君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

本来私は何の目的でここへ来たのだろう。

もちろんお金の為?

いや、それとも ―――――

 

 

 

 

 

「よし、じゃあ休憩!」

 

 

 

幸村君の声がフェンスの向こうから聞こえてくる。

ああ、きっとみんな今から休憩なんだ。 いいなー。

マネージャーに休憩という言葉はないんだから……部員っていいよなー。

そんなダラケ切った思考回路を脳内に張り巡らせながら、さっき大量に渡された汗がたっぷり滲み込んだタオルを手でごしごしと洗う。

 

ここ、洗濯機ないんだって。 貧乏よね。

……って、ないのが当たり前なんだっけ?

危ない危ない!!!!!

あんな奴らの中で一週間も過ごしてたから段々と価値観がおかしくなってきてるわ私。

しかも自分のこと棚に上げて貧乏とか言っちゃったよ。 私、最低だ…。

 

 

 

「あ、これ絶対跡部景吾のタオルだー。 何なのこの質感、うざー。」

 

 

 

何やら一つだけ手触りが全然違うなとか思ったらやっぱりそれは跡部景吾のものならしく、ちょっとムカついた。

みんなごちゃ混ぜになっちゃうから誰が誰のかわかるようにちゃんとラベルの部分に各自の名前が書いてある。

そのふわふわさらさらした手触りの無駄に高級品臭いタオルのラベルにはきっちりと達筆な字で跡部の名前が記されていた。

 

金をかけるところ間違ってんのよコイツは……。

 

そういえば今日、跡部景吾の機嫌があまりよくないなーと思いながらタオルをゴシゴシ擦る。

力入れすぎたら何だかこのタオルがめちゃくちゃになってしまいそうで他のよりは優しくソフトに洗ってやる。

別に贔屓しているわけじゃない。 怖いのよ。

貧乏人にとって高級そうな物を取り扱うのは恐怖の一環なんだから。

 

 

 

「あ、ちゃんと頑張ってるみたいだね、。」

「……滝萩之介。」

 

 

 

急に声をかけられて振り返ると、そこにはボトルを片手に微笑む滝萩之介が立っていた。

……ちっ、邪魔な奴が来たな。

 

 

 

「そんな嫌そうな顔しなくたっていいじゃん。 抓るよ?」

イタッ、イタッ、イタイイタイイタイイタイんじゃくそボケェエエ!!!!

「はは、面白い顔。」

 

 

 

二の腕をチマッと抓られ、狂ったように叫んで立ち上がる。

あまりの痛さに思わず涙目。

その拍子に持っていた跡部景吾のタオルがびちゃっと地面に落ちてしまった。

そう、びちゃっと。 しかも地面に。

 

 

 

「ちょ、ええええええええええええええええ!!!?

「何だよ。 うるさいなー。」

「落ちた!! ねえ、落ちた!!!

「また洗えばいいだけの話じゃない。 何をそんな大層に…。」

 

 

 

そう言って、滝萩之介はひょいっと汚い物を掴むような手付きでそれを拾い上げた。

そしてラベルのところをちらりと見て一瞬、目を丸くした。

コイツ、今絶対自分のじゃないか確かめやがったな!!

 

 

 

 

 

「ほー、俺様のタオル。 よくもそこまで汚してくれたものだな貧乏女。 あーん?」

 

 

 

 

 

固まる。

おお、究極のバッドタイミング。

この声、この口調、私聞き覚えがあるわよ。

場の空気がまさに今、マイナス数値に達しようとしていた。

 

ギギギギギとぎこちない動きで首だけを声がした方へと向ける。

そこに立っていたのはあまり的中してほしくない予想が当たって、腕を組んで偉そうにしている跡部景吾だった。

 

 

 

「気のせいじゃない? 渡された時からもともとこんな汚れ方だった。

「俺様が使ったあとがこんなに汚れてるわけねえだろふざけんなよテメエ。」

イタッ、イタッ、イタイイタイ二人して同じところ抓ってんじゃないわよボケェエエ!!!!

