君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

どれほどの消えない傷を背負えば、

 アナタは解放してくれますか?

 

 

 

 

 

幸村君の指示により、何とも言えない空気の中、残りの時間は学校毎に朝食をとることとなった。

移動する際、偶然擦れ違って目に入った切原君の頬は真っ赤に腫れていて、すごく痛そうだった。

 

柳生君って言ってたっけ?

あれほど赤く腫れるなんて、一体どんな力で打ったんだろう。

 

テーブルの上にトレイを置くと、私は小走りで食堂の奥へと急いだ。

 

 

 

「切原君、」

「あ?」

 

 

 

目的の物を片手に、声をかけると不機嫌に振り返る。

相手が私だとわかると、あからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

 

 

 

「はい、これで冷やした方がいいよ。 食堂のオバサンに氷貰って来たから。」

「……いらねぇよ。」

 

 

 

私の手元に視線を移し、一瞬だけ驚いて目を逸らす。

そんな切原君を見て、向かいの席に座っていた柳生君(さっき切原君を打った人)がお箸をトレイに置いて言った。

 

 

 

「そう言わず冷やしなさい、切原君。 腫れてしまいますよ。」

「別に、どうってことないッスよ。」

「はあ、素直ではないですね……あの、すみません。 そこに置いておいてもらえますか? 後で強制的に冷やさせますので。」

「あ、うん! えっと、わかりました…。」

「わざわざありがとうございます。」

 

 

 

ものすごく丁寧にお礼を言われ、思わず私も「じゃあ失礼しました。」とお辞儀をしてしまった。

柳生君って切原君打った人…だよね?

あんなに優しそうな人だったの?

 

私は立海って変な学校だな、と思いながらも自分の席に戻って朝食を再開した。

私のことを待っていてくれていた鳳長太郎君とジローが「おかえりなさい」と言って笑ってくれた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

重苦しい朝食の時間は何とかあれから争い事一つなく過ぎ去って始まった朝練。

まずはアップ程度に学校毎にコートの周りを走る。

その間に今朝作っておいたドリンクをベンチまで運び、空いた時間で洗濯物を取りに行く。

その間、御影咲ちゃんはボールの籠を重たそうに何度も何度も往復して倉庫から取り出していた。

 

……まあ働いてくれてるだけありがたい。

昨日は不二君に手伝ってもらったけど私なら一気に運ぶんだけどな。

なんて、そんな器の小さいことは言わない言わない。

 

 

 

「………、」

 

 

 

タオルを取り込んで畳み終わった頃に部員達もちょうど走り終えたらしく、それぞれがコートやコートの隅でラリーをし始めた。

今私がいるのはコートから死角となるこの水飲み場。

たまーにボールなんかは飛んでくるけど、それはもう勢いが失速した止まりかけのボールがポンポンと跳ねたりコロコロと転がる程度。

だから決して壁がバコンッと鳴るほど勢いのあるボールが飛んでくることなんてまずありえないのだ。

 

 

 

なのに何故だろう。

何だったのかな。

今一瞬、私の顔すれすれを横切って物凄く危険な音を立てて壁に跳ね返ってたのは。

あれ、ボールだった? 黄色かった?

ってか明らか狙ったよね?

 

 

 

「あらら、外してしもたの。」

 

 

 

ボールが飛んで来た方を茫然と眺めていると、頭を掻きながらひょっこりと仁王雅治が姿を現した。

 

外したってナニ?

それはどっちの外したなのかな?

もちろんボールがここに飛んで来たことに対しての外しただよね?

じゃなきゃ明らかに命狙ってた勢いだったよ今の!

 

 

 

「これ、レーザービーム。 柳生の持ち技ナリ。」

「殺す気だったよね。」

「安心しんしゃい。 柳生が打つより威力は落ちとぅよ。」

「どっちも変わらんわ!」

「ピヨッ。」

 

 

 

仁王雅治は意味のわからん擬声語を吐きながら転がったボールをラケットで器用に掬い上げる。

そしてそのままそのボールをラケットの上で転がしたり跳ねさせたりしながら遊んだ。

 

 

 

(……あれ?)

