ただ何となく。
君の存在はまさに空気のようで
必死に手を伸ばしてみても掴みどころなんてどこにもなかった。
紅-kurenai-
嫉妬なんてしない。
そんな感情、君に持つ必要がないんだから。
やや、あの日から三日。
私と仁王先輩が付き合いだしたって噂はあっという間に学校中に知れ渡り、
仁王先輩のファンだった子からものすごく恨み篭った視線を受けることになって、憂鬱さは増すばかりだった。
それにきっとこれは切原君の耳にも入っているわけで、
私は何だか切原君と目を合わせ辛くてもう彼を見ることさえしなかった。
「ねーうざいって!アンタ年下に手を出して恥ずかしくないの?」
教室に居づらい私はとりあえず屋上で一寝入りしようと思い、ドアノブにかけていた手を止めた。
中から聞こえる声に思わず体が飛び跳ねて、そっと中を覗いて見てみる。
「マネージャーだからって部員に手え出すなっつーの。」
「の次にお前かよ。ホント男タラシって見ててイラつくんだよ。」
突如出てきた自分の名前にぎょっとする。
ドアノブを握って止めていた手がビクッと跳ねてドアがギギッと鈍い音を奏でた。
しまった、と思うも時既に遅し。
万事休す。
彼女らは私の存在に気づき、「誰!?」と言いながらこちらに近付いてくる足音が聞こえた。
やばい!逃げなきゃ!
でも・・・虐められてる人が・・・・
「!」
その場で動けずに固まっている私は突如誰かに口を押さえられる。
そのまま隣の椅子やら机やらいろいろなゴミ溜めの物陰に乱暴にも押し込まれた。
顔を見るまでもなく、私はぶつけた背中を擦りながらここから死角で見えないドアの方を見上げる。
「誰よ!」
バンッ
と大きな音がして屋上のドアが完全に開かれる。
勢いよく叫んでドアを開けただろう人の「あ、」という震えた小さな声が耳に入ってきた。
「切原・・・君・・・」
女の子の声が掠れていて聞き取りにくかったけど確かに聞こえた知っている名前。
え・・・・・?
「先輩達、こんなところでなーにしてんスか?」
「え、えと・・・。」
「人の彼女に、何してんの?」
低く、それでいて相手を威嚇するその口調。
人の、彼女。
それは私ではなく、その扉の向こうにいた人のこと。
何で、こんなに胸が痛いんだろう。
「いくら女で年上だからって・・・容赦しないよ?」
「ひっ!」
「俺さー、今最高に機嫌悪いんスよ。早くどっか行ってくれない?」
ここからじゃ何も見えない。
ただ女の子の声からしてかなり怖がってるってことと・・・
ものすごく切原君が怒ってるってことくらいしか、何もわからなかった。
私はただ存在がばれないようにばれないようにって身を縮込めて事の成り行きを見守った。
「ご、ごめんなさい!!」
複数の足音がばたばたと忙しなく聞こえたあと、その場はまるで音が消え去ったかのように無音だった。
数秒後、切原君だろう人の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
それでもまだ私はその場から動けずに必死に音だけを拾う為、息を殺して耳を澄ます。
「大丈夫っスか?」
「・・・・・赤也・・。」
赤也、そう微かに聞こえた声にまたしてもビクリと肩が跳ね上がる。
その奥にいるのはマネージャーさんで切原君の彼女。
そんな名前で呼んだっておかしくない存在だと言うのに、何故私はこんなにも複雑な気分なんだろう。
震える指を、ギュッと握り締めて俯いた。
「こうなるの、わかってて付き合ってって言ったんだから大丈夫よ。」
「へー、強いっスね。さすが。」
「それは赤也がいてくれるから・・・かな?へへ。」
「・・・・・・・・・・・。」
わずかに聞こえるこの会話は耳を塞いでも何故か聞こえてくる。
何だか私はここにいたくなくなって、ふらつく足を無理矢理動かして立ち上がった。
二人に気づかれないようにそっと階段を下りて教室に戻る。
それだけで生徒の注目の的は私なんだから本当気分が悪い。
「・・・・大丈夫?」
「小百合、ごめん心配かけたよね。大丈夫だよ。」
「でも顔色かなり悪いよ。保健室行ってきたら?」
もう保健室まで行く体力すら残っていない。
私は僅かに首を左右に振り、自分の席に顔を突っ伏した。
