君が教えてくれたモノ
目には見えないアイツという名の壁は、
私が予想している以上にでかかった。
食堂の扉を開ける。
よかった、誰もいない。
今はあまり人と会いたくなかっただけに、ほっとして緊張の糸を解いた。
「。」
「!!!」
が、しかし。
それとほぼ同時に名前を呼ばれ、誰もいないと信じ込んでいた私の心臓はありえないくらい大きく波打った。
「れ、れれれれれ!」
「何を言っている。 久しぶりだな。」
「ひ、久しぶりっ! じゃなくて、ええ!? 蓮二!?」
相変わらずの無表情で私の背後に立っていたのは柳蓮二。
立海のジャージを身に纏っている。
どうやら彼は立海のレギュラーであり、合宿に参加しているようだ。
「何故それほどまでに驚く必要がある。」
「…ひっそりと背後に立ってないで、もっと早く声かけてくれたらこんなに驚かなかったよ。」
「そうか、それはすまなかったな。」
フッと笑って私の頭を叩く。
謝ってはくれたけど、別に悪いとは思っていないんだろうな。
それにしても、背後に蓮二が、というより人が立っていただなんてちっとも気が付かなかった。
さては気配を消していたんだな。 忍者か、お前は。
「ホント、すっごく久しぶりだよね。」
「そうだな。」
「まさかこんなところで蓮二に会うとは思わなかったよ。」
「そうだな。」
「顔変わったね。」
「そんなことはない。」
何だか私の記憶に残る蓮二と、雰囲気や見掛けが少し違う。
すごく変な感じだ。
違和感を感じざるを得ない。
広い食堂に椅子を引いた音がカタンと小さく響く。
椅子に腰を下ろすと、蓮二も私の向かいの席に座った。
「これで会うの、三回目…かな?」
「ああ、そうだ。 よく覚えていたな。」
「そりゃー…ねぇ。」
言葉を濁して目を泳がすと、蓮二は閉じたままの目を私に向けた。
うーん。 本当に相変わらずの読めない顔だ。
どうしよう。
久しぶりに会っただけに何話していいのかわからないや。
何を話そうか。
というより私、一人になりたかったはずなのに蓮二と話してていいのかな。
でももう何か私一人になりたいのって言えない空気だし……
ええい、この際仕方がない。
たとえ気分が優れてなかろうが、久しぶりに会った友人を無碍にする事なんて私の良心が許さないんだから。
「蓮二はこんなところで何をしてるの? お腹空いたの?」
「いや、もうすぐ夕飯の時間だと思ってな。 特にすることもなかったから先に来ただけだ。」
「ふーん、暇だったんだ。 だったらロビーの奥にあるトレーニングルームで真田君と一緒に走ってればよかったのに。
彼、青学の部長さんに向かって高らかな笑い声上げてたよ。 まあ相手にされてなかったけど…面白い人だよね、真田君。」
「…、それを弦一郎には直接言うんじゃないぞ。」
「え? …あ、うん、?」
私の頭の上にはたくさんのクエスチョンマークが飛び交う。
……変なの。 弦一郎って誰よ。
「フッ、何だ。 納得がいかないって顔をしているぞ。」
口元を緩めて笑う。
そう言って蓮二は手に持っていたノートを開いた。
何の為に持ち歩いているのだろうと、先ほどから少し気になっていたそのノート。
じっとノートを見つめる私の表情を一度だけ窺うと、蓮二は何かをノートに書き始める。
やーね、何だかすっごくいやらしい感じ。
「何書いてるの?」
「いや、気にするな。」
「人の顔見た途端いきなり書き始めたら気になるに決まってるでしょ無茶言うな。」
「安心しろ。 はなからお前の顔など視界に入っていない。」
「ちょっ、それもそれでムカつくんですけど!!」
綺麗にコーティングされたテーブルをバシッと叩く。
蓮二は特に驚く様子も見せず、書いていた手を止めゆっくりと顔を上げた。
見つめているのかそうじゃないのかわからない目が私を捉える。
い、居心地わる…。
何なのこの空気。
私何かしましたか?
