君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

平凡な毎日だった。

お金はないけどとりあえずは幸せで、特に不満なんてなかった。

アイツが私の前に現れるまでは、の話だけどね。

 

 

 

 

 

「っ!」

 

 

 

目には溢れんばかりの涙。

乾いた頬に汗だくの身体。

夢見は、最悪だった。

 

 

 

「……朝、だ。」

 

 

 

一人部屋(といっても襖の向こうは御影咲ちゃんがいる)でよかった。

誰にも見られなかったことだけが幸いだった。

 

窓の向こうから薄っすらとした朝日が差し込み、鳥の爽やかな囀りが聞こえてくる。

それとは全くの正反対の私の状況。

浮かんでくるのは乾いた笑いだけ。

 

ホント、朝からアイツの夢を見るとは実にツイていない。

まだ跡部が出て来る方が幾分かマシだった。

 

 

 

「あー…朝練の準備しなきゃ…」

 

 

 

ぼーっとした重い頭を左右に振り、敷き布団から起き上がる。

身体の所々が痛い…。

 

 

 

「お腹空いたなあ…、」

 

 

 

朝食の時間は七時から。

そして朝食が済んだ者から朝練開始、だったっけか。

しかし携帯で時間を見てみると、現在の時刻は五時半ぴったし。

 

ああ、体が勝手にこんな朝早くに目覚めちゃうなんて私もババアになったもんだ。

 

こりゃいかんな。 青学の顧問じゃあるまいし。

 

 

 

「いかんいかん。 失礼な事を考えてしまった…。」

 

 

 

一時間半もあれば余裕で朝練の準備も済ませるだろう。

とりあえずまずは自分の身嗜みを整えに、タオルと歯ブラシ洗顔セットを片手に部屋を出た。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

部屋が分かれてようが洗面所は男女共有。

四つの鏡と水道が設備されており、洗面所に向かって左側がマネージャーと顧問と合宿所のオバサン達の部屋。

右側が部員の部屋へと続く配置になっている。

つまりこういうところでは年頃の女の子であっても、寝起き姿という無惨な醜態を晒す羽目になる。

考えてよ、スミレちゃん。 もっとちゃんと配慮してよ。

 

 

 

「うげぇっ、誰かいるじゃん…、」

 

 

 

曲がり角に身を隠す。

壁伝いに相手の様子を窺うと、見たことのあるシルエットだったので思わず息を飲み込んだ。

相手はどうやら顔を洗っているらしく、バシャバシャと水が跳ねる音が私のところまで聞こえてきていた。

それにしてもこんな時間に目が覚めるなんて、私と一緒でよっぽど年寄りなんだね。

可哀相に、まだ若いのに。

 

 

 

「ふぅっ、、そんなところに隠れて何してんだよ。」

「!!」

「うげぇっての聞こえてたぞ。 ホント失礼な奴だなお前は。」

 

 

 

タオルで顔を拭いて、顔を洗う際に濡れたんだろう前髪を軽くタオルで乾かしながら宍戸亮が私を呼ぶ。

当然気付いていないとばかり思っていた私は、突然のことに体をビクつかせ、顔を引き攣らせた。

 

き、聞こえてたんだ…。

どうしよう、出ていくべきかな。

…出て行くべきだよね、確実に。

 

 

 

「…み、身支度はもう終わりましたか?」

「ああ? まだ髪セットしてねぇけど…」

「はあ、髪セットすんの!? 変わんないんだからやめとけば!?」

「お前朝から俺を怒らせたいのか?」

 

 

 

若干低くなった声に私は地雷を踏んでしまったのだと気付く。

どうしよう。 とりあえず、ごめんなさい。

 

最悪な事に、宍戸亮はまだ髪をセットするらしい。

何かこだわり持ってそうだからこりゃ時間がかかるかもしれない。

その間にまた人が来たら厄介だ。 うん、厄介だ。

それにこんなところで時間を潰していたら朝練の準備する時間がどんどん無くなってしまう。

 

 

 

「……はあ、仕方ないか。」

 

 

 

よし、こうなったら恥をしのんで宍戸の前に出て行こうじゃないか。

まあ宍戸だし…問題ないか。

なんて再び失礼なことを考えながら、私は意を決して一歩前へと足を踏み出した。

……なのに、

 

 

 

「おはようございます宍戸さん! …あ、先輩もおはようございます、早起きですね!」

 

 

 

ひぃっ!

