君が教えてくれたモノ

 

 

 

 

何でみんなそんなに贅沢なんですか?

 

 

 

 

 

「だから流せっつってるだろ! この貧乏女!!

 

 

 

だだっ広いコートに清々しいほどよく響く跡部の声。

事情を知らない人はみな、何だ何だと言いたげにコートの真ん中で怒鳴り声を上げている跡部に視線をくれた。

怒鳴られているのは決まって私。

今日から臨時として入ったマネージャーである。

 

 

 

「何でよ!! もったいないじゃない!!」

「そんなのいくらだって作り直せるだろうが! 流せ!!」

「嫌よ! 虫が入ったくらいでどうして全部流したりするわけ!? 飲めるわよ!!」

「そんなドリンク飲んだら腹壊すだろ!! いいから流せって言ってるのが聞こえねえのか貧乏女!!」

「貧乏貧乏言ってんじゃねえよこのアホベがぁああああ!!!

 

 

 

さっきから黙って聞いてれば(いや、黙ってないけどさ)人のこと無神経にも貧乏貧乏って……!!!

貧乏がどれだけ辛いかアンタなんか理解もできないくせに!!

貧乏って言葉はアンタが気軽に口にしていい言葉じゃないのよ金持ちの分際で……あー羨ましい!!

 

そう。

先ほどからこの男、跡部景吾(部長)は私が一生懸命作って置いておいたドリンクに虫が入っていたから流して作り直せと言う。

私からしたら不思議で仕方がない。

何故その虫だけ流して飲まないのか。

そりゃ蓋開けて置いておいた私が悪かったと思うけど……忙しかったのよ!!

思ってた以上にマネージャー業はやることが多すぎてあれをやりながらこれもやる、って感じで不覚にも蓋を閉め忘れてしまったってわけ。

 

 

 

「もしかしてアンタ、今みたいに虫が入ってたらいつも流してんじゃないでしょうね!?」

「当たり前だ。即捨てる。

「こンの贅沢者がぁああああああ!!」

「はいはいわかったわかった。 僻んでんじゃねぇよ。」

 

 

 

ムカつく!!

 

 

 

「き、さまぁぁぁああ!!」

「こら、女の子がそんな言葉遣いしたらあかんやろ。」

「てか声でけぇよお前。 頭に響くだろ。」

 

 

 

なかなか言い合いが収まらない私と跡部を見かねてか、クツクツと笑いながら忍足と向日がやってきた。

忍足の手にはドリンク。

そしてそれを押し付けるように跡部に渡した。

 

 

 

「ほな跡部はこれ飲んだらええよ。」

「あン?」

「俺がこの虫入りドリンク飲んだるから、跡部俺の飲んでええよ。 はい、これで問題解決な。」

「ったく、いつまで言い争ってんだよお前らは。 練習の邪魔だっつーの。」

「……チッ。」

 

 

 

舌打ちをして忍足のボトルを奪い取るように掻っ攫う。

そのまま跡部は何も言わずに私達の元から去って行った。

 

その背中を見ながら苦笑いを浮かべた忍足が「これが例のドリンクか?」と私に聞いてきたのでとりあえず飲んでくれるならと思い、頷く。

素直にボトルを手にした忍足を見て、何だか急に悪い気がしてきて、思わず作り直した方がいいのかなと思って恐る恐る視線を投げかける。

忍足はボトルを持ち上げ、虫が入っていた部分だけを器用に流し、躊躇いもせずに飲み始めた。

 

 

 

「うん、うまい。 ま、腹に入ったら全部一緒やんな。」

「うげ、侑士の腹ん中に今虫が寄生したぜ絶対。 近寄るなよ。」

「アホか。 胃で消化するわ。」

 

 

 

お二人のコントを余所目に、私はコートを離れた。

何も言わなかったけど一応心の中で忍足に感謝。

忍足が現れなかったらたぶん今でも跡部と言い争っていたはずだから。

 

あーあ、本当やんなっちゃう。

それにしてもどうしてアイツはあんなにも贅沢なの?

いや、アイツに限った事ではないだろう。

 

驚く事に部室にはまだ使えるだろうタオルがたくさん捨てられてあった。

きっとみんなからしてみれば汚くて使えたものじゃないんだろうけど……せめて雑巾代わりくらいには使えるよ。

ドリンクだって毎回毎回スポーツドリンク作っちゃってさ。

水に塩入れればいい話じゃん。

どれだけ贅沢してんのよアイツら。

……まあそこに強さの秘密が隠れてるってんならしょうがないけど。

 

 

 

「あーそれにしても合宿かー!」

 

 

 

ぐんっと背伸びをして空を仰ぐ。

空は、憎たらしいほどに晴れていた。

 

 

 

立海と青学の合同合宿。

アイツがいる学校も合宿に参加する。

 

 

 

 

 

『ほら、ビンボー女。』

 

 

 

 

 

そういえば、確かアイツもテニスしてたような……

いや、テニス部だったっけ?