 

 

 

その滑らかな一連の動作を見ていて、少し違和感を感じた。

でもそれが何だかわかんない私は、あえて言葉に出す事をしないで胸の中だけに留まらせた。

 

 

 

「大変じゃの、お前さん。」

「……誰のせいよ。」

「さあ、誰なんかのう…ククッ。」

 

 

 

ラケットの面でボールを転がしながら喉を鳴らして笑う。

全てが余裕な態度に見えて気分が悪い。

どうも好きになれないタイプだと思った。

 

 

 

、」

 

 

 

名前を呼ばれて、同時に腕を引き寄せられる。

背中に壁の冷たさが滲みる。

頬にざらついた湿った感触と温かさを感じて思わずぞっとした。

慌てて押し返そうとしたけど、さすがは立海テニス部のレギュラーをやってるだけある男。

力じゃ敵うはずもなく、私の抵抗はほぼ無意味に終わった。

 

 

 

「や、やめっ…」

「それはさすがにおふざけがするぎんじゃねぇのか、仁王。」

 

 

 

本気で気持ち悪いと感じたその時、跡部景吾の声がした。

さっき仁王雅治が現れた方へ視線を向けると、案の定、跡部景吾がポケットに手を突っ込んで偉そうに立っていた。

でも表情はどこか険しく、不機嫌。

仁王雅治はそっと私から離れると跡部景吾に向き直って再び喉を鳴らして笑い始めた。

 

 

 

「そりゃすまんかったの。 ちとやり過ぎたか。」

「笑ってんじゃねぇ。 お前らは一体何しに合宿に来てんだ。

 テニスくをしに来たんじゃねぇのかよ。 コイツからかってる暇があったら球拾いのひとつでもしやがれ。」

 

 

 

含んだ笑みを浮かべている仁王雅治を睨み付ける。

だけどそんな跡部景吾の視線なんて気にもしていない仁王雅治。

それどころか、機嫌が悪い跡部景吾を無視して私の方を向いて言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「何だろうな。 お前さん見てると腹が立つんよ。」

 

 

 

 

 

その表情からは読み取ることの出来ない奥深い“何か”。

苦しそうで。

だけど憎しみが篭った鋭く尖った言葉。

その一言に、彼が私に伝える様々な感情が複雑に入り交じっているような気がして、何も言い返すことができなかった。

 

 

 

仁王雅治が放つ独特な雰囲気のどこかが、アイツを思い出させる。

助けを求めているような目をしているくせに、私をとことんまでどん底に突き落としていく。

時折見せる本音も、深すぎて読み取ることができない。

 

 

 

跡部景吾とは違って、仁王雅治という男は外見や地位的にアイツと似通っているところなんてこれっぽっちもないはず。

でも、彼と重なるアイツの面影はきっと、彼の纏っている負の空気なんだと思う。

どこか、みんなと違ったところを見ているその寂しそうな虚ろな瞳が、ふとした時にアイツを連想させる。

 

 

 

「……嫌いじゃの。」

 

 

 

最後に一言だけ残して、仁王雅治は私と跡部景吾の元から去って行った。

その背中はやけにちっぽけに見えて、いつもの彼の堂々とした怪しい雰囲気は何処にも見当たらなかった。

 

 

 

「………、」

 

 

 

残された私と跡部景吾。

これで二人っきりは今回で四回目。

一度目は私が牛乳をかけてしまった日の部室で。

二度目は昨日この合宿所の廊下で。

三度目は昨日の夜、すぐそこで。

そして、今、四度目を迎えている。

 

 

 

、」

 

 

 

すぐ近くのコートからボールを打つ音が聞こえてくる。

時折、真田君の怒鳴り声が聞こえてくる気もするけど、あえてそれは聞かなかったことにする。

あっちの世界と、今私のいる世界とでは何処かかけ離れているような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

