君が教えてくれたモノ

 

 

 

何となく、わかっていた気がする。

もうそこまで来ているんだと。

迫ってきていた足音が、私の背後でピタリととまった。

 

 

 

 

 

。」

 

 

 

 

 

呼ばれて顔を上げるとそこにはティーカップを片手に持った蓮二が立っていた。

ちょこちょこ選手が顔を出す食堂は、夜だけど全ての電気が点いていて明るい。

蓮二は私の前に持っていたカップを置くと、私の隣に腰をおろした。

 

 

牛乳?

湯気が出てるしホットミルクかな?

 

 

 

 

 

「飲め。 少しだけ蜂蜜を入れてもらっている。」

「……ありがと。」

「冷めないうちに飲んだ方がいい。 落ち着くぞ。」

 

 

 

 

 

考え事をして少しだけ気が立っていた私。

差し出された甘い香りのホットミルクが入ったカップを言われたとおり口へと運ぶ。

どうやらこのミルクは食堂のおばさんか誰かに作ってもらったモノなんだろう。

あー、あったかーい。

 

 

 

 

 

「随分と表情が出てきたみたいだな。」

「え?」

「出会った頃はまるで、魂の抜け殻のようだったぞ。 それがここ数日見ているだけでも、以前と比べてずいぶん

いろんな表情をするようになったみたいで、少し安心した。」

「……そう? 自分では、よくわかんないけど…」

 

 

 

 

 

蓮二と出会った時は本当に死にたくて、もうどうしようもないくらい追い詰められてた時だった。

最近はアイツから逃れることが出来ていたこともあり、それほどまで追い詰められた感はない。

それでも時折覗かせるアイツの存在が、私を恐怖のどん底に突き落としていく。

 

 

 

 

 

「蓮二ってさ、一体何考えてるのかよくわかんないよね。」

「俺か? ……まあ時折、赤也なんかに似たようなことを言われなくもないが。」

「どうしてあの日、私に声をかけたの?」

 

 

 

 

 

手の中のカップを左右に傾けながら、まだ中に入っているミルクを零さないように遊ぶ。

蓮二は少しだけ黙り込むと、ひと息おいて机の上で手を組んだ。

 

 

 

 

 

「じゃあ聞くが、何故あの日、お前はあそこにいたんだ。」

 

 

 

 

 

私の目がスッと大きく開く。

質問を逆に質問で返された。

まるでこの場の空気がなくなってしまったように息が詰まる。

 

 

 

 

 

「……死のうと、思ったからだよ。」

 

 

 

 

 

そうだ、初めて蓮二と会った日。

わざわざ神奈川にまで行って、全く知らない土地で、私は命を絶とうとしていた。

 

 

あの日全てに疲れ果て、自分を見失いかけていた私に

偶然通りすがった蓮二が声をかけなければ、私は今ここにはいない。

自ら命を絶って、あの日に全ての人生を終えていたことだろう。

 

 

 

 

 

「やはりな、そんな気がしていた。 お前はあの時否定したが、俺の中でずっと引っかかっていた。」

「あの時私を見下ろした蓮二の目が、物凄く蔑んだ目をしてたの覚えてるよ。

死のうと思ったのはホント。 でも、蓮二に聞かれて、死ぬ気がなくなったのもホント。

今はすっごくあの時蓮二と出会ったことに感謝してるの。 死ななくてよかったって、思ってるから。」

 

 

 

 

 

私がそう言って蓮二に微笑むと、蓮二も口許をフッと緩めて笑った。

最後の一口だったミルクを飲み干すと空になったカップをテーブルの上に置く。

 

 

 

 

 

「逃げたかったのかもしれないな。 自分の弱さから。」

「…え? 何の話?」

「あの日、お前に話しかけたのは、きっと自分の責任から逃れたかったからだろう。」

 

 

 

 

 

