君が教えてくれたモノ

 

 

 

一人が怖い。

無になることが怖い。

俺は確かに存在したんだと、誰か証明してみせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう大丈夫だと言って跡部とジローを追い出してからしばらくすると

コンコン、とノックの音が聞こえて返事を返す。

少しの間があいてドアが開いた。

 

 

 

 

 

「冷えピタ、買ってきた。」

 

 

 

 

 

ぶすっとした咲ちゃんがぶっきらぼうにビニール袋を持ち上げて私に見えるように翳す。

私はふっと息を吐いて口元に笑みを浮かべ、袋を受け取ろうと手を伸ばした。

 

 

 

 

 

「ありがと。 助かった。」

「………あのさっ!」

 

 

 

 

 

突然声をあげた咲ちゃんが一度袋を引っ込め、私の手は空を切る。

見ると、咲ちゃんの顔は泣きたいのを我慢した小さな子供のような顔になっていた。

 

 

 

 

 

「咲は、何処が間違ってたの?」

 

 

 

 

 

震えたような掠れた低い声。

カサッと袋が音を立てて床へと落ちる。

必死に何かを堪えた咲ちゃんの噛み締められた下唇が小刻みに震えていた。

 

 

 

 

 

「可愛い可愛いって小さい頃から周りにちやほやされて!

中学入って、勧誘係だった仁王先輩にマネージャー誘われて一目惚れして!

何気なく入部したテニス部で…ある日突然先輩達が目の色変えたように優しくなって!

よくわかんなかったけど適当に頷いて話し合わせて、ニコニコしてたら朱音先輩が事故って死んだって!

でも周りは虐めが原因の自殺だって騒いでて…咲の所為だって誰かが言った…。」

 

 

 

 

 

一滴、涙が頬を伝う。

そう言えばこの子は仁王雅治のことが好きなんだっけ、と初めて咲ちゃんが私に悪態をついて来た時のことを思い出した。

 

 

 

 

 

「それから咲は気がつけばいつの間にか周りから朱音先輩にこき使われてた可哀相な後輩として見られてて、

でも本当はそんなこと全然ないのに! だから結局は咲が嘘ついたから先輩が虐められて

自殺したみたいな形になっちゃって…咲はもう、後戻りできなくっ、なっちゃってた…。」

 

 

 

 

 

ポタポタと零れ落ちる涙を咲ちゃんは手の甲でゴシゴシと乱暴に拭い去る。

まるで怒鳴るように叫んでいるのに、今までのような嫌悪感は抱かない。

きっとそれは咲ちゃん自身に私に対する邪心がないからだろう。

 

 

 

 

 

「でもっ、今回の合宿で…先輩を陥れるような真似をしたのは、咲が悪いってわかってる…、

どれだけ頑張っても、咲は視界にすら入れてもらえなかったのに、

仁王先輩の興味を引くことができた先輩が、どうしてもっ羨ましくて、憎かったっ!」

 

 

 

 

 

ギュッと握り締めた拳を震わせながら真っ直ぐに私の目を見て話す咲ちゃん。

はっきりと自分の思うことを口に出来る彼女はきっと、強い心の持ち主なんだろう。

だったら、大丈夫だ。

彼女の負った心の傷や背負わなくてはならない罪は限りなく大きいけれど、彼女なら乗り越えていける。

こうやって今ここで私に全てを懺悔しているということは彼女自身、この問題にちゃんと向き合うことができている。

咲ちゃんは少し生き方を間違えてしまった、逞しく強い少女だと私は思う。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 

 

 

そう言って咲ちゃんは頭を深く下げる。

私はただそれを黙って見ていた。

 

 

 

 

 

「咲を許さなくてもいいし嫌ったままでもいい! もう間違いを犯したくないの、

だから死んだりしないで! 朱音先輩みたいに、ならないで!」

「……咲ちゃん、」

先輩は、何も悪くないからッ……!」

 

 

 

 

 

潤んだ瞳が私を捕らえる。

ああ、そっか、そうだったんだ。

咲ちゃんは加害者であって、被害者だ。

彼女もまた、被害者なんだ。

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ、私は、死なない。 死にたくない。」

「……っ、ホント、に?」

「私が死ぬ時はたぶん、飢え死にする時じゃない?」

 

 

 

 

 

ちょっと場を和ませようと冗談めかして言うと咲ちゃんに物凄い形相で睨まれた。

ひぃっ、ごめんなさい!