「そういえばお前、気をつけた方がいいぞ。」
「え?」
「お前が思っているほど、事は小さくない。 むしろ大きくなっている。」
突然、蓮二がはっきりした口調でそんなことを言う。
何のことを言っているのかよくわからないはずなのに、何故かビクリと肩が跳ね上がる。
そして、少しずつ速くなる鼓動を抑えながら平静を装った。
「…な、何のこと?」
「仁王だ。 特にアイツには気をつけろ。」
「あの、人の質問に答えてくれないかなコノヤロウ。」
「煩い、人の忠告はちゃんと聞け。」
ヒィッ!!!!
今目が開いた!!!
今目が開いたよ柳さん!!!
しかも人の話を聞いていないのは貴様の方じゃないんですか?
何かちょっとおかしくないですか!?
理不尽なんじゃないですか!?
目を開けて人を脅すとか何かズルイって!! 怖いじゃん!!
「もう一度言う、仁王には気をつけろ。 その次は……赤也か…幸村といったところか。」
「ちょっと待ってよ! 何なの一体! 話がわかるようでわからないよ!!」
「…………。」
何、その一から十まで言わなきゃわかんないのか面倒くさい奴だなって顔は!!!!
蓮二の言葉が足りないから私は理解できなかったんじゃないの!?
どうして私が馬鹿だから話の筋が読めてないってことになってんの!?
思わず顔が引き攣って言葉も出ない。
そんな私を見て、蓮二は仕方がないとでも言いたそうにわざとらしく溜め息を吐いた。
「今回の合宿には棟田、アイツが絡んでる。」
「……っ、!」
「当の昔にアイツは立海のテニス部を去ったはずなんだが……そうだな。
お前がアイツについて尋ねた相手を間違えたせいで事態は最悪なことになっている。」
「尋ねた…相手?」
「仁王に尋ねただろう? 棟田が立海にいるのかどうか。」
心覚えは十分にあった。
そうだ、合宿が始まってすぐ、私は彼に声をかけた。
アイツがこの立海テニス部にいるのかどうか。
この合宿に参加しているのか知りたくて。
私は仁王という男に声をかけたんだ。
「仁王君に…声かけたの、間違いだったの?」
恐る恐る尋ねる。
蓮二は手元のノートを見ているのかいないのかわからないスピードでぱらぱらと捲った。
そしてふと、あるページで手の動きがピタリと止まる。
内容がすっごく気になるけど、決して中身は覗かせてはくれないだろうから、覗こうとはしなかった。
くっそー秘密主義め…。
「お前が棟田の存在確認を仁王に尋ねた。 その時、仁王はお前が噂の女だと気が付いた。」
「………、」
「仁王は面白い事に首を突っ込むのが大好きな男だ。 そしてまた、それを起こす事も大好きだ。」
「ちょ、ちょっと…話がよくわかんないんだけど…。」
「つまりは、」
「お前と別れてすぐに、アイツは棟田に連絡を取っている。」
心臓がビクンと飛び跳ね、体中に衝撃を与える。
どくんどくんどくん。
早まる心臓の音が、頭の後ろの方で鳴り響く。
蓮二の声が頭の中でこだまするように響き渡り、顔中の血の気をサッと奪っていった。
仁王君がアイツと連絡を取った?
私の存在を面白がって?
何、何の話?
一体、何がどうなってんの?
「何を考えての行動か、そこは俺もまだよくわからないが……仁王は棟田と連絡を取り合い何かを企んでいる。
それが赤也達にも伝わって、お前に危害を加えようとしているのは確かだ。」
「そんな、仁王君がどうして…、」
「棟田がテニス部を去る前からもともと仁王は棟田と仲がよかった。 どこか、気が合っていたのかもしれないな。」
「気が合うって…あんな男と気が合う奴なんているの?」
「例えばそうだな。 人をからかって楽しむところとか、少し似ていたな。」
ふと、声を掛けた時の仁王君の何とも言えない冷め切った瞳を思い出す。
ああ、確かに少し、アイツと似ているのかもしれない。
人を小馬鹿にしたような、蔑んだ目。
まるで人をゴミだと思っているんじゃないかってくらい人を人として見ていなかった。
そして、人を極度に近づけさせないあの威圧感。
思い出すだけで、肩が震えた。
「とにかく、棟田は仁王達を通してお前に何かをしかけてくるかもしれないってことだ。」
「……そうなのかも、しれないね。」
「この合宿、気をつけた方がいい。 アイツらは御影の嫌がらせに便乗してくるかもしれないぞ。」
そう言うと、蓮二はノートをパタンと閉じて「さて、そろそろ丸井達がやってくる頃だ。」と席を立った。
驚きな事に、ほぼ同時に食堂の扉が開き、本当に丸井君を思わせる赤い髪が勢いよく入って来た。
つくづくこの人はすごいなあ、と思いながら私もゆっくりと席を立つ。
入ってきたばかりの丸井君は「腹減ったー!!早く飯メシ!!」と騒ぎ立てながら乱暴に椅子を引いて勢いよく机に項垂れていた。
「まあ…あの頃と違ってお前には強い味方もいるみたいだし、大丈夫だろう。」
「え?」
「頑張れよ。」
妙に引っかかる言葉を残して蓮二は背を向け、丸井君の方へ行ってしまった。
一人残された私はただ首を傾げて身に覚えのない言葉に頭を捻る。
強い味方?
