君が教えてくれたモノ
『ねぇ、』
振り返ると綺麗な顔をしたクラスメートが立っていた。
申し訳ないけど一年生になったばかりでクラス全員の名前はまだ覚えていない。
だから、私は首を傾げて返事を返した。
『何? えっと…』
『滝、萩乃介。』
滝萩乃介と名乗った彼は一瞬だけ切なそうな表情を見せた。
だけどすぐにニコリと笑って
『さん、日直だよ。』
と言って白いチョークで埋め尽くされた黒板を指差した。
助かったことは助かったけどそんなことをわざわざ?
私は少し戸惑いながらも『ありがとう』と言って黒板を消しに向かった。
その背中を見つめながら滝萩乃介が何か呟いたとも知らずに。
『やっぱり覚えて、ないか。』
彼の自嘲にも似た笑みは誰の目に留まる事なく小さく乾いた音を立てて消え去った。
「この先にある小屋で引き返せばいいんだっけ?」
突然振り返って向日に問う。
一瞬ビクッて肩を跳ね上がらせながらも向日は頷いた。
「そうそうこの先にボロッボロの古びた小屋があるから……あ、」
「どうした?」
目を見開いて話すのをやめた向日の顔を丸井君が覗き込む。
何だか顔が薄ら青い気がする。
「すれ違わない、ね。」
不二君がポソリと呟く。
漸くそこで全員があ、と口を開いた。
そうだ、すれ違わないんだ。
本来なら一番最初に出発した桃城君達とすれ違っても可笑しくない。
彼等は時間的にも既に小屋に着いてUターンしているはずなのだから。
なのに誰ひとりとしてすれ違わない。
「道間違えた?」
「まさか、一本道だろぃ。」
「いや、もしかしたらわかりずれぇところに分かれ道があったのかもよ。」
「他のみんなはそっちへ行っちゃったって? ありえないでしょ、そんなこと。」
何でわかりやすい一本道を通らずにわざわざ分かりづらい道を両チーム共選んだんだっつーの。
可笑しすぎると、少しずつ慌てふためきだした私達。
さっきから黙っていた不二君が考える素振りを見せて向日に尋ねた。
「ねえ、ここ有名な心霊スポットなんでしょ? どんな話があるの?」
「え…あーそうだな。 いろいろあるけど特に多いのは誰もいないはずなのに人影が見えたり足音がついて来たり、
カメラのシャッターが下りなかったり…万が一下りても何か写ってるって話。 あとは、行方不明者が…続出?」
おいコラ向日ー!!
何かわいこぶって首傾げちゃってんだっつの!
ちっとも可愛くないわよ!
笑えないっつーの!
「つまりは、今その状況に立たされているかもしれないってことだよね。」
「そんな! じゃあ菊丸君や桃城君達は…!」
「いや、違うよ。 もしかしたらその逆かもしれない。」
「え?」
「アイツらは無事で、俺達が行方不明の身かもしれないって、ことか?」
宍戸の確かめるような問いに不二君が頷く。
みんなの表情が一変して強張った。
冗談じゃない。
何が行方不明だ。
そもそも私達はまだ小屋にすら辿り着いていないじゃないか。
もしかしたらアイツらのことだ、小屋で遊んでるのかも。
そう伝えてみるも、不二君は決して首を縦には振ってくれなかった。
「だといいけどね。 可能性は低いかな。」
「な、なんで…。」
「屋敷とかならまだしも、小屋でしょ? 僕たちを驚かせようにも八人なら隠れるには無理があるし、
そこで写メを撮って戻るのが今回の肝試しだよね。
万が一噂通り写メがなかなか撮れなかったにせよ、誰か一人くらいは異常を伝えに来るでしょ。」
不二君の嫌に落ち着いた物言いと笑顔に背筋がゾクゾクする。
頭の隅に過ぎった不吉な考えを振り切るように仕方なく私達は先へ進むことにした。
まさか、ありえないでしょ。
霊現象なんか私は信じないわよ。
信じるべきは常に金のみ!
