君の死、僕の涙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただムカついた。

 

堪え切れないくらい。

 

もどかしくて、

 

死にそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いい加減にしてよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も言葉を交わさずに黙々と着替えをしている。

みんなが揃ったところを見るのは、随分久しぶりだった。

袖を通した時に触れたジャージが、妙にひんやりと冷たく感じた。

 

 

 

 

 

ガチャ、とドアノブが回って部室のドアが開く。

そこから姿を現したのはもうアップを済ましたんだろう、薄っすら汗を浮かべた跡部だった。

 

 

 

 

 

「・・・・跡部。」

 

 

 

 

 

ふいに口から出た名前。

だけど向けられることがない視線に、苛立ちが治まらない。

鞄の中にしまったままの跡部の名が記されたマスコットを力いっぱい握りしめた。

 

 

 

 

 

「ねえ、跡部?」

 

 

 

 

 

それでもやっぱり僕の声は跡部には届かず、返事はない。

スッと僕の背後を通り抜けて自分のロッカーへと向かう。

我慢の、限界だった。

 

 

 

 

 

「へえ、とうとう生きてる人間ですら視界に入らなくなっちゃったんだ。」

「滝!」

 

 

 

 

 

僕の袖を掴んで止める。

そんな岳人に見向きもしないで言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「ねえ跡部。いい加減、気付いたら?」

「・・・・何をだ。」

 

 

 

 

 

やっと返って来た返事だって視線はロッカーの中に向けられたまま。

あくまで気にしていないとその背中が強く言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が一番息詰まってそうな顔をしてるってこと。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場の空気が一段と重くなる。

僕は一度部室内を見回し、また視線を跡部へと戻した。

 

 

 

 

 

いつからか、壁に飾ってあったはずの写真が剥がされてある。

きっと、それも跡部だろう。

何故だかそんな気がした。

 

 

 

 

 

「ハッ、何だそれは。息詰まりそうな顔してんのはお前らだろうが。」

「・・・・・・。」

「そんなので今日は大丈夫なのかよ。アーン?」

「それはこっちの台詞。僕のことはお構いなく。」

 

 

 

 

 

跡部と視線が交わる。

いつもと何も変わらないその目。

だけどどこか違う。

僅かだけれど、迷いが、あった。

 

 

 

 

 

そんな跡部を僕が冷めた目で睨み付けていると、

跡部は何か思い付いたように喉を鳴らしながら笑い始めた。

 

 

 

 

 

「ああ、そうか。お前はいいチャンスだもんな。レギュラー復活、狙ってんだろ?」

 

 

 

 

 

人を嘲笑うかのような口調。

人を見下した物言いに、僕はただ冷静に目を伏せ、そしてまたその目を開いた。

 

 

 

 

 

「うん。狙ってるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

跡部が抜けた穴を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言葉を発するやいなや、身体全体に衝撃と痛みが走る。

ロッカーがガシャンと激しい音を立てたのを背中に聞き流し、

胸倉を掴みながら目の前で冷酷な眼差しで見下してくる跡部を睨み付けた。

周りのみんなが慌てて止めに入ろうとするけどどうすればいいのかわからないんだろう。

みんなその場から動けずに呆然として佇んでいた。

 

 

 

 

 

「いいか。よく聞け。」

「・・・・・・・。」

「俺様が負けることなんてありえねえんだよ。」

 

 

 

 

 

まるで自分に言い聞かせるかのような、そんな感じ。

その焦りよう、普段の跡部ならあっさりと流しちゃうそんな台詞にも言い返してくるあたり、相当不調なんでしょ?

だからついカッなっちゃったんでしょ?

自分でも勝利を確信できていない。

切羽詰まってる自分を必死に隠して。

 

 

 

 

 

「・・・・ラケットもまともに振ることができないくせに?」

「!」

 

 

 

 

 

僕は知ってる。

その見開かれた目が語るものも。

跡部がどうしてラケットを握らず走ってばかりいるのかも。

 

 

 

 

 

君は、まともにテニスができない状況に陥っている。

 

 

 

 

 

「僕の心配より、自分の心配してなよ。」

「・・・・んだと?」

「そんな状態じゃ、レギュラー落ちするのは跡部だって言ってんの。」

「てめぇ・・・もう一回言ってみろ。」

 

 

 

 

 

何度だって言ってやる。

まともにの死と向き合ってもいない跡部なんか、怖くない。

人のことばっかり言って、結局何もその場から動けていないのは、跡部じゃないか。

自分の感情押し殺して、いつまでもそんな顔して。

が喜ぶとでも思っているのだろうかこの男は。

 

 

 

 

 

「跡部、はもう死んだ。」

 

 

 

 

 

ギュッと、掴まれた胸倉に力が篭る。

わかっている、そう言っているようだった。

 

 

 

 

 

「・・・・それはもう、変わらない事実だよ。」

 

 

 

 

 

だから目を背けないで。

 

その事実を受け止めて。

 

 

 

 

 

は、もう死んだ。」

「んなことはわかってる!!!!」

 

 

 

 

 

急に声を荒げてもう一度僕をロッカーへと押し付ける。

ガンッと背中がぶつかる鈍い音を奏で、跡部はそのまま僕を押し付けたままの体勢で俯いた。

肩が、よく見ないと気づかないくらいに小さく震えてる。

きっと、気づいているのは僕一人。

 

 

 

 

 

「いつまでもの死をグダグダ引きずってるのは俺様じゃねえ!お前らだろうが!!」

「・・・・・・跡部。」

「どいつもこいつも頼りなさそうな面しやがって!!見てるだけでイライラする!!!」

 

 

 

 