 

 

 

 

 

「あのさ、咲ちゃん。」

「………な、んですか?」

 

 

 

 

 

ベッドから降り、スリッパを履く。

咲ちゃんは近くにあったティッシュを乱暴に二三枚取って鼻をかみながらそんな私を目で追う。

 

 

 

 

 

「何も悪いのは一人じゃないんだよ。」

「…え?」

「確かに咲ちゃんは許されないことをしてしまったかもしれない、でも咲ちゃんだけの所為じゃない。

先輩達も悪いし、その朱音先輩って人も悪い。」

「あ、朱音先輩は被害者じゃない! 悪くないよ!」

「自殺したことは褒められたことじゃないよ。 彼女が自殺して逃げてしまったことで、

こうやって一生の心の傷を負ってしまった人が存在しているんだから。」

 

 

 

 

 

黙り込んだ咲ちゃんの足元に落ちている袋を手に取る。

そこから冷えピタを一箱取り出し、もう一箱入った袋を咲ちゃんに握らせた。

 

 

 

 

 

「そしてまた、私も悪い。」

「は? 先輩のどこが…」

「全てはね、巡り会わせなんだよ。 あの時ああしてればこうにはならなかった、とかそんなこと考えれば

数え切れないくらいいくらでもあるでしょ。 そう考えるとそれを実行しなかった私も悪い。」

「何、それ…そんなの屁理屈じゃ…」

「咲ちゃんがドリンクかけられたって嘘ついた時、私はそれほど強い抵抗もせずに逃げ出した。

咲ちゃんに手を引かれてロビーに連れて来られた時、本気を出せば大声出して振り払えたかもしれない。

そしたら仁王雅治もあんなことできなかった。 でも私はそれをしなかったんだよ。」

「………、」

「だからね、誰が悪いとか、考えたってわからない。

自分はこうしたことが悪かったとちゃんと自覚してるなら、それでいいんじゃない?」

 

 

 

 

 

俯き気味の咲ちゃんは黙ったまま小さく頷いた。

そうだ、何も咲ちゃん一人が悪いわけではない。

仁王雅治も、悪いけれど彼もまたしかり。

 

 

 

 

 

「………アイツも、本当は悪い奴じゃないのかもしれない。」

 

 

 

 

 

あの時に見た揺れ動く瞳を信じるとするならば。

私はアイツを許すことが出来るのだろうか。

 

 

 

 

 

「さ、仁王雅治にそれ持ってってあげな。 また熱上がってきてるみたいだし。」

「え!? そうなの!?」

「うん、さっき物凄くフラフラしてたから。」

「うっそだったら先輩のところなんて後回しにして先に仁王先輩のところに行けばよかった〜!!!!」

 

 

 

 

 

こ、コイツは……!

 

立派な性格をしてらっしゃる。

慌てて踵を翻し、さっさと私の部屋から出て行く咲ちゃんを見送って私も再びベッドに横になった。

よくよく考えたら私あの子より年上なんだよね…。

まーたタメ口叩かれてるよ。

何なんだいったい…。

 

 

 

 

 

「あー明日で合宿もおしまいかぁー。 マネージャーらしいこと、全然できなかったな…。」

 

 

 

 

 

せっかく買って来て貰ったので冷えピタを一枚額に貼る。

そして一度目を閉じ、私はベッドから一思いに飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おい跡部!」

 

 

 

 

 

振り返ると宍戸がいて、今まで練習試合でもしていたのか、その姿は汗でびっしょりだった。

タオルでところどころ顔を拭いながら俺に歩み寄ってくる。

仕方がないのでそこで立ち止まってやることにした。

 

 

 

 

 

「勝ったのか?」

「……え、あ、ああ。 一応な。」

「何だその曖昧な返事は。」

「うっせーよ。 急造ペアはやりにくかったんだよ。」

「ハンッ、言い訳だな。」

「だあああもう! んなこたどうでもいいんだよ!」

 

 

 

 

 

悔しかったのか、声を荒げて話を折ろうとする。

どうやら満足はしてないみたいだな。

どうせ、思うように動けなかったんだろう。

 

 

 

 

 

「ところで跡部、」

「ああん?」

…目覚めたらしいな。」

「ああ、さっき昼飯持ってってやったがありゃ雑草並だな、元気だったぜ。」

「そ、そうか。 ならいいんだけどよ。」

「仁王と仲良く昼寝してやがった。」

「はぁああ!?」

 

 

 

 

 

バカ声がでけぇ!

