君が教えてくれたモノ
『お父さん、これ買ってー!』
街で擦れ違う同い年くらいのガキがショーウィンドウに映る物を指差しながら父親に縋るように言う。
困ったように微笑んだ父親は返事の代わりにガキの脇腹を両手で掴み上げ、共にショーウィンドウを見つめる。
クリスマス、俺は一人でその光景を眺めていた。
当時、まだ七歳の俺が、目に映る。
『ただいまー。』
家に帰ると、いつもの光景が目に入る。
おかえりと、こっちを見ずにそう言った母親の背中を見て、私は自分の部屋へと入る。
ジャラジャラと扉の向こうから小銭を数える音が聞こえてきて、目を閉じる。
聞こえるはずのない小さな溜め息が扉の向こうから聞こえてきて、
涙を流す当時まだ七歳の私が、目に浮かんだ。
「んじゃ、ルールの説明するぜ!」
ドンッと鈍い音を立てて水が入ったペットボトルをテーブルの上に置く。
そんな桃城君をみんながワクワクした表情で見つめ、私一人が今、物凄く悲惨な面持ちをしているところだ。
それもこれも全て、あの男の所為よ!
跡部景吾め覚えてろ。
末代まで呪ってやる。
「ルールは簡単! 馬鹿でも覚えられる。」
「俺でも?」
「ヤだなエージ先輩! 自分を卑下しないでくださいよ!」
「違うよ桃、事実なんだよ。」
「んぐっ、ふ、不二先輩やめてくださいよ…俺が気まずくなるじゃないっスか…」
顔を引き攣らせた桃城君がルール説明を始める。
何のルールかって。
肝試しだよ肝試し。
しかも飛び切り怖いの。
あんな子供だましな肝試しじゃなくてガチの肝試し。
何故こうなったかというと、遡ること小一時間。
練習も終わり、明日を最終日に控えた夕食時、我が氷帝学園向日岳人が何処からともなくいらん情報を小耳に挟んで来た。
『この合宿所の裏に心霊スポットあるらしいから肝試ししよ!』
一体何処のどいつだこの能天気馬鹿にそんなこと吹き込んだ奴は!
つか、真っ先に私に言いに来るのは何故!?
私病人ですけど!
まあこういう時に限って運も悪いこと、偶然隣にいた桃城君と菊丸君が目を光らせてその話に乗ってきた。
…とういうことなのだけれど。
そこまではまだいい。
私は断って周りも病人だからって気を遣ってくれた。
そこまではまだいい。
問題はここからだ。
『お前は強制参加だ。 こういった行事には女がいねえとつまんねぇだろうが。 病人だろうと知ったこっちゃねえな。』
と言うわけで私は只今午後八時。
Tシャツにジャージという何ともラフな格好で食堂に集合させられているわけです。
この際、もう暗闇に紛れて跡部景吾襲っていいですか?
あ、もちろんお色気の方の話でなくて。
アイツがあんな一言言わなきゃみんなだって『女の子がいないとつまんない』って言い出さなかったんだ!
咲ちゃん一人で十分じゃんか!
つーか何アンタ参加してんだって話なんだよ!
「んじゃ、四人ずつに分かれて各チームにつき一本懐中電灯持って。 それから出発する順番決めるから!」
菊丸君のウキウキした声色が食堂内に響く。
みんなそれぞれ辺りをキョロキョロしながら同じチームになる相手を見つけ出す。
私はとりあえず跡部景吾以外なら誰でもいいかな、とか考えてたら
いつの間にか私の前にはニッコニコの不二君とソフトクリームを食べながらこっちを見ている丸井君が立っていた。
え?
