君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

想い出の中で悲しそうに笑う彼女は、今の君にとても似ていた。

 

 

 

 

 

『ねえねえジロちゃん』

『んー…ナーニー?』

 

 

 

青い空。

男と女。

二人は違う制服を身に纏い、同じ空を見上げる。

 

 

 

『私、自由が欲しいな。』

『そだねー…欲しいねぇ〜。』

『真面目に聞いてよ。 こうやってわざわざ立海から氷帝に来てんだから。』

『うん。 じゃあ…何かあったの?』

『いきなり本題デスカ? 君本当デリカシーないねぇ。』

『あーそれよく言われる〜。』

 

 

 

ぼんやりと空を見上げる俺に対して、空元気に笑うあの子はこの日を最後に忽然と姿を消した。

今もあの子は生きてるのか、それとも死んだのかすらわからない。

ただ、あの子と俺は名も付けようがない仲だったから。

友達と聞かれればお互いの事を何も知らない。

全くの他人かと聞かれればそれほど冷めた仲でもない。

俺達は空を見上げながら浮ついた話をよくした、それだけの仲だった。

 

誰も、俺に行方を教えてくれるってことはなかった。

俺も聞くことすらしなかった。

そもそも、みんなは俺があの子と知り合いだったなんて知らなかっただろう。

 

 

 

だから、うまく隠せたつもりでいる彼らの残酷なゲームを、俺は知っている。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

君のこと、知らなかったわけじゃない。

だけど、助けてあげるまでもないと、思ってた。

 

 

 

『ねぇ、ユッキー。』

 

 

 

だって俺は、人は強いと、信じて疑わなかった。

 

 

 

『…死んだら自由になれるかな?』

『なれないね。 それは所謂“逃げ”だよ。』

『でも、死んだらみんなはもう私のこと虐めてこないでしょ?』

 

 

 

辛い現実から逃げようとする彼女を、嘘でも好きだとは言えなかった。

だけど嫌いじゃないよ、むしろ大切な仲間だと思っていた。

ただ、その場に立たされた人の気持ちなんてその人にしかわからないから、

逃げる手段を選ぼうとする彼女の事を俺は理解してやる事ができなかったんだ。

 

 

 

『幸村。』

 

 

 

隠せたと、そう思っていた。

 

 

 

『……なんだい、仁王。』

『棟田から電話。』

 

 

 

ある男の意図的な発言によって引き起こされた残酷な遊戯。

所謂ゲーム。

 

 

 

『とっくの昔にテニス部を出て行った君が、俺に何の用かな。』

 

 

 

隠された真実を知っている一人の少女と、八人の俺達(レギュラー)

そしてもう、二度と動く事ができないあの子。

 

 

 

『俺の幼馴染みだったんだよねー、あのマネージャー。』

『…用件は何?』

『バラされたくなかったら頼むよ幸村。 どうしても手に入れたい奴がいるんだ俺。』

 

 

 

もう二度と同じ過ちを繰り返さないために、俺達は彼女を犠牲にしなければならない。

王者立海の名を背負った俺達は、例えそれが自分の犯した過ちでなくても、隠し通さなくちゃならないんだ。

 

 

 

『今回咲ちゃんは好きに泳がせておけばいい。』

『でもっ…!』

『落ち着け赤也。 棟田との約束を果たすためには彼女の存在が必要なんだ。』

 

 

 

大丈夫。

全てが終われば、ちゃんと制裁を加えるよ。

そのままなんかにはさせない。

立海大附属中テニス部を守るために、俺達は彼女を犠牲に奴との約束を果たさなくちゃならないんだ。

 

 

 

『仕方ないことなのかもしれないね。 過ちを隠そうとすれば更なる過ちが積み重なってく。』

 

 

 

俺達は、悪いなんて思っていない。

全ては、“立海”を守るため。

 

 

 

『仁王、赤也。 今回の事は誰にも言うんじゃないよ。』

 

 

 

どれだけアイツが憎くたって、

 

 

 

『大丈夫。 俺達だけでも簡単に彼女を潰せるよ。』

 