試合してる奴以外の部員が何事だと俺と宍戸に視線を向ける。

舌打ちをして宍戸を睨みつけた。

どうやら相当気が動転しているようで口をパクパクさせながらほんのり頬を染めていた。

 

 

 

 

 

「お前、馬鹿じゃねえの。」

「うっせーよ!! 変な言い方するからだろうが!」

「普通気づくだろ。 昨日の今日だぜバーカ。」

 

 

 

 

 

俺が鼻で笑って背を向けると、後ろから大きな舌打ちが聞こえた。

相変わらず、面白い奴だ。

 

 

少し目を閉じてラケットの握りを確かめていると、ふと、さきほどの宍戸の表情が頭を過ぎる。

宍戸の表情というよりは、宍戸の反応、だ。

 

 

 

 

 

「素直な奴・・・・。」

 

 

 

 

 

誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いてみる。

思った通り誰にも聞こえてなかったらしく、誰も何も聞き返してなどこなかった。

まあ俺の周りに誰もいなかったから当然と言やぁ当然なんだがな。

 

 

悪くない。

宍戸という奴は単純で馬鹿な奴だ。

でも、それが時には羨ましく、時には俺の為となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おい何でだよ! 何で俺を試合に出してくんねえんだよ!』

『明日の試合は大した奴らじゃない。 雑魚相手には雑魚で十分だ。』

『・・・っおっ前バッカじゃねえの!』

『アーン、お前監督の方針に逆らう気か?』

 

 

 

 

 

苛々してたんだ。

毎日に嫌気がさして、まるで生きることが俺にとっての目標のようで。

全てに置いて、くだらないと、そう思うことしかできなかった。

 

 

朝起きれば朝食で、長い机を挟んだ向こうにいる英字新聞を読んだ親父の政治がどうのとかいう話を聞く。

学校へ付けばあらゆる人間が俺を取り巻き、騒がしいその日の一日が始まる。

くそつまんねえ教師の話を聞き、毎時間きちんと授業を聞いてはノートを写す。

休み時間は生徒会だの会議だのいろいろあってあっという間に過ぎていく。

放課後、テニスをしていろいろなことを忘れてそれ一本に集中しようとすると、

こうやって横からグチグチ横槍を入れてくる奴が後を絶たない。

 

 

別に嫌じゃない。

全てがそれほど我慢ならないことでもない。

むしろ俺より忙しい奴だってこの世を捜せば数え切れないほどいる。

それにこんな毎日は中身は違えど小さな頃から慣れているし、

こんなことで音を上げたりする俺でもないけれど、俺の心が一気に乱れたのはきっと、

偶然出会ったアイツの一言が原因だったに違いない。

 

 

 

 

 

『そんなんじゃねえよ。 お前、仲間に向かってよく雑魚とか言えるな。 呆れたぜ。』

『・・・・・雑魚は雑魚に変わりはない。 そう言われたくなけりゃ雑魚にならなきゃいいだけの話だ。』

『あーあー、天下の跡部様にはわっかんねえみたいだな。 だからそんな毎日つまんねえみたいな顔してんだ。』

『ああん?』

『雑魚呼ばわりされてる奴らだって必死にもがいて頑張ってる奴がいるんだよ。 それだけ覚えとけ。』

『なんだテメエその口の聞き方は。 お前・・・宍戸、だったか?』

 

 

 

 

 

そうだ、アイツの、一言から、急に俺は心が掻き乱れるように、

苦しくて、辛くて、窮屈で、何もかもがくだらなくて、

こうやって誰かに何か指摘されるたびに叫びたい気持ちを抑え続けていた。

 