「何だかボーっとしてるみたいだけど大丈夫? まだ本調子じゃないんだから無理しちゃダメだよ。」
「……ありがとう。 でもここいること自体がもう無理してるんだよ……。」
「何お前、しんどいの? まあパーッと盛り上がればそんなしんどさなんて忘れちまうって。 もうちょっとの辛抱だ頑張れぃ。」
「アハハおめでたいね、君は。」
見れば菊丸君と切原赤也、桃城君と蓮二と咲ちゃんがうんざりした表情で氷帝陣を眺めている。
何してんだ氷帝陣。
跡部景吾と鳳君、宍戸亮に向日岳人、忍足侑士が何やら円になって揉めている。
まあ聞かなくとも何で争っているのか検討はつくけどね。
「俺コイツとヤだ! 俺はのチームに行くぜ! 誘ったのは俺だからな!」
「にゃにお〜! どさくさに紛れて俺を否定すんな!」
「お前口出すなって話しややこしくなるから!」
「先に言ったのお前じゃん、何だよ向日の奴…。」
必死な形相の向日岳人を睨みつけて唇を尖らせ椅子に手を突く菊丸君。
確かに今の彼は理不尽だったと私も思う。
「馬鹿が、俺が行かずに誰が行くってんだ。 お前らは仲良く立海の猿のチームにでも入ってな!」
「なっ、跡部お前ただからかって遊びたいだけやろ!」
「つーかもしかしなくともその猿っての、俺ッスか? 潰しますよ?」
「だーかーら外野は口出しすんじゃねえよ! とにかく俺はのチームがいいの!」
「我が侭言うなよ向日…。 別に何処でもいいだろ、跡部も…。」
「あ、あの、だったら俺、菊丸さん達のチームに入りますね。 とりあえず…」
あーあーあーあーあーあーあーあー。
誰も来なくていいよ。
内心私は毒づいてそっと溜め息を吐く。
すると聞こえていたのか、不二君がクスリと笑って「モテモテだね。」と思ってもないことを口にした。
「ええい! 遅い! 煩い! ウザイ! 時間の無駄!
私のチームには宍戸に入ってもらうのでその他の奴らはどっか好きなところに行けぇい!」
煩かった食堂は水を打ったように静かになって、
私の怒鳴り声と共に奴らの論争にも終止符が打たれた。
結果、害がないと思われた宍戸と共に最後まで我が侭を通しきった向日岳人が我がチームの一員となり、
跡部は菊丸君のチームに、忍足は桃城君のチームへと移った。
二人とも不服そうだったが、
ざまーみろだ跡部景吾!!!
「なんだかとっても満足そうな顔だね、さん。」
「え、そんなことないよ。 変な言いがかりはよしたまえ、不二君。」
「そう? 今絶対跡部の方見て鼻で笑った気がしたんだけど…。」
「気がしただけだよ。」
額に貼ってある冷えピタを剥がし、新しい冷えピタを貼り替える。
合宿所の食堂なだけあって鏡がないので前髪が邪魔して上手く張れない。
一人であたふたしていると、それに気づいた宍戸がプッと笑って私の手から冷えピタを取り上げた。
「あ、」
「バーカ何やってんだよ。 ほらデコ見せろ、貼ってやるよ。」
「ありがとう…。」
「あんまり手こずってると、このシート使えなくなるぞ。 それこそお前のいつも言ってる勿体無い、になるんじゃねえの?」
ほらよっと言って貼ったところをバチンとデコピンをかまして宍戸はニヤリと笑った。
それを見ていた向日が「何イチャついてんだよ」と拗ねた口調で言ったから
その後宍戸と何か言い争いになっていた。
合宿所の外に出て少しひんやりした風に当たりながら裏へと回る。
裏はやはり少し暗く、何やらいやーな空気が漂っていた。
「それじゃ、最初の桃のチームが行ってから十分後に俺達菊丸チームは出発となります!」
「じゃあその十分後が俺達ってワケだな。」
「…ていうか丸井君、いつまでアイス食べてるの? さっきと食べてるアイス違うし…」
「んーせっかく今日で最後だからな、食堂のアイスも食っとかないと。 食い収め。」
「何やそれ…意味わからんやないか。」
忍足がフッと笑って桃城君チームは出発となった。
その背中が見えなくなるまで見送ると、ストップウォッチを片手に懐中電灯を握り締めた向日がコチラを向いた。
「どうしたの? 怖いの?」
「まさか、ふざけんなっつの。 ただ、さっき丸井が言ったように…今日で合宿最後の夜なんだなーって思ってさ!」
「そうだな、確かに明後日にはまたもとの学校生活に戻ってるんだよな。 少し寂しいよな。」
あーっと言いながら手を上げて伸びをする向日に同意する丸井君。
時折ストップウォッチで時間を確かめながら、他のみんなもそれぞれの面持ちで私達の会話に聞き耳を立てていた。
確かに明日には東京へ帰るから、明後日にはまた普段通りの学校だ。
つまりは私のマネージャー生活も終わり、また”日常”が戻ってくる。
その”日常”は私にとっていいモノでもなかったけれど。
コイツらとの関わりも、これでおしまい。
また、一人きりの生活が私に戻ってくるだけだ。
望まない、一人きりの、時間が。
「先輩?」
ハッとして隣を見ると、心配そうな表情をした鳳君が私の顔を覗き込んでいた。
危ない危ない。
思わずちょっと自分の世界に入り込んでしまっていた。
呼び戻してくれてありがとうと、心の中で鳳君にお礼を言って二ヘラと笑っておいた。
すると鳳君も私のだらしない笑みとは比べ物にならないくらい素敵な笑顔を返してくれて、
コレが噂の年上を射殺す笑顔なんだと知った。
「ま、東京帰っても、俺達に待っているのはテニス。 たったそれだけだけどな。」
「普段どおりまた部活に明け暮れる毎日が始まるだけなんスよね〜。 あー絶対また副部長に怒鳴られる…。」
「そういや赤也お前、今回少なかったんじゃね? 真田に怒鳴られる回数。」
そうなんスね、やっぱ合宿だからッスかね。 なんてヘラヘラ笑って頭を掻く切原君。
え、そうなの? 少ないの? あれで?
