ただ何となく。
君の存在はまさに空気のようで
必死に手を伸ばしてみても掴みどころなんてどこにもなかった。
紅-kurenai-
知らない一面と印象の違いで俺はもうすでにお前の虜だったんだと今更になって思うよ。
ごめんな、もっと早くに素直になれなくて。
「えーっと、ここ・・・か?」
先生に書いてもらったわけのわからない地図を片手に目的地であろう一軒家のインターホンをプッシュする。
ピンポーンと鳴ってしばらく待ってみるも人が出てくる気配はない。
あれ?なんて首を傾げながらもう一回インターホンを押してみるけど結果は同じ。
三回目となるとさすがに俺もイラッてしてきてポストに無理矢理しおりを突っ込んで帰ることにした。
「あーもーあーもーホントどうしよう俺!」
仁王先輩に何て言おう!と頭を抱えながら帰路を歩く。
や、でもやることはやったわけだしそれでいてサンに会えなかったわけだし・・・なんて必死に言い訳なんぞを考えてみるけどあの人の前じゃそれも無意味。
仕方なくこのあとに待ち受ける仁王先輩の報復とやらを受けに一度部活に戻ることにした。
「あれ?」
その道の途中にある公園でキャンキャン吠えてる犬の鳴き声が聞こえたから何となしに視線を向けてみると見覚えのある姿が目に飛び込んできた。
そうだ。紛れも無く俺が捜し求めていたサンだ。
サンはマスクをしていて片手にはビニール袋を持って犬と戯れている。
これが早退(いや、休みか?)した人間のとる行動だろうか。
しかもまだ制服だし。
何してんのこの人・・・。
「おーよしよし。偉い偉い!」
「貴様学校をサボって何をしている!」
「!?」
真田副部長の真似をして背後に立つとサンの体は大きく跳びはねて振り返った。
そして丸々とした目が俺を捕らえた。
「き、き・・りはら・・・君?」
「よっ!サン!」
「よっ、て・・・驚かさないでよ!」
「悪い悪い。だってサンこんなところで堂々と学校サボってっからつい。」
「はあ!?サボってないし!病院行って帰ってる最中だし!」
そう言ってムキに言い返してくるサンの手には病院から出されたであろう風邪薬が入ったビニール袋が持たれていた。
ふーん、仮病じゃなかったんだ。
俺がサンに疑いの目を向けていると足元に妙な違和感を感じて咄嗟に下を向いた。
「うわっ!・・・って犬かよ。」
「こら!大人しくしときなさい!」
キャンキャンと間抜けな声で鳴く犬が俺の足元をぐるぐる回っては嬉しそうに俺を見上げる。
サンはそんな犬を少し鼻がつまった声で叱り上げた。
・・・本当に風邪なんだな。
ま、あんなところで寝てたんだから引いても当然っちゃー当然だよな。
「こいつサンの犬?」
「うん!最近家にやってきたんだ!」
「へー、名前は?」
「・・・まだ決めてないから犬って呼んでる。」
犬ってまんまじゃん。なんて思いながらしゃがみ込んで抱き抱えると
ソイツは少し下腹が出ていて見かけよりも腕にずしっと重みを感じた。
うわー。
「名前早くつけてやれよ。犬はないんじゃない?」
「うーん。いい名前がなくてねー・・・決めてよ切原君。」
「ええ俺!?俺が決めていいの!?」
「決めたいなら別にいいよ。どうぞどうぞ。」
「いや、別に決めたいってわけじゃねえんだけど・・・そうだなー・・・」
舌を出しながらキラキラした目を向けてくる犬と睨めっこしながら考える。
せっかくだから面白い名前つけてやろうと頭を絞ってみるけどなかなかいい名前が思い浮かばない。
そんな時、ハッと俺の頭を過ぎったのが部活の先輩の姿だった。
「よし、じゃあブン太にしようぜブン太。」
「それって・・・」
「そ、俺の先輩の名前!腹の出具合とかそっくりじゃん♪」
「ちょっと失礼ね!それじゃあ犬が可哀相じゃん!」
「お前も十分失礼だろブン太サンに!」
お互い顔を見合わせて黙り込む。
数秒もしないうちに俺とサンはどちらからともなく噴き出して笑った。
サンってこんな人だっけ?
