君の死、僕の涙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬鹿だなと思った。

 

どうしようもない馬鹿だと。

 

手にはふて腐れた顔をしたマスコット。

 

俺に、どこと無く似ているその小さくて大きな、

 

あの人が最期に残した大切なモノ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一人で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を伏せた。

 

何も考えたくなくて。

 

思い出したくもなくて。

 

ただ目を伏せた。

 

 

 

 

 

滝さんから今自分の手の中にあるものを渡された瞬間、目を疑った。

何を今更。

こんなものいらない。

こんなもの必要ない。

こんなものはいらないから。

 

 

 

 

 

だからアンタが戻ってくればそれでいい。

 

 

 

 

 

それでいいのに何故だろう。

この小さなものを捨てることが出来ないのは。

手から離すことができないのは、何故だろう。

 

 

 

 

 

押し寄せてくる胸の圧迫感に顔を歪めながら舌打ちをした。

舌打ちをして目を開けた。

目に映ったのは、

1番見たくもない、あの人が死ぬ瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危ない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向かってくる車に、思わず俺は声を上げる。

 

 

 

 

 

助けたいんだ。

その手を取りたい。

まだアンタには生きていてほしい。

だって俺はまだ、アンタに言っていないでしょう?

 

 

 

 

 

“ありがとう”を。

 

 

 

 

 

俺はまだアンタに何も言っちゃいない。

時間はまだあると、そう信じ込んでいたから。

いつでも伝えることができると、自惚れていたから。

手を伸ばしたその手が、届かなくなるなんて思ってもみなかったから。

俺は、まだ何も言ってなどいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キキィ―――――――ッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生々しい車の急ブレーキをかける音と、ドンッという鈍い音が耳を刺激する。

一瞬だったはずなのに、頭の中でまだ鳴り続いている。

 

 

 

 

 

煩い煩い煩い煩い。

消えてくれ。

こんな音、聞きたくなんてなかった。

 

 

 

 

 

次の瞬間、視界が空を向く。

その空は酷く晴れていて、憎たらしいほどだった。

身体全体に感じる痛みに、思わず顔を歪めてしまう。

途端に、頭を過ぎる罪悪感。

仲間の姿。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を伏せ、また目を開ける。

そこはさっきまでいた自分の家の道場で、ちゃんと練習着を身に纏って座っていた。

 

 

 

 

 

夢か。

妙に納得して変に掻いた汗を手の甲で拭った。

だけど、そこで気づいたが手に握っていたはずのマスコットがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつから、いたんですか。俺の中に。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボソリと呟いた声。

誰からも返事はない。

わかっていた。

だけどあえて口にしたのは確実に感じる俺ではない 何 か に対して。

その 何 か は確実に俺の中に存在していた。

たぶん最後のあの車に撥ねられた瞬間の映像はその人のものなんだろう。

 

 

 

 

 

「どうして俺の中に、アンタがいるんですか?」

 

 

 

 

 

冷静に保った声。

俺は自分自身に驚いた。

まさかこんな状況に至って、こんなにも冷静を保っていられるなんて。

 

 

 

 

 

俺の中の違和感は、俺の問いかけに答えるかのようにゆっくりと俺の目の前に姿を現した。

 

 

 

 

 

「・・・・気づいたんだ。」

「当たり前です。嫌なもの見せないで下さい。」

「だってあれ、私が見た光景そのものだもん。」

 

 

 

 

 

目の前の人は死んでいるはずなのに、まるで生きているかのように話ができる。

悪戯っ子のように歯を見せて笑うその仕草。

変わってないですね。

俺がギロリと睨み上げると、先輩は「怒らないでよ」と肩を竦めてもう一度笑った。

そして、俺はまた悟ったんだ。

 

 

 

 

 

ああ、これも、夢なのだと。

 

 

 

 

 

「どうして俺の中に・・・」

「はは、若さっきからそればっか。」

「笑い事じゃないです。死んだ人間が何まだこの世を彷徨っているんですか。」

 

 

 

 

 

俺のはっきりとした口調に一瞬だけ顔を歪めて俯いた。

悪い、なんて思うはずがない。

俺は謝る気なんてさらさらない。

酷いことを言ったなんて思ってもないから。

 

 

 

 

 

何やってるんだこの人は。

 

死んで、何でまだ俺の前に現れるんだ。

 

そんな不安げな、顔して・・・・

 

のこのこ現れるな。

 

 

 

 

 

「若、これは夢だよ。」

「知ってます。」

「あれ、若は夢かどうか自分で判断できるんだ。すごいね。」

「・・・・で、それが何なんですか?俺の中にいたのと何か関係あるんですか?」

 

 

 

 

 

案外あっさりした先輩の態度に、若干イラつきながら、

俺は髪を掻き揚げて溜め息を吐きながらそう言った。

 

 

 

 

 

「若の中に入ったのはあれ、私が死んだ時。」

「・・・・・・・。」

「じっと、若私のこと見下ろしてたでしょ?その時にこっそり入っちゃった。」

 

 

 

 

 

そんな前から俺の中にいたのか。と、冷静な頭がそう呟く。

一応は少し悪気を感じているらしく、頭を掻きながら「ごめんね」と苦笑した。

 

 

 

 

 

「私ね・・・・心配だったんだよ、みんなのこと。」

 

 

 

 

 

ほら、アイツら私いないと何もできないじゃん?

