君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

お金と時間はいくらあったって足りやしない。

お金はもともとないからいいとしても、今週という名の時間を返してほしいと切実に願った。

 

 

 

 

 

それはふとした向日岳人の一言。

 

 

 

「あーとうとう明日じゃん。合宿。」

 

 

 

そうそうそうそうそうなんです!!

合宿を明日に控えた今、私はもう疲れと苛立ちで死にそうなんです!!

 

今日一日の部活を終えた彼らがジャージから制服へと姿を変える。

そんな中、私はこの一週間の仕事を振り返り、合宿なんて無理と改めて実感していた。

 

この5日間だけで物も言えないくらい疲れてしまったっていうのに、合宿なんて行ってられないよ。

そりゃもうこの5日間と言ったら、ドリンクの量ケチったり跡部とファイトしたり、贅沢者共を怒鳴り散らしたり跡部とファイトしたり……

あーホント疲れたな。 特に跡部とのファイト。

 

 

 

「いやいや、しかし合宿が終われば私は解放されるわけで……。」

「え、そうなの?」

 

 

 

……おや?

 

独り言のつもりで呟いた言葉にいきなりツッコミを入れてきたジローに不審な眼差しを向ける。

それでもジローはキョトンとしながら首を傾げている。

 

そうなの?って何よ。

そう言ってきたのはアンタ達でしょうが。

 

 

 

「合宿終わったらちゃんマネージャー辞めちゃうの?」

 

 

 

眉を下げ、妙にキラキラした目で見上げてくるジロー。

え、何なのコレ。

何でこんなにも罪悪感が私を責め立てるの?

 

 

 

「何言うてんねんジロー。 そんなわけないやろ。」

「は?」

「マジマジ!? じゃあちゃんずっとマネージャー!?」

「当たり前やん。 合宿だけとか……ありえへん。

「だよなー。 だってそんなの薄情すぎるし。

「マジマジやったー!! 俺嬉Cー!!」

 

 

 

おいおいおいおいおーい!

話が違うんですけど貴様ら!

しかも何当たり前みたいに話進んじゃってるわけ?

……新手の詐欺なのかなこれって。

 

 

 

さん。」

「は、はい?」

 

 

 

くるりと華麗に踵を翻して微笑む滝萩之介。

……さん?

この人が丁寧な言い方する時って何だかかなーり嫌な予感がするのは私のただの気のせいだろうか。

願わくは気のせいであってほしい。 いや、気のせいであれ。

 

顔を引き攣らせて立ちすくんでいると、またしても宍戸亮から哀れみの視線が向けられた。

あ、これってもう確定ですか?

やっぱり気のせいなんかじゃないんですよね。

 

 

 

「で、どうなの?」

 

 

 

貼付けたようなニセモノの笑顔で尋ねる、相変わらず脈略のない彼の会話のふり。

で、の前が全くわからない。

主語を補ってね、主語を。

あまりにも疲れが溜まりすぎて引き攣った顔が元に戻ってくれない。

きっとこのまま一生こんな顔で生きていくんだ私…。

 

 

 

「マネージャー続けるの? 続けるでしょ?」

 

 

 

こういう質問は合宿が終わった時にするものなんじゃないですか?

なんて私の当たり前すぎる疑問は飲み込んで、なおも笑顔の滝萩之介が私を射ぬくように見つめてくる。

はっきり言ってものすごく「NO」と言いたい。しかし、言える空気じゃないじゃないか。

周りからの無言の視線がものすごく痛い。

鳳長太郎君や宍戸亮、日吉若だってこっちを見てる。

 

 

 

「続けるんやろ?」

「……続けませッブオ!!

 

 

 

コイツ!!!!

いきなりヘッドロックかましてきやがった!!!!!

 

訴えてやる!! 絶対訴えてやる!!

女の子に暴力ってどうなの!!?

どうなってんのこの野蛮人!!

野蛮眼鏡!! 覚えてろ!!

 

涙目になりながらもヘッドロックをかました男、忍足侑士を睨みつけていると、

すぐ近くにいたジローが「痛いの痛いの飛んでけ〜」なんて言いながら暢気に私の頭を撫でてきた。

君はホントに頭の中が湧いているようだね、大丈夫かな?

 

 

 

「何やねんそんな泣きたくなるほど続けたかったんか?」

「俺らとしても雑用がいなくなったら困るしな。 続けろよ!」

「雑用とか言われて続ける奴が何処にいるのよバーカ!!」

 

 

 

向日岳人がしまったとでも言いたげに口を押さえて目を見開いた。

わざとらしいってか何、アンタ喧嘩売ってんの?

