君が教えてくれたモノ
ごめんなさい。
私、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
一人だと言って塞ぎ込んで、周りの事を何も見ていなかった。
傷ついてたのはお互い様だったのに。
「おい、宍戸と長太郎と日吉が見当たらねぇがどうした。」
放課後、いつも通り始まる部活。
だけどいつもと違って、一番に練習を始めているはずの宍戸亮と鳳長太郎、それと日吉若の姿が見当たらない。
俺の隣で黙々と靴紐を結びなおしていた忍足侑士に跡部景吾の声が掛かる。
顔を上げ、奴は笑顔でこう言った。
「ああ、お見舞いやで。」
「お見舞い、だと?」
「誰の、とかそんな今更な事訊かんとってな。 ちなみに滝も行ったから。」
飄々と言ってのける忍足の視線がちらりと俺の方を向いた。
まるで俺を挑発しているかのように。
眉を跳ね上げた跡部よりも先に、俺が奴の胸倉を掴んで立ち上がらせ睨みつける。
「テメェ、何のつもりだコラ。」
「何のつもりって、何もないけど。 何でお見舞い行ったらあかんの? 自分は行ったんやろ?」
「…お前、ゲームのルール破るのか。」
俺が低い声でそう言うと、忍足は胸倉を掴まれているにも関わらず、
フッと口許に笑みを浮かべ、俺を嘲笑うように「ゲームか、」と言って鼻で笑った。
「そもそもこのゲーム、俺らに不利やったんとちゃう?」
グッと掴まれた手首にギリギリと忍足の手が食い込む。
チッと舌打ちを鳴らして手を放してやると、奴は乱れた襟を整えながら横目で俺を捕らえた。
ふざけるな。
何が見舞いだ。
何で、どいつもこいつもアイツから離れようとしない。
アイツを必要とするのは俺だけで十分だってのに。
「侑士!!」
忍足がニッと口許を持ち上げて笑みを浮かべ、振り返る。
走ってやって来た向日岳人に片手で合図をすると向日はコクリと頷いた。
奴の手にはスコア表。
「ほな、そろそろ始めよか。」
「一体、何の真似だ…忍足侑士。」
向日から受け取ったスコア表を片手に俺を少し上から見下ろす。
眼鏡越しのその冷え切った瞳が俺の目を真っ直ぐに捕らえて、
「試合、さっさとケリつけてしまおうや。」
そのスコア表を跡部に投げ渡す。
ふざけんな、試合だと?
んなモンやってられるか。
さっさとの病室へ行こうと踵を返し忍足達に背を向けると、
そんな俺の背後にじっと立っていた芥川慈郎の存在に思わず足を踏みとどまらせた。
こいつ、いつの間に…
「跡部に負けたままで、悔しくないの?」
ニッコリと音がしそうなくらい笑う。
はいラケット、と手渡された俺のラケットを反射的に掴む。
「ゲームは、フェアでなくちゃね。」
笑顔が消える。
低く、聞いたことのないような芥川の声に思わず眉をひそめた。
こいつ、やっぱり跡部を変えただけあって曲がある。
もっと、注意しておくべきだったか。
(……だけど、まあいい。)
「吠え面かくなよ、野郎共。」
俺を甘く見てもらっちゃ困るぜ。
跡部なんて甘ちゃん、俺が頭の天辺から叩き潰してやるよ。
ラケットを肩に乗せてニヒルに笑った俺を見て、忍足侑士は満足そうに薄く笑った。
ひと気のない病院の階段をのぼる。
閉じた傘の先から雨滴がいくつも落ちては廊下を濡らす。
ひたひたと、湿気を含んだ靴の裏が音を立てて薄暗い踊り場に響いた。
「なあ柳、昨日来た氷帝の奴に、何か言ったのか?」
「…何かって、何をだ。 話題の振りがえらく急だな。」
「いんや、俺的にはここに来るまでずっと考えてたことだし。 氷帝の奴はアイツの事について聞きに来たんだろぃ。
だからそれについて何か教えたのかって聞いてんだよ。 わかってるくせに惚けんなっつの。」
「……俺が教えてやれる事など特にはない。 ただ、」
――― 俺、誰も傷つけたくない、傷ついてなんてほしくないんです!