蓮二は落ち着いた様子で淡々と先ほど私がした質問の答えを口にする。

時計の針が動く音しかしないこの食堂では、そんな蓮二の声ははっきりと耳に届く。

お互い目も合わさず前だけを見ての会話は、傍から見たらかなり滑稽だろうな。

 

 

 

 

 

「俺も所詮は、丸井と同じだったと言うわけだ。」

「?、ごめん、話が見えない…。」

「フッ、知らない方がいい。 人は時として、知らぬが仏とも言うだろう?」

「何じゃそれ…。 答えになってないじゃんか。」

 

 

 

 

 

私がブツクサ文句を呟いていると、蓮二は得意げに笑みを浮かべて

 

 

 

 

 

「丸井と違うところと言えば、俺は初めから弱い人間に手を差し伸べるほど、優しい男ではないということだな。」

「…ますますワケがわからない。 もっと直球に物言ってくれなきゃ私みたいな馬鹿には伝わらないよ。」

「自分が嫌な思いをしないためにも、必ず勝算がわかっていなきゃ問題事にも首を突っ込んだりはしない。」

 

 

 

 

 

私のわからない内容をぺらぺら話し続ける蓮二を恨めしく睨み上げながら

ふと、窓の外に目を向ける。

 

 

あ、雨降り出してる。

今日の夜も雨なんだ。

 

 

 

 

「俺はあの日お前に差し伸べた手を、朱音には差し伸べなかった。」

 

 

 

 

 

それだけを言うと、蓮二は立ち上がり、私に背を向けた。

ぽつぽつと窓にぶち当たる雨の音が時計の針の音に混ざっている。

こりゃ明日、外の土は相当ぬかるんでるんだろうな、とそんな場違いな考えがぼんやりと頭を過ぎった。

 

 

 

 

 

「本当は丸井よりも誰よりも、ズルイ人間なのかもしれないな。」

「……よくわかんないけど、いいんじゃない? あの日私に声をかけたことが蓮二が自分の為でしたことであっても、

そうしたことで私が死ぬ事を考えなくなったのは紛れも無く蓮二のおかげなんだし、結果オーライじゃん。 気にすることないよ。」

「冷たい人間だとは、思わないのか? 可能性を秘めた人間は助け、死ぬかもしれない弱い人間を助けない俺を。」

「そりゃ私が蓮二の立場なら、手を差し伸べたかもしれないけど。 でも、人それぞれだよ。

全員が全員助ける人間なら、この世は成り立たないんじゃないかな。 だって、そもそもそんないい人間ばかりなら

初めから虐めなんて起こらないし。 蓮二がそうやってそれを自分で理解してるなら、それだけで十分だよ。」

 

 

 

 

 

私がそうやってニッコリ笑って言うと、蓮二は安心したように息を吐いて「そうか」と呟いた。

窓の外では本格的に雨が降り始めている。

本当に私には山の天候は理解できないや。

 

 

 

 

 

「携帯、鳴ってるぞ。」

「あ、マジか。」

 

 

 

 

 

ポケットに入れていた携帯がブーブーとマナーと一緒に鳴っている。

私がそれを取り出すとサブディスプレイには着信の表示が出ていたので、

蓮二はお先に失礼すると言って食堂を出て行った。

その背中を確認して、いまだ鳴り続ける携帯を開いて表示を見る。

“非通知”になっていたが、仕方無しに出てみることにした。

 

 

 

 

 

「はい、もしもし?」

 

 

 

 

 

電話の向こうは無言。

非通知だったから悪戯電話かなと思い、携帯を耳から離そうとした、その時だった。

 

 

 

 

 

『ッ!』

 

 

 

 

 

懐かしい友人の声がした。

 

 

 

 

 

「さ、ゆり?」

『…、あの、あのね!』

「小百合、久しぶり…。」

『あ、うん! 久しぶり…!』

 

 

 

 

 

思わぬ相手からの電話に戸惑ってしまう。

どうして、なんで…小百合から?