いやいや、気のせいかな。

………こんなんで大丈夫かな、私。

 

今更だけど、金につられて即答した自分を大いに恥じた。

自分で自分を追い詰めてどうするんだ私。

バカだなぁ、と思ってももう遅い。

それに、もうアイツとは関係ない。

関係ないんだから別に今顔を合わせることになったってどうこうすることでもないだろう。

 

 

 

「……それにしても、合宿が始まる前にアイツらの贅沢をなおさないと。」

 

 

 

あんな暮らしをしてたんじゃいくらお金があったって足りやしない。

どれだけ私が環境に優しい節約生活をしていたのか、身に沁みて思い知った。

 

少しずつ、少しずつでもいいからこのテニス部にも私の手を加えて贅沢心を無くしていかないと。

じゃないとアイツらの将来が心配だ。

今食料危機とかにでも陥ったら、きっとアイツらは生きていけやしないだろう。

 

そんなこんなで今日は少しだけドリンクの粉の使用量を半分に減らしてみた。

レギュラーじゃない人たちからの視線がキツイのはきっと気のせいじゃないと思う。

 

レギュラーの粉の量を変えて練習に異変があったら困るから、とりあえずは準レギュラーの粉の量をいつもの半分でケチってみたんだけど…

やっぱり濃い味に慣れてる彼らにとっては今日のドリンクは格段に薄かっただろうか。

私も一応味見したけどいつもの味を知らないから十分に美味しく感じた。

 

ったく、日頃贅沢してるからそんな舌になるんだアイツらは。

 

 

 

「あ、ちゃんちゃん!」

「ん、何かな芥川君?」

「俺にドリンクはー!?」

 

 

 

さっきまでベンチの脇でぐーすかイビキをかいて寝ていらした芥川慈郎がぶんぶんラケットを振り回しながら私の元へと走ってきた。

いいねぇ、元気だねぇ。

さぞかし体力快復なさったんだろうねぇ。

あれ、でも私この子にドリンクあげなかったっけ?

ベンチに置いてあげた気がするんだけど…

 

 

 

「私芥川君にあげなかった? ほら、ベンチにドリンク置いておいたでしょ?」

「えー貰ってないCー。 ドリンクなんてなかったよ?」

「…そう? ごめんね、今作るから部室ついてきてくれる?」

「うん! りょーかーい!!」

 

 

 

敬礼のポーズを取りながらニッコリと笑った芥川慈郎と共に部室へ戻る。

部室に入るや否や、粉を何処に置いたっけなーと頭をめぐらせ部屋中を見渡す。

ちょっとだけ散らかっているテーブルの上に目をやると、目的の物はあっさりと見つかった。

さて、作ってやるか、と粉を手に取り振り返ると、私の隣でじっと何かを見つめている芥川慈郎に気がついた。

 

 

 

「どうしたの?」

「これ、何してんの?」

「え、何って……雑巾作ってんの。」

 

 

 

部室の隅で捨てられていたタオルを拾い上げ、雑巾を作ろうと置いておいたタオルを見て、芥川慈郎は不思議そうに首を傾げた。

まあ、そうだろうね。

いらないと思って捨てたはずのタオルが今、雑巾にされようとしているのだから。

 

 

 

「捨てたの拾ったの?」

「だってまだ使えるもの。 リサイクルリサイクル。」

「………。」

 

 

 

芥川慈郎は無言で雑巾を手に取る。

会話をしながらも私は水の中にドリンクの粉を混ぜてドリンクを作る。

水の揺れる音だけが、この空間を支配していた。

 

 

 

「……ぱ…っげぇな!!」

「は?」

ちゃんやっぱすげぇな!!! なんかカッコEー!!!!」

「は、はい?」

 

 

 

芥川慈郎は突如叫びだし、私の手をバッと勢いよく握った。

 

な、何んだなんだなんだなんだ!!

そんなに雑巾が嬉しかったの!!?

何だったら雑巾今からいっぱい作るけど何枚か持って帰る!?

 

突然の事態に私の頭は大混乱を起こし、今のこの状況に全くついていけずにただ一緒になって手を握り返しているだけだった。

 

 

 

「俺ジロー!!」

「うん知ってる。」

「俺ちゃんって呼んでるし、ちゃんもジローって呼んで!!」

「ああ、なんだそういうこと……、」

 

 

 

急に自己紹介しだすからビックリした。

てっきりちょっと空気読めない感じの子なのかなとか思っちゃった。

急に叫びだすし、テンションおかしいし……。

 

とりあえずドリンクが完成したのでそれを手渡すと、受け取ってくれたものの、彼はドリンクを飲まずにまだ雑巾を握っていた。

 

 

 

「じゃあこれからはジローって呼べってこと?」

「うんうん! そういうこと!」

「何で?」

「え、特に理由はないけど……え、何で? ダメ?

