君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

ねえ、普通って何?

俺だってきっと、お前と同じだったなら、

こんなに苦しむ事などなかったはずなのに。

 

 

 

 

 

『萩、秋乃君と遊んであげなさい。』

 

 

 

物心着いた頃から既に秋乃は僕の側に居た。

僕の性格上、外に出てやんちゃしたりするのはあまり好まなかったから特に激しい遊びはした覚えが無いけれど、

それなりの子どもらしい遊びは一通りやっていた気がする。

時には、今ほどではないけれど、ちょくちょくボールとラケットで打ち合いだってしたっけ。

僕は秋乃が嫌いではなかったし、再従兄弟だけどまるで兄弟のようだと思ってた。

それなのに、

 

 

 

『ハギのバカ!! ハギは俺の言う事が聞けないのかよ!!』

『別にそんな事言ってないでしょ。 秋乃、おーぼーだよ。』

『うるさいな! お前は俺の言う事だけ聞いてたらそれでいいんだって何回言ったらわかるわけ!?』

『ちょっと、イタイよ秋乃! いい加減にしてよ!』

『お前なんて分家のくせに! 何でお前なんだよ! 何で俺はっ……!!』

 

 

 

秋乃は自分の思い通りにならなかったり、キレるとすぐに僕を叩いたり殴ったりした。

それを母さんに言ったら『あとちょっとの辛抱だから我慢なさい。』って言って相手にもしてくれなかったし

秋乃の伯母さんに言っても『ごめんなさいね。今だけ言うこと聞いてあげて。』って言って怒ろうともしなかった。

だから仕方なく僕が折れたり、秋乃の機嫌が直るのを待ったりして、それなりに穏便に物事が運ぶよう努めてた。

 

気がつけば僕達はこの繰り返しで、僕があの子と出会うまではずっと秋乃にとって僕が支えだった。

僕が秋乃から解放されて救われたあの日、秋乃はたぶん、まだ見ない誰かに人知れぬ恨みを呑んだはず。

 

 

 

『なあ、ハギ。』

『…何?』

『俺、お前になりてぇ。』

 

 

 

そして時に、泣きそうな顔をしてそういう事を言うから、僕はきっと、秋乃を嫌いになれないんだと思う。

秋乃の人間らしい姿を目の当たりにすると、僕の心は大きく揺さぶられる。

同情、って言ってしまえば聞こえは悪いけど。

 

 

 

『そんで、もしお前が、俺だったら……こんなに周りを巻き込んだりしねぇんだろうな。』

 

 

 

願わくは、誰も傷ついてほしくない。

誰か一人を悪者になんて、したくないんだ。

 

だって、僕は言えなかったから。

 

 

 

『僕が君の立場だったら、そうだね。 こんなに周りに八つ当たったりしないよ。』

 

 

 

本当のこと、言えなかったから。

 

 

 

――― 僕が君の立場になったら、同じようになってただろうね。

 

 

 

なんて、言えなかったよ。

本当に言いたかった事は言えなくて、ただ吐き捨てるように反対の言葉を口にした。

 

 

 

 

 

「伯母さん、秋乃は?」

「あら萩君、心配してくれてるの? …ありがとう、大丈夫よ。」

「そう、それなら…よかった。」

 

 

 

秋乃の部屋のドアを開けると、伯母さんが秋乃の寝顔を覗き込んでいた。

その隣に立って、寝息を立てて眠る秋乃を眺める。

耳を塞げばまるで死んでいるようにも見えるその姿に、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。

 

 

 

「どこで間違ったんでしょうね。」

「え?」

「子育て、あたし親失格だわ。」

「伯母さん…、」

 

 

 

僕の顔を横目で見て、伯母さんが苦笑いを浮かべて息を吐く。

 

 

 

「せめて、何でも言う事を聞いてあげたかったの。 この子に何でもしてあげたかったから…

 甘やかし過ぎちゃったのかしらね。 ごめんね、萩君にもたくさん迷惑かけちゃったね。」

「……いえ、僕は…」

 

 

 

喉まで出かかった言葉を咄嗟に飲み込む。

僕は秋乃から逃げた身なんです、なんて今の伯母さんを見たらとてもじゃないけど言えない。

僕の代わりに大変な目にあった人がいっぱいいるんです、なんてもっと言えたもんじゃない。

それこそ、もう救ってやる事すらできなくなった人がいるなんて、言えないよ。

 

秋乃の幼馴染だった朱音ちゃんの事は伯母さんだってよく知ってる。

それを自分の最愛の息子が手掛けたことだって知ったら、伯母さんはきっと正気を失ってぶっ倒れてしまうだろう。

 