ほうほう、アンタらにとってマネージャーというものは雑用でしかないんですかそうですか。

お金で釣られた私も私だけど……私はいいカモだったわけですねそうなんですね。

やばい、何だか抑えられないほどの怒りがこみ上げてきた……。

 

 

 

「私は絶対に続けません! アンタらと違ってそんな余裕ないし! つ・づ・け・ま・せ・ん!!」

「ああ、部活してると経済面とかきついですもんね。」

「ま、この話はまた合宿のあとでいいじゃん! 早く帰ろうぜ!!」

「そうやな、今日はもう帰って寝な。 明日朝早いで〜。」

 

 

 

あっさりと引き下がったのかと思ったら意味のわからないことをほざきながら鞄を担ぐ。

合宿のあともしないよそんな話。

合宿が終わった時点で私はもうお役目ごめんなんだからね。

それにしても、鳳長太郎君の言ってることは当たってるんだけど、正直言うとちょっと傷ついた

あっさり言われたら言われたでかなり胸にグサッてくるものなんだね……そうだよ経済面苦しいよ私。

 

はあ、と短い溜め息を吐いて部室の中を見回してみる。

言い出しっぺのジローはシャツのボタンを掛け違えている途中で力尽きて寝てしまっているし、

滝萩之介は滝萩之介で、既に部室に姿が見当たらなかった。

いつの間に帰ったんだろう本当に不思議な人だ。

他の煩い部員達は今まさにドアノブに手をかけんとして帰ろうとしているし、私もそろそろ帰ってもいいのだろうか。

 

 

 

「あ、そういえば明日早いって……何時集合だっけ?」

 

 

 

鞄の中を探って今日跡部から貰った冊子を取り出す。

その動作に夢中になっていたから気づかなかったが、いつの間にか私の背後にはあの跡部様が立っていらっしゃったようで

 

 

 

「おい。」

「△※○×★□ーーーーーーーーー!!?」

 

 

 

驚きのあまり思わず声にならない声を上げた。

 

いきなり耳元で気色の悪い(=色気のある)声を発せられて私の背中はビクンと跳ね上がって背筋が伸びる。

心臓が一気にバクバクと音を立てて煩かった。

 

 

 

「ななななんあなんあ何なのよアンター!!!」

「ちゃんと喋れ。 どもり過ぎて聞こえねえな。」

「何なのよアンタって言ったのよこれで聞こえますかー!!!!?

 

 

 

今度は仕返しに跡部の耳元で思いっきり叫んでパッと身を離した。

顔を引き攣らせて眉間に皺を寄せた跡部と目が合う。

仕返しが成功してちょっと気分がいい私は得意げな笑みを浮かべ、鼻で笑ってやった。

 

 

 

「……てめぇ。」

「何よ。」

「いい度胸じゃねえか。 アーン?」

「あーん? 人の耳に話しかけるアンタが悪いんじゃない。」

「耳に話しかけたんじゃねえ、お前に話かけたに決まってんだろうがバーカ。 ったく、口だけは達者だなお前。」

 

 

 

いつ跡部に仕返しされても大丈夫なように全身に気を張り巡らせていると、跡部に呆れたといわんばかりの視線を向けられた。

ちょっと肩を竦めて視線を逸らすと、前方に人影がにゅっと現れる。

いつの間に目の前まで来たんだコイツ!!!

 

 

 

「ところでお前、相当俺のこと避けてるみたいじゃねえかアン?」

「避けてるんじゃないです。 視界に入ってこないだけです。

「テメエその減らず口もう一回塞ぐぞコラ。」

「…すみませんでした。 だから目の前から消え去ってください。 ホントすみません。」

 

 

 

顎に手をかけられそうになったのを寸でのところで避ける。

誰か助けて誰か助けて誰か助けて。

私この空気耐えられない!ムリ!ムリ!!!

何が悲しくて私は跡部と会話なんてしなくちゃいけないの!!?

私は早く帰って寝たいんだよー!!

今日の占い3位ってなかなか良かったはずなのに何でこんなことになってんの!?

 

 

 

 

 

「そんなに俺が嫌いか?」

 

 

 

 

 

ふと、胸に圧し掛かるような問いかけに、思わず顔を上げる。

かち合う、青く、冷たい、寂しそうな、瞳。

 

そんな目で私にそんなこと聞かないで。

わかってるくせに。

私がアンタを大がつくほど嫌ってるってこと。

それなのに、何か期待をするような目で私を見ないで。

 

 

 

 

 

「……大、嫌いに決まってんじゃん。」

 

 

 

 

 

壁と跡部に挟まれていた私は、体を捩って跡部を押し返して抜け出した。

迷いがちに呟いた言葉は、あまりにも真実味がなくて、

何故か頭の中はアイツのことばかりがチラついて気分が悪かった。

 

