君が教えてくれたモノ
本当の戦いが今、幕を開ける。
擦れ違う思いと奪われた思いがメビウスのように交差して、
最後、残るモノとは一体何なんだろう。
チチチチチ…――――――
雀の鳴き声。
大きな欠伸を零し、閉じそうになる瞼を必死に持ち上げる。
どうして朝っぱらからこんなに眠い思いをして学校に向かわなくちゃならない。
昨日の夜に合宿から帰って来て次の日だってのにふざけんじゃないわよ。
何がミーティングだ。
正マネージャーじゃないんだから私抜きでだって十分成り立つんじゃないの?
それなのにあの男、朝早くからはた迷惑なモーニングコールなんか寄越しやがって。
何の嫌がらせで寝起きに跡部の声なんて聞かなきゃならないのか。
拷問にもほどがあるだろう。
一瞬マイ携帯を無意識で反対に折りかけたから。
やめてよね、私ん家電話繋がってないのに。
嫌な出来事が朝一番にあった為、早起きは三文の得だなんて諺は嘘だと思いながら路地を歩いていると、
私の隣にこの路地には似合わないベンツがピタリと並ぶ。
私が歩くスピードに合わせながらのろのろと走るベンツに嫌な予感が瞬時に過ぎると、
奴が乗っているだろう後部座席の窓がゆっくりと下りた。
「とろくせぇ、通行の邪魔だ。」
「…………、」
「おい、挨拶くらいしたらどうだ。 無視は気分が悪いぜ。」
挨拶くらいしたらどうだ?
そっくりそのまま返すぜ跡部景吾!
第一声がとろくせぇだあ?
ほっっんとうにアンタは人を不快にさせる天才だよ!
………でもまぁ、
――― 言っておくが俺様はお前のこと、嫌いじゃねえ。
確かに挨拶くらいなら………
「………おはようございマス、跡部サマ。」
「ああん? 気持ち悪いな。 鳥肌が立つ。」
しなきゃよかった。
人生最大の後悔だ。 汚点だ。
何このあしたのジョーみたいな敗北感。
「アンタ、朝から私の不快指数上げに来たの? こんなところベンツ乗り回してんじゃないわよ。 通行の大迷惑!」
「僻むなよ。 言われなくても俺様は部室に一番に着かなきゃならん身でな。
お前のように恥ずかしげもなくでけぇ欠伸をしながらのんびり歩いてられねぇんだ。」
「!?、ちょっ、いつから見てた!!」
私の質問には答えず、クソムカつく笑い声だけを残し、跡部の指を鳴らす合図と共に車は行ってしまった。
微量の排気ガスを全身に感じながら沸き上がる怒りにヒクつく顔を何とか元に戻そうと試みる。
ああ、朝から何の得もないわ。
むしろ気分は最悪。
こんなことなら携帯ぶっ壊してでもギリギリまで寝てやるんだった。
はあ、と朝から縁起でもない深い溜め息を吐いていると、
たったったっと身軽な足音が背後からやってきたと思えばバシッと背中に感じる痛み。
「おっはよ!」
「おはようさん、。」
「………向日岳人、忍足侑士。」
朝から元気な向日岳人が私を追い越し振り返る。
少し遅れて私を追い越した忍足侑士がそんな向日岳人の隣に並んだ。
「元気ねーな、何だよその陰気臭いの! こっちまでテンション下がるじゃんか。」
「文句なら跡部に言って。 私何も悪くない。 被害者です。」
「まあまあ、そない言わんと。 相変わらず、仲悪いねんなぁ自分ら。」
「ちょっと、そんな微笑ましい顔で言わないでくれる?」
忍足侑士の嫌な笑みに気分はさらに急下降。
あーあ、何これ。
この道ってみんなの通学路なわけ?
