君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

合宿、それはもう悲劇の幕開け。

さあ準備はいい?

火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

 

「はーい、それじゃあ以上のことを守って気持ちのいい合宿にしましょうねー。」

 

 

 

合宿所のお姉さん(正確に言えばおばさん)が営業スマイルと言っていいほどの爽やかな笑顔で説明を終えた。

途端にざわめき出す部員達。

色取りどりのジャージに身を纏った彼らは、一刻も早くテニスしたさにまだかまだかと体をうずうずさせていた。

しかし彼らの思いとは裏腹に、合宿所のお姉さんに負けないほどの爽やかな笑顔で声を上げる人物が一人。

 

 

 

「じゃ、次は今回俺達のサポートをしてくれるマネージャーを紹介するよ。」

 

 

 

パンパンと手を叩き、騒がしくなった部員達を静まり返らせるそんな見えない力の持ち主、立海の部長さんらしい。

いいなーあれ。

私もあんな風に手を叩けばみんなが言うことを聞く力がほしいよ。

そしたら跡部も一息に黙らせることが出来るのになぁ……。

 

 

 

「初めまして、立海のマネージャーをしています。 2年生の御影咲です! よろしくお願いします!」

 

 

 

私の隣に立って笑顔でちょこんとお辞儀をする御影咲ちゃん。 まあ可愛らしい。

きっと普段も学校で可愛がられているんだろうな、なんて勝手に想像しながら部員達が拍手をするのをぼんやりと眺める。

 

早く合宿終わらないかなー。 早くお金欲しいなー。

なんて、最初からこんなことばかり考えてていいのかな私、と少し自分が心配になってくる。

ぶっちゃけ私、とことんやる気ないな。

みんなの前に立っていることすら忘れ、はあ、と深い溜め息を吐いて肩を落とす。

すると同時にポンと軽く肩を叩かれ、顔を上げる。

そこにはニコニコと無駄に笑顔を浮かべた立海の部長さん(…えっと確か幸村君)が立っていた。

 

 

 

「憂鬱そうなところ悪いけど次、自己紹介してくれるかな。」

「あ、ごめんなさい…。」

 

 

 

何処かで…いや、何処かとか言わなくったってアレは氷帝の列だ

氷帝の列辺りから「ブフッ」と堪えきれずに吹いた醜い笑い声が聞こえてきたので、とりあえずその辺を睨んでおく。

すると「何かアイツ威嚇してるぜ侑士!」という向日岳人の声がはっきりと聞こえてきた。

アイツ絶対あとでケツに一発蹴り入れてやる。

 

 

 

です。 氷帝3年、臨時のマネージャーです。 一応素人なんで、そこのところよろしくお願いします。」

「え、そうなの? 臨時のマネージャーなんだ。」

「はい臨時なんです。 だから専門的なこととか全然わかってないんで…。」

「そうか、じゃあさんは正式なマネージャーじゃないんだね。 大変だろうけど、頑張って。

 わかんない事とか気軽に俺や部員に聞いてくれればいいからね。」

 

 

 

そう言ってふんわりと素敵な笑顔を浮かべる幸村君。

ああ、立海の人って優しいんだな、と思わずときめいてしまう。

こんな笑顔を私に向けてくれる人、うちには絶対いないもんね。

まあアイツらにこんな笑顔されても困るだけだけど…。

 

 

 

「アレ、青学はマネいねぇのかよ…。」

「ウチはバアさんが自分のことは自分でしろって主義の持ち主でね。 いないんスよ。」

「へーつまんねぇの、何だそれ。 マネ二人だけかよ。」

「まあまあ、いるだけマシじゃないっスか。 二人ともなかなか可愛いですし。」

「お、言うねぇ。 俺んとこのマネにチョッカイ出すなよ桃城。」

 

 

 