「ただあの鳳君は、迷っている。 を救ってやりたいという思いと、アイツに持ちかけられたゲームの間で。」
「…鳳君って氷帝の、あの二年生か。」
「そうだ。 だから鳳君はアイツの真相を少しでも知っている俺達に迷いをぶつけに来た。 俺はそれに少しだけ応えてやっただけだ。」
「応えたって、その鳳に何を言ったんだよ。」
「………、」
きゅっ、靴が音を立てて止まる。
突然立ち止まった柳に釣られてブン太も階段をのぼっていた足を止めた。
一段上で佇む柳の背中を見上げ、ブン太は目を瞬いた。
柳の目が、静かに薄く開く。
「アイツは確かに立海でも十分通用するほどのテニスの腕前はある。 だが、一度もレギュラーにはならなかった、と。 伝えたのはそれだけだ。」
ブン太は目を見開いて口を開く。
そういえば、と頭の中で少し前までの部活を思い描いた。
確かに、アイツは目で見てわかるほどテニスの才能があった。
それはもう真田や幸村、柳と並んでもおかしくないほどの。
が、しかし、思い返せば一度もレギュラーになったところを見た事がない。
それどころか試合をまともに最後までやり遂げたところを見た事がなかった。
いいところまで行っては、ふざけたように途中で棄権する。
ただ自分が上手いからってバカにしてるんだろうって、ずっとそう思ってた。
だけど今柳の言葉を聞いて再び疑問を持ち始めたブン太の表情がみるみるうちに硬いものへと変化する。
それを横目で確認した柳はスッと目を閉じ、再び歩み始めた。
柳の足が階段をのぼりきる。
六階と記された手書きの貼り紙を確認すると「ここだ。」と小さく呟く。
ブン太も遅れをとるまいと再び残りの階段を駆け上がり、柳の隣に並んだ。
「部屋何号室?」
ブン太が柳に問う。
一応部屋番号を頭で覚えていた柳はスッとノートを鞄から取り出し、確認の為もう一度ノートを開く。
反射的に覗き込もうとするブン太に見えないようにノートを傾ける柳。
ブン太はムッとして「あーはいはいすみませんね。」と不貞腐れた口調で吐き捨てた。
その時ふと、前方の渡り廊下をふらふらと覚束ない足取りで通り過ぎて行った女性の姿を見た柳の足が止まる。
「どした、参謀?」
「今のは、ではなかったか……、」
「? 何、いたの?」
どうやらブン太は何も見ていなかったようで、役に立たないと判断した柳は瞬時に嫌な予感が全身を過ぎって
少し小走りにが通り過ぎたと思われる渡り廊下へと近寄る。
が歩いて行った方向を見てみるも、そこにはもう誰の姿もない。
「見間違い、か?」
「幽霊でも見たんじゃねぇの? 病院だけに…。」
ぷぅっとガムを膨らませながら、冗談めかして言ったつもりのブン太の台詞に柳の眉が少し跳ね上がる。
不意に視線を落とすと、少しグレー掛かった床に一定感覚で赤い斑点ができている事に気が付く。
振り返って見てみると、そこにも赤い小さな斑点が幾つか確認できる。
「まさかっ……!!」
柳はハッとして“601からはこちら”と記された看板の方向へと、赤い斑点が続く廊下を一気に駆け出した。
「ちょ、はあ!? おい柳待てよ!!」
本日何度目か分らないが、ブン太もそれに釣られて駆け出す。
ブン太が追いついたちょうどその時、柳はすぐ近くにあった602と記された病室の扉を荒立たしく開け放った。
「これは……!」
「っ、遅かった、みたいだな。」
中を覗いて驚くブン太と、小さく舌打ちをして部屋の中へと入っていく柳。
病室の奥へと足を踏み入れると、そこはガラスの破片と変色したリンゴが床に散らばっていて、
廊下で見た赤い斑点が数滴その近くに落ちていた。
柳は黙って一度、部屋中を見渡す。
スッと開かれた目。
ほんの数秒後、携帯を取り出してブン太へと振り返る。
強張った表情で悲惨な床を眺めていたブン太の肩がびくっと震え上がった。
「丸井、お前はを追え。 嫌な予感がする。 廊下に続いていた血の跡を辿れば追いつくはずだ。」
「つっても行き先がわかってねぇと床に落ちてる血って一定間隔広すぎるし間に合うかどうか…」
「いいから行け! こういう場合はたいてい屋上かひと気のない場所だ。 俺も後で行くから先に行け!」
「お、おう…わかったよ!」
柳の剣幕に押され、頷く。
ブン太が慌てて出て行くと、廊下に荒だたしい足音が響く。
誰も居なくなった病室で柳はもう一度部屋を見渡し、携帯を取り出した。
『――― はい、もしもし?』
「柳だ。 今どこにいる。」