クラスでは滅多に話さないからもっと喋り難い人だと思ってたし。
やっぱあれだな。人は見かけに寄らないってやつだな。
「じゃあブンちゃんでいいよ。その方が可愛い。」
「へへっ、サン物分かりいい!よーし今日からお前はブンちゃんだからなデブ犬!」
「デブ犬言うな!」
バシッと頭を叩かれて思わず俺は「ヘアスタイルが乱れる!」という抗議の文句を垂らす。
サンは気にする素振りもなく「もとからだよ。」とさらに頭を撫でてきやがった。
ちょ、マジやめろって!
俺が何とかその手を止めようとサンの手を掴みかけたのと同時にサンの手の動きがぴたりと止まった。
「それよりさ、何で切原君がこんなところにいるの?部活は?」
「・・・へ?あ、そうだ!そうそう。俺今日サンに明日の遠足のしおりを届けに行ったんだった。」
「え?」
「だーかーらー耳の悪い人だなアンタ。しおりを届けに家に行ったんだよ。だけどサン家にいなかったからポスト突っ込んで帰ってる途中だったの!」
「・・・切原君が私ん家に?」
「そ。悪い?」
意外って言いたげな表情を浮かべて俺をじっと見つめる。
まあそういう反応になるのはしょうがないと思う。
俺だって仁王先輩のことがなけりゃ絶対こんなことしないし。
(あ、そういえば・・―――――)
俺は思い出したように手を叩く。
そうそう、俺の一番の目的はしおりじゃないんだった!
「ちょーっとサンに頼み事がありましてー・・・いい?」
「・・・頼み事ねえ。何?」
物に寄るけどとあとから付け足し首を傾げる。
俺は少し制止をかけると尻ポケットに入れていた携帯を取り出した。
「あんさ、仁王先輩ってわかる?」
「仁王先輩?わかるけど?」
「そっか!なら話は早えや。その先輩がアンタのアドレス知りたがってるわけ。だから教えてやってよ!」
「に、仁王先輩が私のアドレスを!?冗談でしょ!?」
まるで何言ってんだお前と言っているかのように目を見開いて口をぽかんと開けている。
ぷぷ、間抜け面。
「今日朝会ったんでしょ?そん時に気に入っちゃったみたいでさ。ダメ?」
「いや・・・いいけど。私なんかでいいの?趣味悪くない?」
「いいのいいの。あの人変わり者だから。そんじゃそうだなー・・・サンのアドレス俺に送ってよ!俺から仁王先輩に送っとくからさ!」
「でも私切原君のアドレス知らないよ?」
「教えるから!ついでついで!」
自分からアドレスなんて聞くことは今まで一度たりともなかった。
なのに何でかな。
サンには俺のアドレスを知っててほしくて、俺だってさんのアドレスを知っておきたかった。
もっと言うと仁王先輩に教えたくなんてなかかった。
さっきまでそんなこと微塵にも思ってなかったっていうのに・・・何コレ。
「よし、送信っと!これで俺の届いただろ?俺仁王先輩に教えとくから。」
「うんありがと・・・あ、コラ!噛むな!め!」
サンはスカートの裾を噛んでいるブン太(犬)を躾しながらめくれないようにスカートを引っ張る。
一度は素直に放したと思って気を抜くとまた直ぐにスカートを噛んで素早くめくった。
「!!!!」
・・・・あ、白レース。
「見た!?見た!?」
「な、見てないっスよそんな白なんてッ・・―――」
「キャー最悪!!やっぱり見たんじゃん!」
顔を真っ赤にしてキッと俺を睨み付ける。
しまったつい口が・・・。
へえ、でも白レースねえ。
なかなか男をそそる下着つけてんじゃん。
白レースは男のロマンだからな。などとぼんやり考えながらいまだに隣でピーピー言っているサンを見てるとちょっと可笑しくなって笑ってしまった。
「何笑ってんのよ!どーせ似合わないとか思ってんでしょ!?白なんて履くなとか思ってるんでしょ!?」
「そんなこと言ってねえし思ってねえよ!」
「だって今笑ったじゃん!私もうお嫁に行けない!」
両手で顔を覆い隠し、俯く。
不覚にもその仕草が可愛いと感じてしまい慌ててその思考を振り切る。
「もうヤダ・・・」と完全に傷心してしまったサンは半泣き状態でブン太の頭を恨み篭った手つきで撫で続けた。
「大丈夫だって!誰にも言わないから、な!?」
「〜〜〜〜やっぱり見たんだー!馬鹿!切原君のバカ!」
カチン。
なんで俺が二回もバカ扱いされなきゃなんないわけ?