「ま、青学や立海だってまた試合会場なんかで会えんだろ。 別に寂しくねえよ!」
「そうですね。 結局は俺達テニスっていう一つの共通したものがありますし。」
宍戸がニッと歯を見せて笑うと、鳳君も嬉しそうにそう言った。
その後みんな口々にあの時のテニスはああだとか今日の試合はどうだったとか話始めた。
私はそんな光景をぼんやりと眺めながら、一人、上を向く。
「あ、」
「すっげー星の数だよな。 これ、絶対東京みたいな都会じゃ見れねえよ。」
横を見ると、同じようにして少し鼻をぐずった向日が立っていた。
ずっと下を向いていて気づかなかったけど、夜空はこんなにも明るかったんだ。
そういやさっき玄関から出た時菊丸君あたりが騒いでたっけ?
私が一人うきうきと目を輝かせて空を見上げていると、まだ横にいた向日が私の名を呼んだ。
「……合宿始まる前に言ったこと、覚えてるだろ。」
「?、さあ…」
「もう忘れたのかよ! 覚えとけよそれくらい!」
「何よ知らないわよ! どうせしょーもないことなんでしょ! だから忘れんのよ!」
ムッとして怒鳴ってきた向日に負けじと私も言い返す。
向日は拗ねたように言葉に詰まってそっぽを向いた。
「マネージャー、お前は嫌がってたけど……続けろって言ったじゃん。」
聞こえるかどうか微妙なくらい小さな声で呟いた向日の声は、
運がいいのか悪いのか、私の耳にちゃんと一字一句逃さず届いてしまった。
思わずハッとして視線を向日に向ける。
向日は気まずそうに口を尖らせ私を睨みつけていた。
『ごめんね、ちゃん。』
最初に私から離れて行ったのは隣の家の大学生のお姉さん。
小さな時から私のことをよく面倒見てくれて、優しくて、綺麗で。
私が目標にしてきた、実のお姉さんのように慕っていた人。
ある日突然目も合わしてくれなくなって、
困ったように、私から逃げるようにそう言った。
そう、たったそれだけ。
『悪い、。』
次にそう言ったのは向かいに住む同い年の幼馴染。
昔はよく一緒になってやんちゃしたりした。
異性だってことも気にならないくらい、仲が良かった、そんな人。
彼も突然、私から離れてしまうようになった。
原因はわかってる。
全てアイツだってこと。
ある日いつも通り家に帰ると、いつか差し出された手を振り払った人物がそこにいた。
『おかえりなさい、。』
『あ、待ってたぜ、。』
お母さんと仲良さげに話をしていたアイツが私に気づいて笑顔で手を振る。
私は肩からかけていた鞄をそのまま床へ一直線に落とした。
アイツは、棟田秋乃は、私の母親を使った。
お母さんの醜い部分を利用して、私の家庭事情にまで土足で踏み込んできた。
そして私の周りの生活環境は一変した。
仲良かった友達も、幼馴染も、お姉さんも、家族も、
私の味方をしてくれる人なんて、誰一人としていなくなった。
『、将来は秋乃君とケッコンするの?』
『……しないよ。 勝手な妄想しないで。』
『どうして? 付き合ってるんだからそれくらい考えておかないと。 逃げられちゃうかもしれないじゃない。』
『…………もういい。』
アイツが何をしたのかは知らないけれど、幼馴染もお姉さんも私と話してくれなくなった。
アイツが何を吹き込んだのかは知らないけれど、毎日同じ質問を繰り返してくるお母さんにうんざりする日が続いた。
お母さんとの会話が煩わしくなって部屋に逃げ込めば、いつの間にかアイツに荒らされた私の部屋。
最初の方は一生懸命泣きながらも片付けていたけど、いつの頃からかそれすらしなくなった。
携帯を開けば、いつの間にか消されたメモリ。
残っているのはアイツの一つだけ。
それすらムカつくから消してやったら何一つメモリはなくなった。
昨日のうちに学校の用意をして朝鞄を開けると、全部違う教科書を入れられていたり。