「………わかんない。」

「え〜Eじゃん呼んでよ。 あくたがわって言いにくいっしょ?」

 

 

 

芥川慈郎は一人で何か納得したのか、うんうん頷きながらやっとドリンクを口にした。

きっと相当喉が渇いていたんだろう。

ごくごく音を立てて喉を潤していた。

うんうん、作った甲斐があったよ。

 

 

 

「うん、うめぇ! さすがだね!」

「ありがと。 そう言ってもらえると嬉しいよ、芥川君。」

「ジローね。」

「芥川君、」

「ジローね。」

「あくた」

「ジローだってば。」

「………ジロー、」

「なーに?」

「………何もないよ。」

 

 

 

ふか〜い溜め息が零れる。

思わず頭を押さえたくなるほどの頭痛を感じる。

 

芥川慈郎、もといジローは満足したようにニッコリ笑って「あ、そうだ」と手を叩いた。

 

 

 

「あのね実は俺、ちゃんに謝りたいことがあったんだ。」

「謝りたいこと?」

「うん。」

 

 

 

 

 

ジローはへへっと笑いながら指先で頬を掻き、ボトルを握ったまま部室のドアを開けた。

そして一度部室の外に出たあと、微妙な隙間だけを開けてそこから顔を覗かせる。

 

 

 

「本当はね、さっきボトル貰ってたんだ〜。」

「え?」

「引っ繰り返しちゃって。」

「………は?」

「蓋開いてたから中にでっかい虫が入っててさ〜驚いちゃって気がつけば全部流れてたアハハ。

 

 

 

「だからごめんね。」と笑いを含んだ声が続けて耳に入ってくる。

何だろう。 無性にコイツを殴ってやりたくなった。

 

だけどジローという男は私より一枚上手だった。

何か言おうとした瞬間、待ってましたと言わんばかりの勢いで部室のドアをバタンと閉めた。

くそっだからコイツわざわざ一度部室の外に出てあんな隙間から喋ってたのか!

 

やられた…と肩を落としながらもすぐに私も用のなくなった部室を出る。

洗濯をしようと水道場所に足を運ぶと、そこにいたのは宍戸亮で、私に気づくと何か言いたげに私の方をじっと見ていた。

……はあ、今度は何?

 

 

 

「あのよ、」

「……何よ。」

「洗濯機使わねぇの?」

「せ、洗濯機!!!?」

「お、おう……」

 

 

 

私が有りっ丈の声で叫ぶと、宍戸は体を仰け反らせ、一瞬引いた。

そんな高価なものがこんな部活ごときにあるっていうの!?

どれだけ楽しようとしてるのこの人たち!!

ああっ、私はコイツの母親じゃないけど将来が心配だわ!!

ってか地球の行く末が心配になってきた!!

 

 

 

「……どうして高が中学校の一部活動に洗濯機なんて……」

「部室の裏にあるぜ。 使えよ。」

「うん、使うけどね。 使うけど……いいね、金持ちは。

「まあな、言いたい事はわかるけど…。 確かあれは去年の夏の監督からの寄付だったっけな。

 ほら、俺らマネージャーいなかったから自分で洗わなきゃなんなかったし。 大変だろうって…。」

「…監督の、寄付…?」

 

 

 

監督? 監督ってあの榊さん?

自分で洗わなくちゃいけなかったら洗濯機をほいほいと買っちゃうの?

ここの監督はそれほどお金に余裕があるの?

私の家なんて買い換えたくても買い換えることができない状況なのにどうして世の中はこうも不平等なの?

 

頭を抱える私を残念な瞳で見下ろした宍戸は、ふぅと小さく溜め息を吐いた。

 

 

 

「まあ、この部は特に跡部と監督がいるからな。 特別だろ。 他の部はそんな事ないぜ。」

「ですよねぇ。 贅沢すぎてみんなの神経疑うよホント。」

「…まあ金貰うんだからお前も頑張れって、な?」

「………うん、頑張るけど…。」

 

 

 

バシッと景気のいい音と共に背中を叩かれる。

宍戸は「そろそろ休憩終わりだな。」と独り言のように呟いてコートへと戻って行った。

 

そうか、私コイツらの部費からお金貰うんだっけ?

……それって、いいのかな? ほら、いろいろと…。

後から問題になったって私は知らないぞ。 責任持たないぞ。

 

とりあえずお金を貰う以上はちゃんと仕事しなければ、と自分に気合を入れなおし、再び洗濯物を洗濯機に運ぶ準備を始めた。

 

 

 

 

 

初めはね、本当に君の人間性が大嫌いだった。

今もそれはあまり変わっちゃいないけれど、でもそれはきっと、

私と君の住む世界があまりにも違いすぎるからなんだと思うんだ。

 

 

 

 

 

2008.12.07 加筆修正