「ったく、口が悪い女だなお前。」

 

 

 

痛がる私に満足したのか、案外あっさりと跡部景吾は私の頬から手を離す。

抓られて赤くなった部分を擦ってみるけど、余計に痛みが増したので即触るのをやめた。

にしても、今度こそ本当に腕から肉を引きちぎられるかと思ったわ。

今回は跡部景吾よりも滝萩之介のが痛かった。

 

そういえば、と顔を上げ、思わず一驚する。

事の元凶、滝萩之介がそこにはいなかった。

 

アイツ、本当ゴーイングMYウェイな人間だよね。

 

 

 

「汚れ落ちなかったらお前、わかってんだろうな。 弁償してもらってもいいんだぜ?」

「いや、知らないし。」

「フン、ま、そう言ってられるのも今のうちってやつだ。 せいぜい粋がってることだな、ちゃんよ。」

「はあ? 何言ってんのアンタ。 バッカじゃないの?」

「ククッ、泣きついたって助けてやらねえからな。」

 

 

 

それだけ言い残すと、跡部景吾は嫌な笑みを浮かべたまま何処かへと行ってしまった。

……何なんだ、どいつもこいつも。

 

再び一人になった途端、ドッと押し寄せてくる疲労。

もう年なのかもしれないな、と自分で肩を解す。

すると、バシッと背中に衝撃を受け、拾ったばかりの跡部のタオルをまたしても手から滑り落としてしまった。

 

 

 

「……ボトル?」

「邪魔、退いてよ。 ブス。」

 

 

 

足元に転がった可哀想なボトル。

半分くらい中身が残っているんだろう。

それをぶつけられたのだから結構背中が痛かった。

 

振り返ると、私の背後に立っていたのは超がつくほど不機嫌な御影咲ちゃんだった。

この子って確か年下だったような…。

最近の若い子は怖いんだなー。

一歳しか違わないけど。

 

どうしていいものやらと、何のリアクションも取らず、背中を擦りながらじっと御影咲ちゃんを見つめていると、

御影咲ちゃんはムッとした表情を浮かべて転がったボトルの蓋を開けだした。

 

 

 

「ちょ、流すの!?」

「……何よ。」

「残ったやつ流しちゃうの!?」

「はあ? 当たり前でしょ。 新しいの一から作ればいいだけじゃん。 ってか鬱陶しいから話しかけないでよ。 ブス。

「…………。」

 

 

 

ムッカつく!!!!!!!!

 

 

 

「ちょっと、そんなことしたら勿体無いじゃん! どうしても流すってんならせめて氷帝のは流さずに置いておいてよ。」

「何アンタ。 ちょー貧乏臭ー。

「……貧乏臭くても何でもいいから、氷帝の分は私がするから置いててくれていいわ。 じゃないと後々私にかかってくるの。」

「………。」

 

 

 

御影咲ちゃんは無表情のままボトルを片手に、じっと私のことを睨みつけてくる。

それでも私は怯んだりなんか絶対しない。

だってこの問題は後々私の報酬にかかってくるんだから………ぜーったい負けないもんね!!

そうと決まれば私も一度タオルを洗うのをやめ、御影咲ちゃんをじっと睨む。

そんな私を御影咲ちゃんは冷え切った目で見つめ、そして手に持っていたボトルを違うボトルに持ち替えた。

 

 

 

「ばーか。」

 

 

 

そう言って蓋を開けてボトルの中身をひっくり返す。

そのボトルはもちろん私の学校、氷帝学園のものだった。

 

バシャバシャ、と容赦なく排水溝へと吸い込まれていくドリンク。

中身が空っぽになったところで、御影咲ちゃんは何か思いついたように笑顔を貼り付けた。

 

 

 

「あ、そうだ。 いいこと思いついちゃった。」

「!」

 

 

 

驚きのあまり動けなかった私を鼻で笑い、御影咲ちゃんは嬉しそうに水道の蛇口を捻ってボトルを放り投げた。

ちゃんと洗え!!と思いながら睨んでみる。

しかし、そのボトルもいつもの量の三倍なのだからまあ仕方のないことなのかもしれない。

そこは大目に見てあげようと、私はただ御影咲ちゃんの動きを目で追う。

それにしても、一体何を思いついたのだろうか。

 

