君が教えてくれたモノ
一生懸命、綺麗に咲いた花。
その花を躊躇いもなくちぎり取るのは紛れも無くアイツ。
その目にはきっと、何も映っていなかったんだと私は思う。
「ふーっ。」
額から流れ落ちてくる汗を手の甲で拭い取る。
午後からの練習もかなりハードで、死んじゃうんじゃないかってくらい暑かった。
まあ生憎、誰ひとり死ぬこともなくピンピンしてるけどね。
汗びっしょりになりながらもバカみたいにボール追っかけてるよ彼らは。
あー、暑苦しい。
「疲れてそうだね。 大丈夫? 無理しちゃダメだよ。」
「!、えっと…、」
「不二、不二周助だよ。 ごめんごめん。 さんでよかったよね。」
「あ、うん!」
爽やかに笑顔を浮かべて私に声をかけてきたのは、不二周助と名乗る男。
着ているジャージからして青学の生徒だろう。
いきなりでびっくりしたけど、何だかとても友好的だったので思わず聞かれた通りに頷いておいた。
それにしても背後から急に出てくるのは心臓に悪いよ不二君!
「手伝おうか? ボール、倉庫に入れるんでしょ?」
「え、そうだけど…いいよ! 不二君、練習終わったばっかで疲れてるだろうし。」
「遠慮しない遠慮しない。 この量なら一人より二人の方が、ね?」
クスッと笑いながらボールが入った籠を男にしては少し細い腕でひょいっと持ち上げた。
うーん、何だか優しそうだけどかなり頑固そうだなこの人。
この手のタイプは一度やると言えばやるまで引かないだろう。
別に私にとって迷惑ってわけでもないし、仕方なく「ありがとう」と言って私も残りの籠をひとつ持ち上げた。
すると不二君は「どういたしまして」と柔らかな笑みを返してきて、思わず胸がドキッとした。
私ってこういう王子様系に弱いのかな…。 愛に飢えてるんだね私。
「ねえ、さんって臨時のマネージャーなんだよね?」
「うん、そうだよ。」
「どうして? やっぱりあれ、合宿だからってこと?」
「……ま、まあそんなところ、かな。」
自然と目が泳いで顔が引き攣る。
私の家庭事情にツボった彼らが興味本位で参加させたなんて死んでも言いたくない。
そのうえ私自身も金につられたなんて口が裂けても言えない。
それってただ自分の醜態を晒すだけじゃん。
笑って誤魔化す私に気づいているのかそうでないのかは謎だけど、
とりあえず不二君は「そうなんだ」と、特に気にする素振りも見せずに倉庫の扉を開けた。
「うわ、すごい埃…。」
「さすが倉庫って感じだね。」
「さん、これは何処に置けばいいの?」
「えっと…そのネットの入った籠の隣にお願いします。」
「了解。」
無駄のない動作で、私が指示した場所に籠を置いてくれる。
そして私の分まで取り上げると、その上に積み重ねて置いてくれた。
「ここでよかった?」
「うん! ありがとう!」
「どういたしまして。 さ、もう戻ろうか。」
不二君が手についた埃を叩いて振り返る。
その動作がぴたりと止まって、閉じていた目が薄っすらと開いた。
ひい!!
「…何の用だい、切原。」
不二君の台詞に驚いて、振り返る。
すると、倉庫の入口に誰か人が立っていた。
どうやら不二君は相手を知っているようで、立海のジャージを身に纏った男の子の名は切原というらしい。
私も全く知らないというわけではなく、顔に見覚えはあった。
さっきの練習中、跡部にしつこく試合を申し込んで相手にしてもらえず、最後は真田という副部長に殴り飛ばされていた人だ。
その時はこの切原という人よりも真田という人の行動の方が気になって、何というバイオレンスなんだと私は思わず目が点になった。
そのままの勢いで跡部も殴り飛ばしてくれないかな、なんて思ったことは決して本人前に口に出すことは死んでもできないだろう。
それにしてもそんな切原君がこんなところに何の用なのだろうか。
不二君からはさっきまでの王子様スマイルが消え去り、代わりに鋭い瞳が切原君を射ぬいていた。
「どうもー。 お久しぶりっスね、不二サン。」
「久しぶり。 相変わらず人を威嚇する態度は変わらないね。」
何この刺々しい会話。
いや、聞いている限りではただの挨拶、なのかもしれない。
不二君の言葉も私にしては結構ハラハラものだったけど、
切原君も声のトーンとかがさっき跡部に試合を申し込んでいた時の甘えの混じった声とは全然違う。
そのうえ、切原君の目は鋭く睨み上げるように不二君を見ている。
「威嚇なんてしてないッスよ。 これ、俺の普通なんで。」
「へえ、そうなんだ。 それじゃあ勘違いされやすそうだから気をつけたほうがいいよ。」
「へへっ、わざわざご忠告どうもッス。 でも余計なお世話ッスよ。」
…………な、何!?