少しの間があいて電話越しに聞こえる鳳の声。
柳は雨が降り続ける窓の外を横目で見ながらベッドに腰掛けた。
ギシッと音を立てて沈む。
シーツがまだ、少しだけ温かかった。
『…柳さんですか? 俺達は今病院の受付前にいるんですけど…どうかしたんですか?』
「が、大変な事になっている。 病室にはもうはいない。」
『ええ!? 先輩がいない!?』
「ああ、俺の予想ではもしかしたら…」
『おいがいなくなったってどういうことだ!!』
「宍戸か。 …たぶん屋上に向かったんじゃないかと思うんだが、の事は一応丸井に追わせている。 とりあえず早く上がって来い。」
わかったと言って切れる電話。
はあ、と溜め息を吐いて窓の外に視線を向けた。
本当に、もう潮時なのかもしれないな。
柳はフッと目を薄く開いてベッドから立ち上がる。
携帯を鞄に仕舞うと、鞄をベッドの上に置いたまま病室を後にした。
まだ真新しい血痕を辿って階段を駆け上がる。
走って走って走って。
肩で息をしながら辿り着いた場所は最上階の廊下の端、つまりは行き止まりだった。
が、そこには窓が取り付けられており、雨が降っているというのにその窓は開いていた。
「まさか…!!」
咄嗟に覗き込む。
ここから飛び降りたんじゃないだろうかと一瞬、嫌な考えが頭を過ぎった。
が、そこは少しの空洞があるだけで、すぐそこはの病室の向かいの棟の屋上だった。
その真ん中に佇むの姿が雨の中、確かに確認できた。
「……バカやろっ!」
幸い、こちらに背を向け、空を仰いでいる。
手にはナイフが握られ、一度天に翳すとそれを首元へと運ぶ。
ブン太は気づかれないように、雨の音で足音を消しての背後へと駆け寄った。
――― 明日が来るといいね。
その時何故か一瞬だけ、死んだはずの朱音の姿とが重なった気がした。
「な、にやってんだよお前は!」
背後からナイフを握っていた方の手首を掴む。
突然の事に驚きを隠せないの目が見開き、反射的に振り返ってブン太と向き合う形になる。
慌ててもう一方の自由な手を掴みの自由を奪うが、
何故ここにブン太がいるのかという疑問すら浮かんでこないほど混乱しているも精一杯抵抗を始めた。
「はなしっ、てよ! 何すんの!」
「何はこっちの台詞だろ!! お前こんなところでナイフなんか握って何考えてんだよ!
こんな人が来ない場所、見つけてもらえなかったら死んでんぞ!! わかってん、」
「もう生きたくないの!」
涙で溢れ返った赤い目がギッとブン太を睨みあげる。
力がぶつかり合って小刻みに震える腕。
水分を含んで額や頬にへばり付く髪から仕切りなく滑り落ちる滴。
激しさを増す雨が容赦なく叩き付けるように二人に降り注いだ。
「何で! 何で止めるの!? 何で私は死なせてくれないの!?
どうせ一人にするんだったら、だったらもう誰も私に関わらないでよ! もういい加減死なせてくれたっていいじゃない!!」
顔を歪めてギュッと唇を噛む。
ナイフを握る手に力が篭り、徐々に引き寄せようとする。
負けじとブン太の手にも力が入り、の手首を締め付ける。
苦痛に歪んだの顔はあまりにも悲しくて、辛くて、切なくて。
の両手を掴みながらもブン太はを直視できなかった。
直視してしまえばあの時に死んだ彼女を思い出し、弱い自分自身に負けてしまいそうで。
だけど、ふと、頭の中をジャッカルの台詞が過ぎった。
――― お前って、優しさが中途半端なんだよ…。
今目の前で死にたいと泣き叫ぶを止めたいと心からそう思う。
同時に、もしこのままが死んだら俺はどうすんのかなって考えた。
どう思うんだろうって。
悲しむのかな、泣くのかな、とか。
そして俺がこの手を離してしまえばは ――――――
……ああ、これか。
俺のダメなところは、これなんだ。
目の前の事に必死になりきれず他の可能性を頭に思い描く。
で、差し出されている手を掴もうとしても直前のところで空を切る。
アイツの手も、そうやって俺の浮ついた考えのせいで掴んでやれなかった。
どこか実感が沸いてなかったから。
死ぬなんて、そんなこと、遠く離れた関係のない話だと思ってたから。
たまにふと、死ぬんじゃないかって思っても、やっぱりどこかしっくり来なくて、リアリティが欠けていた。
だから俺は、ここだってところでアイツの手を掴むタイミングを逃してしまってた。
「手ぇ放してよ! 私が死のうがアンタに何の関係もないでしょ!?