どうでもよかった。

ただ珍しくて、面白そうだと、そう思っただけだった。

 

なのに、

 

 

 

「お前見てると苛々する。」

 

 

 

さっき仁王が言ったことと似たり寄ったりな台詞を吐く。

歪んだ表情を見せると向かい合うように立った。

 

動揺でか、ゆらゆらと揺れ動く瞳。

 

俺を見る目はいつもそんな目をしている。

怯えと憎しみと恐怖が入り混じった何ともいえない複雑な瞳。

 

初めは興味本位で面白いと思った。

俺様にそんな感情を抱く奴がこの氷帝学園に存在していたということに。

だけどいつだったか、そんな目を向けられることに苛立ちを覚え始めていた。

 

 

 

理由はない。

言葉にもならない。

ただ、腹の底から気分が悪い。

 

 

 

「いつもそんな顔ばっかりしやがって。 鬱陶しいにもほどがある。」

「……私がどんな顔してようがアンタには関係ないじゃない。」

 

 

 

震えた口から絞り出したような声で紡がれる反論。

力はなく、顔色も何処か悪い。

もともと少し色白のその肌に、薄く青味がかった色が弱弱しい。

 

それほどまでに俺様が嫌いか。

金持ちって事が、そんなに嫌なのかよ。

だったら、

 

 

 

『どんなに足掻いても、報われることなんてないんだよ。』 

 

 

 

心の底からそんなお前が気に食わない。

 

 

 

「確かにそうかもな。 でも、お前が立海の奴らとどんな関係があるのかは知らねぇが、合宿にまで危害加えてんじゃねぇ。 迷惑だ。」

「………っ」

「それと、俺様が嫌いなのはわかるが……お前は今、嫌でもマネージャーだ。 露骨にそんな態度を取るな。」

 

 

 

噛み締めるの唇がギュッと締め付けられる。

それほどまでに力強く握り締めた拳も、僅かだか震えている。

俯いた伏せがちな睫毛がチラついて、揺れ動く瞳を直視することはできなかった。

 

 

 

「あ、跡部…」

「この合宿が終わればお前も解放されるだろ。 それまで辛抱しろ。」

「…ちが、そうじゃなくて…」

「よかったじゃねぇか。 嫌いな奴の側から離れられるし約束の金だって手に入る。」

「……っ違うの!」

 

 

 

何かを必死に否定するように頭を両手で押さえたまま頭を左右に振る。

そのままの体勢で壁にもたれかかってずるずると力が抜けたように崩れ落ちていった。

 

 

 

「違う…ってお前、何が違うっつーんだよ。」

「ちがっう…違うもんっ…!」

 

 

 

違うって、一体何が違う。

お前は俺に向かって一度ではなく何度だって嫌いだと言ってのけたじゃねぇか。

何を今更否定することがある。

だったら、その姿勢を最後まで貫いて見せろよ。

 

じゃないと、俺もわからなくなっちまうだろうが。

 

どうでもいいのに。

お前に嫌いだと言われる度に痛み出す胸が、何なのか。

知らないフリをしていたいのに、気が付けば手を差し伸べてしまう俺自身が、自分が自分でわからない。

 

 

 

「ちが…うの、跡部…アイツに似て…るから…金持ちなとこも、俺様なとこも…全部似すぎてて…ただ、」

 

 

 

 

 

「…っ怖い、の。」

 

 

 

 

 

きっとコイツは今、泣いている。

それを悟られないようにって必死に下を向いて堪えている。

 

意地っ張りな奴め。

 

何をそんなに隠す必要がある。

泣きたい時に泣けばいい。

笑いたい時に笑えばいい。

助けて欲しい時に、助けを求めたっていいのに。

 

 

 

「……、」

「……っ、な、によ?」

 

 

 

俺がそれを知ったのはアイツらと出会ってからだった。

 

 