 

 

俺達は心を鬼にして生きなくちゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

出会ったのは、確か彼女が死んですぐだった。

三年生が引退して部内で最高学年となった俺達。

先輩達が残した部内で起きてしまった事件をどう対処すべきかで悩んでいた時だった。

 

 

 

『死にたいのか?』

 

 

 

覇気のない笑顔。

ひと気のない河原で、その場所とは不釣り合いな制服を着た少女。

俺は自分でもほぼ無意識のうちに、気がつけば話しかけていた。

 

 

 

『……なんで?』

 

 

 

当然の返答だった。

見知らぬ男にこんな質問をされたら、誰だってそう答えるだろう。

驚いて、怖がるかもしれない。

だけど目の前の少女は、物憂げに川の流れを眺めているだけで、驚きはしなかった。

 

 

 

『そういう風に見えたからだ。』

 

 

 

きっと、自ら死を選んだ彼女と目の前にいる少女を重ねたんだろう。

その希望も何もない瞳が、寂しそうな小さい背中が、よく似ていた。

 

彼女がこの世からいなくなった日。

愚かな人間だと、俺は思った。

自ら命を絶つことは実に愚かだと。

そんな人間は世の中に敗れた紛れも無く敗者なんだ。

 

 

 

『死ねたらいいね…』

『願望か。』

『うん、だって死なないし。』

『ほう…言い切ったな。』

『そりゃ死んだら楽だろうけど、何だか悔しいじゃん。 何で私がアイツのために死ななきゃなんないんだーって。 だから死なない。』

 

 

 

ごく単純ではあるが、いい考えだと思う。

自ら命を絶つなど、俺は認めない。

 

 

 

『君、変な人だね。』

『……何故だ。』

『あれ、聞くの? だって急に知らない人に死にたいのかなんて普通聞かないよ。 失礼だもん。』

『俺にはそう見えたから聞いただけだ。 見えなかったら聞かない。』

『…そんなに私死にそうな顔してた?』

『ああ、していたな。 無意識だったのなら、気をつけた方がいいぞ。』

 

 

 

死にたいと思っていても、死なない。

辛い現実と向き合って、必死に今をもがいている目の前の少女。

絶望の中でもまだ頑張ろうと生きているそんな少女に向かって、俺は気がつけば手を差し伸べていた。

俺という存在が、少しでも支えになればいい。

 

辛い今を生きることに必死で足掻く姿。

俺は嫌いじゃない。

 

 

 

『俺は柳蓮二。 お前の名は?』

『…。』

『そうか、じゃあ俺は帰るぞ。』

『名前聞くだけ聞いて帰っちゃうんだ。 やっぱり変な人。』

 

 

 

フッと笑った顔に、少しだけ力が蘇る。

俺は彼女の額を軽く小突いて立ち上がった。

 

 

 

『安心しろ、いずれまた会う。 そうだな……確率は98%だ。』

『…何ソレ。 あとの2%は?』

『お前が自らの命を絶った場合。 それさえなければまた会える。 じゃあな、。』

『……またね、蓮二。』

 

 

 

この時、少女は無意識に“またね”と言った。

その時点で次に会う確率は99.8%までうんと引き上げられたんだ。

 

――― 

 

少女の名前は、聞いた事があった。

そしてそれが、アイツの口からだということも、俺は記憶している。

 

 

 

俺の中で、必ずアイツ絡みで再び会う日が来ると確信に変わった。

 

 

 

この日を境に、くだらないとばかり思っていたこのゲームに、俺も少し参加してみたくなったんだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

虫の音が耳に入ってはすぐに通り抜けていく。

ぼんやりと夜空を眺めながら今日一日の出来事を振り返る。

実に騒がしく不快だったな、と。

 

 

 

「私なんか…構わなければいいのに。 得する事なんて何もないのにな。」

「だったらそんな辛気臭い顔してんじゃねぇよ。」

「!、あ、跡部…、」

 

 

 