私は一人ぼっちだもん! 私が死んで悲しむ人なんてもういな」
「いるだろここに!!」
真っ直ぐ、真っ直ぐ目を見る。
怒ったようなブン太の表情にの表情が瞬時に強張る。
雨の音が一瞬、消えたような気がした。
――― 死んだんだって、朱音ちゃん。
「お前は一人なんかじゃねえよ! 俺よりももっとお前を救いたいって思ってる奴がいるだろ! アイツらがっ、
お前が死んだりしたら今走りまくってるアイツらはどうなんだよ! 悲しむんじゃねぇのか!? なあ、そうだろ!?」
――― 朱音を止められなかったこと、悔やんでんだ。 あの日から、ずっと…。
ブン太の頬を零れ落ちる涙が雨に混じる。
はグッと目を閉じ唇を噛み締めると、もう一度ブン太を見つめた。
すると溢れてくる涙を抑えることすらしないブン太の口が再び開く。
――― なあブン太、お前…本当はずっと、悔やんでるんだろ?
「アイツが死んで、ジャッカルが……俺が、ずっと苦しんできたように…今お前が死んだらアイツらだって、苦しむんじゃねぇのかよ!
俺はずっと、アイツが死んでも自分を正当化してきた! そうしないとどうしようもなくてっ、どうすりゃいいのかわかんなくて。
傷つきたくなくて、アイツがバカで全部悪いって、俺は関係ないってそう思ってた。 …だけどアイツが死んで、お前らと出会って、考えた。
もう一度笑って同じ時間を過ごす事も、助けてやれなくてごめんって謝る事も、もうアイツには何にもできねぇ、してやれねぇんだよ!
死んでからじゃ、もう遅いって…俺は一生助けてやれなかった事を悔やみながら生きていかなきゃなんないんだよ!!」
言い終わるとブン太はグッと歯を食いしばった。
「お前言ったよな、俺に。 負けないって。 アイツの分も背負う覚悟決めたって。」
眉間に寄った皺が深く刻まれる。
そんなブン太を目の当たりにしたの目が迷いを表すかのように左右にゆらゆらと揺れた。
曝け出されたブン太の心情。
アイツとは、死んだ立海のマネージャーの女の子のことだろう。
あの日、確かにの耳に届いた『生きて』という言葉。
だから思った、死にたくないって。
みんなの温かさを全身で感じたあの日、確かにそう思った。
生きて。
生きたい。
死にたくないもの。
生きたい、生きたいよ。
でも、これ以上はもう、生きられない。
刹那、の中で何かが弾け飛んだ気がした。
「っも、うるさい!!」
ナイフを持った手を力いっぱい自分に引き寄せる。
緩んでいたブン太の手から抜け出すことは思っていたより簡単で。
反対に、勢いよくブン太の手の平を切り裂いた。
「あっ、…――――」
ブン太の手から血が流れ落ちる。
ポタポタと地面に赤い染みを作っては黒い空から降り注ぐ雨がそれを滲ませ消していく。
切れた熱さと痛みで顔を歪め、もう片方の手を放して切れた方の手首を掴むブン太。
みるみるうちに顔色を真っ青に変えたは両手が解放されたにも関わらず震えながらじっと血が止まらないブン太の手を見つめていた。
そしての手から、力無くナイフが滑り落ちた。
スローモーションのようにゆっくりと落ちるナイフ。
ナイフが落ちる音と、複数の足音が僅かにの耳に届く。
「!」
「!!」
ビクッ、の肩が跳びはねる。
