君が教えてくれたモノ
目を覚ます。
隣にリョーマの姿はなく、私一人が木に凭れ掛かって寝ている状態だった。
……起こせよ、あンの無気力少年!!!!!
「よっ、性悪女!」
チクショウ、大いに時間のロスだ。
無情にも私のことを放って行ったあの無気力少年に対し、愚痴を零しながら廊下を歩いていると、ポンと肩を叩かれて振り返る。
そこにいたのはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている向日岳人と忍足侑士の姿があった。
何だ、コイツらか……。
「性悪女ってどういうことよ。」
「えーだってアレだろ? 咲ちゃんにドリンクぶっかけたって。」
「自分えげついことしよるなー。 ドリンクはないやろドリンクは…。」
そう言いながらニヤニヤ笑って私の前に立ちはだかる二人。
何だか妙に腹が立つ。
ふざけんな、という思いを込めて目の前の二人をギンッと睨みつけてやった。
睨みつけたっていうのに、忍足侑士は「おーコワ、」と言ってまた笑う。
一体何だと言うのだろうか。
あんな御影咲ちゃんの嘘なんか信じちゃってさ。 馬鹿みたい。
「………。」
「おーい無視すんなよ冗談だって!」
この二人を相手にしてても時間の無駄だと思った私は、スッと目を逸らして二人の間をすり抜けていこうとした。
すると、慌てて向日岳人は私の肩をガシッと掴む。
私の機嫌がすこぶる悪いことに気がついたんだろう。
少し焦ったようなその態度に、私は眉を寄せて嫌々振り返った。
「…何よ。 どうせ私のことなんて信じてないんでしょ。」
「だーかーらー冗談だってば! 怒んなよ!」
「それ以上はやめとき岳人。 お前の場合やと冗談に聞こえへんしな。」
「どういう意味だよ!」
「堪忍な、。 ほんまに冗談のつもりやったんや。」
困ったように眉を下げ笑う忍足侑士。
不機嫌顔丸出しの私の肩をポンポンと叩き、宥めようとする。
「どーだか。 ま、アンタ達に疑われようが何だっていいよ。 私別にアンタ達に信じてもらいたいわけでもないし。」
「まーたそうつれへん言い方するやろ自分は。 あかんで、もっと愛想ようしな。」
「余計なお世話。 ほっといて。」
「はいはい、お姫さんは今虫の居所が悪いんやな。 ほな、退散するわ。」
そう言って忍足侑士は手を上げ、私と反対方向に向かってさっさと歩き出した。
まだ何か腑に落ちていない向日岳人もそんな忍足侑士の後を慌てて追いかける。
「俺を置いて行くなよ!」とか言いながらギャンギャン騒いでいる向日岳人の声が曲がり角の向こうに消えていったのを確認すると、
私は小さく溜め息を吐いて肩を落とした。
これからいろいろな人にこういう事を言われ続けるのだろうか。
そう思うと何だかとても気が重い。
ああ、早く帰りたいな…。
和やかな日常だったあの頃に帰りたいよ。
「もう、私のことは放っておいてよ……はあ。」
もう一度零した溜め息は誰にも聞かれることなく、ひと気のないこの廊下の空気と化した。
***
夕食まではまだ時間がある。
どうしようか、とお風呂に入って濡れてしまった髪をタオルで水分を吸い取る。
自分の部屋に向かって廊下を歩いていると、ちょうど過ぎ去ったばかりの部屋がやけに騒がしかった。
一体何をしているんだ中の人は……。
「んだとコラ!!! もういっぺん言ってみろ!!!」
「あーもう何怒ってんだよお前! カルシウム足りてねえんじゃねえの、カ・オ・ルちゃん?」
「テメエぶっ潰す!!!」
あーあーあーあーあーあー…
私は何も聞いてないし見ていません。
決して部屋のドアぶち破って青学の二人が取っ組み合いになりながら廊下を飛び出してきたなんてそんな物騒なもの私は見ていません。
私は無関係です。
ですから即刻ここから立ち去ります。
ですからもうこれ以上私を問題に巻き込まないでー!!!!
「あ、さんだ。」
………神は私をお見捨てになったのですね。
その柔らかな声色と目敏くも私を見つけ出すその鋭さの持ち主は言うまでもなく青学の不二君だ。
ぎこちない動きでゆっくり振り返ると、極上の笑みで私を迎えてくれている不二君の姿が目に入ってきた。
ああ、頭が痛いな。
「何してるのこんなところで。」
「いや、君達こそ何してるのさ。」
「え? …ああ、喧嘩だよ。 いつものことだからね、大丈夫。」
何が何処がどうなって大丈夫なのか一から説明してほしいが聞いて巻き込まれたくもないのであえて口には出さない。
このまま早く私をここから解放してくれればそれだけで十分だ。
不二君はちらりと後方で繰り広げられているこの凄まじい喧嘩を尻目に、私に再び微笑みかけてきた。
「何やら布団の位置がどうのって言い争い始めてね、困った困った。」
いや、全然困ったって顔してないよアンタ。
むしろとっても楽しそうな顔してるよ不二君。
そしてできることなら薄っすら開いた目をこちらに向けないでいただきたい。
まだまだ止みそうにない喧嘩の声が廊下に響き渡る。
「もうやめなよ桃、海堂〜」と言いながらホッペに絆創膏を貼った男と小さな影がひょっこり顔を出した。
「あ、あー!!!!」
「え、何?」
驚きのあまり、思わず私は指をさす。
突然の私の奇行に、不二君は後ろを振り返ると首を傾げる。
私の指の先にいる人物は一瞬だけ目を真ん丸く見開いて、すぐに無表情に戻り、また部屋の中に戻っていった。
……あンの無気力少年!!!