幸村君が部屋割りについて説明している時に、青学の列のツンツン頭と立海の列の赤い髪の奴がコソコソと話しているのが耳に入ってきた。

可愛いなんて言われ慣れない私はそれを聞いてちょっと照れてしまう。

やだな、こんなみんなの前で一人で照れてたらかなりキモイじゃない

……平常心平常心。

いや、でもどっちかっていうと御影咲ちゃんのこと言ってるのかもね。 …ちょっとショック。

 

 

 

「というわけで、以上を持って俺からの説明は終わるけど……何か質問とかない?」

 

 

 

いつの間に話が進んでしまったのやら。

ハッとして顔を上げると、説明が終わってしまったらしく、幸村君はにこやかに部員達を見渡していた。

誰も手を上げなければ声すらも出さない。

幸村君は無言のまま確認を取り、再び口を開いた。

 

 

 

「ないみたいだな。 それじゃあ一度解散するけど、二十分後には必要な物だけ持ってまたここに戻って来てね。」

「ウィッース!」

「よし赤也、いい返事だ。 それじゃあ遅れないように、解散!!」

 

 

 

幸村君からの解散の声が上がると、みんなが一斉に動き出してあちらこちらに散らばっていく。

生き生きしているみんなの姿を見ていると、本当に早くテニスがしたいんだなぁと思わず感心してしまう。

 

どうやら二十分後にはもう練習が始まるようで、それまでに私はドリンクなどを用意しなければならないらしい。

が、しかし、その前に私には少しだけやらなきゃならないことがあった。

というよりは確かめなければならないこと。

これを確かめなければ安心してこの四日間を過ごすことなんてできないだろうから。

 

四日間の荷物が入った大きな鞄を持ってとりあえず目に付いた立海のジャージを身に纏った部員に駆け寄る。

彼は自分の鞄を肩に担いで、今まさに合宿所の中へ入ろうとしているところだった。

彼以外の立海部員はもう中に入ってしまったのだろう、マイペースでのんびりしていそうな彼が最後だった。

 

 

 

「あ、あの!!!」

「?」

 

 

 

慌てて声をかけて駆け寄る。

振り返ったその人の前で立ち止まり、怪訝の表情を浮かべて立ち止まった彼を見上げた。

わ、綺麗な顔立ちをした人だな…。

 

 

 

「何じゃ?」

「あの、立海の人…ですよね?」

「見てわからんか?」

「いや、わかりますけど……。」

 

 

 

疎ましそうな視線が私に突き刺さる。

何か人選ミスっちゃったかな…。

もっと早くに気づいて幸村君にすればよかった。

銀髪の彼はいたって無表情で私を見下ろすと、早くしてくれというオーラを醸し出していた。

 

何かこの人苦手かも…怖いよお!!

 

 

 

「立海のテニス部の中に、超がつくほど嫌味な奴とか…いません?」

「んなもんうじゃうじゃおる。 優しい奴のが指折り数えれるくらいしかおらん。」

「あ、じゃあえっと……テニスがすっごく上手くて顔が美形で俺様で偉そうで言動が一々ムカつく奴は?」

「それアンタんところの部長さんじゃろ?」

はいそうです。 ……って違います! 今は立海の話をしてるの!!」

 

 

 

確かに今のところ条件は全て跡部と一致してるわ…。

本当にアイツとそっくりなのね跡部って。

ってまたこんなこと考えてたらジローに今度は顔面殴られちゃうかもしれないからやめておこう。

 

銀髪少年は少し考える素振りを見せ、そして何か思い出したように「ああ、」と声を上げた。

 

 

 

「そう言えばそんな奴、いたな。」

「ホント!? 合宿に参加してる!!?」

「いや、そいつはもうテニス部におらんし…確か3年になる前に退部したはずじゃ。」

「……え? あ、そ、そうなんだ。」

 

 

 