じゃりっと砂と靴が擦れる音がする。

あーあ、跡部景吾がここに来るってわかってたならみんなと楽しく枕投げしに行ったのに。

私ってばホント運が悪い。 実に悪運の持ち主だわ。

 

 

 

「お前は気付いてねぇだろうがな、いつも私は不幸ですって顔してんだよ。」

「してないし。」

「してるっつってんだろうが。」

 

 

 

何かちゃっかり私の隣に腰を下ろしてしまった跡部景吾に対して心の中でひそかに舌打ちしながらちらりと横目で盗み見る。

泣く子が黙るどころかショック死してしまいそうなくらいの鋭い目付きで睨まれていた。

いい目してるよ、ホント。

 

 

 

「………。」

 

 

 

互いに何も言わない。

虫の音だけが何処からともなく鳴り響いていて、三階の窓から枕投げ大会の騒ぎ声が微かに聞こえた。

いいなー楽しそうだな……。

跡部景吾はしないのかな、枕投げ。

想像はできないけど結構アリだと思う。

ていうかやって来いよ。

頼むから直ちにここから立ち去ってくれ。

 

 

 

、お前の言う金持ちって何だ?」

「……不平等な人種。」

「そりゃテメェん家が貧乏すぎるだけだ。 俺様が聞いてるのはそんなことじゃねぇよ。 どんなイメージが焼き付いてんだってことだ。」

 

 

 

パチンと額で弾ける痛みに思わず目を閉じる。

跡部景吾にデコピンされたんだと気付くと、何だか無性に腹が立った。

くっそー…ガキ扱いされたみたいで何か悔しい。

ムカついたからこれでもかってくらいの三角眼で睨み付けて、

 

 

 

「そんなのアンタが一番ピッタリ当て嵌まってんだからわざわざ私に聞かなくとも自分のこと見直しておけば?」

 

 

 

って言ってやった。

……というよりは言ってしまった。

まあ、ぶっちゃけ時既に遅し。

 

みるみるうちに跡部の眉間には深ーい線が刻まれていって、あっという間に般若のような顔に出来上がってしまった。

やっちまったよ神様。

神より仏より閻魔大王よりも俺様な跡部景吾を怒らせちゃったんだけど…

一体私はどうすれば無傷のままこの難関を乗り越えることが出来るのでしょうか。

できることなら今すぐにでもここから立ち去りたい。

 

 

 

「……ほお。」

 

 

 

ああ、

窓から勢いよく枕が落下して来ないかな。

それが跡部の頭上に落ちちゃえば今の記憶くらいサッパリと消えちゃうはずなんだけど。

あわよくばそのまま性格でも一変してしまえばいいんだ。

それかもういっそのこと消えちゃってくれれば…

 

 

 

「可哀相な奴だな、お前。」

 

 

 

スッと立ち上がって私から遠ざかっていく跡部。

立ち上がる時、一瞬だけ見えた涼しげな跡部の横顔。

あんな顔して跡部に同情のような言葉を言われることが、今の私はものすごく惨めな気がしてならなかった。

 

 

 

わかってるくせに。

自分自身、わかってしまっているだけに、認めることが怖くてできなかった。

金持ちが嫌い。

そう思うことで、私は自分を保ち続けてているのだから。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

どうやら青学対氷帝の枕投げで盛り上がっているらしい。

青学の部屋まで行ってちょっとばかし茶々入れしてこようと、廊下を歩いていた。

聞いた話じゃすでに丸井先輩はジャッカル先輩を半ば無理矢理に連れて参加しているとか何とかで。

さすがと言うか何と言うか、楽しいことには抜目ねぇなーって感心しちまう。

 

 

 

(俺も誘ってくれりゃいいのに…。)

 

 

 

ふと何を思ってか、窓の外に視線を移す。

外が暗くて中は明るいからか、とにかく反射して自分の顔がぼんやりと映し出されていた。

 

俺は、時にものすごく自分が嫌になることがある。

あの日のことを思い出して後悔する俺なんか最高に大嫌いだ。

何時間か前の廊下で、に言った台詞をもう一度頭の中で繰り返して呟いてみると、あまりにも可笑しくて思わず笑ってしまう。

何が可笑しいんだと、自分で自分に問い質したくなるけど笑えてくるんだから仕方ない。

まあ、それは自嘲にも似たモノなんだけど。

 

