ただ何となく。
君の存在はまさに空気のようで
必死に手を伸ばしてみても掴みどころなんてどこにもなかった。
紅-kurenai-
守ってやりたい。
ただそれだけ。
ガシャン。
何か金属が落下するような音が聞こえて覗き見る。
そこには見知った顔をした女の子がひとり、潤んだ瞳でぼんやりと空を見上げてしゃがみ込んでいた。
「何しとんの?」
「・・・あ、やば。」
無言で振り向いた女の子の前には数人の女の子。
やばいと呟いて顔を見る間もなく一目散に逃げて行った。
仁王は一歩、また一歩と目的の人物に歩み寄り、目の前まで来ると半泣き状態のを見下ろした。
「・・・原因は、赤也か?」
「・・・・・いえ、違います大丈夫です。」
「意地っ張りやの。」
しょうがないとでも言いたげに苦笑い、隣にドカッと勢いよく胡座をかいて座り込む。
俯き気味のはただ涙を堪えようと下唇を噛み続けていた。
「最近の女は怖いの。」
「愛の力ですよ。」
「おもしろいこと言うね。でも愛があれば人を虐めていいってわけでもないじゃろ?」
「・・・内緒にしててくださいね。」
そう言って顔を上げたに、仁王は思わず声を無くした。
俯いていたからこそ見えなかったが、顔は傷だらけだった。
仁王は小さく息を吐き、の頭にポンと手を置いてそのまま優しく撫でてやった。
「我慢強いの、ちゃんは。」
「あれ、先輩って私のこと名前呼びでした?」
「今から名前呼びに変更しました。ダメだった?」
「いや、別にいいですけど・・・何かくすぐったいです。」
眉を下げて笑うに、仁王は何とも言えない感情に押し潰されそうになった。
しかしそんなことはあってはならないと首を振り、とりあえず治療が先だと立ち上がった。
妙に握りしめた手の平に汗が滲む。
「このままじゃ顔に傷残るかもしれんから手当てしちゃる。ついてきんしゃい。」
「え、大丈夫ですよ。ツバつけとけば治りますって!」
「お前さんは顔中にツバを塗りたくるんか?」
「・・・言葉のあやです!さすがに顔全面は汚いですよ。」
「それもそうやの。」
笑ったら切れた口端が痛かったのか、は顔を歪めて俯いた。
一体何があったのか、もう少し早く来ていたなら怪我をせずにすんだのだろうかと、仁王は眉間にシワを寄せて舌打ちをした。
同時に、心の中で、小さく赤也に謝った。
「あ、ブン太サン!」
振り返るまでもなくこの声はアイツ。
俺はわざと無視を決め込んでスタスタと踵を潰した上履きを擦って歩いた。
無視されてることに気付いたのか、アイツ、赤也の慌てて走りだす足音が廊下に響いていた。
「ちょっとちょっと無視っスか!?聞こえてるくせに!」
「あー腹減ったなー。」
「うっわ、わざとらし!」
隣に並んで歩きだした赤也のキャンキャンとした声が耳に障る。
あーうっせ。
コイツは本当歩く騒音だな。
俺が溜め息を吐いて視線をちらりと向けてやると、赤也は満足そうに笑った。
「ブン太サンさ、本気の恋ってしたことあるっスか?」
「・・・・何お前キショイ。」
「ちょっと、恥を忍んで本気で聞いてんスよ!まともに答えて下さいよー!」
あーマジうっせコイツ。
何でこんな声でかいかねぇ。
窓の外に向けていた視線をもう一度赤也に向けてやると、想像以上に赤也の表情は真剣で、思わずちょっと引いた。
え、マジで赤也?
「・・・・もしかしてアレ?ちゃんのこと?」
「ち、違うっスよ!何でサン!?しかも何でブン太サン名前呼び!?」
「だぁぁあああああうっせー耳元で叫ぶなバカ!!」
少し頬の赤かった赤也をおもいっきり殴り飛ばしてやると、赤也は「いてぇっスよ!」と殴られた部分を押さえて抗議していた。
まさか仁王から聞いていたものの・・・・コイツ自覚無し?
マジでちゃんのこと好きだって気付いてねえのかよ!
この鈍感!