次々とこちらの棟に移っては駆け寄ってくる見慣れた姿に、はハッとして自分の手元に視線を落とす。
何も握っていない震えた手。
慌てて辺りを見回し、すぐ足元に目的の物が落ちていることに気がついた。
直ぐさまそれを拾おうとしゃがみ込もうとした、が。
ガシャンっ
「!」
バシッ
何も掴めなかった手の平と。
痛烈な痛みを感じる頬。
いきなりの事で頭が真っ白になったの目の前には
「何をやってるんだアンタは!!」
怒りに顔を歪めた日吉が立っていた。
が拾おうとしたはずの足元のナイフは、日吉が蹴り飛ばした事によりフェンスの真下に落ちていた。
赤くなったの頬。
一体どれほどの力で叩いたのか、赤くなった日吉の手の平を見ただけでも一目瞭然だった。
目の前で繰り広げられた出来事を瞬き一つせずにじっと見つめる
いまだ血が止まっていなかったブン太へと柳が静かに歩み寄る。
「血、止めるぞ。」
「……ん、ああ、悪ぃ。 頼む。」
真っ赤に、だけど雨のせいで滲んでいる手を柳へと差し出す。
しかし視線の先は依然、達へと向けられていた。
叩かれた頬を押さえることもせず呆然と目を見開いているに、日吉が治まらない怒りを露にして叫ぶ。
「アンタが死んでも悲しむ人なんていない!? アンタは独り!? いい加減にしろ!!」
「………っ、」
「アンタは守られてんだよ! 跡部さん…俺達全員から守られてんだ! だから、独りなんかじゃないだろ!!」
じんじん増す痛みと熱さが頬から胸へと移る。
とめどなく溢れ出る涙。
降り注ぐ雨。
それすらも気にならないくらい、日頃の彼からは想像できないほどの剣幕で日吉は叫び続ける。
「俺達だってどうすればいいのかなんてわからない! 誰が好き好んでアンタを突き放し続けなきゃならないんだ!
アンタを死なせる為じゃない! アンタを救う為だろ!!」
救う為。
その行為が正しかったのか、間違っていたのかなんてわからない。
だけど確かに目的はただ一つだった。
アイツから、を守ってやりたい。
これ以上傷つけたくなくて、救い出してやりたくて。
怒りに任せて叫びすぎた日吉は肩を揺らして息を整える。
そんな日吉の前に歩み出たのは泣き出しそうな、だけどじっとを見据える鳳だった。
「俺達が取った行動をわかってほしいなんて、思ってません。 だけど、」
ひと呼吸おく。
揺れる瞳から溢れ出た涙には目を見開いて鳳を見上げた。
「この現状から逃げ出そうとするのだけはやめてください!! 死のうなんて思わないでっ、どんな事があっても、生き抜いてくださいよ!!」
ズキンズキンズキンズキン。
半ば叫ぶように言った鳳の言葉に胸が痛む。
泣き顔を恥ずかしげもなく見せて真剣な表情でを見下ろす鳳。
見ないで、そんな目で、見ないでよ。
私はもう、何も失いたくないって、そう言ってるじゃない。
失う恐怖も、寂しさも、痛みも悲しみも。
何も感じたくない。
それとも、これも何かの罠なの?
また私に近づいて、離れて行こうとしてるの?
おかしいよね。
おかしいじゃない。
どうしてみんなここに来たのよ。
部活は、アイツはいいの?
ここに来て、アイツが黙ってるはずがないのに。
それに、来てないじゃない。
ここにいない人だって、どうしてるの?