この合宿にアイツがいないと知ってとりあえずよかった、と安堵の息が漏れる。

と同時に、てっきりアイツはテニスをしていて、レギュラーで合宿に参加していると思っていた私は知らされた事実に思わず驚愕してしまった。

そっか、退部してたんだ…そっか、そうなんだ…。

もしかしたらここで会ってしまうんじゃないかって、そればかりが心配だったのに。

何だか、拍子抜け。

何も言わずにただボケッと突っ立っている私をじっと見つめる彼は、何かを悟ったように顎に手をあて、うんうんと頷き始めた。

 

 

 

「ほう、じゃあお前さんが例のちゃんってわけか。 噂は聞いとるよ。」

「え?」

「アンタ、アイツと知り合いなんじゃろ?」

「……ま、まあそうだけど。 え、噂って…何?」

 

 

 

嫌疑をかけた視線を向けると、目の前の彼はただ冷笑を浮かべて私のことを見つめていた。

読めない男だ。

何考えてんのか全然わかったもんじゃない。

ずっと返事を待っている私に対し、なかなか何も言い出さない彼。

私はアイツという人物が本当に自分が想像しているアイツで合っているのかも確認を取ることなく、

目の前の彼が口を開くのをただただ見つめて待っていた。

 

 

 

「お前さん、アイツのこと嫌いなんじゃろ?」

「……何で?」

「そんな顔しとう。 今日ここにおらんて聞いた時も、アンタ安心したような表情しとった。」

 

 

 

言われた言葉が図星だったから思わず返事に詰まる。

だからと言って嘘でもアイツのことを好きだなんて言えない。 言いたくもない。

言ったら口が腐ってしまう。 だから彼の言葉に訂正はしない。

 

それにしてもこの男、かなり観察力にすぐれてるみたいだ。

まるでうちの滝みたい。

見かけも確かに怪しかったけど…ちょっと軽視しすぎてたみたいだ。

 

だとしたら、自分の身のためにも、長居はしない方いいかもしれない。

きっとこのまま話を続けていると、私とアイツの関係がバレてしまうかもしれない。

さあ、もう用は済んだし、どう切り抜けようか。

 

 

 

「…き、君の気のせいじゃない? てか、もうすぐ練習始まっちゃうよね、ごめんね、呼び止めて。 というわけで今日のところはこの辺で!!」

「待ちんしゃい。」

「え?」

 

 

 

素早くこの場から離れようと彼に背中を向けたら予想外に腕を掴まれた。

掴まれた腕からゆっくりと目を這わせながら彼の顔を見上げる。

ばっちりと目が合ったところで漸く気がついた。

 

彼は、危険だと。

 

彼の瞳に映る私が、何だか怯えているように見えた。

 

 

 

「アイツ言っとったんよ。 氷帝に女がおるて。」

「……それが?」

「アンタじゃろ?」

「人違いよ。」

「……くくっ、ま、そういうことにしといてやってもええけど。」

 

 

 

掴んでいた腕が急に解放される。

今までかかっていた圧力がなくなり、少しよろめいた。

そんな私を見て、銀髪少年は少しだけ口の端を持ち上げて笑った。

私を見つめる彼の瞳が、何故か怖い。

 

動けずに彼を見上げていると、ロビーから誰かの話し声が少し聞こえてきた。

用意出来た部員が集まり始めたのだろうか。

そろそろ準備に取り掛からないと時間がない。

彼もそのことに気づいたのか、何も言わずに踵を返して合宿所の中へ入ろうとした。

その後ろ姿を私は黙って目で見張る。

2、3歩あるいたところで彼は足を止めて「ああそういえば、」と言いながら振り返った。

 

途端に胸が、ざわめき出す。

 

 

 

 

 

「その女、貧乏じゃって、いつも馬鹿にしとったぜよ。」

 

 

 

 

 

じゃーな、と気のない仕草で手を振って去って行く彼の背中を眺めていると、

沸々と湧き上がってくるような感情に、ギュッと拳を握り締めて俯いた。

 

―― 貧乏じゃって、いつも馬鹿にしとったぜよ

 

…ムカつく、ムカつくムカつく!!