今から乱闘とか始まらないよね!?
私そういうのに関わりたくないよ!?
関わって学校問題とかになって退学とか何かそんなのになったら……私首くくらなきゃいけない!!
一人で内心かなりテンパってる私なんてお構い無しに、不二君はふぅっと小さく息を吐いて再び笑顔を貼り付けて言った。
「で、どうしたの? こんなところまで追いかけて来て。」
「あ、そうそう忘れてた。 先輩に用があるんスよ。」
「わ、私!?」
「そ、アンタに用事。 ちょっと水飲み場まで来てくれません?」
そう言うと切原君はズンズンと私の前までやって来て遠慮なく腕を掴んだ。
ちょ、痛い痛い痛い!
力の加減を知らないのかこの男は!!
「切原、彼女痛がってるよ。」
「んなの俺の知ったこっちゃねえし。 とにかくさっさとついてきてくださいよ。 こっちは人待たしてるんで。」
「うわっ!」
ぐいっと腕を引っ張られ、ほぼ強制的に倉庫から外に出て行かされる。
そんな私と切原君を追って不二君も続いて出て来る。
私は振り返り、不二君に視線で助けを求めてみたが、切原君の進む速さは尋常ではなく、思いに反して体は水呑場に向かって行く一方。
引っ張られるがままに連れて行かれると、そこには立海と青学のジャージを来た人が数人と、氷帝のみんなが勢揃いしていた。
(……な、何事…なんだ?)
みんなが囲むように立っている中心に視線を向ける。
そこには顔を俯かせ、丸井君に背中を支えられた御影咲ちゃんの姿。
……なーんか嫌な予感。
「あ、来たぜ!」
私の存在に逸早く気付いた向日岳人が私を指差した瞬間、たくさんの視線が一斉にこっちを向いた。
別に何もしていないけれど条件反射で体がビクつく。
「な、何よみんなして急に……、」
「さあな、俺ら氷帝も今来たところだ。 ただ、お前が関係しているのは確かならしいぜ。」
みんなの代弁として跡部景吾が口を開く。
何となく目が合った滝萩乃介に目線で確認をとると、無言で頷かれた。
この集まりに私が関係しているだって?
まあ、そこでびしょ濡れの御影咲ちゃんを見た時からそんな気はしてたんだ。
「で、うちのマネージャーが何したって?」
忍足侑士が向かいに立っていた真田君に問う。
真田君は少し咳ばらいした後、「うむ、」と一拍おいて話し始めた。
「御影…うちのマネージャーがそこの氷帝のマネジャーに嫌がらせを受けたらしい。」
「はあ?」
間抜けな声を上げたのは向日岳人。
もちろん身に覚えのない私も鼻で笑った。
まるで馬鹿にしたような私の態度に、立海のメンバーは眉をしかめる。
「嫌がらせってどんな嫌がらせなんですか?」
鳳長太郎君が首を傾げ、真田君から御影咲ちゃんへと視線を移す。
丸井君に支えられている御影咲ちゃんからは、仄かに甘酸っぱい香りが漂ってきていた。
「ドリンクをかけられたらしい。 な、そうだろぃ?」
丸井君の質問にコクンと小さく頷く御影咲ちゃん。
ああ、だから甘酸っぱい香りが漂ってたのか。
と、頭の隅でぼんやりと冷静な考えが浮かんだ。
「おい、お前かけたのか?」
「…っまさか! 知らないよ!」
「そうか。 で、それで、何が理由でかけられたって?」
跡部景吾が大して気にする素振りも見せずに丸井君と御影咲ちゃんに視線を移す。
黙ったままの御影咲ちゃんを見て話せないと察した丸井君が、予め事情を全て聞いていたのか、口を開いた。
「何かよくわかんねぇけど…口論になってカッとなったソイツが咲にドリンクぶっかけたんだと。
で、そのまま咲おいてどっか行って、今に至るっつーわけ。」
とりあえず事の流れを聞いた私は身に覚えのない言い掛かりにただただ驚く。
何? いつ私が御影咲ちゃんと言い争った?
それにドリンクぶっかけたりしたらもったいないじゃん絶対しないわよ。
ドリンクかけるくらいだったら水道水思う存分かけてやるっての。
「一つ聞くけど、お前今まで何してたんだ?」
「それなら彼女は僕と一緒にボールの籠を倉庫に戻しに行ってたんだよ。 ねえ、さん。」
コクコクと首を縦に振って激しく不二君に同意する。
すると跡部景吾は「そうかよ」と言ってそれ以上何も聞いてこなかった。
とりあえず私のアリバイを証言してくれた不二君に心の中で大いに感謝する。
ありがとう、ありがとう!