いないじゃない。
彼がここに、跡部が、来てない。
笑える。
どうしてこんな事になってまで、
私はいまだに跡部に何かを期待しているのだろうか。
何を、期待してんのよ、私。
部外者って言われたくせに。
もう、関係ないって、そう言われたのに。
―――― もう、わけがわからない。
「!、ッ!!」
体を反転させてナイフが落ちているフェンスへと向かって走ろうとする。
宍戸の叫び声と共に掴まれる手。
再び抵抗しようと暴れ出すを逃がすまいと力強く押さえ付ける宍戸。
「や、放してっ放して!」
「やめろって言ってんだろうが! 大人しくしろよ!」
「ヤダ放して! 放せっ!」
「! ……ッ、おい、滝でも誰でもいいからあのナイフをどこかにやってくれ! じゃないとっ…、」
宍戸が振り返ってそう叫ぶと、滝は静かにナイフへと歩み寄った。
綺麗な指が水溜まりの中のナイフを救い取る。
それを見たは急に力が抜けたようにズルズルとその場にへたり込んだ。
「な、んで…死なせてよ! やだやだやだぁぁあ!」
何も言わずにナイフを握り、歩き出す滝。
宍戸に背後から押さえられたまま泣き崩れるの前で立ち止まると、ナイフの柄をに向けて差し出した。
突然の滝の行動に「え、」と声を漏らすブン太。
は涙と雨滴でくしゃくしゃになった顔を上げて差し出されたナイフを見つめた。
「だったら、死になよ。」
静かに、だけど雨音に掻き消される事なくハッキリと告げられた言葉。
だけでなく、周りにいた誰もが耳を疑った。
「そんなに死にたいなら、死になよ。 ほら、僕達が見ててあげるから、一人じゃないよ。」
雨の中、いつものようにニッコリと綺麗に微笑む滝を目を丸くして見上げる。
その背後での腕を掴んでしゃがみ込んでいる宍戸も目を強張らせた。
差し出したナイフを握る様子がないを見て、滝はだらりと垂れていたの手を掴んでギュッとナイフを握らせた。
「おい、滝…何を…、」
「死にたいんだって、。 こんなに僕達がの事で本気になって手を差し出してるのに、彼女はもう自分の手しか握る事ができないんだって。」
「滝、先輩…やめてくださいよ…冗談、」
「冗談なんかじゃないよ。 本人がこれほどまでに死にたいって言ってるんだ。 死なせてあげるのが賢明なんじゃない?
それに…どうせ死ぬなら、一人じゃなく、僕達が見てる中で死んだ方が、にとってもいいでしょ?」
ね、と同意を求められたはナイフを握らされた震える手にグッと力を入れる。
滝の冷たい瞳を見上げながら、そっとナイフを持った手を動かした。
が自分の意思で握った事を確認すると、滝も添えていたその手を放す。
宍戸はどうすることもできず、茫然とそんなの動きを見開いた目でじっと眺めた。
「っ……」
ブン太の声がする。
誰も何も言わない。
ただ、の手の動きだけをじっと固唾を飲む思いで見つめていた。
再び首に宛がわれたナイフ。
そこで一度手の動きは止まる。
ひんやりとした感触も、雨のせいで冷え切った体ではもう何も感じなかった。
涙で溢れた目を閉じる。
グッと奥歯を噛み締めて思い浮かべるのは、たった数十日間の自分たち。
――― ・・・ッアンタ最低!!!!!!
――― ふん、何とでも言え。それで許してもらえるんだから安いもんだろ?
金持ちで、俺様で、カリスマ性を持ったアイツにそっくりな彼が大嫌いで。
――― 私はアンタみたいな男が死ぬほど嫌いなんだよ!!!!跡部景吾!!!!!
関わりたくないと、中学最後の一年間は絶対に平凡に過ごしてやるんだって、ずっとそう思ってた。
――― そんなに俺が嫌いか?
――― ・・・・・・大、嫌い。
だけど思えば、彼はみんなに心から慕われていて。
――― ・・・・・・跡部はいい奴だからな。
――― 跡部傷つけたら、許さねえからな。
口悪くて、意地悪で、女の扱いなんてしてくれないし、相変わらずムカつく奴だったけど。
――― 人の中身もまともに知りもしねえで勝手に苦手意識作ってんじゃねえよ。
私の知らないところや気づかないところや、ここぞという時はいつも、
――― まあ、お前にはもう強い味方もいるみたいだしな。大丈夫だろう。
――― え?
――― 頑張れよ。
何かと助けてくれていた気がする。
――― マネージャー、お前は嫌がってたけど……続けろって言ったじゃん。
――― ヤダよ。 面倒くさい。
一体いつから私は、
――― アンタのことは、嫌いじゃないよ。
こんなにもみんなに守られていたんだろう。
「…ぅ、うわぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!」
手から滑り落ちたナイフ。
雨音に混じって無機質な音が微かに聞こえた。
両手で顔を覆い、狂ったように泣き叫ぶ。
そんなを抱きしめた滝の頬を、雨の滴とはまた違う、温かな涙が伝った。
「今日までよく頑張ったね、。 僕達がいるから、もう、大丈夫だからね。」
絞り出すように掠れたその声は、雨音に掻き消される事なくへと届いた。
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あとがき 2008.06.26
ずっと書きたかったこのシーン。
君モノもそろそろ終盤です。
制作ブログにまた解説書いておきます。