大嫌いな、アイツのことばかりが ―――

 

 

 

 

 

『もう…嫌…』

 

、そんなこと言わないで……』

 

『だったら氷帝の誰か捕まえてくるから!! だからもう……』

 

 

 

 

 

アイツはやめて

 

 

 

 

 

ちゃん?」

 

 

 

ハッと気がついて顔を上げる。

どれくらいボーっとしていたんだろうか。

心配そうな顔つきでソファーから体を突き出して私を覗き込んでいるジローの姿が目に入った。

はっきりしない頭をブンブン振って少し暗くなった部室を見回す。

 

 

 

「あれ、跡部は?」

「とっくに帰ったよー。」

 

 

 

陽気な声とは裏腹に、ジローから突き刺さるような視線を受けているのはわかってる。

だけどあえて目を合わさないのは、自分の弱さ。

その目を見ることができないのはきっと、上手く動揺を隠せそうにないから。

 

 

 

「なあ、ちゃん。」

「……?」

 

 

 

バンッ

 

 

 

ロッカーを殴る音。

体を跳ね上がらせ、耳を塞いで顔を上げる。

今度こそばっちり合ったジローの目を、私は逸らすことができなかった。

きっと、許してもらえなかったと言った方が正しいのだろう。

鋭く、強い、その眼差し。

私が気づかないうちに、いつの間にかジローはソファーから降りて私の目の前までやって来ていた。

そして、その目は恐ろしいほど冷え切っていた。

 

 

 

 

 

「跡部傷つけたら、許さねえからな。」

 

 

 

 

 

息が詰まるかと思った。

窒息しちゃうんじゃないかってくらい、息をするのを忘れた。

だって、普段のジローからじゃありえないほど低い声で。

真っ直ぐな目はあまりにも真剣で。

 

 

 

ちゃんの言う金持ちと、跡部は違うよ。」

「!」

「誰と比べてるのか知らないけど、最初から決め付けて人を見るの、良くないし。」

 

 

 

気づかれていたんだ。

私がアイツと跡部を比べながら“跡部”という人間を見ていたこと。

きっと、誰にも気づかれることはないと思っていたのに。

 

ジローはふいっと顔を背けて立ち上がる。

ボタンを掛け違えたままだった制服をそのままにして、足元に置いたままだった鞄を肩に背負い、まだ動けない私を見下ろした。

もう、その目は普段どおりのいつもの彼。

 

 

 

「んじゃ、帰ろっか。」

「え?」

「一緒に帰ろ!」

 

 

 

なんて切り換えの早い人間なんだろう。

 

さっきとは打って変わった笑顔を私に向けて早くしろと言わんばかりにドアの前で待っているジロー。

つまりはアレか。

私にジャージのまま帰れって言ってるんだこの子は。

 

 

 

「ジャージのままで、はっちょっとなあー……ほら、私女の子だし。」

「大丈夫だって! 可愛い可愛い!!」

「こんな砂だらけのジャージのどこが可愛いのか考えてからモノを言ってね。 …でも、まあ…着替えるの面倒だし……ま、いっか。」

「えー可愛いのにー。 じゃ、早く帰ろ!」

 

 

 

部室のドアをガチャっと開けて忘れずに電気を消す。

ジローが何処からか鍵を取り出して鍵穴に差し込んで何やら苦戦している。

きっと、普段閉めたりしない子なんだろうな。なんて思いながらも手伝ってやらない私は相当疲れているんだろう。

身体がだるくてさっきからずっと溜め息しか出てこない。

その度に疲労感がどっと襲い掛かってくる。

やっと閉まったのか、嬉しそうに笑顔を浮かべたジローが振り返った。

 

 

 

「んじゃ、帰ろうか! はい、手!」

「いりません。」

「手!」

「いらないって言ってるでしょ聞こえてますかー!!!?

 

 

 

一度は跡部にもしてやった耳元で聞こえているか確認。

ジローも「わっ!!」って言いながら体を仰け反らせて驚いていた。

それを見て私はざまあみろと思いながら先に歩き出す。

後ろから「マジびっくりした〜!!!」なんて言いながら遅れて駆け出す音がする。

 

さ、家に帰ったらお風呂に入って適当にご飯を食べてさっさと寝よう。

明日からはきっと、想像も絶するほどの合宿が始まるだろうから。

 

携帯で時間を確認すると、月明かりがほんのり照らす、そんな時間帯だった。

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

私、君に謝らなきゃいけないこと、たくさんあるよね。

いつかまた話せる日が来たら、全てを聞いてこんなどうしようもない私を受け止めてください。

 

 

 

 

 

2008.12.11 加筆修正