……明日から通るのやめようかな。
「つーか!」
「……何よ。」
何の用だ、さっさと行けという念を思いっきり込めた視線を向日岳人に向ける。
前方で跳ねるように軽々と歩いていた向日岳人は思い出したようにムッとした表情を浮かべて
振り返り、私のことを指差した。
「向日岳人って何だよ。」
「はあ?」
「俺ずっとずっと思ってたんだけど、フルネームとか酷くね? 岳人でいいし!」
「あ、それ俺も思ってた。 フルネームとか何か面倒やん。 侑士でええよ。」
じゃないともう返事かえさんで、と忍足侑士も肩越しに振り返り、口許に笑みを浮かべて言った。
「水臭いじゃん! マネージャーと部員って関係なのにすっげ距離感じるし。 なあ侑士。」
「そうやなぁ、せっかく同じ屋根の下合宿もしたっちゅうのにフルネームはないやろ。 ほな、、さっそく練習してみよか。」
「ちょ、な、そんな急に……ていうか、別に下の名前でなくても、」
「いいじゃん! 向日より岳人の方が呼びやすいし。 侑士だって忍足より全然良いって。 、呼んでミソ。」
ニシシ、と歯を見せて笑う向日岳人が頭の後ろで手を組んで後ろ向きに歩く。
危ないな、なんて思いながらも私の頭の中は今、どうすべきかという葛藤でいっぱいいっぱいだ。
ここで名前で呼んでしまえば、私はコイツらを受け入れてしまうことになる。
そうしたら、またあの恐怖が私を襲う。
嫌だ、怖い。
合宿中何度も何度も考えた事。
だけど、
「……岳人、……ゆう、し?」
少しだけ、踏み出してみたくなった。
跡部と、コイツらと関わって、少しだけ前を向いて歩きたくなった。
昨日までの出来事で、目に見えないほど少しずつだけど、
確実に私の中の何かが変わり始めている気がした。
「よく出来ました!」
ニッと笑った岳人と侑士が「ほな、先に行ってるで。」と言って
歩くペースを速め、前を向いて歩き出す。
やはり男の子。
本来のペースで歩くと姿はもう米粒のように小さくなって、次第にその背中は見えなくなってしまった。
「じゃあ僕も萩って呼んでもらおうかな。」
「ひゃあっ!」
二人が先に行ってしまって安心したのも束の間、
突如背後から聞こえた声に背筋が伸びる。
「おはようございます、先輩!」
「はよ、。」
「宍戸、鳳君!」
背後の人物が右に並び、反対の左側には眠そうに欠伸を零す宍戸と朝から爽やかな鳳君が歩いていた。
……やっぱりここ、みんな使用の通学路なのかな。
「おはよう、。 朝からお勤めご苦労様。」
「……おはよう、滝。」
「向日も忍足も、昨日まで合宿だったってのに元気だよな。 ちょっとは疲れとか感じねえのかアイツら。」
「単細胞だし、ないんじゃない?」
「た!?……そんなことないと思いますけど…。」
ばっさり言い切る滝に鳳君が苦笑いを零す。
確かに単細胞だよね、アイツら。
特に岳人の方。
「あー、マジ眠いな。 こりゃ授業なんてまともに聞いてらんねぇや。」
「そもそも朝っぱらからミーティングとか何するわけ? 放課後とかでも良かったんじゃないの? ていうか私欠席でもよくない?」
「え?」
再び欠伸を零す涙目の宍戸に何の気無しに疑問を尋ねると、
その向こうにいた鳳君が目を真ん丸くしてキョトンと私を見た。
「先輩、知らないんですか?」
「え、何を?」
「今からするミーティングの内容。 跡部さんから聞いてないんですか?」
「……聞いてないけど。 ミーティングするから部室に集まれとしか聞かされてないし。」
だって電話、10秒で切れたし。
あれだけけたたましく何度も鳴り響いていた着信音に比例しないくらい短い通話だったわ。
鳳君の言いたいことがわからず首を傾げる私を見て、滝がクスリと笑う。
「だったら部室についてからのお楽しみでいいじゃん。 ミーティングの主役はだからね。」
「え、……私? 何、え、なんで?」
「についてって言ったら、アレしかないでしょ。」
「わかんないよ、何? 気になるじゃん。 つーか何か怖い。」
「ははは、じゃあ早く部室においで。 先に待ってるから。」
「あ、こら、ちょっとっ………!!」
クスクスと意地悪な笑みを浮かべて滝は先ほどの岳人達と同じように歩くペースを速める。
それに続くように鳳君と宍戸も「んじゃお先。」なんて言いながらスピードを速めて歩いた。
段々と消えていく彼らの背を微妙な面持ちで眺めながら、
それでも追いかける気は起こらなくて、私は変わらず自分のペースで歩くことにした。
「……なんだ、アイツら。」
頭にいっぱいのクエスチョンマークを浮かべながら、彼らより何分も後に校門を潜る。
何処に向かうわけでもなく一直線に部室へ。
私についてのミーティングってなんだ。
合宿中何か問題でも起こしたっけ?