思えばあの日から一度も話していない気がする。

時折視線は感じていたけど。

 

 

 

 

 

「どうしたの、急に。 学校は、順調? 虐められたりしてない?」

『うん、大丈夫…。 ただ、やっぱりを悪く言う人達と一緒にいるのは苦痛だから、私はずっと一人で行動してるよ。』

「バカ。 私のことなんて気にしなくていいのに。」

『そんなこと言ったって無理だよ! は私の大切な友達だって、そう思ってるから。』

「…ありがとう。」

 

 

 

 

 

なんだろ。

目頭が熱くなってくる。

喉の奥もすごく熱い。

こんなこと言ってくれる友達なんて、この先そういないだろうな。

 

 

 

 

 

『それでね、私、どうしてもと話したいことがあって…電話したの。』

「話したいこと?」

『そう、どうしても今日、と話がしたくて…』

 

 

 

 

 

小百合の声が始終震えている。

ちょっとそれが気になったけど、今はその話とやらの方が気になって私は話を促した。

 

 

 

 

 

『…ごめんね。 私、はずっと友達だと思ってるから。』

 

 

 

 

 

涙ぐんだ小百合の声が電話越しに機械音となって耳に届く。

鼻をすする音がちょっとだけリアルだけど。

だけど、なんだかすごく心が温かくなった。

 

 

 

 

 

「私も、小百合はずっと友達だよ。」

 

 

 

 

 

嘘じゃない。

だって小百合は氷帝に入った頃から私をずっと支えて来てくれた、大切な友達だ。

だからこそあの時小百合を私から遠ざけた。

一人になることを自ら選んだんだから。

 

 

 

 

 

『ありがとう、それ聞いて、安心した。』

「うん、私も。 小百合に友達って言ってもらえて嬉しかったよ。」

『私も! あ、あのね。 これだけは忘れないでほしいの。』

「何?」

『私、大好きだよ、のこと、大好き。』

 

 

 

 

 

頬に温かな何かが伝う。

こんなにも真っ直ぐに大好きだと好意を伝えてもらったのはいつ振りだろうか。

いや、もしかしたら初めてかもしれない。

物心がついた時には既にそんな環境ではなかった。

親からも、周りからも“好き”なんて言葉伝えてもらえなかった。

久しぶりに心に芽生えた温かな感情に、溢れ出した涙は止まることを知らない。

やば、鼻まで出て来たよ。

 

 

 

 

 

『今までたくさん頑張ったね、。』

「……っ、うん。」

『たぶん、ううん、絶対この先には驚くほど大変なことがいっぱいあると思う。

だけど、負けないで。 私はいつでもの味方だからっ! それだけは絶対に忘れないでね!』

 

 

 

 

 

私が噛み締めるようにうんと返事を返すと小百合はありがとうと呟いてひと呼吸おいた。

 

 

 

 

 

『バイバイ、。』

 

 

 

 

 

透き通るような優しい声。

小百合からの電話が切れる。

何だか私は先に切られてしまった電話を終わらせることが出来ず、

しばらくの間ずっと携帯を握りしめたまま次々に溢れ出す涙を拭うこともせずに流し続けた。

 

 

 

 

 

「……、さゆり?」

 

 

 

 

 

オブラートに包まれたような先ほどの会話がもう一度頭を掠める。

刹那、ハッとして窓の外に視線を向ける。

 

 

 

 

 

「……まさか、ね。」

 

 

 

 

 

妙な胸騒ぎ。

止まっていた背後の足音が、再び鳴り始めるのはいったいいつのことなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃせーれーつ!」

 

 

 

 

 

気の抜けた向日の号令がかかる。

みんな自分の荷物を肩から担いでだらだらと並び始める。

各校の部長副部長はいまだ宿舎。

だからか、何故アイツが仕切ってる。

 

 

 

 

 

