僕たちは、信じていた。
この真実から逃げたくなかった。
悲しくて、胸が張り裂けそうだった。
目尻に涙が伝う。
急に体が重くなった気がした。
「・・・・・なん・・・・・・・・・・・・・でしょ?」
遠くもなく近くもない場所から声が聞こえる。
この声は・・・・越前君?
よく聞こえない。
薄く開けた目は涙で滲んでいて、曇った空が歪んで見えた。
「ちゃん・・・・目が覚めた?」
「・・・・・キヨ?」
キヨが覗き込んで苦笑いを浮かべた。
私は冷え切ったせいかわからないが、死後硬直のように硬直しきった体を無理矢理起こした。
・・・・硬い。
え、もしかして私・・・凍死寸前だったわけ?
まさか、まさかね・・・。
「越前君が今忍足君と戦ってる。ちゃんはここで見ててあげて?」
「・・・・越前君が?」
横に視線を向けると、越前君と忍足君が睨み合っていた。
あまり和やかなムードとは言えない。
キヨが私の隣に腰を下ろした。
キヨもここで二人を見ている気なんだろうか。
「止めないの?」
「止めちゃダメだよ。気が済むまで戦わさなきゃ。」
「・・・でも。」
「大丈夫♪ちゃんは見ているだけでいいんだよ。こうでもしないとこの二人、自分の弱さに気付かないだろうからね。」
キヨが二人を見つめながらはっきりとした口調で言った。
寝起きの私もぼうっとした頭で二人を目で追う。
忍足君の拳を越前君が避けていた。
段々と動きやすくなってきた体を伸ばし、私は前向きに座り直した。
キヨがにこやかに私の腰に手を回す。
「・・・・何でそんなに俺のこと見つめるの?いや〜照れるな〜。」
「え、いや、この手は何かなって思って・・・。照れなくていいよ。」
「その冷めた口調もいいね!俺はただちゃんが寒いかな〜と思ったから温めてあげようとしたんだよ。」
「大丈夫。私は平気だからこの手退けてよ・・・。くすぐったいの!」
「アハハ、やーだ。」
アハハじゃない!
そう叫んでパンチでもお見舞いしてやろうと思ったが、キヨが手の力をより一層強くしたから動けなかった。
手の甲を抓ってやろうと体を捩る。
だけどできなかった。
キヨの手が震えていたから。
「・・・・・メンゴ。嘘だよ。今は冗談言ってる場合じゃないもんね。また今度でいいや。」
「・・・キヨ。」
キヨの手が私から離れる。
今度って何だろう・・・。
腰の辺りにひんやりした空気が漂った。
いつだったか、不二君と二人だった時もこんな感じだったのを覚えてる。
温もりが消えた瞬間、全てが変わってしまった。
きっと、キヨは不安なんだよね。
私も、不二君のことがあっただけに・・・・・不安だよ。
「キヨ。あのね・・・・・腰はくすぐったいからダメだけど・・・手は繋いでてほしいな。一人でいるのは不安だから・・・。」
キヨが目を真ん丸くさせて私を見つめた。
自分で言ったにも関わらず、恥ずかしくなった私は俯いたまま視線を反らした。
何言ってんだろ私。
私と手を繋いだからって不安なんて消えるはずないじゃん!
だけどキヨからは温かな手が伸びてきて私の手を包んだ。
「うん。ありがとう。」
顔を上げると、いつものおどけた表情じゃない笑顔がそこにはあった。
繋がる手にぎゅっと力が篭った。
「侑士!」
響き渡る声に、私とキヨは視線を忍足君と越前君に戻した。
忍足君の少し離れた後ろに向日君が肩で息をして立っていた。
忍足君は振り向きもせずに越前君の胸倉を掴み上げて立っている。
あとから来た鳳君が三人の横を通りすぎ、私達に向かって歩いて来ていた。
「さん、千石さん、あの二人を止めなかったんですね。」
「・・・・君が俺の立場であっても同じことをしてたでしょ?」
「はい。思う存分、どちらかが死にかけるまでは殴り合わせてたでしょうね。」
ニッコリ微笑む鳳君。
ああ、彼は普段でもこういう黒っぽい性格があるのかな?
うん。次から気をつけようっと。
今日出会った人達はほとんどが危険な人ばかりだわ・・・・。
「侑士!!何で無視するんだよ!!」
「・・・・・・・・・何やねん。せやから言うたやろ?お前じゃ無理やって。」
「無理じゃねえよ!!じゃあ俺の目を見てちゃんともう一回言えよ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
向日君が力いっぱい叫ぶ。
必死な気持ちが私にも伝わってきて、自然と視線が忍足君に向いていた。
それでも忍足君は背中を向けたまま、胸倉を掴んだままの越前君を見ている。
眼鏡のレンズ越しの目は見開かれていて、きつく口を閉ざしていた。
「大丈夫ですよ。向日先輩は・・・・向日先輩は強いですから。」
「・・・・・・・・え?」
「さんが心配そうに見てたから・・・・ちょっと気になっただけです。」
「だって、越前君や向日君って小柄だし・・・・忍足君にはやっぱり勝てなさそうな気がして・・・・。」
越前君や向日君。
この二人よりもしっかりした体格の忍足君に、向日君は勝てるのだろうか?