なんて調子のこいたことを言うもんだから俺は無言で視線だけを先輩に向ける。

先輩は気にすることなく後ろで手を組んで天井を見上げた。

 

 

 

 

 

「大会前に、こんなことになるなんて・・・ゴメン。」

「・・・・・・・・・。」

 

 

 

 

 

先輩は、俯いて涙を数滴落とすと、肩を上下に揺らして本格的に泣き始めた。

きっと今日跡部さんが言った、レギュラー落ちの話をしているのだろう。

なんてったって、彼女が一番今大会に出場するレギュラーのメンバーに拘っていたから。

 

 

 

 

 

自分のせいだと、悔やんでいるのだろうか。

 

 

 

 

 

「でも若は大丈夫そうだよね。見てて思ったんだけど。」

「・・・・そうでもないですよ。」

 

 

 

 

 

どこをどう見ていたんだこの人は。

俺のどこが大丈夫そうだと?

大切な人が死んで、平気でいられるほど、俺は冷徹な人間でもない。

大切な、尊敬すべき人が死ねばいくら俺だって、涙を流してつい考え込んでしまう。

俺は人間だ。

心はちゃんとある。

 

 

 

 

 

「私に対して、怒ってるでしょ。」

「はい、若干は。」

「・・・・ごめんね、損な役回りだったよね。」

「そうですね・・・後味悪かったです。」

 

 

 

 

 

自分が頼んだ物を買いに行ったせいでアンタは死んだ。

どれほどそれが苦しかったか。

先輩が死んだと言う台詞を聞くたびに、まるでお前のせいだと責め立てられているようで。

ずっと息が詰まっているような、そんな状態だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩。

 

ついさっきまで俺は、

 

何度も何度もアンタがどうやったら死なずにすんだのか、

 

そればかり考えていました。

 

でも今思えばそんなこと、いくら考えたって、時間の無駄ですよね。

 

意味が、ないんですよね。

 

 

 

 

 

アンタは死んだ。

 

死んだことはもう変わりはない。

 

どうすることも、生き返ることすらできない。

 

そんなアンタに、どれだけ思いを巡らせても、

 

それはただの時間の無駄にすぎないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな顔しないでください。もういいです。」

「え?」

「俺、何も気になんてしません。」

「・・・・・若?」

「アンタがこうやって、現世に残っていることの方が俺は苦痛です。」

 

 

 

 

 

死んで、

 

そんな顔して俺達を心配されている方がよっぽど嫌だ。

 

苦痛だ。

 

不快だ。

 

俺達のせいでアンタが自由になれないなんて、

 

そんな負い目、俺は死んでも嫌だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後悔を残さないで、さっさと消えてください。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キツイ言葉だとわかってる。

だけどこの人もわかってくれる。

俺の気持ちをきっと、理解してくれるに違いない。

だってそうだ。

この人はいつだって・・――――――

 

 

 

 

 

俺も、後悔はない。

 

あとはあの言葉を告げるだけ。

 

 

 

 

 

「俺は負けません。だって、先輩が教えてくれたテニスがあるから。」

「・・・・何か、教えたっけ?」

「・・・・・・・・・・・演舞テニスです。」

「ああッ!!」

 

 

 

 

 

この人は・・・・。

本当にいつも拍子抜けさせられる。

 

ごめんごめんと謝りながら笑う、先輩の表情にまだ何処か曇りがある。

きっと、まだ気にしてる。

自分のせいだと。

 

 

 

 

 

「あのアドバイス、貰った直後にお礼言えなかったんです。」

「そうだっけ?」

「はい。」

 

 

 

 

 

心残りはひとつだけ。

 

この言葉を言えば俺は前を向いて歩ける。

 

そんな気がして、詰まっていた息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“ありがとうございます”。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと言えたこの言葉。

 

何だか心の蟠りが取れたようなこの開放感。

 

俺がふっと笑うと、先輩も満面の笑顔で、

 

 

 

 

 

「どーいたしまして!」

 

 

 

 

 

そう言って消えていった。

これで大丈夫。

俺は大丈夫。

きっと先輩はわかっていたんだ。

 

 

 

 

 

―――― でも若は大丈夫そうだよね。見てて思ったんだけど。

 

 

 

 

 

アンタは、俺に前を向いて歩いてくれることを望んでいたんでしょう?

だったら、お望みどおり歩いてやりますよ。

どんなに険しく辛い道だって、

俺はもう一人で歩いていける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンタの手なんか借りなくたって、十分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にかまた、同じ場所で同じ体勢で同じ格好。

でもさっきと違うのは手の中にマスコットがあるってことだけだ。

 

 

 

 

 

このマスコットを捨てられない理由、わかりましたよ先輩。

 

 

 

 

 

こんなものいらない。

こんなもの必要ない。

こんなものはいらないから。

 

 

 

 

 

だからアンタが戻ってくればそれでいい。

 

 

 

 

 

それでいいと思っていたのに何故だろう。

この小さなものを捨てることが出来なかったのは。

手から離すことができなかったのは、何故だったか。

 

 

 

 

 

それは・・―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さい、だけど大きなものが詰まったこのマスコット。

 

大丈夫です。

 

俺は一人で歩けます。

 

このマスコットがあるかぎり、俺はアンタがいなくったって、

 

どんなに辛い道だって、たったひとりで突き進んでいけるんだ。