僕の記憶の中で微笑む若かった頃の彼女とは似ても似つかないくらいやせ細った四肢。

やつれた様に扱けた頬。

一目見ただけでわかる、ファンデーションでも隠しきれていない目の下のクマ。

そして染めても染まらない白髪の数。

 

それは全て彼女の苦労を物語っていて、

改めて意識して見ると、何とも言えない気分になってしまった。

 

 

 

「でも、いいわよね。 萩君は…」

「わかってます。 それ以上は何も言わないでください。」

「……後、頼んだわよ。 晩御飯の準備してくるから。」

 

 

 

声のトーンを急に下げて伯母さんが部屋を出て行く。

二人きりなった静かな部屋。

しばらくの沈黙を保ち、僕は秋乃のベッドに軽く腰掛けて言った。

 

 

 

「狸寝入りはもういいよ。」

「……寝てたよ。 お前が来るまではマジ寝だったんだって。」

「うん、じゃあそういう事にしててあげる。 別にどうだっていいよ寝てようが寝てなかろうが。」

「まあな。 そりゃそうだ。」

 

 

 

ククッと喉を鳴らして秋乃が笑う。

 

 

 

「ったく、何母親面してんだって話だよな、あのババア。」

 

 

 

部屋の電気に照らされて少し青白い秋乃の顔を覗き込む。

秋乃は可笑しくもないのに、ただ笑った。

上手く、笑えてないけどね。

 

 

 

「伯母さん、秋乃のこと大切にしてると思うよ。」

「みえみえの嘘はいらねぇよ。 手に負えないガキだって親戚中に言ってんの知ってるし。」

「……伯母さん、昔と考え方変わったから、そんな事はもう言ってないよ。」

「ハッ、俺は用無しだからな。 アイツにとっちゃただのお荷物だろ。」

「昔の伯母さんならそう思ってただろうけど…最近は秋乃の事、そういう見方してないと思うよ。」

 

 

 

ドンッ

 

無言のまま枕を投げつけられて、僕は黙る。

真っ直ぐに見据えた眼が、『もうこれ以上何も言うな』って言っていたから。

 

はあ、と小さく溜め息を吐いて部屋を見渡す。

それを確認した秋乃は、何も言わず、もう一度ベッドに横たわった。

 

 

 

「それにしても、変な部屋。」

「うっせーよ。 お前の部屋の悪趣味には言われたくねぇっつの。」

「悪趣味って何? 僕の部屋はアンティークの宝庫だよ。」

「それが悪趣味なんだよ。 俺の部屋の方が断然スッキリしてていいだろ。」

「どこが。 ベッドしかない割りに床は千切った日めくりカレンダーだらけ。 あと、ぐちゃぐちゃの写真も。」

 

 

 

近くに落ちていた裏返った写真を一枚拾い上げる。

僕の体重でギシッとベッドが鳴いた。

 

拾った写真を見て僕は一瞬だけ目を丸め、そしてそのまま秋乃の顔の横に置く。

 

 

 

「これ、跡部にバレたら半殺しだよ。」

「俺様の顔に落書きしやがってーってか。 上等じゃねぇか、かかって来いよ。」

「今の秋乃じゃ敵わないよ。 それに、」

 

 

 

黙り込んだ僕を何も言わずに見上げる秋乃。

僕はフッと笑ってベッドから立ち上がった。

 

 

 

 

 

「跡部は囚われのお姫様の為に覚悟を決めたみたいだし。」

 

 

 

 

 

僕の言葉を聞いても秋乃は何も言わずに天井を見つめている。

その瞳の奥の意思を読み取る事なんてできない。

たぶん、今の秋乃にあるのはただの 無 だから。

だから僕はさらに言葉を続ける。

 

 

 

「選ぶ相手を間違ったんだよ、秋乃。 は…ううん、は選んじゃダメだったんじゃないかな。」

「……せぇ、」

はきっと、この先ずっと秋乃だけのモノになんてならない。 彼女は、跡部が救ってくれるはずだから。」

「………せぇって、」

「僕にとって秋乃も彼女も大切な人だから。 だから今まで煮え切らない態度しかとってこれなかったけど、

 だけどこれからは違う。 彼女には跡部がついてる。 だから秋乃には僕がついてるよ。 最後まで僕が」

「うるせぇって言ってんだろ!!!!!」

 

 

 

勢いよくベッドから起き上がって物凄い剣幕で叫ぶ。

恨み篭った鋭い眼。

上がった息。

額に滲む僅かな汗。

そんな秋乃に動揺することなく僕は冷静に、そして諭すように口を開く。

 

 

 