「目、腫れてるよ。」

 

 

 

 

 

クスッと笑って隣を並んだ不二君が私の顔を覗き込む。

 

 

 

 

 

「あんまり見ないでよ。 恥ずかしい…」

「どうして、可愛いよ?」

「だあああ! 可愛いなんて女の子にさらりと言うものじゃありません!」

「えー。」

「えーじゃありませんよ! そんなにこやかに首を傾げない!」

 

 

 

 

 

私の反応にさらに気分をよくした不二君を整列せずに宿舎のドア付近に立っていた乾君(だっけ?)が呼んだ。

すると不二君は「ごめんね」と軽く謝って私のもとを去って行った。

そーいや乾君や河村君達、とくに青学の部員とはあまり関わらなかったな。

残念だ。

 

 

 

 

 

ちゃん。 跡部がね、全部屋の鍵を返して来てって。」

「えーそういうことは早く言ってよ。 もう靴履き変えちゃったよ。」

 

 

 

 

 

宿舎のおばさんに鍵返すっつったらスリッパに履き変えなきゃなんないんだよね。

あー面倒!

ジローは容赦なく鍵の束を渋る私の手の平にのせた。

 

 

 

 

 

「……なに、ジロー。」

 

 

 

 

 

じぃ〜っと私の顔を見てくるジローから逃れるように視線を泳がせてみる。

何、なによ!

私の顔に今朝食べた握り飯の粒でもついてますか!?

 

 

 

 

 

「スキありッ!」

「ぎゃあ!」

 

 

 

 

 

ナニッ!?

 

 

 

 

 

「ちょ、やめんか! 何だお前は! 放してよ!」

ちゃん昨日俺に黙って肝試ししたんでしょ! ね、したんでしょ!?

「黙ってってジローも誘ったけど寝てたって向日が言ってたけど!」

「なんで起こしてくれなかったのー!? 俺今日の朝聞いてショックだったCー!!」

 

 

 

 

 

知るか!!

 

そう叫んで私に前方から抱きついているジローを思いっきり引っぺがしてやりたかったけど

さすがは男の子。

テニス部正レギュラーなだけありますとも。

 

くそっ何て力ッ……!!

 

 

 

 

 

「いい加減にしてください、芥川さん。」

ぐえっちょ、日吉君っ、それじゃ私の首が絞ま……!」

「ちょっと日吉! ジロー先輩は先輩の首にしがみ付いてるんだから引っ張ったら先輩の首が絞まっちゃうって!」

「じゃなくてもう絞まっとるがな。 顔青いで、

「暢気なこと言ってないで助けてやれよ忍足! マジで白目剥きかけてるじゃねぇか!」

「宍戸さんっ、そっちからジロー先輩の腕引き剥がしてください!」

「つーかジローその体勢で寝るなコラ!」

 

 

 

 

 

結局もう少しで危うく逝ってしまうところだった私をあれだけいた氷帝のみんなではなく、

青学の河村君と桃城君、立海の柳生君とジャッカル君が力ずくで助けてくれた(らしい)。

あれだけの人数がいて、一体何故なんだ氷帝レギュラー達よ!

 

 

後からこっそり菊丸君に聞けば、「よくわかんないけど内乱が起こってたよ。」って言ってた。

仲間同士で争ってどうすんだよお前ら!

何かの戦争なんかになったら自爆するタイプでしょ絶対。

 

 

 

 

 

「よかったな、。 無事で。」

「役立たず! もう少しで死ぬところだったんだから!」

「まあそない言わんと、さっさと鍵返しといでや。 早よせな跡部帰ってくんで。」

「ぐっ、行ってくる…。」

「よしよしええ子や。」

 

 

 

 

 

何だか上手く言い包められた気がしなくもないが、

忍足の言ってることも正論なので渋々鍵を返しにロビーへと向かう。

その途中、ちらりと横目で整列している彼らを見ると、

立海の列でボーっと虚ろな瞳で何処か遠くを眺めている仁王君の姿が目に入った。

 

