君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

できることならそっとして置いてください。

ただ、それだけが願いなんです。

 

 

 

 

 

さて、部活が終わった。

いつもは学校が終わればすぐさま家に帰っていたのに今日はひたすら働いていたからか、身体のそこら中が痛い。

死人のようにぐったりとして部室の無駄にふわふわなソファーに倒れ込む。

思わず無駄な反動で落ちそうになったが、今すぐにでも眠りにつけそうだった。

 

 

 

「ちょっと、色気の全く無いパンツが見えてるよ。 女の子なんだから足閉じて。」

「ちょっと、気安く見ないでよ。 一分につき見物料千円ふんだくってやる。」

「はあ? むしろ自分が払わな。」

「確かに、のパンツなんか見せられた方が被害者だよなー。」

 

 

 

ガハハと結構個性的な向日の笑い声に内心かなりイラつく。

それよりも言い出しっぺ滝の心底嫌そうに歪んだ表情の方が私の不快指数をぐんと上げた。

とりあえず忍足はシバいておかないと。

 

 

 

「そーそー、今日このあと食いに行くから。」

「へえ、あれだけ部活したあとだってのに元気だねぇ。 ……気をつけていってらっしゃい。」

「いやだからお前もだって。」

「……ワタシも?」

「おう、焼肉な。」

「しかも焼肉ー!!?」

 

 

 

無理無理無理はいムリッ!

何でそんな急に! ってか急じゃなくても無理だし!

焼肉なんて無理だから!

何で!? みんな私のこと知ってるでしょ!?

 

疲れと驚きで言葉が上手く出てこなくてひたすら口をパクパクさせていると、見るからに何故だと言いたげな顔をしていたんだろう。

それをいち早く察した宍戸がシャツのボタンを止めながら言った。

 

 

 

の歓迎会だとよ。」

「歓迎…会?」

「ま、名前だけだろうけどな。 ただ騒ぎたいだけだろコイツらは。」

 

 

 

宍戸は呆れ顔でにこにこ顔の忍足と向日をチラりと横目で見遣る。

私の歓迎会って言われても……い、いらない!

 

 

 

「いい、私はいい! どうぞ私抜きで楽しんで来て!」

「いやだからお前の歓迎会だって。」

「主役いなくなるじゃんか、馬鹿。」

 

 

 

冷めた非難の目を浴びせられる。

 

ひぃーん! 何で私がこんな目に!

だってお金が! だってお金がないってアンタらだって知ってるでしょ!?

そりゃね、絶対に行けないってこともないけど……

こんな奴らと食べに行く為に出すお金なんてこれっぽっちもないし。

それならまだそれを家のローンの足しにでもしたいです。

ほんの僅かな鼻くそほどのお金でも、ローンの足しにしたいんです。

 

 

 

「あ〜俺わかった〜。 もしかしてちゃん、お金の心配してるの?」

「………。」

「ちょっと、さっきのボトルの件は謝るから返事してよー。 あえて言わなかったけど部活中ずっとシカトしてたでしょ。

「………。」

 

 

 

何だ、気づいてたんだ。

 

私が無言でジロリと睨みつけると、ジローは「あ、やっと目が合ったー!」って喜んだ。

 

睨んだのに!睨んだのに!!

くそぅッ!!

 

 

 

「お金の面なら大丈夫やで? 跡部が払ってくれるから。」

「え、そうなの?」

「まあ歓迎会やしな。おとなしく払ってもらっとき。」

「…………。」

((((うわー金払わないとなるとものすごく悩んでる。))))

 

 

 

真剣に悩んでいると背中に突き刺さってくる視線の数々。

そんな哀れんだ視線を背中に感じながらも、私は「行く」か「行かない」か真剣に悩んだ。

 

お金払わずに焼肉って美味しいよ。

確かにものすごーくオイシイ話だ。

しかも高が中学生が行く焼肉屋だとしても、跡部が行くとなるときっと結構なお味なはず。

 

でも奢ってもらうって何だか気が引けるっていうかなんと言うか。

アイツに奢ってもらうって何だか貸しを作るみたいでかなり不本意だ。

あー…でも肉が……最近食べてないしな。 しかも最後に食べたの豚肉だしな。

 

 

 

 

 

「あーもうどーしよー!!!」

「いや、主役なんだから行けばいいじゃないですか。」

「貴様日吉若!! 君にとっては本当にクダラナイくらい単純な話なんだろうけど私にとってはそんな単純な話ではないんだよこれは!!

 そんなシレッと簡単に言わないでよ!! 私のプライドと肉を賭けた人生の分岐点のような問題なんだから!!!

「そうですか。 じゃあ俺の隣で変な唸り声上げるのやめてもらえますか。 すごく気持ちが悪いんで。

「……え、あ、はい。 すんません…。」

 

 

 

なんて冷めた後輩だろうか。

今の幻聴か何かだったりするのかな。

私との温度差ものすごく酷かった気がする。

 

やっぱりあれかな、うん。

部長があんなだと後輩もこんななのかな?