 

何もかもが面白くなくて、

くだらないと、そう一人で全てを抱え込んでいたあの頃。

 

 

 

 

 

『あーとべっ、相手してよ相手!』

 

『お前、好かねぇ奴だぜ全く。 ムカつく。』

 

『景ちゃーん、眉間に皺寄ってんでー。 怖いわー自分。』

 

『お前つまんねー男。 もっと笑えばいいのに。』

 

『おれ、跡部部長を尊敬してます!』

 

『ふん、せいぜい俺が倒す前に潰れないでくださいね。』

 

 

 

 

 

跡部という名に生まれたことを、悔やまなかったことなどない。

 

 

 

塞がらない傷跡が今も、俺の胸の内に残っている。

金持ちだと、そんなことはどうだっていい。

自信家だと、そうしていかなきゃいけない理由があった。

 

 

 

この女を見ていると、あの頃の自分を嫌というほど思い出してしまって、どうしようもなかった。

過去の自分と今の自分に縛られて、未来の自分を見出せない。

その姿がはたから見ればどれほどまでに痛々しいか。

それはそこから抜け出さなければ知ることが出来ない自分。

 

 

 

コイツはまだ、それを知らない。

そこからの抜け道を教えてくれる人間に、出会っていないから。

 

 

 

俺にとってそれがアイツらだったように、コイツにはまだその存在がいない。

いや、すでに出会っていたとしても、気づけない。

案外近くにいるその存在にこれっぽっちも気づくことができない。

過去と今に囚われすぎて、周りすら見えていないコイツに、そんな余裕など何処にもないように見える。

あの頃の俺が、そうだったように。

 

 

 

「やっぱり可哀想な女だな、お前は。」

 

 

 

昨日も告げた言葉を吐く。

嘘じゃない、本当に可哀想だと思う。

その輝きを失った瞳を見ていると、そこにはまるであの日の俺が映っているように思えて、さらに惨めさを増す。

 

 

 

「俺が怖いなら逃げるんじゃなく、胸張って立ち向かってくるだけの威勢があってもいいもんだけどな。」

 

 

 

逃げていても、答えは見出せない。

俺も、それを知っているから。

 

 

 

「自分を悲観的に捉えすぎてるだけじゃねぇか、なあ貧乏女。」

 

 

 

は覇気のない、だけど敵意の含んだ瞳で俺を睨み上げる。

 

そんな目で俺を見てんじゃねぇ。

そんな無造作に涙を流し続けた表情で。

 

と視線が絡み合う高さまでしゃがみ込み、涙でグショグショになった頬に触れた。

刹那、の肩が俺を拒絶するように跳び上がったが、俺は気にすることなくその距離を確実に縮めていく。

 

 

 

「泣くな、うぜぇ。」

 

 

 

その辺に転がっている女共とはまた一風変わったこの女に関わることに面白みを感じていた数日前の俺はどこへいったのだろうか。

俺にとってアイツらが変わるキッカケだったように、コイツにとってその存在が俺でありたいとさえ思ってしまうのは一体どういった心境の変化か。

これほどまでにコイツに手を差し伸べてしまうのはきっと、コイツのちっぽけなその姿が、あの頃の俺と重なるからに他ならない。

それ以外の理由はあってもなくてもどっちだっていい。

 

 

 

弱いくせに無理矢理張った虚勢も、

助けて欲しいくせに傷つくことを恐れて一人で抱え込む寂しさも、全て。

 

 

 

「あ、とっ…!」

 

 

 

俺の名前を呼ぼうとした口を無理矢理塞ぐ。

この緊迫した空間の向こうではボールを打ち合う音と、誰かが叫んでいる声とが混ざり合って聞こえてくる。

それさえも右から左に流れていくような感覚に眩暈さえ覚える。

 

 

 

「ッ…、」

 

 

 