 

もう熱は大丈夫なのだろうか。

私はさすがに日頃からの鍛えがあるからか、もうピンピンしている。

風邪にめっぽう強いのよ、私。

それに比べて仁王君は一度倒れたら長引きそうな体質っぽいわね。

 

 

 

 

 

「おや、あそこにいるのは…」

 

 

 

 

 

ロビーに入り、そこのソファーで荷物も持たずにじっと下を向き、蹲るようにして座っている少年の姿が今度は目に入る。

何、してるんだろ。

 

 

 

 

 

「そんなところで蹲って、お腹でも痛いの?」

「痛くない。」

「じゃあお腹空いてるの?」

「…空いてない。」

 

 

 

 

 

いつかも似たような会話したっけな、なんて思いながら目の前の少年、リョーマに問いかける。

リョーマは無愛想というよりは疲れきった感じに相変わらずなトーンで淡々と答える。

はあと深く溜め息を吐かれ、私はどうしたもんか、と困った顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

「ねえ、」

「何よ。」

「ちょっと屈んで。」

「は?」

「いいからストップって言うまで屈んで。」

 

 

 

 

 

いきなり顔を上げたかと思うと、意味のわからないことを言う子だ本当に。

だけど嫌だと言う理由も無ければ、言ったとしても彼ならそれすら聞かずに無理矢理にでもやらせそうだと思い、

どうせやらされるなら時間の無駄だし素直に言うことを聞こうと私は屈み始める。

まだかまだかってくらいまで屈まされ、ちょうどリョーマの顔より少し高めの位置に来たとき、

漸くリョーマは「ストップ」をかけた。

 

 

 

 

 

「120円分のお返しね。」

「はい?」

 

 

 

 

 

私の眉間に皺が寄ったと同時に

ぐいっと胸元に垂れ下がっていたフードの紐ごと服を引っ張られ、

リョーマの顔が目の前に来たかと思った瞬間

 

 

 

 

 

「ご馳走様。」

 

 

 

 

 

唇をダイレクトに奪われた。

 

 

 

 

 

「あ、でも詳しく言えば119円かな。」

「……なななななな、なに言って!? はあ!? なに!?

「ちょっと、うるさいんだけど。」

 

 

 

 

 

怒られた。

 

何故私が怒られるのかまったくもってわからんが、

とりあえずリョーマとのキスは安いとか(何てったって120円?いや、119円か?)、

119円て何とか、お返しって何がとか、

もう疑問はいっぱいあるわけで。

 

 

でもリョーマは妙に満足げに口許に笑みを浮かべながら、

 

 

 

 

 

「今回、俺、アンタの役に立てたかわかんないけど……お釣りはいらないや。」

「……は、お釣り?」

「合宿で俺がアンタの傍にいた分と今のキスで十分でしょ。 ま、長いこと時間経ってたことだし、利子ってことでチャラね。」

「ちょ、自己完結!? 私も会話の中に入れてよ! お金の話なら私抜きなんて許さないわよ!

「……ま、現金で返して欲しいって言うのなら、また青学にでも会いに来てよ。」

「だから何! 現金!?」

「理由、思い出せないなら、それもその時に教えてあげなくもないよ。 じゃあね、。 bye。」

 

 

 

 

 

最後だけ妙に発音の良い別れの挨拶だったな。

なんて思いながら呆気にとられてキザにも片手を振り去っていくリョーマの背中を見つめ続けた。

………マジっすか。

 

 

 

 

 

「ほう、そういうことかよ。」

 

 

 

 

 

背筋に嫌な汗が伝う。

このお声はまさか…

 

 

 

 

 

「朝食の時に頼んでおいたはずの鍵がまだ返却されてないって言うから何をしているかと思えば」

「あ、跡部…」

「そういうことか、アーン?」

 

 

 

 

 

振り返ると、跡部。

その後ろには跡部と自分の分、つまりは二人分の荷物を肩に担いだ樺地君が無表情で立っていた。

 

 

ていうか、朝食の時に頼んだ?