……氷帝テニス部の将来が心配だ、私。

 

気持ち悪いと言われたことに少々傷ついた私は肩を竦め、またソファーに寝ころがって天井を見上げた。

蛍光灯が目に滲みて思わず目を細めた。

 

 

 

「ねえねえちゃん。」

 

 

 

ひょっこり、その効果音がぴったりな仕草でソファーを覗き込むジローの顔が視界を妨げる。

この子は懲りずに私に話しかけてくるから驚きだ。

すんごい図太い神経でも持ってるんだろうな。

私はまだ怒ってるんだぞってのを訴えかけるため、無言で視線だけをジローに向けた。

だけどジローはそんな私もお構いなしで、首をちょこんと傾げて言った。

 

 

 

ちゃんって跡部のこと嫌いなの?」

「……何で?」

「だってこの前廊下でそう叫んでたじゃん。」

「………。」

 

 

 

あの時あそこにジローっていたっけ?なんて疑問が頭に浮かんだ。

…まあ、きっと何処かで聞いていたんだろう。

しばらく間を空けたあと、私は小さく頷いた。

 

嫌いと聞かれれば嫌い。 大嫌いだ。

しかし嫌いだと、咄嗟に口に出して言えなかった。

それはきっと、今私の視界を占領しているこのジローの切なげな表情のせいだろう。

 

どうして?

どうしてそんな顔して私を見るの?

私が誰を嫌おうと君には関係ないじゃないか。

 

 

 

「…………嫌い……大嫌いだよ。」

「……ちゃ、」

「私、金持ちで偉そうな奴って大嫌いなの。 まるで……」

 

 

 

 

 

『金で動くんだろ、お前。』

 

 

 

 

 

アイツみたいで。

 

 

 

 

 

出てきそうになった言葉を飲み込み、心の中で続けてそう言う。

「まるで」に続く言葉がなかなか出てこない私に対してジローは首を傾げ、「まるで?」と聞き返してきた。

 

言わない。 言わないよ。

アイツのことはもう忘れたんだ。

知らない。 関係ない。

声にも出さない。 出したくない。

もう、終わったんだ。 終わったんだから。

 

 

 

「さて、この話はお終い。 焼肉食べに行こう焼肉。」

「何だよー結局行くのかよ。」

「誘っといて何でそんな嫌そうな顔するの向日君。」

 

 

 

むくっと体を起こすと、みんなはもう既に着替え終わっていて、ジャージ姿の人はジローと私だけになっていた。

それを見て私も着替えに行かなければいけなかった事を思い出す。

そういえば跡部の姿が見えないな、と思ったと同時に部室のドアが開いた。

そしてそこから監督との話が終わったのか、まだジャージ姿のままの跡部が入ってきた。

 

 

 

「お、跡部お疲れ。」

「ほんま長いな監督の話は……で、早よ着替えなあとは跡部とジローとだけやで?」

「ああ、待たせたな。 すぐ着替える。」

「俺も俺もー! 今着替えるからちょっと待ってて!!」

 

 

 

途端に元気になったジローを尻目に、私も更衣室に行こうと鞄を持ち、立ち上がる。

跡部と一瞬だけ目が合って、そして私が逸らした。

ジローとの会話のあとだっただけもあり、何となくその目を見ていることができなかったから。

 

 

 

。」

 

 

 

黙って部室を出ようとドアノブに手をかけた時だった。

後ろから跡部の私を呼ぶ声がした。

途端に肩にぎゅっと力が入る。

返事の代わりに恐る恐る後ろを振り返ると、またばっちりと跡部と目が合った。

 

今度は、逸らせない。

 

 

 

「早く戻って来いよ。 部室集合だ。」

 

 

 

それだけを伝えると、跡部は何もなかったかのようにジャージを脱ぎ始めた。

 

―― 早く戻って来いよ。

 

別に特別な言葉でも何でもない。

跡部だって何も考えずに口にした言葉だ。

 

でも、私の胸の中で、何か嫌な予感がした。

ザワザワとざわつく胸の内を彼らは知らない。

確かに、今、何か途轍もなく不安と恐怖が私を襲ったんだ。

 

私は返事をすることなく無言のまま部室を出た。

なんだか、とっても罪悪感が私を支配して止まない。

嫌いだと、嫌いだと思っていても…。

ジローのあの顔を思い出すたびに嫌いだと言い聞かせるようにしか嫌いだと言えない。

 

 

 

 

 

だって、跡部だってアイツと同じなんでしょ?