………数え切れないほど起こしたわ。
今から怒られるのかなとか、やっぱりお金はあげないって言われるのかとか、
思いつく限りの最悪の事態が頭の中を勝手にシュミレーションしてしまう。
やめて、やめてくれ。
お金だけは何が何でも下さい。
「あれ、誰もいない。」
憂鬱な気分のままドアを開けると、中にいると思ってた面子が誰一人いない。
おかしいな、確かに朝これでもかってくらいみんな私を追い越してったのに。
早起きしたあまり幻覚でも見たのかな、とありえもしない事を考えてみたけど
部室の床に散らばっているそれぞれの鞄を見る限り、彼らは一度部室へは来ているようだ。
電気も消えてガランとした部室を見渡すと、ホワイトボードに書かれた今日の日付とミーティング内容が目に入る。
「……っ、」
“、マネージャー存続について”
――― マネージャー、お前は嫌がってたけど……続けろって言ったじゃん。
ああ、これか。
怒られるわけでも、責められるわけでもない。
私がマネージャーを続けるか、続けないか、その話合いだったんだ。
それがわかると、何だか急に熱いモノが込み上げてきて、私の視界を覆った。
部室から出て戸を閉める。
一目散に校舎内へと駆け出し、自分の教室へと向かった。
(私、どうしたらいいのか……わかんないよ)
階段を駆け上がりながら何度も自分に問いただす。
あれほどはっきり嫌だと言い続けていたのに、
今同じ質問をされると断りきることができるのか、自分でもわからない。
もしかしたら先ほどのように、心を許して頷いてしまうかもしれない。
名前を呼ぶだけならまだいい。
もし、もし今以上の関係をアイツらと築いてしまったら………
前方から先生の話し声が聞こえる。
手の甲で乾いてきた涙を拭いながら俯き、廊下を大股で渡る。
誰かと話しながらこちらに向かって歩いてきている先生の声が段々と近くなって、
ふわっ ―――
「え?」
擦れ違い様に鼻を掠めた香水の香り。
足を止め、振り返る。
だけどそこにはもう誰もいなくて、
曲がり角の向こうから先生の話し声と階段を下りる足音だけが聞こえた。
「………、まさか、ね。」
ドク ドク ドク ドク ドク
煩い心臓の音に押し潰されそうになりながらも、
何とか教室まで辿り着き、自分の席に突っ伏す。
そういえば、どうして誰も部室にいなかったのだろう。
ホワイトボードを見て部室出てきちゃったけど、今の時間じゃミーティングは始まったのだろうか。
私の話だけど、結局私抜きでもミーティングやっちゃうのかな。
まあ滝が帰ってきたら話でも聞こう。
なんてことを考えながら朝のHRが始まるまで少しの間、夢の世界へと旅立った。
ザワザワと騒がしい教室の音にハッとして目を覚ます。
辺りに鳴り響くチャイムの音。
セーフ、ギリギリ目が覚めたってわけか。
もうほぼ席が埋まった教室を一度見渡し、寝惚けた目を擦りながら時計を見上げていると、
前方のドアがガラっと開いて滝が教室に入ってきた。
(………滝?)
滝は教室に入ってくるなり誰とも目も合わさず、さっさと自分の席へと着く。
俯き加減でどこか表情が暗い。
どうしたんだろう。
妙な胸騒ぎを抱きながら、次に再び教室のドアが開く音で意識はそちらへと移る。
担任の先生が教卓までやって来て大きな声で挨拶をした。
「時期的にはちょっとアレだが、今日は転校生を紹介する。 入って来い。」
先生の声に生徒達はザワザワと口々に話し始める。
先生がドアの方へ呼びかけると、教室の中へ一人の男子生徒が姿を現した。
「棟田、秋乃君だ。 仲良くな。」
どっくん
どっくん
どっくん
――― え?