 

 

「何見てんのよ。 さっさとタオル洗いなさいよね。」

「え?」

「さっさと洗ってこのドリンク全部作っといてね。 私コートに行って仁王先輩とお喋りしたいから。 じゃ。」

「はあ!!!!? ちょ、待ちなさいよ!!! ちょっと!!!!!」

 

 

 

私の叫びなんてお構いなしに軽やかなステップで何処かへ行ってしまった御影咲ちゃん。

あの子、なんてすごい性格しているんだろう…。 本当にスゴイスゴイ。

 

もしかすると跡部と並ぶ我一番主義なのかもしれない。

 

ある意味感心だわ、なんて思いながら置いていかれた哀感漂うボトルを見下ろす。

ま、全部流されちゃうよりマシか。

 

一先ず、ほのかに香る甘酸っぱい匂いを嗅ぎながら、私は洗濯を一時中断してドリンクを入れなおすことにした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

ただ今、昼食の時間。

練習がひと段落ついた人達から順に食堂へと姿を現す。

そして食堂のオバサン達から美味しそうな昼食が載ったトレイを受け取る。

縦に長いテーブルが三列並んだこの食堂内、何処に座ろうが自由なのだけれど……

 

 

 

先輩食べないんですか?」

「……ちょっと、食欲が。」

 

 

 

隣に座る鳳長太郎君が心配そうに私の顔を覗き込む。

私のテーブルの上には手付かずのお昼ご飯たち。

その原因はまあ、目の前の人物にあるわけでして……

 

喉が詰まって何も通る気がしない。

 

 

 

「ハンッ、ダイエットか? まあ確かにお前はした方がよさそうだな。 なあ、長太郎。」

「え、そんなことないと思いますけど……普通じゃないですか?」

「甘いな。 今の歳では痩せてるってくらいが丁度いいんだぜ。 来年になったら環境も変わって体重なんかあっという間に増えちまうもんなんだよ。」

「そうなんですか!? それはなんだか可哀想ですね。」

 

 

 

クソッ! 何で!!

何で跡部景吾が私の前にッ!!!!

しかも口を開けばいらないことばかり言いやがって……!!!

 

跡部景吾と向かい合って会話を交わす鳳長太郎君が何かに感心しながらコクコクと頷く。

もうこんな奴無視ってていいのに!

そしたら私もこれ以上コイツの声聞かなくったっていいのに! バカ鳳!

 

 

 

「なあなあ、お前食わないの?」

「え?」

「だったらこのデザートちょーだい!!」

 

 

 

鳳長太郎君とは反対側の椅子に座っていた部員が突如、私のトレイににゅっと手を伸ばし、フォークでデザートを突き差した。

待て待て待て待て待てぇーい!!

まだあげるなんて一言も言ってないのに!!

しかも何かもう相手の口の中でもぐもぐ言ってるし!!!

見るからに美味しそうなデザートだったから結構食べるの楽しみにしてたのに…。

 

一瞬にしてお皿から消え去ったデザートに思いを馳せ、呆然と相手の動く口を見つめていた。

そんな落胆している私を見て、跡部が鼻で笑った気がした。

 

………くそぅっ悔しい!!!

 

 

 

「サンキューうまかった!!」

「…………そっか、よかったね。

「なんだお前元気ないねえー! もうへばってんのかよ!?」

「………まあそんなところ……へへ。」

 

 

 

チクショウ、乾いた笑いしか出てきやしない。

立海のジャージを身に纏ったお隣の部員は、先ほど青学のツンツン頭と喋ってた赤い頭の男の子だった。

空気が読めていないのか、テンションがやけに高い。

そのうえ屈託のない笑みを浮かべながら大きな声で私の肩をぽんぽんと叩く。

他の席に座っている部員が何だ何だと不思議そうに私とその部員に視線を向けていた。

 

 

 

「俺、丸井ブン太。 シクヨロ☆」

「よろしく……はあ。

「お前な、人が自己紹介したあとに溜め息吐くなよ。 感じ悪ぃな。」

 

 

 

丸井君は眉間に皺を寄せながら、有り得ないって顔をしてムッと口を尖らせる。

有り得ないのはお互い様だと思うけどね。

 