 

ジローが心配そうな目をして跡部を見つめているのが跡部の肩越しに映る。

呟いた名前が、掠れていて聞き取りにくかった。

 

 

 

 

 

「・・・・その言葉、そっくりそのまま返すよ。」

「あん?」

 

 

 

 

 

跡部の胸倉を掴む手を退ける。

僕は少し息苦しかった息を整え、跡部から一歩退けぞいた。

跡部の視線が、ゆっくりと僕を追いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつまでも苦しそうな面してんのは跡部だろ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に怒鳴ったのなんて、どれくらい前だろう。

 

いつから僕はあまり感情を表に出さない人間になっていたんだろう。

 

だからこそ、

 

僕は跡部を見ていて我慢できなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずっと眉間に皺寄せてそんな辛そうな顔してるくせに!感情押し殺してんの見ててすぐわかるよ!」

「・・・・・・っ。」

「泣きたいなら泣けばいいじゃないか!何をそんなに我慢することがあるの!?」

 

 

 

 

 

部長だから?

 

部長だから自分がしっかりしなきゃいけないとか、そんな風に思ってるの?

 

自分だけ平気なふりして、それがどれだけ周りに、僕に影響を与えているか、君は知ってるのだろうか。

 

 

 

 

 

「いい加減、見てて腹が立つ!ひとりだけ平気ぶるのはもう、大概にしてよ!!」

「滝・・・落ち着き。」

 

 

 

 

 

忍足が僕と跡部の間に入って止める。

肩で息をしながら跡部を睨みつける僕を宥めながら忍足は跡部に振り返った。

 

 

 

 

 

まだ、

 

まだ治まらない。

 

苛立ちが、治まらない。

 

 

 

 

 

「跡部、俺もずっと気になっとった。お前のその表情は・・・・」

「・・・・・・。」

「見てると、自分も苦しくなってくる。」

 

 

 

 

 

跡部はただ視線を俯かせているだけ。

誰も見ようとはしない。

 

 

 

 

 

僕はふと、鞄の中に手を入れ、目的のものを探す。

それは簡単に見つかったが、どうも渡す気にはならなかった。

でもこれは僕が持っておくものでもない。

どうしようかと悩んでいると、跡部がゆっくりと顔を上げ、僕の方を睨むように見てきた。

 

 

 

 

 

「・・・・・跡部。」

 

 

 

 

 

名前を声に出して呼んでみても、もう既に目は合ったまま。

ただ、少し目を細めてその眼つきがきつくなるだけ。

僕は唾を飲み込んで手の中にあるアレをきつく握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は僕と試合してよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

跡部に手渡したものが、ゆっくりと足元に落ちていく。

それを目で追いながら僕は踵を返して部室のドアノブに手をかけた。

 

 

 

 

 

「僕が、勝つから。」

 

 

 

 

 

そう言ってドアを開ける。

跡部から返事はない。

一度だけ振り返ると、何故だか長太郎と目が合った。

 

 

 

 

 

「・・・・・・滝先輩、それは、無理です。」

 

 

 

 

 

遠慮がちに呟かれたその後輩の台詞に、僕は足を止める。

周りのみんなも、予想外の人からの台詞に驚きを隠せなった。

視線はみんな長太郎に集まる。

 

 

 

 

 

「跡部さんは、ジロー先輩と試合をしてもらいます。」

 

 

 

 

 

はっきり、そう発せられた言葉。

目を丸くする跡部。

「俺?」と言いながら自分を指差すジロー。

誰もが、長太郎を不思議な眼差しで見つめていた。

 

 

 

 

 

「・・・・・どういうつもりだ。」

「お願いします跡部さん。ジロー先輩と、試合をしてください。」

 

 

 

 

 

姿勢を正し、頭を下げる。

その行為に僕達はただ目を離せずにいた。

 

 

 

 

 

「ちょ、待ってよ長太郎?俺が跡部と試合なんてしたら・・・」

「大丈夫です。負けません。」

「・・・・なんだと?」

 

 

 

 

 

断言した長太郎の言葉に跡部の眉間がさらに深くなる。

ジローは戸惑いながらも跡部をちらりと盗み見た。

 

 

 

 

 

「今の跡部さんなら、誰だって勝てます。」

 

 

 

 

 

長太郎の目に嘘偽りはなくて、

 

その普段の長太郎ならありえないだろう台詞に、

 

誰もが耳を疑った。

 

 

 

 

 

「いい度胸だなお前。・・・なんならお前がやるか?あん?」

「いえ、ジロー先輩でお願いします。・・・それが、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩の最後の願いなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

跡部の目が大きく見開かれて、

 

その場にいた全員の表情が一変したかのように変わる。

 

 

 

 

 

長太郎は背筋を伸ばしたままなお、跡部を真っ直ぐ見据えている。

その目を逸らすことはもう、許されない。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・じゃ、お願いしますね。」

 

 

 

 

 

長太郎はそう言い残すと、僕の横を通り過ぎ、先に部室を出て行った。

擦れ違い様に小さく「すみませんでした。」と律儀に謝りを入れて。

 

 

 

 

 

部室はまたしても静寂が訪れ、

長太郎が出て行ったあとは誰も口を開こうとはしなかった。

 

 

 

 

 

ただ、ロッカーにぶつけた背中だけが、

 

僕の悲鳴を上げるように小さく痛みを主張していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決して僕には会いに来ないで。

 

僕は君に会いたくない。

 

君が笑顔じゃなきゃ会いたくないんだ。

 

 

 

 

 

だから、全てが終わったら、

 

君のその懐かしい笑顔を、

 

僕に見せてくれればそれでいいから。