「秋乃、一人じゃないから。 だから大丈夫だよ。」

「うるせぇ帰れ!! 帰れよ!!」

「でも、もとは僕だったじゃない。 どうして僕じゃダメなの?」

「ふざけんな!! お前は自分から離れてったんだろ!!」

「じゃあどうして僕の時は放してくれて、彼女は手放そうとしないの?」

「黙れ!! 帰れよ!!」

「ねえ、秋乃、」

 

 

 

 

 

「一人じゃないって言ってるのに、何がそんなに不安なの?」

 

 

 

 

 

水を打ったように静かになった部屋。

肩で息を繰り返す秋乃の手に、そっと触れた。

 

 

 

「あの日僕を救ってくれたのが彼女であっても、秋乃を救ってくれるのが彼女とは限らないんだよ?」

「……ッ、はあ、ッ、はあ、」

「彼女に無理矢理秋乃を思わせたって、秋乃の不安は消えない。 本当は、秋乃もわかってるでしょ?」

「…っせ、はあ、…ッ、はあ、」

「こんな事になるなら、あの日、逃げきゃよかったよ。 秋乃の側にずっといればよかった。 僕が我慢してればよかったんだよね。」

 

 

 

僕が、我慢していれば。

秋乃の傍から離れなければ、全ては上手く行った?

いや、結局は上手く行かなかっただろう、きっと。

 

だけど犠牲になった彼女達のことを思うなら、あの時、僕が我慢するべきだったんだろう。

 

イヤだよ、本当は。

僕だって、自由がほしかった。

あの日、彼女の笑顔を見て、本気で思ったんだ。

何事にも囚われず、生きたいって。

 

でもそうすることによって、彼女を苦しめる結果を招いてしまった。

一人の少女の儚い命をも奪ってしまった。

 

僕が秋乃から離れたから、秋乃はあの子に僕の代わりを求めた。

僕が再び彼女に出会ってしまったから、秋乃はあの子を捨てて彼女の前へと現れた。

 

そして、執拗以上に彼女へ依存した。

僕の存在すら二度と受け入れないくらいに。

 

そう、全てが悪循環だったんだ。

 

 

 

「……ッ、はあ、…ハギ、」

「…なに?」

「……ッ、殺して。」

 

 

 

 

 

「もう殺してくれよ!!」

 

 

 

 

 

目尻を伝う涙。

それを拭い取ってやることすらできず、

僕はただただそんな秋乃を哀れんだ瞳で眺め続けた。

 

秋乃も僕が殺すことなんて出来ないとわかっているんだろう。

一度口にしたきり、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 

「ごめんね、秋乃。」

 

 

 

何に対しての“ごめん”かなんて、聞かない。

秋乃は口を閉ざしたまま、そっと目を閉じてもう一度低く小さな声で「出て行け」と言った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「ほら、仁王先輩! これが約束のバーガー全種類ッスよ!」

「おーありがとさん。 それにしてもすごい量じゃのう。」

 

 

 

目の前がガラス張りのカウンターに一人座っていたら、不機嫌丸出しの赤也が大量のバーガーをトレイに載せてやってきた。

それを俺の目の前に叩き付けるように置くと俺の隣に腰掛ける。

トレイに載せられたバーガーの種類はざっと20種類くらい。

さて、どれから食おうか。

 

 

 

「何で俺が……」

「なーにブツブツ言っとるんじゃ言いだしっぺが。 ほれ、一個やるから食べんしゃい。」

「これ俺の金で買ったやつッス! つーかこんだけあって一個だけ!?

「自分が持ち出してきた罰ゲームじゃろ。 文句言うなら一時間前の自分自身に言ってくれ。」

「あーマジで何であんな事言ったんだ俺ー!!!」

 

 

 

自己嫌悪に陥りながら頭を掻き毟る赤也を横目にバーガーを貪る。

お、これはなかなか。

 

一時間前、部活帰りに軽く飯でも食って帰ろうと言って歩道橋を上ろうとしていた俺と赤也の前に、一人の女子生徒が階段を下りようとしていた。

何となく赤也に「何色だと思う?」と聞くと、赤也は一瞬悩んで「白」と答えた。

そして流れで赤也が俺の意見を聞いてきたから「ピンク」と答えると、

「じゃあ当たってたらバーガー全種奢りで!」と、どっちも絶対に当たらないと思っていた赤也が冗談交じりにそう言った。

 

今日は激しい雷雨。 加えてやや強風。

風は先ほどから止む事なく吹いている。

さっき一瞬だけ捲れて、答えを見てしまっていた俺はニヤリと笑って「乗った。」とだけ言った。

 

 

 