もとはと言えばこのデブ犬が悪いんじゃん!
名前が一緒だとやることも似てくるもんなんだなと軽蔑の視線をもう違う遊びに夢中なデブ犬に向けた。
「そだ!サン明日は遠足来れんの?なんか風邪っぽいけど・・・」
「え?・・・うーん、たぶん行けると思うんだけどな。お薬貰ったし明日には治るといいんだけど。」
昨日あんなところで寝てたからだなーなどと独り言のように呟いて頬を掻く。
一応自覚はあったんだなと俺は意味もなく頷いた。
サンは立ち上がるとスカートの襞を数回叩き「帰るね」と笑った。
そこで俺も部活に行こうとしていたことに気付き、今から行っても真田副部長の鉄拳が待っているだけだと肩を落とした。
「じゃあね切原君!行くよブンちゃん。」
「おー。」
俺にひらひらと手を振ってデブ犬を連れていく。
ぽてぽてと歩く犬の姿に思わず噴いて笑った。
ブン太サンもいつかあんな風になるんじゃないかと想像しながら俺も家に帰ることにした。
「雅治!」
嬉しそうに笑顔を浮かべて俺の名前を呼ぶ三週間前から付き合い出した隣のクラスの女の子。
頼んでもないのに部活が終わるのを部室の隣でずっと待っていたらしい。
『・・・今の彼女サンは?』
『昨日試合の後に捨てられた。』
フラれたなんて嘘。
そんなタイミングのいいうまい話があるわけがない。
だけど今日の朝はそう言っておくしかなかった。
俺もつくづく意地悪で後輩思いでお節介焼き。
自分のことを犠牲にしてでも普段お目にかかれない後輩の恋愛にちょっかいを出してみたくなった。
「あのね!今日このあと・・―――」
「すまんの。」
「え?」
テニスバッグを肩に担ぎ直し、彼女に背を向けて顔だけ振り返る。
「もうアンタは俺に必要なくなった。」
そう言って鋭く尖った言葉と作り上げた笑顔で相手を突き放すと
目尻に涙を溜めて咄嗟に俺の腕を掴んで引き止めた。
・・・俺ごときに、必死じゃな。
「わ、別れるってこと!?」
「そうじゃの。別れるってこと。」
「・・・い、嫌だって言ったら?」
ぎゅっと口を締めて絞り上げた声が耳に突き刺さる。
頭の悪い女は大嫌いだ。
俺は笑顔を消して冷たく、それでいて嫌悪をあらわにした目で相手を見据えると、さっきとは違った低い声で言い放った。
もちろん泣かれるのを覚悟で。
「相手にしないから心配なか。じゃーな、元カノさん。」
背を向けたまま手を振って今度こそ歩き出す。
その場で泣き崩れた相手の鳴咽が背中に突き刺さった。