強い味方って誰だ?
私にそんな奴は一人もいないでしょ。
そうだ、私の周りは常に敵ばかり。
私を助けてくれる人なんてこれっぽっちもいない。
家族も、友達も、仲間だってもういない。
私は、ひとり。
アイツと出会ってからというもの、全てを奪われ私はひとりとなった。
本当にもう、うんざりだ。
『ごめんね、。』
氷帝で心を許した唯一の友達だった小百合が、寂しそうな表情で私に言った言葉が頭を過ぎる。
大切だった。
だけど手放さなくてはならなかった。
それは、跡部景吾と出会ったせい。
跡部景吾と関わってしまった私のせい。
アイツと出会って家族も友達も仲間も失った私。
今度は跡部景吾と出会って、大切だった親友を失ってしまったんだ。
***
「、何ボーっとしてんだよ。 食わねえのか?」
ハッと意識を取り戻して顔を上げると、そこにはトレイを片手に私の前の席に腰を下ろした宍戸亮の姿。
私はというと、無意識にお箸を片手に口を開けたままの状態でどこか遠くを見つめていた。 …不覚。
「今食べるもん…。」
「大丈夫かよ。 疲れてんのか?」
「まっさか、まだまだいけるよ。 あと三日あるんだし。 大丈夫大丈夫。」
「…そっか、まあ無理すんなよ。 お前一応臨時のマネなんだし…何かあったら俺でも誰にでも助け求めていいんだぜ?」
宍戸亮は私の目の前でガツガツとご飯を頬張りながらその手を止めずに言った。
そんな思わぬ宍戸亮の優しさに、今まで少しセンチメンタルに浸っていた私の心はじんと癒された。
何だろう。 涙が出てきそうだ。
でも今急にここで涙なんて流したら間違いなく宍戸亮は引いてしまうだろうから泣かないけれど…。
なんだ、氷帝にもいい奴いるんじゃん。
「しっしどー!!!」
「どわっ、んだよジロー。 お前最近ずっと元気だな…。」
「うん、さっきまで寝てたから俺元気元気〜!! で、隣いい!?」
「んなこと俺に聞くまでもなく勝手にすればいいだろ。」
「あ、じゃあ宍戸さん! 俺も反対側いいですか?」
「だーかーらー長太郎、何でお前もわざわざ俺に許可とるんだよ。 好きにすりゃいいだろうが。」
「はい! じゃあ隣座ります!!」
ニッコニコでご機嫌な鳳長太郎君が宍戸の隣の席に腰を下ろす。
二人とも同じメニューが載ったトレイをテーブルの上に置いて、ジローはさっそく白湯気が立ったホカホカのご飯を口に放り込んだ。
鳳長太郎君はご丁寧に手を合わせ「いただきます」と言って食べ始めた。 うん、さすが坊ちゃんだね。
ジローはご飯が思いのほか熱かったのか、「アチッ」と声を上げて飛び跳ねていた。
「あ、」
味噌汁を啜っていた宍戸亮が突然声を上げて私の隣を見上げる。
私とジロー、それに鳳長太郎君は宍戸亮の視線を辿った。
「あの…隣いいですか?」
そこにいたのはトレイを持った御影咲ちゃんだった。
私の表情が途端に引き攣る。
「あ、ああ…。」
「…はい、どうぞ。」
「………。」
「あ、ありがとうございます!」
宍戸亮が気まずそうに私へと視線を向けながら遠慮しがちに頷く。
すると鳳長太郎君も苦笑いを浮かべながら御影咲ちゃんが指差した私の隣の席を勧めた。
そして何故か、ジローと俯いたままの私は無言でその成り行きを見守っていた。
許可を貰った御影咲ちゃんは困ったように笑って、私の隣の席に腰を下ろし、トレイをテーブルの上へと置いた。