「じゃあその前は?」
疑いの目を向けながら質問してきた人物、切原君。
不二君の証言では納得がいかないのか、さらに深く追究してくる。
これ以上こんな茶番に関わってたまるものかと、私は少し考える素振りを見せ、そして答えた。
「…君たちの汗臭いタオルを回収してたでしょ。 そしてそれを置いて今度はコートの片付けしてました。」
そうだ。
一度だって御影咲ちゃんと話してすらいない。
ドリンクをかける事なんてできやしないし、口論だってしていない。
それに、私が思うにはそこで泣いてる御影咲ちゃんは嘘泣きな気がしてならない。
だって何か違和感あるし。
そもそも私は何もしてないもん。
むしろボトル投げ付けられたりしたの私だし!
おかしいおかしい絶対おかしい!
何だかやられっぱなしで悔しくなってきた私は、キッと御影咲ちゃんを睨みつける。
すると、いまだ切原君に掴まれていた私の腕が再び強く掴まれ、痛みで顔が歪んだ。
「何ぼーっとしてんスか? 早く御影に謝ってくださいよ。」
「嫌だよ。 私悪くないもん。 知らないよ。」
「はあ? じゃあ御影が嘘ついてるって言うんスか?」
「そうなんじゃない? それかそっちの勘違い。」
パンッ
頬に感じる痛み。
じんじんと、熱い。
ただ驚きで、目の前の男から目が離せない。
何を考えているのかわからない、心を読むことを決して許してもらえない、揺るがない瞳。
声が出なくて、叩かれた頬に手をあてて目を見開いた。
「悪いことをしたら相手に謝罪、これは基本じゃろ。」
「……に、おう…」
「謝りんしゃい。」
私を打った張本人、仁王。
私は途切れ途切れに彼の名前を口にして、今の衝撃で溢れ出てきた涙をぐっと堪えた。
誰もが茫然としている中、ハッと我に返った滝萩之介が切原君の手を払いのけ、そっと私の体を引き寄せた。
涙が押し寄せる瞼が熱い。
「はやってないって言ったじゃないか。 それなのに叩くってどういうこと?」
「やってない? ハッ、やったくせにシラを切るからじゃ。」
「シラなんて切ってない! やってないって言ってるじゃん!」
「嘘つかないでください! 先輩、私にボトル投げ付けたりドリンクぶっかけたりしたじゃないですか!」
「なっ! それはアンタが、」
「じゃあ、じゃあどうして咲はこんなにびしょ濡れだって言うんですか〜……っ!」
突然声を荒げたと思ったら再び泣き始める御影咲ちゃん。
きっと大好きな仁王先輩とやらが庇ってくれたことに便乗したのかもしれない。
一体何だってんだ。 本当に何の茶番だこれは。
はあ、と小さく溜め息を吐き、さっきまで溢れてきていた涙を無理矢理引っ込めて唇を噛んだ。
「とにかく私はやってないし謝らない!」
「あ、ちょ、!」
「ついて来ないで!! 私今すっごくイライラしてるから!!」
不機嫌を丸出しにして合宿所に向かって歩き出す。
振り返って呼び止めた宍戸亮を一喝して付いて来ないよう促すと、彼は踏み出した足を黙って引っ込めた。
絶対に今ついて来られるわけにはいかない。
たぶん、みんなの姿が見えなくなったところで私は泣いてしまうだろうから。
泣き顔なんて、絶対に見られたくない。
みんながついて来ないのを確認し、私は早足でその場を去った。
***
悔しい。 何なのこれは。
何で私がこんな訳のわからない茶番に付き合わされて叩かれて責められなきゃなんないの。
私はただ氷帝学園の一生徒として平凡に過ごせたらそれでよかったのに。
「何で牛乳かけたの、跡部だったんだろ…。」
きっと他の男子生徒だったなら、私は今こんなところにいなかっただろう。
なけなしのお金からクリーニング代を出して、それで終わりだったはず。
どうして、跡部景吾だったんだろうか。
つくづくツイていない。
全部、アイツだ。
アイツのせいだ。
アイツ、跡部景吾の……せいだ。
「ちっくしょう跡部の鼻糞ボクローーーーーー!!」
さっきの水飲み場からずいぶん離れたところで立ち止まる。
そして有りっ丈の空気を吸っておもいっきり叫び声を上げた。
もしかしたらこの声、本人に聞こえてるかもしれない。
だけど、ちょっと胸の辺りの靄がとれてスッキリした。
目に溜まっていた涙は一筋だけ流れ、そしてすぐに乾いた。