金持ちで、俺様で、傲慢で……

 

 

 

 

 

、お願いだから……。』

 

 

 

 

 

そんなお願い聞けるもんか。

いくらお母さんのお願いだって、聞いてあげることなんてできない。

私のことを見下して、馬鹿にして……

そんな奴と一緒にいるくらいなら、私は一生貧乏のままだっていい。

今のままで、十分いい。

 

だから、だからもう関わらないで。

私は嫌いなの。

金持ちが、偉そうな奴が……アイツが、大嫌い。

 

 

 

 

 

もう惨めな思いなんて真っ平ゴメンなんだから。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

ー遅いって!!お前着替えんの遅ぇよ!!」

 

 

 

ぼーっと昔の記憶に浸っていたら、いきなりバンッと物凄い音がして更衣室の扉が開く。

 

え、何で? 何してんのこの人?

 

 

 

「ちょっと、ここ女子更衣室なんだけど!!!」

「知ってるって。どうせこの時間使ってる奴いないし大丈夫大丈夫。

「大丈夫も何も私が着替えてんだよ!!!」

「大丈夫大丈夫。」

 

 

 

へらへら笑いながら向日が私の隣に腰掛ける。

この人最低だ……。

どうやら座ったところを見ると出て行く気はないらしい。

確かに今は私以外誰も着替えてなかったけど……私自体今すごくセーフな感じだったよ。

あと数秒遅ければ下着見られてたよ絶対。

なんとかあと三個ボタンをつければ終わりってところだったから大丈夫だったんだよ。

本当になんとかセーフだったんだよ。 わかってんのかな、向日クン。

 

 

 

「嫌な汗掻いた……。」

「大丈夫だって! お前のなんて見ても見なかったのと同じだって、な!?」

「な!? じゃないよバカ変態!! へーんーたーいー!!

「何度も変態って言うんじゃねえよバカ! さっさと着替えて食いに行こうぜ! こっちは運動して腹ペコなの! 何分待たせんだよ!!」

 

 

 

向日は拗ねたようにぷいっと顔を背ける。

 

おや、耳が赤い。

照れてんの? え、マジで照れてんの?

だったら何で入ってきたかなこの子は……。

てことはさっきからずっとヘラヘラしてたのって照れてんの誤魔化すため……?

 

向日の虚勢に気づいてしまった私がものすごく哀れんだ目で向日を見ていると、視線に気づいた向日がまだほんのり赤い顔して振り返った。

 

 

 

「何だよその目はヤメロよ! 〜〜〜〜お前があまりにも遅すぎるから侑士に見てこいって言われたんだよ!」

「へえ、それはご心配おかけしましたね。 で、何で向日が?」

「……俺ならまあ、もし誰か中にいても許されそうだからって……。」

 

 

 

やはり男としては悔しいのだろう。

顔がまた赤くなった向日は、ちょっと言いにくそうに俯いて唇を噛み締めていた。

 

ああ、確かに忍足なんかが入ってきた日にゃ即通報しなきゃなんないもんね

宍戸が入ってきてもパニクって大変なことになりそうだし。

あ、でもジローは……? こういうのって彼の方が様になってそうだけど。

 

 

 

「先に言っとくけど、ジローはお前待ちすぎて寝てるから。 だから俺。」

「あ、そうなんだ…。」

 

 

 

心を読まれた。

 

とりあえずこれ以上待たせるのも悪いと思った私はまた着替えを再開する。

向日はまたそっぽを向いてなるべく私を見ないように、一刻も早くここから出たそうにドアの方ばかりを見つめていた。

 

 

 

「……あのさ、」

「ん?」

 

 

 

しばらくの沈黙の後、荷物を纏めていると、背後から気まずそうな向日が口を開いた。

私は手を止めることなく返事だけを返す。

向日は少し言葉につまり、そして何かを決心したように言った。

 

 

 

「……跡部はいい奴だからな。」

 

 

 

返事は、返さない。

向日だってその先の言葉は何も言わない。

 

きっと、さっきのジローと私の会話でも聞いていたんだろう。

彼なりの、仲間である跡部へのフォローのつもりだろうか。

 

 

 

「……そう。」

「……うん。」

 

 

 

私が素っ気無い返事を返すと、こくんと頷いた向日。

用意が出来たのでスクッと立ち上がると、向日はそんな私を目で追った。

そして私は向日より先に更衣室のドアノブに手をかけた。

向日が黙ってその場から私の背中を見つめてるのがわかる。

私は一度だけ振り返って、そして笑った。

 

 

 

 

 

「だったらそれを証明して見せてよ。」

 

 

 

 

 

ドアを開けたと同時に入ってきた外からの風が私の髪を揺らす。

向日は一瞬だけ目を見開いて、何も言わずにゆっくりと口を閉じた。

 

 

 

 

 

信じさせてよ。

今の私は、何も信じることなんてできやしない。

だから、ねえ。

私の過去を否定するくらい、アンタらの力で覆してみせて。

 

 

 

 

 

2008.12.07 加筆修正