 

突然増えた鳳長太郎君の存在に思わず泣きたくなった。

宍戸亮が「はよ。」とぶっきらぼうに挨拶する声を頭の何処かで聞きながら、

踏み出してしまった以上後戻りできるはずもなく洗面所に向かって歩き続ける。

私は引き攣った顔のまま搾り出すような声で小さくおはようとだけ返して

なるべく顔を合わさないようにそそくさと一番端の水道の前に立った。

 

 

 

「宍戸さん、走るんですよね?」

「おう、ちょっとだけだけどな。」

「やっぱり、だろうなと思いました。 一緒していいですか?」

「ああ、別にかまわねぇけどよ。 ついて来れたらの話だぜ?」

「はい、頑張ります!」

 

 

 

会話が水の音に混じって聞こえてくる。

とりあえず先にこの涙の跡がついた汚い顔を洗ってしまおうと、私は洗顔を適当に付けて水で洗い流した。

あー生き返るわ。

 

 

 

「そういえば青学の海堂でしたっけ? アイツもう合宿所の周り走ってましたよ。」

「マジかよ。 何時に起きてんだアイツ。」

「…さあ? あ、でも日吉ももう起きてるみたいです。 隣見たらいませんでした。」

「若ならさっき俺より先に走りに行ったぜ。 俺よりちょっと早かったんだアイツ。」

「へぇ、そうだったんですか。 きのう寝る前に起きる時一声かけて起こしてって頼んだのに放ってっちゃうんだもんな日吉の奴。

 酷いですよね。 おかげでアラーム壊しちゃいましたよ。

「……お前な、自分で起きろよ。 いい加減その寝起きの悪さ治さねぇと彼女出来た時どうすんだよ、ったく。」

 

 

 

鳳長太郎君の照れ隠しの笑い声が静かな早朝の洗面所に響く。

ところで今聞き流しそうになったけど、彼女が出来た時って何ですか宍戸さん。

アンタさらりとヤラシイ男だったんだね。

 

 

 

「あーあ、明日の分のアラームどうしよう…。」

「目覚まし時計持参だったの?」

「はい、俺アラームがないと起きれないんです。 でもスヌーズが付いたアラーム使うといつも潰しちゃって…、」

「へ、へえ…そうなんだ。 まあ寝起き悪い人にとっちゃスヌーズって鬱陶しいもんね。 しつこいし。」

「そうなんですよね。 はあ、困ったなあ…。」

 

 

 

どうやら鳳長太郎君は寝起きが悪いようだ。

アラーム壊しちゃうくらいって、相当だよね。

というより本当に目覚まし時計持参って、よほどなんだろうな。

それを初日の朝にブッ壊しちゃうなんて、勿体ないと言うか何と言うか……

 

日吉君が起こしてたらどうなってたんだろう。

 

私としては珍しくそっちの方が気になってしまった。

やはり人間が起こしてもアラームと同じようにブッ壊す勢いで投げ飛ばしたりするのだろうか。

 

そういえばつい最近、日吉君は古武術をやっていると聞いたことがある。

古武術がどんなものか知ったこっちゃないが、だから彼に頼んだのだろうか。

武術をやる以上は受け身くらいとれるだろうし。 うーん、謎は深まるばかり。

 

 

 

なんて、歯を磨きながら一人でそんなことを考え、いまだ続いている宍戸亮と鳳長太郎君の会話に聞き耳を立てる。

寝相の悪さでついた寝癖を鏡越しに見つめ、こりゃ整えるのに時間がかかるな、とぼんやり考えていた。

 

 

 

、お前目腫れてるけど…大丈夫か?」

「え、うん。 大丈夫…きのう寝る前に豆乳一気飲みしたんだ。」

「そ、そうなんですか。 意外な返答でしたね宍戸さん。

「…豆乳かよ。」

 

 

 

顔を引き攣らせる二人に視線を合わせる事なく髪をとかす。

なるべく心配かけないようにって嘘をついた。

豆乳を飲んだのは事実だけど、目が腫れた直接の原因でないのは確か。

私は先に顔を洗っておいて正解だったな、と安堵の息をそっと零した。

 