 

中学に入る直前に開かれた跡部のパーティーで偶然出会ったアイツ。

まるでこの世の全てを否定しているような物言い。

嫌に笑みを浮かべた口許。

先日までランドセルを背負っていた子どもとは思えないその狂気の瞳。

忘れもしない、アイツが突然放った俺への一言。

 

 

 

 

 

『チッ、名前もろくに覚えてねえのかよ。』

『覚えてるじゃねえか、宍戸だろ。 宍戸亮。』

『・・・・・・お前、好かねぇ奴だぜ全く。 ムカつく。』

 

 

 

 

 

行事の参加は子どもの頃からよくあったことだ。

だからいちいちどの会場で誰と会ったかなんてそう覚えていない。

でも、アイツと出会ったあの場所、あの雰囲気、あの風景、何もかもが忘れられない。

はっきりと今でも昨日のことのように脳裏に焼きついて離れはしなかった。

 

 

『跡部、景吾・・・・・でしょ。』

『?、誰だお前。』

『俺、お前の親父さんのライバル会社の御曹司です。 つまりは君と同じ立場。』

『そうかよ。 で、何の用だ。』

『別に。 用はないけど・・・少し忠告してあげようと思って。 人生について。』

『・・・ありがとよ。 だが、生憎そんな忠告聞く気はねえからさっさとあっち行ってな。』

 

 

たぶん、それがただのガキの戯言なら聞き流すことなどたやすかった。

だが無理だったんだ。

声をかけられ、振り返った時点でもう何かを感じさせるその雰囲気がアイツにはあった。

子どもだと言うのにあのつぶらな目は、何も語ってなどいなくて。

笑っているはずなのに、歪んでいるのは口許だけで。

確かに生きているはずなのに、まるで死んだ人間のような空気を纏って立っていた。

 

 

『どんなに足掻いても、報われることなんてないんだよ。 人生の最終地点はもう、決まってるものから。』

 

 

何を思ったんだろうか。

その言葉を頭が理解した時、身体全体が動かなくなった。

ただのガキの戯言だと、そう言い聞かせたって、気にすることなんてこれっぽっちもないと思ったって、

額に滲み出る汗の存在すら気づくことができないほど、アイツの中に秘められた狂気にも似た

俺への敵対心のようなものを身体全体で感じ取ってしまった。

 

 

 

 

 

『宍戸、』

『ああ?』

『お前、確か今準レギュだったか・・・』

『だったら悪ぃかよ。 ま、お前みたいな二年部長様には準レギュなんて雑魚に毛が生えたみたいなもんなんだろ。』

『まだ何も言ってねえだろ。 捻くれんじゃねえよ。』

『・・・ケッ、何だよ早く言えよ。』

 

 

 

 

 

眉間に皺を寄せながらラケットを人差し指に乗せる。

癖なのか、ただ見せたいだけなのかよくは知らねえが、そう言えばコイツ、よくこれをしてるな。

まあ俺にとっちゃどうでもいいことだったので何も言わずにただ真っ直ぐ相手の目を見て訊いた。

 

 

 

 

 

『お前は人生の終わりって、もう決まってると思うか?』

 

 

 

 

 

何でコイツにこんなこと訊いたのか俺自身分らない。

コイツもコイツで、意外なことを訊かれたから驚きで目を真ん丸くして間抜け面を恥ずかしげもなく見せてきた。

面白れぇ顔。

俺が目を逸らすことなく真っ直ぐと宍戸を見ていたからか、宍戸もハッとして少し気まずそうに考える素振りを見せて言った。

 

 

 

 

 

『決まってんじゃねえの。 そりゃ。』

『・・・そうか。 てっきりお前なら決まってないと言うと思ったんだがな。』

『決まってない方がそりゃ嬉しいけどよ。 誰だっていつかは終わりが来るじゃん。 人間はな、死ぬのが当然なんだよ。』

『・・・・・・』

『でも、それを分ってても変える事ができるかもしれないとか言ってどこまでも足掻き続けるから生きるって面白ぇんじゃねえの?』

 

 

 

 

 