「うわっ何だ!? …人の腕掴むなよ急に…」
「うるさい男ならおとなしく掴まれてなさいよ。」
「ふーん、、怖いんだろぃ。」
「冗談は休み休み言ってよ。」
「手震えてるけどな。」
と思いながらもやっぱり体は正直で、震えながら宍戸の腕を掴む。
目敏く突っ込んで来た丸井君がニヤニヤしながらガムを膨らませたと同時に
カチ、カチと小さく点滅して懐中電灯の光が消えた。
「ちょ、宍戸消すなよ真っ暗じゃん!」
「消してねぇ消えたんだよ! あれ、可笑しいな…つかねぇ!」
「マジかよ電池切れ!? 今はちょっとそれ冗談抜きでヤバイだろぃ!」
隣で宍戸が慌て出したのがわかる。
向日も丸井君も慌てて宍戸が持っている懐中電灯のスイッチを上下させるが点く気配はない。
「あ、電池切れなら電池をお尻なんかで擦れば摩擦の力でちょっとは復活するんだよ!」
「ま、マジ!? さすが! 伊達に節約女王じゃねぇな!」
「よ、貧乏女!」
「シメるわよ、丸井君。」
言われた通り懐中電灯の電池を取り出す向日。
ただ一人、不二君がさっきよりも幾分低い声で「待って」と制止の声を上げた。
「今の懐中電灯の消え方は、可笑しい。 電池切れじゃ、あんな消え方はしないよ。」
「ど、ういう…意味?」
「電池切れの場合明かりは突然消えたりしない。 ゆっくりと明かりが小さくなって消えるはずだよ。」
「確かに…あんな急には消えねぇよな普通。」
「ちょっ、ちょっと不二君怖いこと言わないでよ! 宍戸も感心してないで否定しなさいよ!」
何なに!?
これってちょっとヤバイ感じなワケ!?
あれかな、日吉若が部室でよく読んでる系の話なのかな!
ヒィィッ!
「あ、そうだ、携帯のライトあるじゃん! ちょいパワー不足だけどな。 ないよりはマシだろぃ。」
「俺もある! 残量あと一個だけど。」
「向日はゲームしすぎなんだよ、ったく。 俺必要ねぇと思って部屋置いてきちまったぜ。」
「僕も宍戸と同じ、かな。」
「私も部屋で充電中。」
何かよくわからないけど丸井君の哀れみの目が突き刺さる。
暗くてよくは見えないけど彼が手にした携帯のライトの光の所為で変に顔に影ができてて怖かった。
何よいいじゃんか充電したって。
「ちょっ、何?」
「あ? 何だよ急に…。」
「何って誰か今私の手掴んだじゃない。」
「はあ? 掴んでねぇよ気のせいじゃねぇの?」
「んなワケないでしょ! こんな時に冗談なんかやめてよね、誰よ!」
「俺じゃねぇし。 んなことすんの向日しかいないだろぃ。」
「俺じゃねぇよ! クソクソ!」
「シッ!」
突然不二君が人差し指を立てて足を止める。
釣られて私達も足を止めて振り返った。
丸井君がライトを照らすも、懐中電灯と違いあまりに弱々しい光は不二君の形をぼんやりとしか照らせなかった。
「僕達全員で五人だよね?」
「?、ああ、そうだけど。」
「それが…足音が多いんだよね、絶対。」
「は!?」
驚きを隠せない私達の横を不二君は一歩前へ進む。
ザッ、とスニーカーと土が擦れる音が鳴る。
「みんなも一歩あるいてみてよ。」
と言われ、私、向日、丸井君、宍戸の順に一歩前へ歩みを進めてみる。
ザッ、ザッ、じゃり、ザッ、…………………じゃり、ザッ。
…………あれ?
「「「「で、でたぁあぁああああ!」」」」
慌てて走り出す私達。
不二君も逸れないようにワンテンポ遅れて走り出す。
さすがと言うべきか、我を忘れて本気になって走ればあっという間に私と彼等の間には距離が生まれた。
ま、待て!
気遣え少しくらい!
私のスピードにも限界が来た時、急にふわりと私の体が浮いた。
あまりの恐怖に喉がヒクついて「ひっ」と上擦った声しかでなかった。
しかし助けを呼ぼうとも、もう彼等の姿はこれっぽっちも見えず、辺り一面は暗闇に包まれていた。
「し、死ぬぅうぅぅうううう! 降ろしてー!」
「ウス。」
「………ウス?」
ストン、と足が地面につく。
あれ、今ウスって聞こえた。
聞き間違いじゃないよね、言ったよね。
私が逃げ出すことも出来ず、暗闇の中ぼんやりとだけ見える巨体を見上げていると、カチと音が鳴って明かりが点った。
「ひ、日吉若、樺地君!」
「先輩、声がでかいです。 耳障りな声出さないでください。」
「んぐっ、な、何のつもりよ二人共!」
「別に。 怒るなら俺ではなく跡部さんを怒ってくださいね。 俺は無理矢理参加させられたんですから。」
「ウス。」
樺地君はまあ置いといて、日吉若は悪びれもなく言葉を吐いてライトで私の足元を照らした。
それよりも今、聞き捨てならない名前が聞こえたんですけど。
何?跡部?
跡部だと?