 

 

「あんなところに誰か…あ。」

 

 

 

窓に近づいて下を覗き見ると、暗闇の中で二人、座っているのが見える。

誰なんだって疑問は当然湧いてくるけど、でも本当は別にどうでもよくって、シカトして立ち去りたかった。

立ち去りたかったんだけど、何故かその場で足が止まってしまった。

 

二人のうち一人がであると、俺の脳が認識しちまったから。

 

 

 

「へへっ、みーっけた。」

 

 

 

階段を駆け降りて人影があった場所まで近付く。

人影はいつの間にか二つから一つに変わっていた。

 

 

 

「アンタ、こんなところで何してんスか?」

 

 

 

何でこんなに俺、ドキドキしてんだろ。

まるで、悪い事でもしているかのような、そんな後ろめたい気持ちが俺を襲う。

そんな自分を鼻で笑って、の前まで回り込んでしゃがみ込んだ。

するとは俯かせていた顔をゆっくりと上げる。

すでに声だけで誰かわかっていたのか、合った目には敵意が含まれていた。

 

 

 

「アンタには関係ない。」

「ふーん、ま、別にどうでもいいけど。 興味ないし。」

 

 

 

言われると思っていた拒絶の言葉。

予め大体の予想は出来ていたから、俺も素っ気なく返事を返す。

俺の実にあっさりとした切り返しにの眉がぴくりと跳ねた。

 

 

 

「それにしてもっ、アンタも可哀相っスねぇ〜…あんな鬼畜な人に目ぇつけられちゃうなんて。」

 

 

 

ハハッと可笑しくもないのに笑いが零れる。

止まらない。 止められない。

こうすることは何も間違ってなんかいないから。

俺は、俺達は、こうしなきゃ、俺達自身が潰れてしまうから。

 

 

 

「あれ、シカト? まあいいけどね。」

「………、」

「怖い怖い。 そんなに眉間に皺寄せてちゃあ男にモテないッスよ〜。」

 

 

 

だから、俺はまた、カノジョをどん底へ突き落とすんだ。

 

 

 

「……あ、そうそう、知ってます? あの人さ、人ひとり死に追いやってるんスよ?」

「………。」

「しかも自分の手を一切使わずに、」

 

 

 

 

 

「それもたった一言で。」

 

 

 

 

 

あの日から俺は言葉の怖さと金の醜さを知った。

それはあまりにも理不尽で。

あまりにも儚くて。

ほんの、一瞬だった。

 

 

 

「ねぇ、アンタ、このままだと………潰されるよ?」

 

 

 

あの人のように、一握りで。 一瞬で。

まるで、逆らうことを許されない玩具のように。

 

今は必死に虚勢を張り続けているアンタも、いつかは捨てられるんだ。

跡形もなくなるくらい。 粉々に。

 

 

 

 

「…私、は…死なないし。 …何があっても、絶ーっ対死なない!

 

 

 

最後の方は半ば自分に言い聞かせるように力強い声で叫ぶ。

キッと睨み上げた目からは先ほどより強い敵意。

握り締められた手は、胸の内の恐怖に堪えるかのように小刻みに震えていた。

 

怖いくせに、強がって。

弱いくせに、雑草のように根強くて。

 

 

 

「…そ。 それは見物っスね。 期待してますよ、センパイ。」

 

 

 

生きて、証明してみせろよ。

あの人に逆らうことができるかどうか。

あの人の凍り付いて溶けることのない冷えきった心を動かせるかどうか。

 

 

 

生きて。

逃げないで。

堪えて。

踏ん張り続けてよ。

 

 

 

俺だってもう、限界なんだ。

 

 

 

 

 

『朱音ちゃん、死んだんだって。』

 

 

 

 

 

あの日の過去がずっと、俺達を苦しめ続けてる。

 

 

 

 

 

2008.12.18 加筆修正