ま、俺はそこまで深く考えたことなんてねえけどな、と言って宍戸は長い前髪を後ろへと流した。

そのままちらりと俺の表情を窺うように視線を向けた宍戸にこれでもかってくらい厭味な鼻笑いをくれてやる。

さっきと打って変わって驚いた表情を一瞬見せた後、少し頬を染めた宍戸は俺に噛み付くような物言いで食って掛かった。

 

 

 

 

 

『ッ、何だよその態度は! せっかく俺が真面目に答えてやったってのに!』

『ハンッ、ちょっと暇だったんでな。 日頃何にも考えてなさそうなお前に人生について考えさせてやろうと思ったんだが、

まさかそれほどまで真剣に答えてくるとは思わなくてな。 笑ってしまった、悪いな。』

『〜〜〜〜〜〜ちっとも悪いと思ってねえだろふざけんな!!』

『さて、そろそろ集合でもかけねえとな。』

『ッおい跡部!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何か、一つ、また一つと俺の中から 何 か が消え去っていく。

自分ではどうすることもできなかった硬く、冷たく、目には見えない心の奥底に居座っているソイツが、

アイツらのおかげで俺の中から少しずつ姿を消していった。

 

 

まだ完全ではない。

それは自分でもわかっているし、そう簡単になくなるものでもないことは百も承知。

 

 

いつか、ソレが俺の中から完全に消える日が来るとするのなら、

何故かそれはアイツ、という存在が必要な気がして。

 

 

アイツの中のソレを消す為にも俺という存在が必要であればいいと思う、今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たるんどる!」

 

 

 

 

 

バチーンとコート内に鳴り響く真田君の張り手。

叩かれた本人、仁王雅治は黙ったまま俯いていた。

これが、立海風の制裁ならしい。

いくらなんでもバイオレンスすぎだろうと思ったけどまあ、しょうがないか。

 

 

 

 

 

「仁王はもう謝ったと言っていたが、本当か?」

「うん、もうその件については解決済みだよ。」

「そうか、ならいいのだが…。」

 

 

 

 

 

かたじけないと頭を下げる真田君に私は慌てて頭を上げさせる。

叩かれた仁王雅治はまだ本調子でないはずなのにフラフラと立ち上がり、少し火照らせた頬を擦っていた。

 

 

マネージャーをしに来たのに熱を出したからと言ってずっと部屋で寝ているのも癪だったので

私は薬を飲んでジャージに着替え、コートに出た。

するとこの様だ。

同じ考えだったらしい仁王雅治も立海のジャージを身に纏ってコートに姿を現した。

みんながもう大丈夫なのかとか言いながら近寄って来る中で、

一人、物凄い剣幕のままズカズカと大股で近寄って来たのが真田君。

まだ目が少し虚ろな仁王雅治をいきなり平手でぶっ叩いた。

せめて叩くなら叩くタイミングと言うものを考えて欲しかったと思う。

真横にいた私は怖かった。

 

 

 

 

 

「真田、制裁はそれくらいにして、ちょっとちゃん借りてもいいかな。 話があるんだ。」

「幸村・・・、」

「立海全員の頂点に立つ者として、俺が全て彼女に話をつける。 真田には後の練習を頼みたいんだけど。」

「あ、ちょ、でも私はマネージャー業をしに来て、」

「すぐ終わるよ。 それほど長くはならない。 君が口を挟まない限りね。」

 

 

 

 

 

・・・・さいですか。 何だこの男。

すると幸村君は私の手をとってさっさとコートを出て行こうとする。

ああ、来たばかりのテニスコートが一分も経たない間に私は連れ去られてしまうのですか。

 

 

コートを出て行く刹那、何だか少し離れたコートにいる跡部と目が合った気がした。

そういえば、さっき私は普通に跡部と接していたから忘れていたけれど、

実のところ、昨日のあれから一度も跡部と何も話してなくて、気まずかったはずなんだよね。

さっき何事もないように接してたけど、あれで良かったのだろうか。

 

 

あんなに機嫌悪そうで、物凄く私って嫌われてるって感じがヒシヒシと伝わってきていたのに。

本当、金持ちの考えていることはよくわからない。

気分屋なんだろうか、それに私を振り回すのは勘弁して欲しい。

 