「跡部が、何だって?」
「……肝試しなら肝試しらしくやらないとつまらないとか言って掻っ攫われたんですよ。 チッ、樺地がいなきゃ逃げ切れたのに…。」
日吉若は忌ま忌ましそうに樺地君を睨み上げた。
だけど樺地君は気にも留めない様子でいつものつぶらな目で私を見ていた。
何だよ、私は騙されないぞ!
お前は跡部の右腕のくせに!
「ちなみに不二さんも協力者ですよ。 跡部さんに残りの四人を徹底して驚かせと言われてましたから。」
「ふ、不二周助め……覚えてろ。」
「さて、先に戻りましょうか。 小屋にみなさんいるみたいですし、待ってればすぐに戻ってきますよ。」
「ちょ、日吉君っ! 置いてかないでよ!」
本当マイペースな子だ。
さっさと背を向けてもと来た道を戻ろうとする日吉君を追い掛ける。
その後を樺地君もついて歩いた。
「そういえば、日吉君は肝試し参加しなかったんだね。 そういう話好きなんじゃないの?」
「…好きですよ。」
「じゃあ何で? 参加すればよかったのに。」
だったら跡部にこき使われなくても済んだのに。
「一人で見るからいいんですよ、こういうモノは。 大勢でワイワイやったって楽しくなんてない。」
「ふーん、こだわりか。」
「アンタはどうせ跡部さん辺りに無理矢理参加させられたんでしょう。 特にアンタを泣かすくらい驚かせって強調されましたからね。」
「あーのーヤロウ…潰す!」
私が震える拳を握りしめると、それを横目で見ていた日吉君にフッと笑われた。
なんだかいつも見る憎たらしい笑みではなく、嫌味の含まれていない少しだけ優しい笑みだった。
そういえば三人で歩いているはずなのに二人しかいないみたいだ。
樺地君ってば一番存在感でかいくせにシャイなんだから、もー。
恐怖の原因が日吉君と樺地君だとわかったからか、私の中からはいつの間にか恐怖が綺麗さっぱり消え去っていた。
まあ詳しく言えば跡部が全ての元凶なんだけどね。
「跡部さんは、相当アンタが気になるみたいですね。」
「は?」
「どうやら自分でも自覚がないくらいいちいち構ってなきゃ気が済まないらしい。 巻き込まれる俺の身にもなってほしいくらいだ。」
「…………、」
日吉君がはあ、と深く溜め息を吐く。
何だか申し訳ない気分になって思わず謝ってしまった。
「何でアンタが謝るんです?」
「え、や、何か…私の責任なのかなーって、」
「違いますよ。 全責任は跡部さんです。 あの人の奇行にはもう懲り懲りですね。」
「く、苦労してるんだね、日吉君。」
「先輩に言われたくはないですけどね。」
「放っといて。」
まったくこの子は、余計な一言ばっかり言うんだから。
絶対小学生の時好きな子虐めるタイプだわ。
で、嫌いな子には見向きもしないの。
そんなドエスな日吉君が「だけど、」と一度言葉を切って私の方を向いた。
「跡部さんは、嫌いじゃない。」
ふと、また先程の笑みを浮かべた気がした。
口角の上がった口許。
真っすぐに私を見据える切れ長な瞳。
同じ笑い方をしても、アイツとは掛け離れた笑み。
「初めこそ誰も寄せ付けはしなかったけど、あの人には何故か人が集まってくるんですよ。」
「…うん、わかる。 みんな跡部跡部って…愛されてるよね、アイツは。」
「それだけの価値がある人なんですよ。 だからこそあの人は、俺の下剋上に尤も相応しい人だ。」
満足そうな日吉君に今度は私がクスリと笑う。
それを見てちょっとだけ日吉君の眉が跳ね上がった。
やべ、機嫌損ねたらどうしよう…。
「………跡部さんは、……いい人、です……。」
隣を歩いていた樺地君を見上げる。
やっと口を開いたはずの樺地君は相変わらずな表情のまま。
初めて話した気がしたけど、結局その一言以外は何も言わなかった。
残念だな。
スタート地点に辿り着いた私達はみんなが戻ってくるまで何を話すわけでもなくただぼんやりと時間をやり過ごしていた。
無口な樺地君と口数が少ない日吉君と私だ。
さっきまで日吉君と会話が続いていたこと自体が奇跡だったんだと身に染みて思い知った。
「ちゃーん!」
待つこと15分。
やっとやって来たみんな。
やって来るなり菊丸君が飛び付いて来て思わずよろけた。
「どうだ。 肝試しは満喫できたか、アーン?」
「うっさい何なのアンタ! ふざけんじゃないわよ! 悪趣味め!」
「誰が悪趣味だ。 盛り上げてやった俺様に感謝しな!」
「誰がするか!」
今すぐファイトしそうな私と跡部の間に苦笑いを浮かべた不二君と忍足侑士が「まあまあ」と言いながら入ってくる。
そうだ、不二周助!