切れた唇から垂れ落ちる赤い血液を舐め取る。

それがコイツにとっての精一杯の抵抗だったんだろう。

口の中に鉄の味が広がって、露骨に舌打ちした。

野生的な女だな、本当に。

 

 

 

「……そういうこと、すんのやめて。 口が腐る。」

「頼まれたってしねぇよ、これが最後だ。 泣き止まないお前が悪い。」

「……泣いてない。 あと、貧乏も禁句だっつってんでしょ。」

「それはしらねぇな。」

 

 

 

立ち上がると、に背を向けて切れた唇に手を当てた。

指先に赤い液体が僅かに絡み付いて固まった。

 

 

 

正直、今キスしたのはただムシャクシャした衝動に駆られてだった。

血迷ったんじゃねぇかって自分でも思う。

唇のひとつやふたつ、今更別にどうと言えたもんじゃねぇがコイツとだけは、むやみやたらにしてはいけない気がした。

一度目のふざけてやったキスも、今のキスも、唇から伝わってくる熱に、何故だか生きているって安心感が沸いた。

俺がじゃない、コイツが。

 

 

 

この先またいつか触れた唇が、冷たくなっていたらって、頭のどこかで考えてしまう俺がいる。

何でかなんて自分でもわかんねぇ。

ただ、デジャヴのような感覚。

初めて触れた時にそう思った。

コイツは放っておいたら、いつか消えていなくなってしまうんじゃないかって。

 

 

 

それほどまでに、俺とコイツは似ていると思う。

 

 

 

練習に戻ったらきっと他の学校の奴らが何か言ってくるんだろうな、と煩わしく思いながらも俺は元来た道を戻る。

あの場にアイツ一人を置いてくるのは少し心残りだったが、まあ大丈夫だろう。

こんなところで死ぬなんて馬鹿な真似はしないとは思うが、やはり少し気がかりで思わず足を止めてしまった。

けど今更戻るわけにもいかない俺はその場に佇んだまま蒼くくすんだ空を見上げて小さく舌打ちをした。

 

 

 

『あとべ、死んだ目してる。』

『……殺すぞ。』

『死なないでね。』

『何だお前。』

『自分を殺したり、しないでね』

 

 

 

俺は負けたくない。

今も、これから先もずっと。

どんな勝負にも自分にだけは負けたくない。

 

 

 

そう思えることが今はどれほど幸せか、コイツにはまだわかるはずもないだろう。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

跡部が立ち去ってもなお、しゃがみこんでそのままの体勢を保っているの側に歩み寄る。

もちろん跡部が出てった方とは反対側から。

一定の距離まで縮まったところで僕は躊躇いもなく声をかけた。

 

 

 

「何泣いてんの?」

「…泣いてないよ。」

「ふーん、紛らわしいな。」

 

 

 

声だけで僕だとわかったのか、抱えた膝に額を載せて俯いているはそのままの体勢で返事を返す。

声は僅かだけど掠れていて、それなのに泣いていないって言ったのはなりの虚勢だってわかっていたから僕は特に何も言わなかった。

むしろ優し過ぎるあまりその嘘に騙されたふりをしてあげた。

時折ズズッていう鼻をすする音が聞こえて来て肩を上下に揺らしてたけど、それも気のせいだってことにしといてあげる。

でもそんなの姿があまりにも惨めで、だけどどこか愛おしかった。

 

 

 

「跡部と、うまくいってないみたいだね。」

「うまくいかないどころか傷口のえぐり合いだよ。」

 

 

 

アイツ絶対サディストだ、と愚痴を零す。

確かに、跡部はの過去に負った傷を的確に突いてくる。

でもそれは気になるが故。

 

 

 

そして、跡部にもまた、癒えない傷がある。

コンプレックスとはまた違った傷を、も的確に突いているんだ。

知らないうちに、何度も。

 

 

 

はさ、跡部が怖い?」

「……。」

「無言は肯定ととるよ。 怖いんだね。」

 

 

 