 

 

「ま、何かあったらすぐに言えよ。」

 

 

 

二人はまだ納得はしていなかったけど、それ以上深く追究してくることはなかった。

代わりに頭をポンと撫でられて、少しだけびっくりした。

 

あ、歯磨き粉飲み込んじゃった…。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「よし、始めるか。」

 

 

 

宍戸亮達と別れた後、一度部屋に戻ってジャージに着替えた私は、水飲み場にて気合い入れに顔を叩く。

結局整えるのが面倒になった髪の毛は無造作に一本に束ねた。

まあそんな大して酷くもないから特に気にすることもないだろう。

まだ部屋でぐっすりな御影咲ちゃんはきっと起きてもなかなか手伝いに来ないだろうな。

用意に時間かかりそうだもんあの子。

だから期待はしないで待っていよう。

 

 

 

「やってらんないねぇまったく。」

「ほう、朝からやる気がないようだな。」

「ぎゃあああ出たぁあ!」

 

 

 

突如現れた背後の気配に驚き、水道の蛇口を捻った手を振り回す。

 

出た!

出た!

早朝からお化け出た!

 

よく考えれば明らかに人間の声で、しかも昨日に何度か聞いたことのある声だったのだけれど、

完全に朝だから誰も来ないと油断しきっていたところだったので不覚にも取り乱してしまった。

振り回す私の手をがちりと掴んで目の前に立っていたのは、もう一汗掻いて来たのだろう真田君だった。

うわぁ……ある意味出た。

 

 

 

「お、おはよう……ございます。」

「うむ、おはよう。 朝から元気なことはいいことだが、何が出たんだ。」

「いえ、…別に。」

 

 

 

貴方です。

 

なんて言う勇気のない私は目を泳がせて俯いた。

真田君は「そうか。」と簡素な返事を返すと、水を飲みに来たのだろう、渇いた喉を潤すように水を飲んだ。

あー怖かった。 悪戯してそれが父にバレた子どもの気分だった。

 

 

 

「あの、」

「先に言っておく、俺は何も知らない。」

「え?」

 

 

 

私の声を遮るように真田君はタオルで口を拭いながら言った。

最初から、私が質問することを予測してたかのような完璧なタイミングだ。

 

 

 

「今回のことは何も聞かされていない。 幸村が、全てを隠そうとしている。」

「それはどういう…意味?」

「俺が知っている事実はただ、今もまだ我々立海大テニス部にアイツが絡んでいるということだけだ。

 だが、俺はお前に対してどうこうする気はない。 そして庇うこともしない。」

「じゃあどうして仁王君達はっ…」

「実際動いているのは仁王と赤也、それに幸村だけだ。 中には俺のように事情を詳しく知らない者だっている。」

 

 

 

確かに、言われてみればそうだ。

丸井君は私に対して普通に接していた。

それにあの時廊下で切原君が私に何か言って来た時、隣にいたジャッカル君(だっけ?)は何も言わなかった。

 

 

 

「……確かに、そうかも。」

 

 

 

よくよく考えると、私にチョッカイを出して来ていたのは仁王君と切原君と幸村君の三人だけだということに気がつく。

……立海の中でも、何かあるのだろうか。

 

真田君は小さく息を吐くと、眉間にシワを寄せた私の頭をポンと叩いて言った。

 

 

 

「すまない。 アイツらを、許してやってくれ。」

「…真田君。」

「悪い奴らでは、ないんだけどな。」

 

 

 

それだけ言い残して立ち去る真田君の背を見つめる。

彼の姿が見えなくなった途端、出しっぱなしだった水道の水の流れる音が耳に入ってきて、慌てて止めた。

やっべ、勿体ないことしちゃった。 今ので何リットルの水が流れたことやら…。 

 

 

 

――― 悪い奴らでは、ないんだけどな。

 

 

 

真田君が残していった言葉をもう一度頭の中で繰り返し、私はそっと溜め息を吐いて空を見上げた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

朝、時間も気にしないで眠りこけっていたら同室のジャッカル先輩が起こしに来た。

うざかったから素無視を決め込んで寝続けていたら、いつの間にか幸村部長まで一緒にいて、

 