「いや、あれはどう見ても泣きボクロでしょ。」
自分の独り言と言ってもいい叫び声に突っ込みが入ってきたことに、思わず肩をビクつかせて振り返る。
そこには、帽子を深く被って木にもたれ掛かって座っている青学ジャージを身に纏った男の子がいた。
鼻糞とか言ったの聞かれちゃった……あらやだ恥ずかしい。
「い、いたの君…。」
「まあね。」
「今の悪口……内緒ね?」
「さあね。」
淡々としたリズムで返って来る返事。
黙ってて…くれないんだ。
そんな、どうしよう。
バレたら生殺しだ。
「ねえ、絶対言わないでね。 特に跡部には。」
「さあね。」
「お願い! お願いします青学の少年!! 君の口の堅さに私の命がかかってるんだよ!!」
「………。」
私は彼の前に跪き、手を合わせて懇願する。
彼は冷めた目で私をじっと見つめると、呆れたと言わんばかりの溜め息を吐いて帽子を深く被り直した。
「それよりさ、いいの?」
「え?」
「泣いてたんじゃなかったの?」
明らか年下だろう男の子が私に向かってタメ口なのはもうこの際どうでもいいとして、
ひと雫しか零れ落ちなかった涙を逃さず見られていたことに思わず私は赤面した。
意地っ張りで強がりな私にとって、人に涙を見られることはかなり恥ずかしい。
大きな目にじっと見つめられ、恥ずかしさのあまり目を逸らした。
「ま、どうでもいいけど。」
「……うん。 そういうことにしておいて。」
「恥ずかしいんだ。」
「…うんとっても。」
「ふーん。」
何だろう。 この少年は。
何だかとっても不思議な空気を纏っている。
でも、イライラしていた気持ちが落ち着いてきていることに気づいた私は、断りもなしに不思議少年の隣に座り込んだ。
不思議少年は特に気にする様子もなく、私を視線で追うと、そのまままた前を向いた。
「何だか疲れたなぁ…。」
「まだ一日目だけど。」
「そうだね。 これがまだあと三日も続くんだよね。 ……はあ。」
「人の隣で溜め息吐かないでよ。 感じ悪い。」
「今日それ言われたの二回目だよ。」
「だったらやめてよね。 ふぁ。」
「君も欠伸しないでよ。 欠伸ってうつるんだよ。」
「うつってないじゃん。」
「普段はうつるんだよ。」
「偶然なんじゃない?」
「違うよ、うつるの。 テレビでやってたもん。」
「ふーん。 ま、何でもいいけど。」
そう言って頭の後ろで手を組み、目を閉じる不思議少年。
その姿はまさにやる気がないというか何と言うか…。
さっきまで苛立っていた気持ちが段々と治まりつつある私は、何だか可笑しくなってついつい吹き笑いを零した。
「君って、何だか不思議な少年だね。 そこまで無気力だと私も無気力になってきちゃうじゃん。」
「リョーマ。」
「え?」
「名前。 君じゃなくてリョーマ。」
「リョーマ?」
「そ。 じゃ、俺寝るから起こさないでね。」
「ちょ、え!? ここで!? 今から!?」
「うるさい。」
「す、すみません…リョーマさん、」
私、年上だよね?
「もしもし? もう寝たの? まさかねぇ。」
「………すぅ。」
「ウソ、本当に寝たの? うーわ、すっごいマイペース。 驚きだね。」
「…………、」
「あーあ、私も寝ようかな〜。 でも二人とも寝ちゃったら起こす人いないしなあ。」
「うるさいってば。」
「!!、ッはい、ごめんなさい!」
本当に黙ってよね、と言いながら帽子のツバを掴んで再び眠りにつくリョーマ。
取り残された私は彼の寝顔を黙って見つめながら少しだけ肩を落とす。
くすん、何だかものすごく不安になってきた…。
リョーマのあまりにも可愛らしい寝顔を見て、私も寝ようかな、と目を閉じる。
ああ、何だかとても気持ちがいい。
本当に寝てしまいそうだ。
起きたらきっと、また現実が戻ってくるだろう。
だって私はあそこから逃げ出しただけで、何も解決しちゃいない。
そうだ、私はいつも逃げてばかりだ。
あの時も、アイツから逃げた。
そう、逃げただけだった。
(でもまあ、とりあえず今は…何でもいい、か。)
溜まった疲れを癒すように、深い深い眠りにつく。
今はただ、何も考えないで眠っていたい。
これから起きるだろう出来事に対して、妙な胸騒ぎがするから。
だから今はちょっとだけ、眠らせて。
2008.12.14 加筆修正