「席は、ちょうど空いたところがあるから、滝の隣に座れ。」
バッと振り返る。
おかしい、私より二つ後ろで三つ向こうの列の席が空席になっている。
私が合宿へ行く前はそんなことなかった。
全席がクラスメートで埋め尽くされていて、空席なんてなかったはず。
鳴り止まない心臓の音を必死で抑えて、手に汗を握る。
用を終えた先生は教室から出て行き、
それを確認したアイツは滝の列へ行かず、私の列へ向かって歩き出した。
「ねえ、転校生かっこよくない?」
「美形だよ美形! やだ、跡部様と雰囲気似てない?」
「テニスバッグ持ってるよ、テニス部入るのかな!?」
「私、ファンクラブ作っちゃおっかなー!」
口々に女子の黄色い声が耳に届く。
私の心臓の音と、近付いてくるアイツの足音が頭の中でごっちゃになって、息が止まる。
カツンッ
足音が止まる。
ビクッと肩が振るえ、机の下で握り締めていた手にさらに力が入る。
恐る恐る顔を上げると、そこには予想通りアイツが私のことを見下ろしていた。
「久しぶりだな、。」
見開く目。
アイツの歪んだ口許が嬉しそうにつり上がる。
「合宿、楽しかった?」
男子の好奇の視線や、女子の嫉妬にも似た視線が体中に突き刺さる。
だけどそんな視線が気にならないほど、コイツの目が私の目を捕らえて離さない。
逸らすことさえできないほど、私の体は硬直しきっていた。
「の合宿中にさー、氷帝にもちょうど転校した子がいたらしくて、助かったよ。 しかもこのクラス。
俺絶対と同じクラスが良かったから、もし入れなかったらどうしようかと思って心配だったんだぜー。」
ニッコリ笑ってアイツは振り返る。
その先には次の授業で使う教科書を読む滝がいて、
先ほどアイツの席だと紹介された滝の隣の席が視界に入った。
私が合宿へ行く前、あの席には誰が座っていたっけ。
滝の隣の席だ、覚えていないはずがない。
だって私はよくお昼休みに滝の席に座ってお弁当を食べた記憶がある。
そんなことを考えていると突如、体中の血液が逆流するような感覚に襲われた。
――― 私、大好きだよ、のこと、大好き。
――― バイバイ、。
あそこの席は、小百合の席だ。
ガタンッ
私の頭がそう認識すると、無意識に机に手を突いて席から立ち上がっていた。
込み上げてくるのは、怒りと憎悪。
殺意にも似た視線をアイツに向けると、アイツは嬉しそうに笑みを浮かべて私を見つめた。
「……さ、ゆりに……何をした。」
「はあ、何の話? 転校初日の俺が知ってるワケねえじゃん?」
「……小百合に何をしたのよアンタ!!!!」
涙を目にいっぱい溜めて、それでも堪えることができなかった怒りをぶつける。
水を打ったように静かになった教室で、クラスメートは突然のことに驚き隠せない表情を見せていたけど、
滝だけは我関さずで教科書を眺めていた。
恨み篭った目で睨みつける私を目の当たりにしても、アイツはフッと口許に笑みを浮かべて
「学習能力がないなーは。 もう、わかってるだろ?」
耳元でそう囁くように、だけど確実に私を嘲笑ってアイツは自分の席に向かって歩き出した。
茫然と立ち尽くす私に向けられるのは、クラスメートの好奇の視線。
再びざわめき出す教室に一限目の先生が入ってくる。
やるせない気持ちと、沸き起こる憎悪が私の全身の力を全て奪って、
力尽きた私はすとんと椅子に腰を下ろす。
大切なモノほど、失いたくないモノほど、
手に入れた瞬間にすり抜けていく。
だったら、初めから何もない方が、幸せだったんじゃないだろうか。
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あとがき 2008.05.08
友情喪失編、スタートです。
ジローとヒヨヒヨ出てこなかったなー…。