弾かれたように顔を上げる。

ユラユラと揺れ動く大きな瞳は涙で潤んでいて、何だか気を抜けば吸い込まれてしまいそうな感覚に襲われる。

 

ほら、やっぱり泣いてた。

 

 

 

「じゃあそれは過去の彼と似てるから?」

 

 

 

どうして知っているんだ、そう揺れ動く瞳が問い掛けていた。

 

知らないわけがない。

僕は見て来たんだ。

ずっと、あの日から。

君は忘れてしまったかもしれないけど、ずっと見てきたんだから。

 

君の顔から笑顔が消えた時も、僕は知っている。

誰にもわからない場所で君が泣いているのだって知っている。

いつだって、僕は君を見ていたんだから。

決して近づくことは許されない一定の距離を保って、ずっと。

 

 

 

はアイツと跡部を重ねて見てるんだね。」

「……アイツを、知ってるの?」

「さあ、どうなんだろうね。」

「はぐらかさないで。 滝は知ってるんだ。」

「じゃあそういうことにしてくれてもいいよ。」

 

 

 

の顔が一気に強張る。

でも、絶対に認めてなんてやらない。

 

僕は君に対してどこか歪んだ感情を持っている気がする。

護ってやりたくて、救ってやりたいのに。

想いとは裏腹に僕は近付くことが出来ない。

見守っていることが僕の役目な気がして。

 

なのに、気持ちだけが先走りして、こうやって君にちょっかいばっかり出してしまう。

君が跡部に対して威勢よく喧嘩腰の態度を取る姿を見ると、あの日の君を思い出して胸が痛くなる。

それとはまた逆に、怯えた態度を取ると抱きしめたくもなる。

あの日に芽生えた感情が、僕の胸の中を騒ぎ立てるから。

 

 

 

「ねえは跡部のこと、実際のところどう思ってるの?」

「………。」

 

 

 

は一度視線を落とすと、組んだ手の平を解いて地面に手を付いた。

話してくれるかどうかは賭けに近かったけれど、どうやら話してくれる雰囲気だったので僕は黙ってが話し出すのを待つことにした。

 

 

 

胸騒ぎ、それを悟ったようにざわめきだす風。

知ってる。

跡部が嫌いだというのはアイツへのトラウマからだと。

だからきっと、彼女自身も言葉にするにはあまりにも複雑な感情が入り交じっているんじゃないかって。

 

 

 

「関わりたくないのに、でも気になって…近寄らないようにしようって、でも気にすればするほど視界に入ってきて…」

 

 

 

ほらね。

知ってるよ。 知ってたから。

君はいつだって跡部を鋭い瞳で睨み付けていた。

関わらないようにって、関わらないようにってする度に君の視線の先には跡部がいた。

 

 

 

「嫌いだって、ずっとそう思っていたのに…跡部に嫌いだって言う度に、自分が間違ってるような気がして…傷つけたことをすごく後悔する。」

 

 

 

大丈夫、僕は知ってるよ。 知ってるんだ。

君はね、本当はね、優しくて、素直で、すごく明るく可愛い女の子なんだよ。

でも、君のアイツに対するトラウマはそうとうなもの。

それが消えない傷だってことも知ってる。

君は跡部を嫌いだと思うことで自分を保ってるだけ。

アイツとどこと無く似通っている跡部を嫌いだと、そう思うことでアイツへの憎しみを忘れずに胸に刻み続けている。

それがアイツの思惑通りだとも知らずに。

 

 

 

「ジローや向日に跡部のことを言われた時も、跡部に訊かれた時も私…はっきり大嫌いだって思えなかった。」

 

 

 

だってそうでしょ。

アイツのことがなければ君は跡部を嫌いだなんて思うことはなかったんだ。

君が本当に嫌いなのはアイツであって、跡部じゃない。

跡部にアイツの面影を重ねているだけ。

 

 

 

憎くて、憎くて、憎まずにはいられない相手。

もし、あの時僕のことがなければ、今も君はあの日の笑顔を浮かべていたのかな。

周りの女の子達と同じように君も、跡部のことを好きになっていたのかな。

 