もう、何がなんだかわからなかった。
何がしたいんだアイツはと、何度も思ったが答えなど出るはずが無い。
理解など、できやしない。
アイツのとる行動の一つ一つが意味不明で、最終的に私の意欲を失わせる。
最後は抵抗すら、何も見せなくなるくらいに。
だから、自分から何かしたいとか、たとえ思ったとしても、しなくなった。
したら、それをアイツに阻止される。
それ以上のものが私に返って来る。
去って行く友達に手を伸ばしたりすることもなくなった。
伸ばしたって、その手は困った顔して振り払われるだけだから。
もう、うんざりだった。
なのに、ここに来て、何故だろう。
マネージャーを辞めてしまうことにものすごく寂しさと物悲しさを感じる。
辞めたくないと、そう思っても辞めるべきテニス部なのに、
今こうやって引き止められていることに嬉しさを感じる。
続けたいと、そう言ってしまえばいいものを、それを恐れる自分がいる。
(ああ、これがトラウマ…か。)
怖いんだ。
また、失って、また、一人になることが。
また同じ”日常”へと帰っていくことが、怖くて。
アイツにつけられた心の傷が、今でもまだ疼く。
「ヤダよ。 面倒くさい。」
今の私には、こうやって自分を守ることしかできなくなってしまった。
笑って、そう言うしか、できないんだ。
ごめんね、向日岳人。
怖いんだ、私。
君を、みんなを、失うのが怖い。
失うのが怖いから、手に入れたくない。
仲間なんて、作らない。
これ以上傷つかないために、私は一人でいなくちゃいけないんだ。
ありがとう。
その気持ちだけ、受け取っとくから。
何だかんだ言って、アンタ達みんな、良い人だったと思う。
だからこそ、私に関わらないでほしいの。
ごめんね、ごめん。
「……聞こえねえっつの。 おーい! もうすぐ菊丸チーム出発だぜ!」
「マジ!? よーっし張り切るぞー!」
「エージ、はしゃぎすぎて怪我しないようにね。 合宿から帰って怪我してたらみんなに笑われるよ。」
「むぅっ俺そこまでガキじゃないぞ! 不二こそ! 誰かに怪我させちゃダメだかんな!」
「……しないよ。」
私の顔を見ずにストップウォッチに目を落とした向日が叫ぶと、
みんなとまだ盛り上がって話していた菊丸君がそれに反応して張り切って飛び跳ねた。
同じチームの切原赤也と鳳君、それと跡部が続く。
スタート地点に立ったとき、少しだけ跡部と目が合った気がした。
跡部がスッと目を細めると、私に背を向けて歩き出した。
私は思わず首を傾げたくなったが、そのまま彼ら四人の背中が見えなくなるまで見送った。
私達五人は円になってまた話し出す。
ただ私と向日は一度も目さえ合わさず、妙な空気を漂わせながら時が来るのを待ち続けた。
『景吾坊ちゃま、お父様のお帰りですよ。』
ノックをして返事が無いけれど部屋に入ってきた執事のじいさんを無視して、布団に包まり背を向けたまま寝たフリをする。
日付は変わり、普通の子どもならもう寝入っていてもおかしくない時間。
『寝てしまわれましたか。 仕方がないですね。 失礼しました。』
バタンと扉が閉まる音がして、俺はそっと起き上がる。
いつの間にか頬を伝っていた一筋の涙をパジャマの裾で拭い、まだ少し明るい窓の外を見つめる。
クリスマスを祝う、イルミネーションが眩しい。
明日の朝にはきっと、もう全て取り払われ、消えてなくなっているのだろう。
今年もまた、俺は一人。
たった一人で、七度目のクリスマスを終えた。
握り締めた拳が痛かったのを、今でも忘れず覚えている。
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あとがき 2008.03.11
クリスマスて、時期はずれにもほどがある。
もうちょっと合宿付き合ってください、やりたかったんです肝試し。