君の死、僕の涙
薄れ行く記憶の中のお前が、
俺の背中を殴った気がした。
やれよ
今日もまた跳べなかった。
どんなに必死になってボールを追いかけようとも、その黄色いボールに手が届くことなんてなかった。
もどかしい。
感触のないラケットを手から滑り落とし、大の字になってねっころがる。
額に滲む汗だけが独り歩きをして地面へと滴り落ちていった。
「・・・・空、眩し。」
目を細めて眉間にシワを寄せる。
涙は出ない。
もう枯れ果ててしまうくらい流してしまったから。
「見つけた。」
ふと、沈みかけていた太陽を隠し、人影が俺を覆う。
逆光で、誰なのかわかんなかったけど、何となく形と声で誰だかわかった。
・・・・滝だ。
もう今日の部活は終わったのだろうか。
「明日、部活においでよ岳人。」
「・・・・・。」
「結果が出せなければレギュラー落ちだってさ。」
俺は無言のまま何も言わない。
ただ何となく想像できていた事態に、頭の中で乾いた笑いを零すだけ。
レギュラー落ちか。
上等じゃん。
「落ちてもいいとか思わないでね。」
「・・・・何で?」
久しぶりに声を出した気がする。
学校でだって誰とも言葉を交わしたりなんてしなかったってのに。
滝は一瞬、ほんの一瞬だけ寂しそうな笑みを浮かべて俺の顔の上に何かを落とした。
俺は条件反射に目を閉じ、落ちてきた袋をそのまま顔面で受け止めた。
跳ね返った袋が、顔のすぐ横に転がった。
「この気持ちを踏みにじるような真似だけはしないでよ。」
そう言い残すと、滝の足音が俺のもとから去っていって、日差しの緩くなった太陽が俺のことを再び照らした。
転がったかわいらしくラッピングされた袋に手を伸ばす。
汚い字で『ガクト』と書かれてあるのが目に入り、それを手に取ると、ただひたすら無性に中身を見ようと袋を開けた。
出てきたのは、似ても似つかない満面の笑顔だった頃の俺だった。
「・・・・下手くそ。」
喉が、熱い。
掠れて出た声。
マスコットを持つ手が震えて今にも落としてしまいそうで。
もう枯れ果てたと思っていた涙が流れ落ちる。
「・・・・似てねぇんだよ、バカ。」
特徴だけを掴んだ俺の顔を見て、思わず笑った。
その拍子にまた涙が落ち、マスコットを握りしめて鳴咽を堪えながらまた泣いた。
「・・・・ッきしょう!!」
跳べない。
だけど跳びたい。
俺はもう一度あのコートの真ん中で誰よりも高く跳びたいんだ。
お前との約束を果たしたいんだ。
なあ、お前はあの日の約束を、
今でもちゃんと覚えてんのか?
「えい!」
「ッ冷てぇー!ジローやりやがったな!!」
あれ、前にも確かこんなことなかったっけ?
ぼーっと突っ立ってたらジローがスプレーを俺の顔面にかけてきやがって。
ってか今思えば説明書に顔にはかけるなって書いてあるだろ!?
俺の素敵な顔になんてことするんだコイツは。
仕返しをしてやろうと、俺は近くにあったエアサロを手に取り、目を瞬かせた。
「・・・どした岳人ー?」
動きが止まった俺を不思議に思ったのか、首を傾げたジローが俺の顔の前で手を上下に振る。
俺は一度手に取ったエアサロをまた救急箱へと戻し、キョロキョロと辺りを見渡した。
「あ、だ。」
「ナニナニ?がどうかした?」
ボトルを抱えたが、少し離れた場所から俺とジローをじっと見ていた。
俺の目に、また元気に働くの姿が映るなんて、一体誰が想像できただろう。
これは夢?
夢なのか?
願わくは、これが夢でありませんように。
「スプレーで遊ぶなよジロー。これ最後の一本だろ?怪我した奴がでたらどうするんだよ。」
「!、あ、そうかそうか。でもコールドはもう中身ほとんどないよ?」
「いいから救急箱に戻しとけって!その残りのちょっとだって大切なんだからな!」
そう、大切なんだ。
もう後悔なんてしたくない。
俺達は、このスプレーを使ってはいけないんだ。
俺のエアサロも結構軽かったな、などと思いながらも、このあと使うだろう日吉の分はあるはずだ。
そう、それがあればは助かる。
買いに行かなくてすむんだ。
「・・・わかったって。何か今日の岳人ノリ悪E〜。」
「フンッ、無駄遣いすんなよ。あーそれにしてもあっちぃなー!」
「あ、そうだそうだ!今日帰りにみんなでパフェ食べて帰らない!?」
「お、いいな!あとでみんな誘おうぜ!」
俺があの時、ジローにスプレーをかけられた時、
今みたいにやり返してなければ物事は全てうまくいっていたのだろうか。
は、死ななくてすんだのだろうか。
空じゃないスプレーを救急箱に残し、俺とジローは何事もなかったかのようにラケットを持ってコートへ向かった。
「いってぇぇえええええ!!!」
宍戸が返したボールを取ろうと跳んだ。
だけど見事に珍しくも着地に失敗し、足を捻った。
畜生痛ぇ!