朝から口にするのも悍ましいくらいの恐怖を体験した。

 

だらし無い欠伸をしながら頭を掻いて向かった食堂はすでに賑わっていて、何だか美味しそうな匂いが俺の鼻を擽った。

あー腹減った。 さて、メシだメシだ。

 

 

 

「アレ、幸村部長と副部長は?」

「部長と副部長だけの三校会議。」

「へー朝から大変っスねー。」

 

 

 

ふんふんと頷きながら既に朝飯を何皿かたいらげている丸井先輩の隣に座る。

朝はどんなに食べても太らないっつーけどこんなけ食えば太るに決まってる。

すぐそこのカウンターで御影と青学の奴らが朝食が載ったトレイを受け取ってるのを見て、

俺もジャッカル先輩に取って来てもらおうと辺りを見渡してジャッカル先輩を捜した。

 

 

 

「いねぇじゃん、役立たずだな。 …んん?」

 

 

 

ふと、宍戸さん(だっけ?)とオカッパと眼鏡と朝食をとっているが目に入った。

昨日のことが瞬時に蘇って、何だか急に朝から気分が悪くなった。

あーあ、最悪だな。

 

 

 

「御影さん大きな欠伸。 眠たそうだね。」

 

 

 

耳障りな不二周助の声が聞こえて来て、思わず視線をカウンターに戻す。

そこには不二周助と御影、桃城、名前忘れたけど…猫みたいな人がいた。

照れるように笑う御影。

さっきの事があったからか、無性に苛々した。

 

 

 

「朝早かったから眠たくて…」

「へえ、早かったってどれくらい?」

「えっと、五時半くらい…かな?」

「五時半!? 咲ちゃんはっやーい!」

「それじゃあ海堂とあんまし変わんねぇなあ。 何してたんだ?」

「そ、それはその…一人で、朝練の準備を…」

「へぇ、それはご苦労様。 マネージャーも大変なんだね、ありがとう。」

 

 

 

そう言ってちらり、不二周助はを見た。

わざわざ“一人”を強調したのに、不二周助がそこにあまり突っ込まなかったことに不満だったのか、御影の表情が少しだけ曇る。

 

 

 

「いえいえ、これがマネージャーの仕事ですから。」

 

 

 

ま、誰が準備をしてようがしてなかろうが俺にとっちゃどうでもいいことだ。

準備がしてありゃテニスができる。 つまりは、準備さえしてりゃいいんだよ。

まあ正直言うと御影が準備なんて絶対してないって事も知ってるけどな。

 

 

 

「本当、俺らもマネージャー欲しいッスよ、ねぇ英二先輩!」

「うんうん、咲ちゃん青学においで〜。 俺らのマネやってよ。」

「ええ、青学ですか?」

 

 

 

そんなことは、過去の出来事を知ってる俺からしたら丸わかりなこと。

でも、青学の奴らは知らないから、もしかしたらこれを信じてしまうかもしれない。

 

それがまた、御影の嘘をさらに積み重ねていく。

ただ、その口からの出任せが何処まで通用するのか。

 

 

 

「ダメですよ、だって、咲は立海の唯一のマネージャーなんですから。」

 

 

 

あの時は確かに上手く行った。

だって、御影が一人で嘘を積み重ねていたワケじゃない。

あの時はその嘘が上手く行くようあの人が土台を作っていたから。

だからバレることなく嘘が通っていただけだ。

 

 

 

「立海のみんなのお世話するのが咲の役目なんですよ。」

 

 

 

だけど御影、アイツは知らない。

 

嘘ってもんはいつかどこかでバレるもんなんだってこと。

 

だけどバレるまでアイツはそれに気づかない。

 

だからこそ、バレるまで何度だって繰り返される。

 

 

 

「咲ちゃんは、立海が大好きなんだね。」

「はい大好きです!!!」

「へえ、言い切ったね。」

「お、不二ってば立海にヤキモチかあ〜?」

「ちぇー、いいよなぁ立海の奴ら。 俺らもバアサンが認めてくれたらなぁ。」

 

 

 

何度も、何度も。

一度成功した自信があるだけに、うまくいくと信じて疑わない。

だから、また繰り返される。

 

 

 

「咲、みんなが大好きだから頑張れるんです!」

 

 

 

 

 

あーもう、イライラする。

 

 

 

 

 

「……ッざけんなよ!