鍵渡されたの、ついさっきなんですけど…。

朝食ってつい一時間半くらい前の話ですよね。

そっからみんなロビーに荷物置いておいて部長副部長会議が終わるまで各自自由行動だったけど。

あれ可笑しいな。

悪いのって私なのかな。

 

 

 

 

 

「で、鍵はどうした。」

「あるよ、さっきジローに貰った。 てゆうか、何でジローに頼んだのさ。

「近くにいたからに決まってんだろうが。 忙しかったんだよ、いろいろとな。」

 

 

 

 

 

思いっきり顔を顰めて舌打ちを鳴らす跡部。

いろいろって、って聞きたかったけど、聞いても良いものかわからなかったのであえて黙っておくことにした。

 

 

 

 

 

「今回の合宿、散々だったしな。 そのことで立海からの謝罪なんかでも時間を食らったし、わかるだろ。」

「…っむ、それは私に対する当てつけか。」

「そうは言ってねえよ。 被害妄想。

「うっさいな! 私だって私なりに今回のことは責任感じてんのよ!」

「あ?」

 

 

 

 

 

ふんと鼻を鳴らして視線を落とす。

だって、そうじゃない。

本当はテニスをしに高いお金を払ってまで合宿に来ているみんなを、

私が原因で全く関係のないことに巻き込んでしまった事。

平気でいられるほど、私は神経図太くないし。

 

 

 

 

 

「ハッ、そう思うんだったらこれから先、マネージメント能力をテニス部の為に少しでも身につけるこったな。」

 

 

 

 

 

お前のマネージメント、細かく器用だが、とろくせぇんだよ。

と、何とも今更で腸が煮え返るほどムカつく台詞を吐いて

指を鳴らした跡部は樺地君に「行くぞ樺地」と言ってロビーを出て行こうとした。

 

 

ずっとその背中を追っていると、途中、跡部はドアの前で立ち止まった。

樺地君がドアを開けているのを待っているようだ。

(自分で開けろよこれだからボンボンは。)

そして跡部は振り返りもせずに

 

 

 

 

 

「言っておくが俺様はお前のこと、嫌いじゃねえ。」

 

 

 

 

 

そう言って今度こそロビーを出て行った。

一人取り残された私はああ鍵返さなきゃと思いながらも、何故かそれが出来なくて、

昨日の電話越しに言われた友達、小百合の台詞を思い浮かべていた。

 

 

 

 

 

―― 大好きだよ

 

 

 

 

 

ああ、もう戻れない。

私はずっと踏み込まないようにしていたはずの境界線を、

いつの間にか、アイツらのせいで気づかないうちに踏み込んでしまっていたんだ。

 

 

大切なモノ、失いたくないから作らない。

もう傷つきたくなんてないから、二度と誰かに手を伸ばしたりしないって心に誓ったのに。

 

 

どうして誰も私を放っておいてはくれなかったのか。

どうして誰もが私の閉ざした心に土足で踏み込もうとしてくるのか。

どうしてみんな、こんな私に懲りずに手を差し伸べてくれるのか。

 

 

 

 

 

「怖い、怖いのに…っ…」

 

 

 

 

 

失う日が、伸ばしていた手を振り払われる日が来ると思うと、怖くてどうしようもない。

ここ数日間、ずっと心に蟠りとして残っていた不安がここに来て急速にスピードを上げて迫って来る。

 

 

怖いよ、怖いの。

助けて欲しいけど、その手を伸ばすことを躊躇ってしまう。

だって、その伸ばした手こそが、また私の恐怖へと繋がってしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日から、ゲームは終盤を迎えます。」

 

 

 

 

 