「何してんねん岳人。揃いも揃って俺と同じ足首怪我すんなや。」
「何やってんだよお前は。大会近いんだから気をつけろよ。」
「大丈夫ですか向日さん!」
侑士とネットを挟んだ宍戸、長太郎が足を抱えてねっころがる俺を心配そうに見下ろす。
俺の叫びを聞いてがコールドを片手に駆け寄ってくるのが視界に入った。
一瞬、汗が額に滲んだけど、まだエアサロがあるから大丈夫だと思い、大人しく足首にスプレーを吹っかけてもらった。
「バカ、気をつけなよ。」
「うっせーな!ちょっと失敗しただけだろ!」
中身がなくなったんだろう。
スプレーが乾いた音を立てながら空気を吐き出した。
スプレーをかける手を止めたが悪戯に笑うその後ろから、エアサロを片手に持った日吉がやって来ているのが目に入る。
嫌な予感が頭を過ぎった。
「先輩、エアサロが空なんですけど・・・。」
「あ、ごめん!さっき渡瀬君が使ってなくなっちゃったんだ!」
「・・・・あ、そうなんですか。」
何で、こんなに、動悸がするんだ?
次に出る台詞を、行動を、俺は知っている。
だから、だから動悸がこんなにも速いのだろうか。
君は、君は、
「今から買ってくるからちょっと待ってて!」
君は、やっぱり死ぬんだ。
は慌てて踵を翻し、ポケットから財布を出して校門目指して走り出した。
全身の血の気が引いた俺は、慌てて立ち上がり、のあとを追う。
捻ったばかりの足が痛かった。
「、待てよ!」
「?、なに岳人。」
「買いに行っちゃダメだ!」
正門前、キョトンとしたが振り返る。
今は微妙な時間だからか、俺と以外、人気がまったくと言っていいほどなかった。
「何してんのよ岳人。練習しなさい。」
「お前が買いに行かなきゃちゃんとやるから!だから行くな!」
「なーに言ってんのよ。若が待ってるでしょ。行かなきゃダメじゃん。」
「だったら俺が行くから!」
の財布を無理矢理分取る。
が小さく「あ、」と声を漏らした。
俺は大丈夫。
俺のことなんて心配しなくていいから。
お前は自分のことだけ心配してろよ。
お前なんだよ。
お前が心配なんだよ。
お前のことを考えると胸が、息が苦しくて。
また、あの時の後悔を背負わなきゃなんねぇのかと思うと、怖くて。
もう、失いたくないんだ。
駄々をごねる子供を仕方ないとでも言いたげに眉を下げて笑う。
何だよ。
何だよお前。
そんな風に笑う奴じゃなかっただろ。
何でそんな顔して笑ってんだよ。
お前、今から死ぬんだぞ。
(ってコイツはそんなこと知らねぇもんな。)
は俺の手から財布を抜き取り、俺に背を向けた。
とっさに手を伸ばし、の手首を掴むと、はゆっくりと振り返ってまた眉を下げて笑った。
「だったらなおさらダメだよ。約束、忘れたわけじゃないよね?」
約束?
約束って何だよ。
約束って、
「誰よりも高く跳んで、目指せ審判台!」
今度はいつものように悪戯に歯を見せて笑うに、
思わず目を見開いて掴んだ手首をそっと放した。
「岳人なら、跳べるよ。」
強く、目を見て、反らさない瞳に唇を噛み締めた。
強く、強く。
きつくきつく。
寂しくなった手の平を握りしめ、堪えるのに力尽きた瞳から涙が零れ落ちた。
頑張れと、言われている気がして。
まるで跳べない俺の背中を押してくれているような気がして。
失っていた羽根を、与えてくれているようで。
「お前がいなきゃ跳べない!約束だって!がいてこその約束だろ!?」
「岳人、私はずっといるよ?」
「いない!」
「いるよ。」
半ば叫ぶようにに怒鳴り付けると、目にいっぱいの涙がボロボロと零れ落ちた。
声が、掠れて、熱い。
もっともっと見ていたいのに、の顔が涙でよく見えない。
「滝から貰ったでしょ?必勝祈願。」
結構似てない?なんてふざけたことを言うから、俺はおもいっきり首を横に振ってまた泣いた。
は乾いた笑いを零して俺の頭をぽんぽんと叩くように撫で、俺の名前をまた呼んだ。
「じゃあ岳人、跳んでよ。」
私のために、跳んで。
「ちゃんと、見てるから。」
は寂しそうに笑うと、顔をくしゃくしゃに歪めて涙を流した。
ああ、俺は、こんなにもを心配させていたんだな。
死んでもなお、こうやって、また、
に心配かけてばっかだ、俺。
「・・・・お、れ・・・」
「うん。」
「俺・・・・おれさ、・・・・」
掠れて出にくくなった声を必死に絞り出す。
はただ頷いてそれを聞いてくれた。
「・・・・俺、・・・跳びたい。跳びたいんだ。」
「跳べるよ、岳人なら。」
「・・・・・・頑張るから、・・・・もっと練習する、だから・・・・」
伝えたい。
伝えたいことはたくさんあるのに、
声が、
言葉が、
続かない。
うまく、言えない。
「俺、・・・・・のこと・・仲、間以上に・・・好きだった!!!」
目が覚める。
外はもう真っ暗で、まだ俺はマスコットを握り締めたまま眠っていた。
薄れゆく記憶の中で、
アイツが、が笑って、
俺の背中を殴って、
最後に「知ってるよ。」って言った気がした。
「・・・・・俺は、跳べる。」
握りしめた拳が、マスコットが、
俺の強さに変わった。
今頬を伝ったこの涙を、
俺は最後にすると今ここで誓う。
、見てろよ。
俺は、誰よりも高く跳ぶ。