跡部君の声が小さく聞こえる。
辺りは闇に包まれたように薄暗く、微かながらに人影がぼんやりと見えるだけだ。
跡部君は手を伸ばし、私の体にそっと触れた。
冷たい。
私の体が小さく揺れる。
「もう・・・辛い思いはさせないから。」
「・・・・・・・・・・。」
起き上がり、濡れた地面に座ったまま跡部君の手の冷たさを感じていた。
風が汗ばんだ私の髪を揺らす。
あれ、私・・・・生きてる。
お腹の傷も消えてる。
どうして?
「仁王、聞こえるか?」
「・・・・・・・・・。」
跡部君の落ち着いた口調。
しかし返事はない。
跡部君はそのまま話を続けた。
「は生きてるぜ。だけど・・・俺達は俺達のままだ。」
「・・・・・・・・・・。」
もう自分を見失ったりしない。
何故なら、俺達は変わったからだ。
過去の自分には負けない。
そんな力を、お互いがぶつかり合って身につけたから。
強く、なろうと前を向いたから。
「仁王先輩!前を向いて下さい!誰も責めたりしないっスよ!」
「僕達は変わった。この過去を受け止めることができるほど・・・・強くなった。」
「ぶつかり合うことを恐れないで!俺ももう・・・・後悔したくないんだ!」
「何でも一人で抱えてんなや。お前は自分で思ってるほど、一人やない。」
「自分の気持ちに正直になって下さい。次に変わるのは・・・仁王さんの番です。」
次々にみんなの声が聞こえる。
姿、形は見えないのにみんながどんな表情をしているのかわかる気がする。
だけどやっぱり返事はなくて、しばらくの沈黙が私達を覆った。
「・・・・仁王君。」
沈黙に堪えることができなくなった私が声を出す。
絞り出したやっとの声だったから、掠れていて小さかった。
跡部君の手がぴくりと動いた。
「私・・・・みんなのことが好き。」
そう、それは心から思ったこと。
偽りなんかじゃない。
過去の私も同じ。
みんなが好きという気持ちがいつもどこかにあって、殺そうとしてもそれが私の決心を鈍らせる。
だから私はずっとどこかで悲痛な叫びをあげていた。
自分ではどうすることもできない、そんな想いを誰かに救ってほしくて。
微かな記憶の中で丸井君が言ってくれた言葉。
助けてやる、と。
その時初めて気付いた。
私は助けてほしかったのだと。
助けてくれる人もいたのだと。
「仁王君だって・・・仁王君のことだって大好き・・・なんだよ?自分を見失うくらい・・・みんなが好き。」
涙が溢れて止まらない。
跡部君が頭を撫でながら胸を貸してくれた。
私は体中の水分を全て吐き出すかのように泣きじゃくった。
言葉にできない想いが満ち溢れて涙になって消えていく。
だけど、それでもこの想いは確かにみんなに伝わっていく。
そう、仁王君にだって。
「仁王、自分の足で立て。お前が自分の足で歩き出すまで、俺達はここで待ってるから。
・・・・・変われ。仁王。」
さっきまでいなかったはずの幸村君の声がする。
幸村君の声は力強く、私のすぐ後ろから聞こえてきていた。
「・・・・夢を見とった。」
懐かしいような仁王君の声。
薄暗かった暗闇に慣れてきた目がぼんやりとたくさんの人影を映す。
時間が戻る前と立ち位置は変わらない。
変わったとすれば幸村君の影が増えただけ。
白かった雪が溶けて消えただけ。
「ここに来る前からずっと・・・あの日の自分を・・・・毎晩、毎晩。」
仁王君は掠れた声色でぽつりぽつりと話を続けた。
みんな耳を傾け、聞こえてくる微かな声に集中した。
「その度に何度も何度もみんなを死に追いやった。」
「そして最後にはいつもが言うんじゃ。」
「『お前のせいで私はみんなを殺したいほど憎んでいる。』ってな。」
ただの夢だと思った。
知らない女に、死に行く仲間。
質の悪い夢だと言い聞かせていた。
だけどそう甘くはなくて、残酷にも現実を突きつけられた。
心から沸々と込み上げてくる絶望と憎悪。
そして、罪悪感。
「知られたくなかった。自分が・・・こんなにも弱く、卑怯な人間だって・・・知られたくなかった。」
できることなら隠しておきたかった。
誰にも知られたくなかった。
「だからもう一度・・・・・・自らの手でみんなを、を・・・・・・・」
仁王君の言葉がつまった。
その時、跡部君が私から離れ、立ち上がった気配がした。
私から遠ざかっていく足音がする。
跡部君の足音だろう。
「仁王。」
跡部君の声が低く響く。
怒ってる・・・・・・のかな?
コツ、コツ、と足音が鳴り続ける。
「拳を作れ。」
「・・・・・は?」
「三秒数えたらそれを前に力いっぱい突き出せ。」
「・・・・・何がしとう?」
困惑した仁王君。
命令口調の跡部君。
私も跡部君が何をしたいのか理解ができなかった。
だけど、仁王君は首を傾げながらも言われた通り拳を作った。
それを確認した跡部君が三秒、カウントを始めた。
「お前の気持ちを全部、その拳にでも込めるんだな!」
跡部君は自分も拳を作り、振り上げた。
そこでようやく、仁王君も理解したのか、一瞬目を見開いて笑った。
手に持っていた縫いぐるみを地面に捨てる。
ああッ、せっかく大事にしていたのに・・・・・!
可哀想!
縫いぐるみが地面につくと同時に、二人共の拳が同時に振り下ろされた。
「これで全部チャラだ!仁王!」
「ああ、そうさせてもらうぜよ!跡部!」
二人の腕がクロスする。
私の背後からは、朝日が昇り始めていた。
ほんの少しだけれど、光が差す。
二人の拳がお互いにぶつかり合うと、同時に二人は地面によろめき倒れる。
「・・・・・・馬鹿な解決法だな。まるで単細胞。」
「幸村君・・・。」
「でも、俺達らしくていいんじゃないか?」
「宍戸君も・・・!」
私の肩に手を置き、困ったように微笑む幸村君。
その反対には宍戸君が笑顔で立っていた。
倒れた二人にそれぞれ、切原君、忍足君が駆け寄る。
心配そうに顔を覗き込んでいた。
ジロー君が私の元に近寄り、後ろからそっと抱きしめる。
私の胸の前にだらりと垂れるその手を、私はギュッと握り返した。
「うん。・・・・・・・私も、そう思う。」
「ちゃん・・・・。」
「スッキリするしね。」
笑った。
久しぶりに心から笑顔を出せた気がする。
何故だろう。
心がスッキリして、無性に涙が流れ出てくる。
悲しいからじゃない。
苦しいからじゃない。
ただ、嬉しくて、笑いたかった。
生きてみんなの笑顔が見れるのが、嬉しくて仕方が無かった。
「ねえ、今度こそ・・・・・・私達、みんなで春が見れるよ。」
もう私達に雪はいらない。
雪なんて怖くない。
だからやっと果たせる約束。
さあ、望んだ春はもうすぐだから―――――――――