そう考えると、少しでも安堵してしまう自分が憎いよ。

やっぱり僕も、アイツに負けないくらい歪んだ感情を持ち合わせているようだ。

やはり、血は争えない。

 

 

 

 

 

『ハギの大切な人を貰いに来たぜ。』

『……君は彼女まで死に追いやるつもり?』

『つまらない奴じゃないんだろ? だったら死なねぇよ。』

『彼女は強い、でも人間だ。 君の玩具じゃない。』

『信用ねぇな。 っつか勘違いしてるようだけど俺の本来の目的はそんなんじゃねぇし。』

 

 

 

 

『堪えてほしいんだよ。 消えない傷を負ってもなお、ずっと。』

 

 

 

 

 

握りしめた掌が血で滲んでいたことを覚えてる。

ただ、壊れていく君を僕は他人事のように見ていた。

助けたいと思いながらも、もっと傷つけばいいと。

忘れてしまった君が悪いと。

 

ちょっとした僕の意地悪だったのかもしれない。

僕は、最も危険なアイツを君とへ差し向けてしまったんだ。

 

 

 

「ねえ、好きなんじゃない?」

 

 

 

突然の僕の発言に、はこれでもかってくらい顔を歪めてみせた。

ちょっとその顔に笑いそうになったけど、今はそんな雰囲気でもないし空気を読めない僕でもないからあえてそこは突っ込まないでおいた。

…まあ、普段はあえて空気を読まない僕だけどね。

は何を言っているんだって言いたそうな視線を僕に向けて、何かを訴えかけるように大きな瞳を揺るがす。

僕はその瞳を直視できなくて思わずどこか違うところに視線を背けた。

 

 

 

「それって、跡部のこと好きなんじゃない?」

「そんなわけっ…!」

「でも、大方外れてはないと思うよ。」

 

 

 

 

 

「僕の勘、当たるんだ。」

 

 

 

 

 

抱きしめる腕に力を入れる。

見た目より華奢な体つき。

 

 

 

君は、こんなにもちっぽけだったんだね。

なのに、一人であれだけのものを堪えてきた、生き抜いてきた。

 

 

 

「ねえ、僕じゃダメ?」

「た…き…?」

「僕は本気だよ。」

「何言って…」

 

 

 

『………なに、してるんだい?』

 

 

 

「ずっと見てた。 じゃなきゃ、が貧乏だなんて普通気付かないよ。」

 

 

 

『だったら、約束だよ。 忘れないでね。』

 

 

 

知らなかったでしょ、と最後に付け足して僕はからそっと離れる。

まだ少し名残惜しかったけど、いつまでも練習を抜け出しているわけにはいかない。

呆然としているに背を向け、跡部が立ち去った方へと歩き出す。

数歩あるいたところで振り返ってみると、はまだ僕の姿をボーっと間抜け面で見つめて立っているだけだった。

 

 

 

の、嘘吐き。」

 

 

 

そう言ってを残し、角を曲がる。

跡部がまだ立ち去っていなかったことくらい気付いていた僕は、すぐそこに跡部が壁にもたれるようにして立っていたって驚きもしなかった。

僕は跡部の方も見ずに、ただ真っすぐ先を見据えて言った。

 

 

 

「跡部、そういうことだから。」

「……。」

「もし君が立海の奴らのようにを脅かす存在となるのなら、」

 

 

 

僕はあの日の君を笑顔を奪ってしまった。

だけどそれを悔いてはいない。

アイツもまた、あんなのでも僕にとっては大切な存在だから。

 

 

 

 

 

「僕は君を敵に回してでも彼女を護るよ。」

 

 

 

 

 

ねえ君はあの日、僕に自由をくれたよね。

 

だからせめて、それくらいの償いをさせてほしいだけなんだ。

 

 

 

 

 

2008.12.30 加筆修正