 

 

 

 

「で、何ですか? できたら三分でお願いします。」

 

 

 

 

 

わかったよ、と言って幸村君がコートからかけ離れた場所にある合宿所の裏庭のベンチに座った。

隣を勧めてきたので私も座る。

だって疲れたんだもの。

私だってまだ本調子じゃないんだ。

これからマネージャー業するんだからできるだけ無駄な体力を使いたくないもんね。

仁王雅治みたいに今からテニスしようとまでは全く思わないけどマネージャー業くらいならできる体力はあるはずだし。

 

 

 

 

 

「うん、今回のこと、すまなかったね。 ちゃんには悪いことをしたと思ってる。 すまなかった。」

「二度も謝らなくってもいいよ。 大丈夫、今回のことはもう何も気にしてない…って言っちゃ嘘になるけど、

でも本当に立海のみんなのこと嫌いじゃないし、恨んだりもしてないよ。 ただ・・・、」

 

 

 

 

 

そっと目を伏せる。

私と幸村君の間に流れていった柔らかな風が、まるで泣くなと言っているように私の頬を撫でて消えた。

 

 

 

 

 

「・・・・ただ、怖かった。 アイツを忘れたと思っていたのに、頭ではそう思い込んでいたのに、

体は正直なんだね。 幸村君たちを見た瞬間、アイツの存在を嫌ってほど思い知らされた。 だから、怖かったんだ。」

「…ちゃんも、相当な傷をつけられたみたいだね。 アイツに。」

「今となってはもう、あれが現実に起こっていたことなのかすらわかんない。 でも、幸村君達と会ってね、

はっきりさせられた。 アイツは確かに私の前に存在していたんだって。」

 

 

 

 

 

へへっと笑って髪を耳にかける。

風に踊ってすぐに耳から外れてしまったけど、気にはとめなかった。

幸村君がちらりと私に視線を向けたのが見なくともわかったけれど、私は前を向いたまま目を合わせようとはしなかった。

 

 

 

 

 

「幸村君、仁王雅治を、もうこれ以上責めないであげてね。」

「……うん、そのつもりだよ。 アイツはちょっと意固地なところがあるけど、ちゃんと謝ったみたいだし。

これ以上責めることなんて、俺自身できない。 今回のことを責めることができるのは、ちゃん、君だけだよ。」

「うん、ありがと。」

「じゃあこれでいいかな。 残りの合宿はあと少しになっちゃったけど…今からちゃんと普通に接していきたい。

今までのことをなかったことに、なんて都合のいいことは言わないから、ちゃんにも俺達と普通に接して欲しいんだ。」

 

 

 

 

 

いいかな、と言って手を差し出してくれた幸村君の手を取って笑う。

すると幸村君もホッとしたように笑って二人で仲直り(になるのかな?)の握手を交わした。

 

 

幸村君は合宿当初の柔らかな優しい笑みを浮かべて「あと半日、マネージャー業、頼んだよ。」

と言って私の肩に白くてまだ未使用のタオルをふわっとかけてくれた。

わーい幸村君のだと素直に喜んでいたら、ふわっと笑みを浮かべていた幸村君の表情が急に胡散臭い笑みに変わり、

 

 

 

 

 

「で、さっそくだけど、午前練でたまった使用済みタオルとボトル、よろしくね。」

「ひぃい! 鬼ッ!」

 

 

 

 

 

鬼のようなこの男。

私は二度と彼を爽やかな王子様とは思わないことにした。

これならまだ不二君の方がいいよ! 普通に優しいし!

コイツは立派にいい性格してると思う。

出世するタイプだきっと。

 

 

私は幸村君の鬼のような笑顔に促され、泣く泣く三校分のタオルとボトルを必死で洗った。

全てが片付いた時には悲しいことに日はすっかり暮れていた。

ちょっとあのブリっ子娘は何処行ったのよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着々とタイムリミットは迫ってきている。

音もなく、背後から、少しずつ ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき 2008.03.01

もうちと合宿編したいけどもう終わりそう。 残念…。

 

 

 気に入ったら俺を押してくれ。