「英二? それとも越前?」
「今部屋に戻った方。」
「…越前が何かしたの?」
「別に何かしたってわけじゃないけど…。 あの子って…薄情者すぎるよね。」
私がそう呟くと、不二君は一瞬きょとんとして、それからすぐにクスリと笑った。
「何か、あったの?」
「え? ………別に、なんでもない!!」
慌てて首を左右に振ると、不二君は「そっか」と言ってまた笑った。
少し困ったように眉を下げて私を見る。
今度は私がキョトンとして首を傾げた。
「…………うん、大丈夫みたいだね。」
「え、何が?」
「ううん。 こっちの話。」
そう言って不二君は柔らかく笑い、「じゃあ風邪引かないうちに部屋に戻りなよ」と言って私に背を向けた。
そのまま私が動けずにいると、不二君はまだ喧嘩し続けていた二人に近寄り、
「はい、ケンカはそこまで。」
えええええええええええー足蹴にするのっ!!!!?
だけどピタリと一瞬で喧嘩は止まった。
海堂君と桃君(さっき絆創膏男がこう呼んでいた)は顔を真っ青にして「すんません」と謝っていた。
何故、…………………何故?
つくづく不思議な人だなー不二君って。
「二人でちゃんとドア修理してよね」と言って部屋に戻った不二君を見送ると、私も踵を翻して自室へと向かった。
***
もう少しで私の部屋だというところで出会ってしまった。
なんたる不運。
神はきっと金金言ってる金の亡者である私に天罰を下したんだ。
まさしく渡る廊下は鬼ばかり。
立海の切原君と肌の色が黒い人が私に気づき、あからさまに顔を歪めた。
「…………。」
お互いかなり気まずい雰囲気。
私は目を合わせないようにと、廊下の壁を見つめながら自分の部屋まで歩く足を止めない。
だけど感じる他方の視線。
何よ! 何だって言うのさ!!
「知ってます? ジャッカル先輩。」
「あ? 何をだよ……。」
切原君が急に何かを思いついたのか、声を上げる。
ジャッカルと呼ばれた肌が黒い男は、いきなり何だと言いたそうに返事を返した。
私達はお互い歩く足を止めずに段々と距離が縮まっていく。
だけど、自然と歩くペースが落ちていっている事に私は気づいていなかった。
「ほら、去年結構盛り上がった噂の棟田先輩のドレイの女、あの氷帝のマネージャーらしいっスよ。」
ビクリ
体が跳ね上がる。
ゆっくりと歩く速度が落ちていた足を、私は完全に止めた。
そして擦れ違ったばかりの二人に目を見開いて振り返る。
切原君は待ってましたと言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべて私の方を見ていた。
そんな切原君に気づいたのか、ジャッカル君も振り返って私の方を見た。
何で。
どうして?
何でっ……――――――!!!
体中の血液が一瞬、ピタリと止まったような感覚に襲われて、震える。
動悸が激しくなって、呼吸が急に苦しくなった。
大丈夫だと。
もう関係がないから大丈夫だと、そう思っていたのに。
どうしてこうも体は正直なのだろう。
まだ、まだ私の心は癒えてなどいない。
だってほら、こうも現実を突きつけられるだけで立っていることすら間々ならないのだから。
ただ、逃げていただけ。
私は今もまだ、アイツに囚われたままなんだって。
アイツは、私の手を離してなどいなかったんだ。
『ほら、早くしろって言ってるだろ!!』
『何、その目。 逆らうんだ。』
『金が欲しいんだもんな、お前。』
『お前は俺の言うことだけ聞いてればいいって言ってるだろ。 口答えすんな。』
『あーやだやだ。 これだから貧乏人は……』
『好きだぜ、。 お前の世界に生きる人間は俺だけで十分だろ。』
『ほら、俺を殺してみろよ。』
――― 殺してくれよ。
「い、いやぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
頭を抱えて蹲る。
ケラケラ笑う切原君の笑い声が薄れゆく意識の遠くでかすかに聞こえた。
誰か、大丈夫だと言って。
私をアイツから救って。
もうアンタでも誰でもいいから。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、
ただ、怖いの。
2008.12.14 加筆修正