そして俺のイカサマに気づく素振り一つ見せずに赤也は俺に全種類のバーガーを奢る破目になった。

考えたらわかるものを、ホントに馬鹿じゃのう。

 

 

 

「あーあ、財布が一気に痩せた。」

「だーかーらー、それは自分のお口を恨みんしゃい。」

「だって…半分冗談だったのに。 つーか普通当たんねぇし。」

「はいはい。 もう一個やるからお口チャック。 飯がまずくなる。」

「…じゃーこれがいいッス。」

 

 

 

そう言って赤也は一番でかいバーガーを鷲掴んで包み紙を乱暴に破り始めた。

ま、これで黙ってくれるなら別にいい。

どうせ俺が買ったもんじゃないし。

アホみたいにでっかい口を開けてバーガーに齧り付いた赤也は急に何かを思い出したのか、

まだ飲み込んでいないにも関わらず少しくぐもった声で言った。

 

 

 

「そういや、今日、丸井先輩達って…あの人のところに行ったんスよね?」

「…らしいな。」

「あの人、入院したんでしょ? アイツに階段から突き落とされたか何かで…、」

「…らしいな。」

「大丈夫なんスかね。 また、朱音先輩みたいになったりしたりは…」

「…らしいな。」

「ちょっと! 真面目に話聞いてるんスか!!?」

 

 

 

素っ気無く、聞いとるよ。と言えば、納得していない表情を浮かべながらも赤也は渋々引き下がる。

 

とうとう、動き出したか。

アイツも、も、奴らも。

 

思い出すのは、まだアイツがテニス部にいた頃。

校内試合で、俺とアイツが当たった、そんなある日。

アイツはあと少しのところで俺との試合を放棄して逃げるようにコートから出て行った。

アイツが試合を放棄するのはしょっちゅうあった事だったから特におかしいなんて思わなかったが、

俺は興味惹かれるがままにアイツが走って行った方へと向かった。

 

だけど、いくら捜しても見つからない。

どこにもアイツはいなかった。

 

だけど、諦めかけてコートへ戻ろうと思った矢先の事。

人がいるはずのない、取り壊しかけのもう使わなくなった古い倉庫から物音がした。

ここは校舎や体育館からも結構離れているし、普段から人が寄り付かないところだけあってよく七不思議なんかで囁かれている。

だから、人なんているはずないし、てっきり猫か何かだと思った。

 

なのに、ちょっとだけ好奇心で覗いて見てみると、

 

 

 

『何しとんの、棟田クン。』

 

 

 

 

 

アイツが地面に手をついて蹲ってた。

 

 

 

 

 

「仁王先輩が知ってるアイツの秘密って、いったい何なんスか?」

「さあのう。 昔のことすぎて忘れた。」

「嘘ばっかり。 まーたそうやってはぐらかしてばっか。 言ってくれたって別にいいじゃないッスか。」

「嘘じゃなか。 ほんに忘れたんよ。 すまんのう。」

「……はいはい、信じませんけどもういいッス。」

 

 

 

くしゃっと包み紙を丸めてトレイに投げ入れる。

そんな不機嫌な赤也を横目で見て、俺は食べかけだったバーガーをトレイに戻した。

 

 

 

「のう赤也。」

「……らんすか?」

 

 

 

誰もあげるなんて言っていないのに、自分のお金で買ったバーガーだからか、

遠慮無しに無断でチーズバーガーを頬張る赤也が間抜けな声で返事を返す。

 

 

 

 

 

「死にたくないけど殺してほしいって願った人間が、目の前にいたらどうする?」

 

 

 

 

 

俺の唐突な質問に、赤也は目を見開いて何も言わずにバーガーに齧り付こうとしていた手を止めた。

じっと俺を見るその目に、驚きの色が窺える。

少しの沈黙の後、赤也はやっと俺の言ったことを理解したようで、気の抜けた声を発した。

 

 

 

「……は?」

「じゃから、死にたくないけど誰かに殺してほしいって思っとる奴が目の前にいたらお前さんはどうするかって聞いたんじゃ。」

「どうするも何も…死にたくないなら殺してほしいって思わないでしょ、普通。」

「いたら、どうする? まあ例えじゃ。」

「死にたくないのに…殺してほしい? 理解できないんスけど。」

「ほんにお前さんはバカじゃな…。 ほとほと呆れる。」

「ムカッ、じゃあ仁王先輩はどうするんスか? その、死にたくないけど殺してほしいって言われたら!」

 

 

 

ちょっとムキになった赤也が質問を質問で返してきた。

俺は少しだけ間を取り、目の前のガラスに映る自分を見つめながら言った。

 