「ちょっと不二君! アンタも共犯だったなんて酷いよ!」
「あははごめんごめん、面白かったからつい。」
「本当に怖かったんだからね! 何よ、壊れた懐中電灯渡したり足音増やしたり人の手掴んだり! 不二君も悪趣味だよ!」
「………、」
キャンキャン吠える私を見る不二君の目がスッと開いた。
ひぃっ! そんな顔したって許すもんか!
怖いけど怖くないモンね!
「その話なんだけど…僕は足音しか協力してないんだよね。」
「「「「は?」」」」
きっとここに来るまでに宍戸、向日、丸井君も今回の肝試しの種明かしをしてもらったんだろう。
でも、今の不二君の一言に思わず私達四人の声が間抜けにも見事にハモッた。
「確かに跡部達が小屋から戻ってこないことは知ってた。 ちょっと恐怖心を煽る為にも
後ろにいた日吉君と樺地君の足音を使ってみんなを驚かしたけど、懐中電灯が消えたのは事故だし、
ちゃんの手だって僕は掴んでないよ。 てっきりそれは向日か誰かの仕業だと思ってたけど…」
キョトンとする不二君から視線を向日に移す。
向日はブンブンと首を左右に振って無実を訴えていた。
そのまま宍戸にも向けるが、彼も同様、手を左右に振って「俺じゃねえよ」と否定した。
残るは丸井君だけど、丸井君は視線を向ける前に「俺も違う」とはっきり断言した。
「……や、やっぱ気のせいだったんじゃね?」
「それはありえないよ…だって確かに掴まれたもん、絶対に!」
「やめろよそういうの。 冗談…だろ?」
「違うってホントだってば!」
「やだ〜先輩呪われてるんじゃないんですかぁ〜?」
「うっせお前は黙ってろ!」
思わず本音が出てしまったけどあえて訂正はしなかった。
咲ちゃんは「やーん怖いー」なんて言いながら切原赤也にしがみ付こうとしていたが、
切原赤也がものすごく嫌そうな顔をして避けたのでそのまま少しふらついて舌打ちしていた。
へん、ざまーみろ。
でもやっぱりあれは勘違いじゃないと思う。
だって、確かにぎゅって掴まれたんだ。
そう、別に痛いとかそういうのじゃなくて、誰かに呼び止められるような、そんな感じで。
てっきり手の感触からして不二君だと思い込んでいた。
だって、その手はあまりにも女っぽくて、宍戸や丸井君とは大きくかけ離れた感触だった。
向日は小さいけど手の平は男の子って感じでごつごつしてるし、
不二君だってそうだけど、あのメンバーだと妥協して一番それっぽかった。
でも、否定されてしまった今、あれは誰の手だったんだろう…。
やば、超怖いんだけど…。
「そろそろ、宿舎に戻るか。 少し風が冷え込んできた。」
顔を真っ青にする私を見ながら蓮二が話を切り出した。
みんなが頷き、一本道に背を向け歩き出す。
結局わからず仕舞いだったけど、みんな思いは一緒で、
それ以上は考えたくないらしく、無理矢理話を変えて騒ぎ始めた。
ふと、何となく最後尾を歩く私は一本道を振り返る。
真っ暗で何も見えないはずのその場所に、
「あ、」
立海ジャージを来た女の子が何だか切なそうに笑って立っている姿が薄っすらと見えた気がした。
「どうした、。」
急に立ち止まった私の少し前を不思議そうに眉間に皺を寄せた跡部が声をかける。
私はううん何でもないとかぶりを振り、再び歩みだした。
風が、髪を後ろへと靡かせる。
ひんやりとした夜。
隣に並んだ跡部の横顔を少しだけ見上げ、
「アンタのことは、嫌いじゃないよ。」
それだけ呟いて少し前を歩く鳳君と宍戸の間へとダイブした。
だから、その時の跡部の表情なんて私が知るはずもなかった。
誰も見たことないような、優しい笑みを浮かべていたなんて、そんなこと ―――
あの時薄っすら見えた切なく微笑む彼女の口許がゆっくりと、音も無く、動く。
声が聞こえるワケでもないのに、何故か私は彼女が何を言ったのか瞬時に読み取った。
きっと彼女はこう言ったんだ。
『私の分までアナタは生きて。』
約束、するよ。
ありがとう。
名前も知らない、女の子。
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あとがき 2008.03.18
ただいまみんな!
今回は微ホラーでしたが、結果的に爽やかに終わったのでお許しください。
苦手だった人はごめんね。