私のこと、まだそんな風に他の奴に言いふらしてたんだ!!

あんな奴、もう二度と関わりがないと思っていたのに……!!

 

何だかすごく悔しさが込み上げてきて、思わず唇を噛み締め、地面をじっと睨みつけていた。

すると、私のすぐ後ろで小さな足音が止まった。

 

 

 

「あの、…先輩?」

 

 

 

振り返るとそこには立海のマネージャーである御影咲ちゃんが首を傾げながら立っていた。

ああそうか。 ごめん、用意しなきゃね。

そうだ、今は合宿中。 合宿中だった。

アイツがここにいないのなら、アイツのことを考えてる時間なんてこれっぽっちもないんだ。

 

よし、頑張って節約して部費浮かさなきゃなー。

そうとなればすぐに準備に取り掛からなければ。

 

待たせてしまった御影咲ちゃんに「ごめんね」と謝って鞄を抱えなおす。

そして早く自室へ向かおうと御影咲ちゃんに背を向けた、その時だった。

 

 

 

「……合宿だし、害がないと思ってたけど、甘かったみたいね。」

「え?」

 

 

 

突然ものすごく低い声が聞こえてきて、思わずもう一度振り返って見てみる。

やはりそこには御影咲ちゃんしかいない。

ということは、今のは御影咲ちゃんが言った台詞なのだろうか。

それか、空耳とか……?

 

 

 

「咲ちゃん?」

 

 

 

彼女の名前を呼ぶと、俯いていた顔がゆっくりと上がる。

その顔は私のことをギッと睨んでいて、思わず自分の目を疑った。

 

な、何!?

何が起こってんの今!!!

 

 

 

 

 

「仁王先輩に媚売ってんじゃねーよブス。」

 

 

 

 

 

次に発せられた台詞で、私の思考回路はピタリと静止した。

今の、聞き間違い?

 

仁王先輩って……誰?

 

私の顔が思いっきり引き攣っていたんだろう。

目の前の彼女は嘲笑の笑みを浮かべ、もう一度私のことをギッと睨み上げた。

 

 

 

「いい? 可愛がられるのは咲だけで十分。 アンタは咲の引き立て役。

「ひ、引き立て役!?」

「仁王先輩に手を出したアンタが悪いの。 仁王先輩は咲のなんだからね。」

「……え、え?

「アンタなんかみんなに嫌われちゃえばいいんだ。 立海のマネージャーはそうやってみんな辞めてったんだから。」

 

 

 

何やら話についていけないでいると、先ほどより更にロビー辺りが騒がしくなってきていた。

みんなもうラケットとタオルを持って集まり始めているらしい。

それに気づいた御影咲ちゃんがパッと表情を先ほどの挨拶の時みたいな可愛らしいのに変えて、

何事もなかったかのように私の前をスッと通り抜けていった。

 

え、終わり?

何? 結局何だったの今のは…。

 

 

 

「おい、お前まだそんなところに突っ立ってたのかよ。 何してんだお前。」

「あ…宍戸。」

「早くしなきゃ時間ないだろ。 働けよ、マネージャー。」

 

 

 

いつの間にか氷帝メンバーも荷物を自室に置いてきたらしい。

ぼんやりと御影咲ちゃんを眺めていた私の背中を宍戸がバシッと叩いた。

突然の衝撃に驚き、ジンジンする背中を恨めしげに擦る。

やばいな、私もさっさと荷物を置いてくることにしよう。

それにしても力の加減を知らない奴だな、アイツは。

 

 

 

 

 

私は何にも気づいてなかった。

いつも自分のことばかりに必死で。

周りの状況なんて、この時点では何も知らなかったんだ。

 

 

 

 

 

2008.12.12 加筆修正