君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

やめてよ。 もうこの話には触れないで。

私は誰よりも平凡を望んだだけなのに……

どうして誰よりも平凡からかけ離れた場所に存在しているのだろう。

 

 

 

 

 

「で、何の用だい芥川?」

 

 

 

が席を外した途端に微笑を消す立海の部長、幸村。

俺はセルフサービスで人数分の茶を長太郎と二人で注いでいるに視線を向けた。

まだもう少し帰って来ないだろう。

俺の隣に座っていたジローがテーブルに肘を付きながら何を考えているのかよくわからない表情でじっと幸村を見つめている。

何だか嫌な雰囲気だった。

 

 

 

「いや、別に用なんてないよ? 何のこと?」

「……そう、ならいいんだけど。」

 

 

 

ジローがケロッとした口調でそう言うと、幸村も言葉に詰まって、まだ何か言いたそうに見えたが特には突っ込んでこなかった。

そんな俺達の緊迫した雰囲気に首を突っ込んできたのは紛れもなくあの子。

立海のマネージャーの御影だった。

 

 

 

「幸村部長、あの……、」

「ん、どうしたんだい咲ちゃん?」

 

 

 

幸村が自然と笑顔を作る。

だけどあまりにも自然すぎて、俺にとっては逆に不自然でしかなかった。

立海のマネージャーが俯いていた体勢から少しだけ顔を上げ、上目遣いで困ったような表情を浮かべて薄く口を開く。

俺はそんな彼女を、ただ目に映る風景の一つとして捉えながら見ていた。

 

 

 

「咲、ここに座らないほうがよかった…ですよね。 すみません。」

 

 

 

しゅん、と音がしそうなくらい肩を落としてそう言った御影。

幸村はそんな御影を見て、さっき作ったままの笑顔で彼女の肩を優しくあやす様に撫で始めた。

 

 

 

「そんなことないよ。 咲ちゃんが何処に座ろうが咲ちゃんの勝手じゃないか。」

「でもっ、でも何だか嫌な空気にしちゃったというか…何と言うか…、」

「大丈夫。 咲ちゃんのおかげで俺はとっても楽しい気分になったから、全然気にしなくていいよ、ね?」

「幸村部長…、」

 

 

 

二人のやり取りが自然と耳に入ってくるのを、俺は肘をついたままただぼんやりと聞いていた。

 

ところで楽しい気分って何だろう。

 

幸村はこの状況を楽しんでるという意味だろうか。

どの辺りに楽しむところがあったんだ?

……まあ、コイツならそういった悪趣味ありえるかもな。

全く、うちの忍足と一緒じゃねえか。

 

 

 

「おまたせしました!」

 

 

 

そんな事を考えているうちに、茶がなみなみ入ったコップを二個ずつ持って長太郎とが帰ってきた。

の顔を窺ってみると、案の定ぶすっとした不機嫌顔。

眉間にこれでもかって言うくらい皺を寄せて膨れっ面をしていた。

マネージャーなんだから茶を入れに行くぐらいでそんな拗ねんなよまったく…。

 

 

 

「サンキュ、長太郎!」

「ちょっとちょっと私! 宍戸の入れたの私だよ!!」

「……そりゃ悪かったな。 ったく、サンキュー!」

「べ、別に…そんな爽やかにお礼言わなくても……」

「…何だそりゃ。」

 

 

 

ちょっと頬を染めながら自分の席へと腰を下ろす

ホント、コイツって素直じゃねえよな。

なんて思いながらニヤニヤしてを見ていると、足の脛を思いっきり蹴られた。

 

 

 

「いってえな!! 何すんだよバカ!!」

「知らない。」

「知らないも何も脛蹴る女がいるか! 俺何もしてねえじゃねえか!!」

「知らない。」

「てんめぇ知らないっつって自分のやったこと何もかも水に流してんじゃねえぞコラ!!」

「し、宍戸さん落ち着いてくださいっ!!」

 

 

 

焦った長太郎が痛みのあまり理性を失った俺の肩を掴んで止めに入る。

その反対の隣ではご飯を口に入れたままイビキを掻いて寝ているジローの姿があった。

 

コイツいつか窒息して死んじまうんじゃないだろうか。

 

はというと、つんとして俺と視線を合わせないように黙々とご飯を口に運んでいた。

そんなの姿を一目見て、幸村も箸を動かしておかずを口の中へと放り込む。

 

 

 

「きゃっごめんなさい!!」

 

 

 

ガシャン

 

突然食器が音を立てる。

それはスローモーションのようにゆっくりとの膝の上へと落ちて行き、

再び大きな音を立ててガラスが辺り一面に飛び散った。

 

 

 

「熱っ!」

「大丈夫か!」

先輩立ってください! 早く冷やしに行きましょう!」

「ごめんなさい先輩っ私手が滑っちゃって!」

 

 

 

の膝の上に零れた味噌汁を慌てて御影が近くにあった布巾を手に取って拭く。

は熱さのあまり少しだけ顔を歪めて椅子から立ち上がった。

テーブルを挟んだ向こうの光景を中腰のまま見ている事しかできない俺の隣で、

さっきまで寝ていたはずのジローがものすごく冷たい眼差しで御影を見ていた。

俺はそんなジローの眼を見て、何故だか少しだけ身震いをした。

 

 

 

(……ジロー?)