 

 

 

 

「殺してなんてやらん。 絶対に。」

 

 

 

 

 

――― 俺を、殺してくれよ。

 

 

 

『ッ、はあッ、はあッ、ッ、はあッ、……早く、しろよ、』

『……何言っとんの、お前さん。』

『ッ、見ただろ! 殺せよ!』

『ようわからんうちから殺せと言われても…いや、人殺しはさすがにちと勘弁じゃの。』

『も、嫌なんだよ!! 殺せ!! 殺せよおおおおおおおおおおお!!』

 

 

 

面と向かって真剣に殺してくれなんて頼まれたのは、アイツが生れて初めてだった。

気が狂ったように殺してくれとばかり訴えてくるアイツの切羽詰った態度に、俺はただ戸惑うばかり。

人間の限界を、目の当たりにした気分だった。

 

 

 

『事情はわかったが、でもやっぱり、殺すのは無理じゃ。 とりあえず落ち着いてきたし、一旦部室に戻ろう。』

『言うな!!』

『言わんよ。』

『絶対に…絶対に誰にも言うな!! 言ったらお前っ…』

『言わんちゅうとるんに、信じんしゃい。』

『……ホントだな?』

『ああ、言わん。 男同士の約束、じゃな。』

『もし誰かに言ったりしたらお前…殺すぞ。』

『……ああ、肝に銘じとく。 大丈夫、俺はお前に協力してやるから。 泣くな。』

 

 

 

慰めるように、できるだけ優しく撫でてやった肩が、小刻みに震えていた。

 

 

 

 

 

「……絶対に、殺さん。」

「へえ、意外。 仁王先輩なら即殺してしまいそうなのに。」

「赤也の中の俺はそれほど無感情なんか?」

「いーやーだって、サンの時がそうだったじゃないッスか。 合宿中アイツからの電話があった後、即行動に移してたからさ。

 俺はあれはさすがにやりすぎだって思ったのに、仁王先輩ってば『殺人犯になったらよろしく』なんて言っちゃって。」

「…そういやそんな事もあったかのう。」

 

 

 

惚けた態度を取れば、赤也から非難の声が上がる。

どうしてあれほどの一大事を覚えていないんだ、と。

 

 

 

殺してなんて、やらない。

死にたくなんてないくせに。

死にたくないって目をしているくせに、殺してくれなんて、無茶な注文だ。

 

 

 

「で、この話は棟田秋乃の事なんでしょ? 仁王先輩。」

「…さあな。」

「まーたそうやってわかりきってるのにはぐらかすでしょ。 これ誰が奢ったと思ってんスか。」

「俺の口がたかがバーガー20個で開くと思っとるんか?」

「普通に十分ッしょ!! どんだけ金取る気ッスか!」

 

 

 

ちょっとからかってやれば赤也からはあまりにも素直な反応が返ってくる。

それに満足しながら四つ目のバーガーを手に取り、目を伏せた。

 

 

 

「…アイツは、死に場所を探しとるんよ。 ずっとな。」

 

 

 

 

 

―― 誰じゃ、って…

 

 

 

生きたい。

死にたくない。

 

 

 

でも、殺してほしい。

 

 

 

その歪んだ思考回路を理解してやれる人間はいったいどれだけ存在するのだろう。

もう嫌だと、苦しいと、そう言ったアイツの目。

 

 

 

―― ……お、れの、たった一人の、存在証明…

 

 

 

不安で不安で不安で不安で不安で

 

ただ、寂しくて。

 

 

 

絶望という名の場所で、孤独だけを背負って見上げる空は、

いったいどんな色をして映っているのだろうか。

 

 

 

何不自由なく暮らすことが許されている俺達にはきっと、これっぽっちもわかりはしないだろう。

だから俺は、そういう人間もいるのだと知って、少しでも理解してやりたいと、そう思っただけだったんだ。

 

 

 

「たった15年しか生きてないのにな。 俺達は。」

 

 

 

たった15年。

されど、15年。

価値観なんて人それぞれ。

 

 

 

アイツの事を知って、俺は自分がどれほど“今と言う時間”に無関心で生きていたのかを知った。

 

 

 

『もしこの先、何か力になれることがあるのなら、俺を頼ってきんしゃい。』

 

 

 

何をチンタラやっている。

アイツにはもう、時間がないんよ。

 

俺が全てを話してやるから。

俺が洗いざらい全ての真実を話してやる。

だから、早く。

 

 

 

早くアイツを救ってやってくれ。

 

 

 

 

 

お前じゃなきゃ、もう、間に合わないんよ。

 

 

 

 

 

2008.01.03 加筆修正