「赤也!」

 

 

 

椅子を蹴るように立ち上がり、叩くようにテーブルに両手をつく。

柄にもなく俺の名を叫んで静止を促したのは仁王先輩。

視線が一気に俺に集まったことで、漸くハッと意識を取り戻して舌打ちをする。

あーあ、やっちゃった、そう思ったのも束の間。

 

この苛立ちの矛先をに向け、キッと睨みつけて歩み寄った。

 

 

 

「ほーんと、うちのマネージャーって健気ッスよねぇ。」

 

 

 

さあ、また同じことの繰り返し。 また、繰り返される。

あの時、先輩達に逆らえなくて傍観を決め込んでいた俺が、今度はあの人達と同じ立場に立つ時が来た。

積み重ねられた嘘に、俺は自ら振り回されてやるよ。

 

 

 

「アンタ、御影に仕事押し付けてんじゃねぇよ。」

「なっ!」

「おい、何だよいきなり。」

「宍戸サン、アンタは黙っててくれません? 俺はこの女にケチつけに来たんスよ。」

「おい赤也!」

 

 

 

今度俺を止めに来たのは丸井先輩だった。

さっき俺を止めようとしていたはずの仁王先輩は既に傍観を決め込んでいて、気にも止めていない様子だ。

きっとさっきは俺が御影にキレたとでも思って焦ったのか。

 

ゆっくり振り返ると、丸井先輩は俺の肩を掴んで俺のことを睨み付けていた。

 

 

 

「赤也、やめとけ。」

「何で?」

「何でってお前…こういうことするとどうなるか、お前わかってんだろぃ?」

「…知らないッスよ。 どうなるんスか?」

 

 

 

丸井先輩の表情がさらに険しくなる。

あーあ、お怒りだ。

珍しいこともあるんだな。

 

わざと惚けたフリをすると、丸井先輩は俺の両肩を掴んでこう叫んだ。

 

 

 

「お前だって見てきただろ、アイツのこと! 周りが口を挟んで、アイツは最後どうなったんだよ、思い出せ!」

 

 

 

何も知らないって、どれだけ楽なんだろう。

こうやって当たり前のようにいい人ぶれる。

周りからもいい目で見られる。

俺達を犠牲に、何ヒーローぶってんだっての。

 

 

 

「あーあ、ホントくだらねぇ。 何で俺達ばっかこんな思いしなきゃなんねぇんだっての。」

 

 

 

早く、早く終わらせてくれよ。

あーもう。

誰だっていいから、早く。

あの人から、早く、解放させてよ。

早く、早く。

 

 

 

「こんな女、」

 

 

 

 

 

「朱音先輩みたいにさっさと死んじゃえばいいんスよ!」

 

 

 

 

 

苛々が、治まんない。

口が、止まんなかった。

 

 

 

「…あかね?」

 

 

 

ガタン、椅子から立ち上がる音。

目を見開いて俺を見ているのは氷帝の芥川サン。

小刻みに震えた薄く開かれた唇から、弱々しく言葉が紡がれた。

 

 

 

「…死、んだ?」

「ジロー先輩、」

「っ、やっぱり…!」

 

 

 

拳を握りしめて歯を食いしばる。

そんな芥川サンに対して、隣に座っていた鳳が悲痛そうに声をかける。

 

 

 

 

 

「やっぱりあの子は立海テニス部に殺されたんだ!」

 

 

 

 

 

顔を歪めて叫んだ芥川サンの声が、シンとした食堂に響き渡る。

 

何を、言い出すかと思えば…

 

目を見開く俺、口を閉ざして難しい顔をする先輩達。

仁王先輩が立ち上がったと同時に食堂のドアが開いた。

 

 

 

 

 

「何だか朝から穏やかじゃないね。 廊下の端まで赤也の声が聞こえてたけど?」

 

 

 

 

 

幸村部長、跡部サン、副部長、手塚サン、青学の副部長サンが順に入ってくる。

第一声を発した幸村部長は、どこと無くいつもと違ったオーラを身に纏っていた。

声も低くて、貼り付けたってわかる笑顔がいつも以上に怖い。

薄く開かれた目は俺の名を呼んでいたにも関わらず、鋭く芥川サンを睨み付けていた。

 