「きゃっ、ちょっ、何!?」

 

 

 

の慌てたような声がして思わず振り向くと、そこにはを俗に言うお姫様抱っこをして笑顔を浮かべている幸村がいた。

俺も、長太郎も、ジローも、また、床を拭いていた御影の顔も、

みんな驚いたように目を丸くしてそんな幸村を見上げた。

 

 

 

「さて、冷やしに行こうかさん。」

「一人で行きます降ろしてください!!」

「ダーメ。 足を火傷したんだから大人しく連れて行かれてくれないか?」

「火傷したって歩けますよ私どれだけか弱いんですか!!」

「じゃあ後の処理は任せたよ咲ちゃん、宍戸?」

 

 

 

 

 

聞けよ人の話!!というの叫び声も幸村は普通に無視。

自分の名前が呼ばれたことに少し体をビクつかせ、俺は何となく頷いた。

それを確認すると、幸村は「暴れないで落ちるよ。」と暴れるに言いながら俺達に背を向ける。

幸村と幸村に抱っこされたが周りの視線を受けながら食堂から出て行く姿をただぼんやりと見送った。

 

 

 

 

 

なあ、

俺さ、面倒事に巻き込まれんの好きじゃねぇんだ。

お前の事なんてどうでもよくて、ほんと、ただのマネージャーとしか見てなかった。

 

ごめんな。

この時はまだ、それほどお前の事意識してなかった。

だから、本当にお前の事、何にも知らなかったんだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「降ろしてよ! 降ろしてってば!! 降ろしてって言ってるのが聞こえないのかアンタはっ!!!

 

 

 

耳元で大きく叫んでやると、嫌そうな顔をするかと思いきや、

 

何故かものすごく至極最強の満面の笑みを返された。

 

初めて人の笑みがこんなにも怖いことを知った瞬間だった。

指一本も動けなくなるなんてすごいやコレ。

 

 

 

さ…ちゃん?」

「は、はい!! (何で今言い直したのさ。)」

ちゃんはさ、どうして貧乏なの?」

 

 

 

ちょっくら殴っていいですか。

 

誰もいない廊下を幸村君にお姫様抱っこされながら歩く。

幸村君のコツコツという足音だけがこの廊下に響き渡っていて、私が叫ぶのをやめると、何だかとても静かに感じた。

うるさかったのは私一人だったようだ。

 

 

 

「…何でそんなこと聞くの?」

「うーん、興味があったから、かな。」

「失礼だよ。 私貧乏ってことすごく気にしてるのに。」

「ははは、ごめんごめん。 そんなつもりじゃなかったんだ。 で、どうして貧乏なの?

 

 

 

………ダメだ、この人。

何だかわざと嫌がる質問をされている気がする。

 

ふと顔を上げると、水道はもうすぐだった。

問われた質問に胸をビクつかせながらもヒリヒリと痛み出した太腿に意識が行って、頭がぼんやりとしてきていた。

 

 

 

「知らない。 家が…もともとそうだったから。 何でかなんて答えらんないよ。」

「そう、なら質問を変えるよ。 …どうして金持ちと関わるの?」

「なっ、!!」

 

 

 

どういう意味よそれ!

思わず反論してやろうと勢いよく体を少し起き上がらせると、

「ほら着いたよ」と言って水道の前に降ろされたので、言うタイミングを逃してしまった。

 

もしかしたら彼のことだ。

タイミングを見計らったのかもしれない。

何て嫌味な男なんだ。

 

 

 

「棟田、…彼の次は跡部。 ねえ、君はそんなにお金持ちが好き? そんなにお金が欲しいの?」

 

 

 

いまだ笑顔を貼り付けたままの幸村君の言葉が胸を突き刺す。

すごく悔しくて、ムカついて、力いっぱいギッと睨んで唇を噛み締めた。

 

そんなわけない。

確かにお金は欲しいかと聞かれたら即答でも欲しいと言う。

今一番欲しいものは何ですかと聞かれても即答でお金だ。

 

 

 

だけど、違う。

 

 

 

アイツと関わったのも。

跡部景吾と関わったのも。

全部、違う。

 

 

 

私はただ、平凡を望んでいただけなんだ。

お金以上に、ただ平凡を。

 

 

 

 

 

「……ちゃん?」

 

 

 

水道から出る水が太腿を冷やす。

少し時間が経ってしまっていただけにヒリッとした痛みが足を駆け巡った。

シンとした廊下。

太腿で跳ねる水音がやけに大きく聞こえて、このまま幸村君の声すらも消し去ってくれればいいのにと、そう思った。

 

 

 

「関係…ないじゃん。」

「え?」

「幸村君には関係ないんだからそんなことどうだっていいでしょ!!」

 

 

 

目も合わさずに我を忘れてただ叫ぶ。

顔は見れなかったけど、たぶん相当驚いた顔してると思う。

私は少し上がった息を整える為、肩を揺らしながら止まることのない流れ出る水を見ていた。

 

 

 

 

 

「確かにそう言われればそうなんだけど。 そうもいかないんだよ、こちらとしてはね。」

 

 

 

 

 

そう呟いた幸村君の声は低く、表情から笑顔は消えていた。

 

まるで、私のことを嘲笑っているかのようなその瞳。

私を見つめる幸村君の瞳は、氷のように冷たかった。

 

胸のざわつき。

不安、恐怖。

 

忘れかけていた想いが次々に溢れ出てくる。

もう気のせいだと思えないくらいはっきりと私は実感した。

 

 

 

ああアイツが、動き出したんだ……と。

 

 

 

 

 

私の知らないところで何が起こっているのかな。

ねぇ、アイツはどこまで私を苦しめれば気が済むの?

誰かを使って私を苦しめて、どうするつもりなのかな。

ねぇ、誰か、教えてください。

 

 

 

 

 

2008.12.18 加筆修正