうしたものだろうかと切原君に視線を向けると、彼はハッとしたように立ち上がって時計を見上げた。

 

 

 

 

 

「あー・・・俺着替えなきゃなんねぇんだ。」

「早くしなきゃ校門閉まっちゃうよ。」

「だよなー・・でも何か着替える気起こんねぇ・・・」

 

 

 

 

 

そう言ってまたその場に腰を下ろしてしまった切原君。

氷が地面に落ちる音がする。

再び訪れる無音の世界に私はただ俯いて目を閉じた。

 

 

 

 

 

「仁王先輩と・・・帰んねぇんだ。」

「うん。」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・別れた、から。」

 

 

 

 

 

切原君が私を見たのがわかる。

私は俯いたままでぼそり、聞こえるか聞こえないかわからない声で呟いた。

何だかまた泣きたくなって来て必死に唇を噛んでその衝動を抑える。

肩が震えているかも知れないけど、そんなことはどうだってよかった。

 

 

 

 

 

ふいに感じる温かさ。

 

 

 

 

 

「切は・・・」

「・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

ギュッと抱きしめられる。

顔を上げれば切原君の胸で、切原君は何も言わない。

たぶん、言わなきゃいけないのは私の方。

今度は、私の番。

 

 

 

 

 

私は視線を一度、部室全体に彷徨わせると、覚悟を決めたように目を閉じた。

 

 

 

 

 

「切原君って・・・・怖いよね。」

「・・・・・・」

「怖くて、すぐ赤目になって・・・・自分勝手。」

 

 

 

 

 

それは嘘なんかじゃない。

テニスを観に行った時、感じた恐怖を忘れたわけじゃない。

赤い目をした彼を、ただ単純に怖いと、そう思った。

 

 

 

 

 

「気分屋だし・・・・たまに女の子を物凄く冷たい目で見てる。」

「・・・・・・・・そう?」

「うん。あしらう時とか言葉使いも乱暴だし。」

「・・・・・・・・。」

 

 

 

 

 

どうやら自覚はなかったみたいだけど言葉使いには心当たりがあったらしい。

私は切原君の背中に腕を回し、ぎゅっと背中の裾を握った。

そんな私の行動に、切原君が弾かれたように顔を上げたのがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、優しいよね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は気づいていた。

 

 

 

 

 

彼の優しさ。

 

 

 

 

 

切原君も先輩達に負けないくらい優しいってこと。

 

 

 

 

 

遠足で一人で団扇を仰いでいた私をさり気なく手伝ってくれた。

 

 

 

 

 

急斜面から落ちた私を助けてくれた。

 

 

 

 

 

陰口叩かれてる私を気遣ってくれた。

 

 

 

 

 

ボロボロにされた私の体操服を見て自分の体操服を貸してくれた。

 

 

 

 

 

虐め現場を見て立ちすくんでる私を物陰に隠してくれた。

 

 

 

 

 

今日、自分の身を挺して助けに来てくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャージ、寝てる私にかけてくれた。」

 

 

 

 

 

考え直してみれば数え切れないほど彼に優しくされてきた覚えがある。

怖いと、そう思ったことすら忘れるくらい。

いつの間にか切原君は私の中で掛け替えのない存在になっていた。

自分でも気づかないうちに。ずっと。

 

 

 

 

 

「切原君は・・・優しいよ。」

「・・・そう何回も言うなって・・・俺そんなガラじゃねぇし。」

「でも実際そうなんだし・・・照れることないじゃない。」

「・・・・・・」

 

 

 

 

 

はあ と耳元で溜め息が聞こえる。

何だかくすぐったい。

私はそろそろちゃんと自分の気持ちをはっきり言わなくては、と閉じていた目をそっと開けて抱きしめ返していた手を解いた。

切原君もそっと離れて少し、二人の間に隙間が出来る。

温かかった体温にひんやりとした空気が触れて、離れてしまうのが名残惜しかった。

 

 

 

 

 

「切原君。」

「ん?」

 

 

 

 

 

絡み合う視線。

二人とも頬に傷やら痣やらつけて、何だか間抜けだった。

 

 

 

 

 

でも、これがなくちゃ素直に自分の気持ちを認めることができない私達。

 

 

 

 

 

手のかかる奴ってよく言われるけど、まったくその通りだなと自分で自分に笑ってしまう。

 

 

 

 

 

「さっきの返事。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も好きだよ切原君が。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この言葉を自分自身で認めるまでどれほど時間がかかっただろう。

 

 

 

 

 

この気持ちを恋と呼ぶまで一体どれ程の人を傷つけてきたのだろう。

 

 

 

 

 

大切なものを失って、どれ程涙を流したことだろう。

 

 

 

 

 

小百合はもう友達じゃないと言った。

 

 

 

 

 

仁王先輩はもうお別れだと言った。

 

 

 

 

 

ねえ、私をどうしようもない馬鹿だと思ったでしょ?

 

 

 

 

 

小百合はいつも私のことをどんな目で見ていたのだろう。

 

 

 

 

 

どんな気持ちで私の話を聞いていたのだろう。

 

 

 

 

 

仁王先輩はいつもどんなことを考えながら私の隣にいたのだろう。

 

 

 

 

 

どれだけの嘘で、私のことを傷つけないようにしていたのだろう。

 

 

 

 

 

みんな、人が良すぎた。

 

 

 

 

 

小百合も、仁王先輩も。

 

 

 

 

 

こんな私の側にずっと居てくれた。

 

 

 

 

 

結果的にどちらも失う破目になったけれど、それは私への罰だ。

 

 

 

 

 

これだけ人を振り回してしまった私への罰。

 

 

 

 

 

だから、私はそんな人たちを犠牲にしてまで手にした恋を、決して失うわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

。」

 

 

 

 

 

触れる唇に、何度目かの彼の香り。

 

 

 

 

 

口の中は、血の味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさんの回り道。

 

 

 

 

 

間違っているよと、間違った分だけいろんな人から助けを貰った。

 

 

 

 

 

進みかけていた道を振り返り、

 

 

 

 

 

大切な人から背中を押してもらって走り出した。

 

 

 

 

 

もうその道へは戻れないけれど、私達には進むべき道がある。

 

 

 

 

 

その道で出会った君と、これからはきっと ・・ ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

― end ―

 

 

 

 

 

あとがき 2007.10.10

こんにちは!やっと完結しました「紅」!

本来6話程度で終わる予定だった小説がいつの間にか倍以上になっていてビックリしました。笑

赤也大好きで突発的に作ってしまったこの連載。

「紅」は赤也の名前の意味を込めて付けたタイトルなんですが・・・

そんな意味なかったですね。(コラ。

もうちょっと赤也ツンツンしててどうしようもない男にしようかと思ってたのになんだかいい人っぽくなっちゃって残念です…。

仁王もさっぱりした感じで淡い恋って感じでしたし……もっとドロドロしてもよかったかなって今になって思います。

個人連載としてはこれが二作目の完結ですね^^

今度は誰でしようか・・・(まだ連載増やすつもりか!)

 

では、お付き合いいただき、ありがとうございました!!

 

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