その一つ一つの動作を、気づかれないようそっと横目で見ながら私は味噌汁を一口啜った。
「じゃあ俺はこの隣かな。 座るよ。」
そう言って御影咲ちゃんと反対側の椅子が音を立てて引かれる。
驚いて顔を上げると、そこの席へ腰を下ろしたのは幸村君だった。
「ねーねーちゃん。」
「…な、何?」
「お茶。」
「は?」
突然ジローがコップを斜め前の私へと突き出した。
いきなり何なんだと、思わず間抜けな声を上げ、ジローのコップを直視する。
それでもコップを私の前に突き出すジローはニッコリと笑いながら可愛らしくもちょこんと首を曲げた。
が、それが何故か怖く感じるのは私の気のせいなのかな。
「お茶入れてきて?」
自分で入れて来こいよ!!
そう言ってやろうと思ったけど、そんな私の言葉はぐいっと自分のお茶を飲み干した宍戸の言葉で遮られることとなった。
「俺のもよろしく。」
「あ、じゃあ俺が行ってきま……ッ……じゃなくて、先輩、一緒に行きましょう!!」
「はあ!?」
ガタンと席を立って差し出された宍戸のコップを手に取った(たぶん親切だったんだろう)鳳長太郎君は何故か隣の宍戸亮に蹴られた。
痛そうに顔をゆがめながらもジローと宍戸亮のコップを掴んで自分のコップのお茶も飲み干した。
何でそこで自分のお茶を飲み干す必要があるんだ鳳長太郎!!!
「ほら、俺三つも持って帰ってこれないんで先輩も一緒に行ってくれませんか?」
「そんなこと知らない。」
「そ、そう言わずに来て下さいよ先輩!」
「あ、じゃ、じゃあ…私が行くよ!」
「え?」
何故か私について来させようとする必死な鳳長太郎君を見て、御影咲ちゃんが立ち上がる。
その瞬間、ジローの表情があからさまに歪んで宍戸亮が小さく不満の声を上げた。
「咲ちゃん、君がわざわざ他校の世話をすることはないよ。 さんに行ってもらいな。」
「幸村…、」
「さんも、氷帝のマネージャーならこれくらいは行って来ないと。 いいお嫁さんになれないよ?」
「ぶ、部長…、」
余計なお世話だこんにゃろう!!!
何だかものすごく行きたくない。
だけど言われっぱなしも癪だったので私は渋々立ち上がり、鳳長太郎君からコップを二つ奪ってお茶のセルフサービスまで歩き出した。
そんな私の後をせかせかと苦笑いを浮かべた鳳長太郎君がついてくる。 はあ、何なのよ、もう。
「すみません、先輩…、」
鳳長太郎君の言葉に、いったいどういう意味が隠されているのかなんて私にはわからない。
こんな空気にしてごめんなさいの意味なのか、それとももっと別の意味があるのか。
ただいつも過去に縛られて、目先のことしか見えていないそんな私が、
自分の周りでどんなことが起こってるかなんてわかるはずがなかったんだ。
***
「―――――――… 、ねえ…。」
手に持った箸でテーブルに一定のリズムを刻む。
コップを片手に歩いているを目で追う。
そんな彼の口元には薄らと笑みが浮かんでいた。
箸を持つ反対の手には携帯電話。
発信履歴には「棟田」の文字。
「えらいモンに目つけられたもんじゃの。 可哀想に。」
果たしてこの言葉を耳にした者は存在したのか。
その背後の席で黙々とご飯を食べていた柳の目がスッと開いたのを、誰が見ていたのだろうか。
全ては、まだ謎のまま。
2008.12.18 加筆修正