 

 

「おい真田。 お前んところの猿がキャンキャン吠えてるぜ。 躾がなってないんじゃねぇのか、アーン?」

「フン、それはお前のところも同じだろう。」

 

 

 

余裕な表情を浮かべる跡部サンに副部長はいつもの仏頂面で返す。

舌打ちをした跡部サンは叫んだっきり何も言わず俯いている芥川サンをちらりと見据えた。

 

ったく、いらねぇことばっかり言いやがって。

 

俺のイライラから始まったこの騒動のせいで、

朝早くから食堂の空気は実に重苦しいものになってしまった。

あーあ、絶対後で部長に殺される。

なんて思いながら肩を落とすと、同時に俺の目の前に影が落ちる。

 

 

 

「おい小僧、俺様は威勢がいいのは嫌いじゃない。 だけど、理不尽な威嚇は好きじゃねぇ。」

 

 

 

跡部サンに視線だけを向ける。

跡部サンは、思いの外すぐ近くにいた。

 

 

 

「そこのクソ生意気な貧乏女がどうなろうが俺様は知ったこっちゃねぇが…」

 

 

 

 

 

「限度、弁えろよ。」

 

 

 

 

 

強い輝きを持った青みがかった瞳。

そんな目が俺の意識を吸い込むように鋭く射抜く。

 

限度、弁えろ、だと?

 

ムカつく。 ムカつく。

苛々が治まることはない。

ずっと、何かに縛られたまま動けない。

もどかしくて、苛々する。

最高に、気分が悪い。

 

 

 

「…ま…だよ、」

 

 

 

沸き上がってくる感情に、吐き気がする。

食いしばった歯がギシッと音を立てて頭に響いた。

 

 

 

限度を弁えろ?

何だよソレ。

何が言いたいわけ?

アンタは何を知ってるってんだよ。

俺の、この女の、あの人の、ここにいる先輩の、何をわかって言ってるんだ。

 

 

 

 

 

「アンタ何様なんだよ!!」

 

 

 

 

 

バシンッ

 

 

 

 

 

重く、乾いた音が鳴ってすぐに椅子やらテーブルやらが無造作に倒れたり動いたりする音がした。

床に尻餅をついた俺の体は、みるみるうちに熱が冷め、何だか呆気に取られたように口を開けたまま俺の頬を打った人物を見上げた。

意外な、人だった。

 

 

 

「や、ぎゅ…せんぱ…」

「やめたまえ、切原君。」

「……。」

「出過ぎた真似はみっともないですよ。 ご自分の不満を周りに蹴散らすなど、紳士あるまじき行為です。」

 

 

 

今まであまり、というか全く人に手なんてあげたことなんてなかった柳生先輩が俺の頬を打った。

驚いて声も出ない俺を先輩は取り付く島もない口調で突き放す。

驚いたのは俺だけではないようで、周りを見てみるとみんな驚愕の表情を顔面に貼り付けていた。

 

 

 

「……わかりましたよ。」

 

 

 

俺が吐き捨てたようにそう言うと、

柳生先輩は満足したように口許に笑みを浮かべ、いまだ尻餅ついたままの俺に手を差し延べた。

 

 

 

「手をあげてすみませんでした。」

 

 

 

こうでもしないと貴方は止められないでしょう?と続けて言われて、

まあ確かに、と納得してしまうから俺ってどうしようもない。

馬鹿だな、って零れるのは乾いた笑みだけ。

 

 

 

「柳生先輩、力強すぎ…」

「有りっ丈の力を込めましたからね。 冷やした方が良いでしょう。」

「……鬼。」

 

 

 

みんな、護り方を知らない。

突き放すことでしか表現できぬ想い。

 

 

 

みんな、みんな、馬鹿ばっかり。

だから、また同じことを繰り返そうとするんだ。

何度も、そう、何度も。

何かを失っても、また。

 

 

 

また、誰かを傷つけて自分と言う存在を確かめている。

 

 

 

 

 

それは、俺も、あの人も、みんな一緒。

 

 

 

 

 

2008.12.19 加筆修正