君の死、僕の涙
俺はどうすればよかったんですか?
アンタのその最後の笑顔が、
アンタのその最後の言葉が、
いまだ俺の足を掴んで放さない。
痛みと記憶
走る走る走る走る走る。
何も考えたくないからただひたすら走っているだけ。
ズキズキと、捻った足首が痛む。
どうせ痛むんだったらあの時、先輩にスプレーなんて頼まなければよかった。
そんな考えが頭に浮かんでは消える。
足が、
頭が痛い。
「・・・・ッ」
あの時俺は、
走り行くアンタに何て言えばよかったんですか?
『早く帰ってきてくださいよ。』
ゆっくりでいいですよ?
気をつけてください?
急がずゆっくりだったならあの車が飛び出してきた時間がずれてアンタは助かった。
気をつけてくださいと言えばアンタは車を注意深く確認したかもしれない。
「・・・・くそ、ッ・・・」
怪我をしなければ、よかったんだ。
俺がもっともっとしっかりしていれば、そうすれば足を捻ることなんてなくて。
先輩がこうして俺の前からいなくなることもなかったんだ。
悔しい悔しい悔しい悔しい。
自分の不甲斐なさに腹が立つ。
握りしめた拳が痛い。
マネージャーで一番頼りになる人は誰かと近くにいた先輩に尋ねると、誰もが当たり前のように先輩を指差した。
当時俺はまだまだ未熟者で、自分にあまり合っていないんじゃないかっていうどうにもいかないテニスでむしゃくしゃしていた。
まだ、フォームを古武術に変える前の話だ。
「あの・・・。」
「はい?何か用ですか?」
「・・・・・はい。」
勢いよく振り返った先輩は顔に張り付いた笑顔とはあまりにも正反対な低い声でそう尋ねてきたので、
今は声をかけちゃいけない時だったのだと即座に感じとった。
確かに今、先輩は両手に洗濯物を抱えていて忙しそうだった。
声をかけるタイミングを間違えたなと、俺はどうすればいいのかわからずとりあえず頷いてみせた。
すると先輩は洗濯物を一度抱えなおし、洗濯物で埋もれていてあまり見えていなかった顔を横にずらして俺の目を見てにへらと笑った。
だらしの無い笑顔。
「君、名前は?」
「一年、日吉若です。」
「・・・・ぷ、っあ、日吉君ね。了解了解。」
何故今この人は笑ったのだろうか。
明らかに俺の頭を見て噴いただろう。
なんて失礼な人なんだと思い、ギロリと睨み付ける。
そんな俺に気付いたこの人は「ごめんってば。」と言って苦笑した。
しかしこの顔は反省していない顔だ。
今にも噴き出しそうになるのを堪えているようにしか見えなかった。
「で、何かな?」
「・・・・もういいです。」
「いやいや良くない良くない!わざわざ忙しい私を呼び止めたんだからちゃんと言いたいことは最後まで言いたまえ。」
「・・・・・。」
何故自分を中心に物事を話しているのだろうか。
本当にこの人がほとんどの部員の信頼を得ている人間なのだろうか。
この人の一言にそこまで考えさせられる。
俺は疑いの眼差しで見つめながらも小さく息を吐いて背筋を伸ばした。
「俺、強くなって先輩達を越えたいんです。」
「へえ、向上心ってやつですか。」
「・・・・だけど今のままじゃ絶対にそれは不可能だと思うんです。」
「何で?」
「体がテニスを拒絶してます。」
「はい?」
間抜けな声を出して顔を引き攣らせる先輩は、まるで「何を言っているんだ。」とでも言いたそうな顔だった。
アンタはマネージャーだろう。
こういった選手の悩みに的確なアドバイスを送れなくてどうする。
やっぱり部員に信用されていても中学テニス部のマネージャーというものはこんなものかと、俺は呆れと軽蔑の思いでいっぱいだった。
「体が拒絶してるんならテニスを辞めちゃえば?」
ほら、誰もが返すこの言葉。
他の人に聞けばこう言われるのをわかっていたから最後の望みをかけてアンタに聞いたのに。
アンタは期待を裏切らないで俺が予想していた最悪の答えを返してきたんだ。
だけど、
これに続く言葉を、
俺は想像すらしていなかった。
「一年二組日吉若。家は古武術の道場をしていて好きな言葉は下剋上、か。」
「え?」
「ならテニス辞めて古武術やっちゃいなよ。コートの上で。」
コートの上で。
何を言い出すのかこの人は。
コートの上で古武術?
ふざけたことをさらりと言う人だ。
その前に何故この人はこんなにも俺のことを知っているのか。
さっきは誰?と名前を聞いていたはずなのに。
この人は一体何なんだ?
俺が何も言えずにただ先輩を見つめていると、
先輩は「そんなに見つめないでよ。照れるな。」とたいして照れてなさそうな表情でさらりと言った。
不思議な人だ。
考えが、全く読めない。
「で、どうなの?やってみれば?」
「・・・・・変ですよ。コート上で古武術なんて。」
「変じゃないよー。それを言うなら跡部のアレ見てみ。アレの方が絶対変だよー。」
跡部、そう確か次の部長候補の人だ。
先輩が指差す先には跡部さんが派手に暴れて試合をしていた。
「・・・・少し考えてみます。」
「おうおう、頑張んな若君。目指せ古武術テニスで観客の視線独り占め!」
「・・・・・・・・。」
この人は遊んでいるんだな、きっと。
そう思いながらも先輩から貰ったアドバイスに満足し、俺は踵を返して誰もいない室内テニスコートへと移動した。
ああ、お礼を言いそびれたなと、気付いた時にはコートについていて。
お礼を言うのは先輩のアドバイスが成功した時にしようと、俺はラケットを握りなおして古武術テニスの練習を始めた。
「――――・・ッ」
ヤメロ。
やめてくれ。
これ以上俺の足を引っ張らないでください。
どうして走れば走るほど足は悲鳴を上げるように痛みを増してアンタの顔が、笑顔が俺の頭から離れてくれないのか。
途切れる息遣いに額に滲む汗。
「・・・な、んでアンタが・・・」
な ん で ア ン タ が 死 な な き ゃ な ら な い ん だ 。
立ち止まって俯いた。
垂れ下がる髪から滴り落ちる汗。
頬にへばり付いた髪が気持ち悪かった。
ズキズキズキズキ痛み続ける足首が、まるで先輩の存在を忘れるなと俺に警告しているかのようで。
痛さのあまりエアサロを手に取りかける。
先輩に駆け付けたあの時拾ったエアサロは、痛々しくも底の縁が凹んでいた。
事故の衝撃でえぐれているドラッグストアの名が印刷されたテープは、何故かそのまま貼りついたままで。
それはあの時、袋に入っていなかったことを物語っていた。
急いでいたんでしょう?
早くスプレーを届けるために。
だから店員にシールだけを貼ってもらったんでしょう?
きっとアンタは走ってドラッグストアに飛び込んでさっさと会計を済まして品物を掴んでまた飛び出したんだ。
ふざけるな。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!
何をしてるんだアンタは!
そんなことをして、俺が、喜ぶとでも思ったんですか!?
アンタが死んで、足が、治ると思ったんですか!?
バカだバカだとは思っていたけれど、まさかここまでバカだったとは思いもしませんでしたよ。
助けてください。
痛みを増すこの足が、
あの時振り返ったアンタの笑顔を、
嫌でも思い出させるんです。