俺が信じられないと言った表情で心の中で悪態をついていると、
赤也が口を尖らせて俺のことを恨めしそうに見つめていた。
「・・・・何か、すっげぇ最近おかしいんスよ。」
「へえ。(ぷぷ、聞いてねぇのに話し出しやがったコイツ。)」
「仁王先輩が。」
「ふーんそうかそうか。仁王がねぇ・・・って仁王かよ!!」
「はい、仁王先輩っス。」
キョトンとした表情で頷く赤也。
てっきり自分のことを話していると思っていただけに俺は驚きを隠せずに叫んだ。
おいおいしかも仁王かよ。
アイツやっぱりハマってんじゃねぇか。
「絶対に仁王先輩、サンのこと本気なんスよ!だって俺聞いちゃいましたもん!」
「・・・・何を?」
「サンのアドレス聞いた日に彼女サンと別れたって。」
とっくに別れてたって嘘ついたんスよ!と赤也はふざけた口調で言うもんだからてっきり表情も笑ってるんだと思っていた。
だけど横目でちらりと見てみると、赤也はものすごく不満そうな顔をしていた。
やっぱ自覚無しか。
「別にいいんじゃね?仁王が年下好きになったって。」
「・・・・・・・別に悪くなんてないっスよ。でも・・・・」
赤也は眉間に皺を寄せて言葉に詰まっている。
俺はそんな赤也を横目で見たまま部室のドアをガチャリと開けた。
あ、そういえばいつの間に俺ってば部室前まで来てたんだ?
部室のドアが開いた瞬間、
俺はドアノブを握った手を、
何故だか放すことができなくなってしまった。
「何?どうしたんスか?」
目を見開いて固まる俺を見て、赤也は首を傾げて同じようにドアの向こうを覗き込んだ。
赤也の「あ、」と言う声と共に、また俺達二人は固まってしまった。
「あ、切原君・・・。」
そこには、傷だらけのちゃんと、
「何じゃ、丸井も一緒か。」
消毒液と絆創膏を持った仁王が向かい合って座っていた。
赤也の顔が見れねえ。
何してんだこの二人。
何で?
何でちゃんと仁王が一緒にいるんだよ。
っつか、仁王、お前昨日ただチョッカイ出してるだけだって言ってたじゃねえか。
何?
本気でハマっちゃってるってわけ?
「な、何でちゃんそんなに傷だらけなの?」
「・・・・え、や、これはその・・・・」
今の赤也は何も言えない、つか声が出ないだろうと思った俺は、
仕方なく思った疑問を先に口に出した。
ちゃんは何か言いにくそうに俯いて口ごもると、視線をちらりと仁王に向けた。
え、何?
何でそこで仁王に振るの?
え、何で?
「何でもなかよ?はドジっ子じゃからちょっと転んだだけじゃけん。」
「失礼ですね、ドジっ子じゃありませんよ。」
「これだけ派手に怪我するんじゃ。十分ドジっ子ナリ。」
「・・・・うっ。」
ちゃんの顎を持って口端の血を拭い、絆創膏を貼る。
仁王の手付きが何やらとっても優しいように見えたのは、さっき赤也があんなことを言ったからだろう。
でも、あながち間違いではなさそうだ。
俯いた赤也の肩が震えている気がする。
おい、仁王!
空気読めよ!!
っつかお前わかってやってんだろぃ!!
性質悪いってマジで!!
俺フォローなんて面倒なことできねえよ!?
どうでもいいから早くその顎にかけた手を退けろって!!!
俺の心の叫びも虚しく、赤也は拳を握り締めて踵を返した。
「邪魔しちゃ悪いっスよ。ブン太サン、行きましょ。」
「い、行くって何処に・・・・」
「屋上!!!」
俺の腕を無理矢理掴んで歩き始めた赤也に、俺はただただついて行くしかなくて。
赤也が後ろ手で閉めたドアがバタンッと激しい音を立ててしまったからさらに俺の心臓はドキドキもの。
真田がここにいたらきっと「赤也ぁああああああドアはゆっくり閉めろ!!!」なんて叫びそうだよな。
それにしても何で俺が後輩にこんなビビッてんだよ。
っつか赤也目、ちょっと赤くなってきてね!!?
うっわ、マジどうしよ!!
念のためにジャッカル呼んどくか!!?
「・・・・・なんか、ムカつく。」
独り言のように呟いた赤也の言葉。
俺はこの時、
言ってやればよかったよな。
“お前はあの子が好きなんだろ”って・・―――――