現に、越前君は攻められ気味だ。
鳳君が三人に視線を送りながら困ったように笑った。
あ、元の鳳君に戻ってる・・・。
「忍足先輩は向日先輩には勝てませんよ。」
キヨが頷く。
私だけがわからない様子で、二人を交互に見やった。
キヨが手を繋いでいない方の手で私の頭をよしよしと撫でる。
「この勝負は力とかじゃなくて、気持ちの問題だからね。」
「気持ちの問題?・・・・・でも越前君とは殴り合ってるよ?」
「うん。だけど最後は気持ちが強い方が勝つんだ。越前君と忍足君の場合はどっちも負けないし勝てない。何故だかわかる?」
私はわからないと言ったように首を左右に振る。
キヨが鳳君を見上げて目で合図を送った。
「越前は忍足先輩と同じ立場にいるからです。自分の気持ちに負けたままの二人が戦ったって・・・・・・決着はつきませんよ。」
「・・・・・・・向日君は自分の気持ちに勝ったってこと?」
「向日君は体力がなくて体も小柄だけど・・・・・・・・・強いよ。」
向日君に視線を戻すと、彼はじっと忍足君を強い眼差しで見つめていた。
傷だらけの顔が痛々しい。
だけど、それは向日君が頑張っている証のようなものなのだと、私は思った。
忍足君がゆっくり振り返る。
やっと二人の視線が交わった。
私は息を呑み、二人の行く末を見守った。
「自分、俺に二度もそんな残酷な台詞言わせるんか?」
よく聞かないとわからないけれど、忍足君の声は震えていた。
切なそうな横顔。
私は知らず知らずのうちにキヨと繋いでいた手を強く握っていた。
どくんどくん。
音が聞こえてきそうなくらい大きく心臓が波打つ。
忍足君は越前君の胸倉を離すと、その手でぽんぽんと頭を叩いた。
「すまんな越前。お前との勝負・・・・・・俺の負けでええわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・侑士。」
「納得いかないんだけど・・・。」
「さよか。そりゃすまんかったな。でも俺は今戦う気ないねん。堪忍やで。」
忍足君が私達、ベンチの方に向かって歩いてくる。
忍足君と目が合った・・・・・・・・・気がした。
今度はキヨが私の手を握る力を強くした。
向日君がこちらに向かって走ってくる。
「にちょっと来てほしいところがあんねんけど・・・・・あかん?」
「え?私?」
「侑士!をどうするつもりだよ!」
向日君が忍足君の肩を掴む。
忍足君は向日君に視線を向ける。
そしてすぐにまた私へと視線を戻した。
「安心し。何もせえへん。」
「だったら何でッ――――――!!」
「とにかく俺はに用があるんや。それが終わるまで・・・・・誰にも邪魔させへん。」
「侑士・・・。」
忍足君が私に手を差し出す。
取れ・・・・・ということだろうか。
私は戸惑いながらキヨに視線を送った。
キヨはずっと私を見ていたからばっちりと目が合った。
一瞬、キヨが眉を顰めた。
「忍足君・・・・信じてもいいの?」
「・・・・・・・・ああ。大丈夫や。」
「だったら俺は君を信じるよ。ちゃん、行っておいで。」
繋いでいたキヨの手が解かれる。
行き場の無くした私の手はベンチの上に力なく置かれる。
その手を忍足君がとり、私に立つように促した。
キヨに背中を押され、私は立ち上がった。
向日君を見てみると、まだ納得してはいないようだった。
「侑士・・・・・・俺・・・・。」
「わかってる。岳人、そないな顔せんといて。」
「だって!!だって俺、侑士の考えてることが全然わかんねえよ!!」
「・・・・・・・・さっきはすまんかったな。そやけど、今はまだ逃げさせてくれへん?」
忍足君は向日君の返事を聞く前に向日君の隣をすり抜け、私の手を握って歩き出した。
越前君の隣まで来ると、一度立ち止まる。
背中を向けたままの姿勢で忍足君は薄く口を開いた。
越前君が横目で忍足君を見上げていた。
「越前、鳳にジャケット返しときや。」
「は?・・・・何いきなり・・・。」
「いや、ただ忘れてへんかな思て・・・・。ほなな。」
再び歩き出した忍足君につられて私も歩き出す。
握った手が痛くて、私からはただ忍足君の背中しか見えなかった。
不安だけが募っていく。
私は、この時初めて時計の針が動きだしていたことに気づいたのだった。