もう、このまま永遠に起きたくないかもしれない。
もう、何も見たくないや。
起きたのはその日の放課後。
自分でもすごいと思うほど最後の最後まで寝尽くしていたらしい。
私何しに学校来てんだろう。
そう自嘲してしまうほどだ。
そしてよく寝たにも関わらずかなり憂鬱。
起きた原因がまあ頭から水被ったからなんだけど。
「起きた?」
「それ冗談?」
「一生懸命起こしたってのにいつまで経っても起きないから・・・」
「だからって頭から水かけるの?」
「、ちょっと頭冷やした方がいいと思って。」
「・・・・・何ソレ。」
水飛沫を立てて頭を振る。
バケツを持った小百合がそんな私を他所に、私の机を用意していた雑巾で拭き始めた。
本当にこの子は・・・・。
「だって、見てられないよ、。」
「・・・・・・・・。」
「仁王先輩と付き合ってんならもう切原のことは忘れなよ。」
「・・・・・・・気になんてしてないし。」
「嘘。そんな死人みたいな顔して。全然説得力ないし。」
俯いたまま顔が上げられない。
ポタポタと机の上に一定間隔で落ちる雫をただ目で追うだけ。
小百合がはあと私の頭の上で溜め息を吐いたのが聞こえた。
「アンタ、ちゃんとケジメつけないと・・・もう、どうなっても知らないよ?」
「ケジメ?」
「切原か仁王先輩。」
「・・・・・・・・・。」
何も言い返せない。
自分でも頭の中がごっちゃごちゃで理解できていない。
黙り込んだ私に小百合は「水かけてごめん。」とだけ言い残し、私の頭の上にタオルを被せて帰っていった。
一人になった教室で小さく溜め息。
私も帰ろうと思い、机の中の教科書を鞄の中に詰めてタオルを頭に被ったまま教室を出ることにした。
外は薄っすらとオレンジがかっていて、眩しさのあまり目を細めてしまった。
なんだか感傷的になってしまい、薄らと口元に力ない笑みを浮かべる。
するとポンッと肩を叩かれて振り返ると、そこには意外な人物。
「よっ!今帰り?」
「・・・丸井先輩。」
丸井先輩はジャージを身に纏っていて、ガムを口に含みながらの相変わらずの笑顔。
何故こんなところにいるのだろうかと目をぱちぱち瞬かせていると、
丸井先輩が「どうした?」と逆に不思議そうな顔をされたのでとりあえず「何でもないです」と返しておいた。
「俺さー、さっきまで学芸員の仕事してたんだぜ。部活の最中だってのにわざわざ委員長が呼びに来てさ!」
「あ、そうなんですか?」
「そ、急にやることになってでももうみんな帰ってるから人手が足りないーとか何つって。」
「へー、仕事って何してたんですか?」
「ん?花壇の入れ替え。」
それがまた面倒なんだわ。と苦笑いを浮かべて笑う丸井先輩を見て、
そういえば今日になって初めてまともに話したかもしれないと、私は少し自嘲気味に笑った。
「そういやちゃん、仁王と付き合いだしたんだって?」
「・・・・・半ば無理矢理ですけどね。」
丸井先輩はふーんと何か考えるような仕草を見せて口を尖らせる。
喋らなくなった二人の間に、何処か遠くからボールの弾む音と部活をしている人たちの声が聞こえた。
「ちゃんはそれでいいわけ?」
「え?」
「ちゃんは仁王でいいのってこと。」
目がばっちりと合って、逸らせない。
何を考えているのか分からないその大きな瞳に思わず私は言葉を失った。
この目の前の先輩は、一体どんな答えを求めているのだろうと、そんなことまで考えてしまう始末だ。
「・・・俺は、不満だけどな。」
「どうして・・・ですか?」
「ん、まあいろいろと。」
ぱっと目を逸らした先輩はガシガシと後頭部を掻きながらガムをプクーっと膨らましてすぐに割った。
そして「じゃ、俺部活行くわ。」と言って私の頭をポンポンと叩く。
「もし誰にも言えない悩みがあったら・・・俺が聞いてやるから。」
「だからそんな思いつめた顔すんなよ。」
そう最後に聞こえた丸井先輩の言葉に思わず涙が零れ落ちた。
先輩はもうコートに向かっていて泣き顔を見られることはなかったけど、
私は小百合にかけてもらったタオルでそっと目頭を押さえて唇を噛み締めた。
何で、
どうして、こんなにも胸が苦しいんだろう。
私は、自分が自分でわからなくなってきた。
零れ落ちた涙がさす意味なんて、
私にはこれっぽっちもわかりはしなかった。