 

 

「それはごめんなさいね。 私今疲労感やばいから。 何かもう…全部が全部疲れるんだもん。」

「お、お前そうとう溜め込んでんのな…。 まあそう気張ってないで力抜いとけよ。 な?」

「力抜くなんてそんなこと、そこで偉そうにしてる俺様が許してくれな………ってもういないし。

 

 

 

皮肉を込めて前の席に視線を向けると、そこはもうものけの空。

誰も座っちゃいやしない。 いつの間に席外したんだあのボンボンは。

ちょっとだけ自分が惨めに思えてもう一度溜め息を吐いた。

 

 

 

「跡部かー。 確かにあの手のタイプ俺も苦手かもなぁ〜。」

「へぇ、そうなの?」

「おう、だって一緒にいたら俺のリズム狂わされるし、あとあの威圧感に何でか逆らえねえし……ムカつく。」

「ああ、だって君も何だか自己中っぽいもんね。 うんわかるわかる、合わなさそうだね。」

 

 

 

自己中は自己中と上手くいかないってどこかで聞いたことあるけど、それは確かに本当かもしれない。

だってお互いが自己中だったらどちらかが折れるまで問題は解決しないわけだし……。

丸井君は「はあ? 俺が自己中なわけねえだろぃ!」って言いながら顔を歪め、またしても拗ねたように口を尖らせていた。

 

 

 

「それにさー立海にもいたんだよな、あんなの。」

「……え?」

「だからー立海にも跡部みたいな奴いたわけ。 俺そいつすっげー嫌いだったから。 毎日喧嘩三昧!」

 

 

 

んで意味わかんないことに、何故だか俺だけ真田に殴られんの。

と、過去のことを思い出しながら舌打ちを鳴らし、眉間に皺を寄せる丸井君。

 

きっと、アイツのことを言っているんだ。

跡部みたいな奴なんて、そういない。

きっと丸井君の言う― そいつ ―はアイツで間違いないだろう。

 

今朝の合宿所で声をかけた立海部員の台詞を思い出し、私は見えないところでぎゅっと拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

「ブン太、食ったならさっさと行くぜよ。」

 

 

 

 

 

声がした後ろを丸井君とほぼ同時に振り返る。

 

 

 

「お、仁王じゃん。 何、休憩時間まだあんだろぃ?」

「幸村が立海メンバー集めて来いて。 ミーティングじゃと。」

「えーマジかよ、だりぃなー。 食後だっつーのに硬っ苦しい話合いかよ…ったく。 じゃーな。」

「え、あ、うん。 ……頑張って。」

 

 

 

丸井君は嫌々席から立ち上がると、私の頭をポンと叩いて仁王と呼ばれた部員の方へと向かう。

― 仁王 ―さっき御影咲ちゃんが私に向かって言った名前。

そして、私が最初に話しかけた人物。

 

私は叩かれた頭を何となく触りながら食堂を出て行く二人の背中を目で追った。

 

 

 

「………あ、」

 

 

 

ちょうど食堂の扉が閉まる瞬間。

一瞬だけ仁王君がこちらを振り返り、目が合った。

そして、またあの嫌な笑みを口元に浮かべ、扉が音を立てて閉まった。

 

とくん、胸騒ぎ。

あの瞳の奥に秘められた、見えない不安。

彼のあの不思議な笑みは一体、何だったんだろう。

 

 

 

「変な……人。」

 

 

 

そう呟くと、私はデザートのない残りの昼食を食べることにした。

背中に鋭い視線を感じる。

もちろんそれが誰からのものかわかっているから振り返らない。

きっと、あの子、御影咲ちゃんだから。

 

いつの間にか隣にいたはずの鳳長太郎君もいなくて、

少し冷めてしまった味噌汁をすすって三度目の溜め息を零した。

あーあ、幸せ、逃げちゃうなー。

 

 

 

 

 

私は君が嫌い。

だけど、アイツがいなければ、

本当に君を嫌いになっていたのかなって、最近よく考えてしまうんだ。

 

 

 

 

 

2008.12.14 加筆修正