キュッキュッ

マジックが紙を滑る音。

 

 

日めくりカレンダーにまた一つ、大きなバツ印が生まれる。

 

 

 

 

 

「早く帰っておいで、。 ゲームには制限時間って、付き物でしょ。」

 

 

 

 

 

部屋の明かりは消えたまま。

床に散らばる無数の紙。

 

 

冷え切った部屋で、虚ろな瞳を持った彼の手には

 

 

 

 

 

「跡部、景吾。 コイツも初めから、ゲームの駒だったよな。」

 

 

 

 

 

―― どんなに足掻いても、報われることなんてないんだよ。

    人生の最終地点はもう、決まってるものから。

 

 

 

 

 

マジックで大きくクロスした印が書かれた写真。

そこに映るテニスをして余裕綽々の笑みを浮かべた跡部景吾。

それを彼はくしゃっと握り締め、恨めしそうに窓の外を見つめた。

 

 

 

 

 

「忠告してやったのに、馬鹿な奴。 あの頃は、死んだ目してたくせに。」

 

 

 

 

 

もう一方の手が新たな写真を握り締める。

どうやって、誰が撮ったのかもわからない、とテニスコートでいがみ合う姿をフェンス越しに撮られた写真。

手にはボトルが握られていて、跡部はに怒鳴っているようだ。

 

 

 

 

 

「何処の誰だか知らないけど、俺のゲームを邪魔する奴は許さない。」

 

 

 

 

 

フッと口許に笑みを浮かべ、机の上に並べてあった写真を全てぶちまける。

ひらひらと床へ落ちていった全ての写真に同じくバツの印。

そこには寝顔の慈郎や、水爆で遊んでいる向日や忍足の姿もある。

 

 

 

 

 

「萩、お前を俺から奪ったも、跡部景吾にいらないことを吹き込んだ馬鹿も、」

 

 

 

 

 

を俺から奪おうとしている邪魔者みんな、今はまだ笑ってるけど、これから見るのは、地獄だから。」

 

 

 

 

 

気が狂ったような高らかな笑い声が、

大きな屋敷の一角で響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと おまけ

 

 

「はい、アンタには一円。」

「……は?」

 

 

ロビーから出て、ポケットから取り出した一円玉を滝に向かって放り投げるリョーマ。

列の先頭に並んでいた滝は目を見開いてその一円を慌ててキャッチした。

 

 

「まだまだだね。」

 

 

手の平に乗せられた一円玉を見て、滝は少しだけ笑う。

 

 

「ふーん、やるねー。」

 

 

滝の独り言はもちろん誰にも聞こえてはいない。

背を向け青学の列に向かったリョーマの口許にも笑みが浮かぶ。

 

 

『一円を笑う者は一円に泣く破目になりますよ!』

 

 

あの日の少女を共に思い浮かべながら、二人の少年は空を見上げた。

これはまた、ちょっとした別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき 2008.04.04

合宿編はこれにておしまい。長いことお付き合いいただきありがとうございました。

次からは本連載のメインとも言える、大乱闘です。笑

みなさんも予想できていたことでしょうが、ここからがついに待ってましたの宿敵登場。

青学は正直この先出てくるかは気分次第で、特に何の役割りもありませんが、

立海は最後の方にまた出演していただきます。と言ってもその中でもメインは仁王さんなので

出てくるとしたら仁王や幸村あたりかと…。まだ未定です。

 

この先、話の発展上、氷帝の彼らとかなりなギクシャクシーンがあります。

それはもう、ある意味「嫌われ」ているかのように。(実はこれ、もとは嫌われ連載だったのだけどね。笑

ですからそんなの嫌!って方は心して読んだ方がいいかもです。ここまで読んどいて読むな、とは言えないんで。

まああまり言ってしまっては読んでも面白くないと思うのでこの辺で話は終えておこうかと思います。

それでは、引き続き「君モノ」をお楽しみに。