君の死、僕の涙
みんなが力を合わせて戦うべきこの場所に、
あの日から僕の姿は見当たらなかった。
半ば諦めかけていたこの僕に、
君は最後の希望を与えてくれたね。
ズルイ女
レギュラー落ちをして、めっきり笑わなくなった僕はふと家庭科準備室の窓に視線を向けると、そこにいるはずのないの姿を見つけた。
今は部活の時間だ。
何をしているのだろうかと、好奇心が勝手に僕の足を動かして気がつけば家庭科準備室の前までやってきていた。
「?」
「は、萩!?」
「何作ってんの?」
「きゃー!見るな見るな見るな見るなー!」
机の上に散らばったソーイングセットを抱え込むようにして僕を睨む。
の顔は赤かった。
部屋に入る時はノックしろだの、このことは誰にも言うなだの、散々怒られたあげく、
は観念したのか、レギュラーのためにマスコットを作っているのだということを白状した。
必勝祈願としてひとつひとつにの熱い想いを込めて、作っているのだと。
「また来ていい?」なんて聞くとてっきり「ダメ!」と言われるかなと思っていた僕だけど、少しの期待を抱いて聞いてみた。
するとは照れ臭そうに笑って「うん。」とふたつの返事が返ってきて、急に心が温かくなった僕はふんわりと笑って「ありがとう。」と返した。
久しぶりに笑った気がしたんだ。
また、頑張ろうかなと、そう思えるようになったんだ。
「おら、一年はさっさと周りを走れ!」
跡部が低くドスが聞いた声で叫ぶと一年生部員は肩を震わせて大きな返事を返してコートの周りを走り出した。
跡部が立っているその奥のコートではまたスカッドをミスった長太郎が宍戸に怒鳴られていた。
前までは、が死ぬ前までは、そんなことなかったっていうのに。
少し辺りを見回してみても岳人とジローは今日もいない。
日吉が樺地相手にがむしゃらに打ち合うボールの音が室内に鳴り響いていた。
今日は珍しく雨。
最近ずっと晴れてたっていうのに今外はもうザーザー降りの雨だった。
こういう日は湿気が多いから嫌なんだよね。
ほら、髪が少しはねちゃってる。
憂鬱だ、なんて思いながらラケットを握ったまま室内コートを出ていく。
「おい、滝。何処に行くんだよ。」
振り返ると、タオルを首からかけて自分で入れたドリンクの口をくわえている宍戸が立っていた。
休憩だろうか。
さっきのコートではまだ長太郎だけがスカッドの練習を続けていた。
そんな僕の視線に気付いたのか、宍戸は一度長太郎がいるコートに振り返って視線を落とした。
「・・・しばらくは一人で練習させる。」
「それがいいよ。今は無理にやったってどうしようもないからね。」
「・・・お前、全然平気そうだな。」
「え?」
宍戸の鋭い視線が僕に突き刺さる。
どうやら僕の言動がカンに障ったらしい。
僕は「そう?」と苦笑いを浮かべて踵を返すと今度こそ室内コートを出て行った。
そのあとを宍戸が無言でついてくる。
足音が二つ、誰もいない薄暗い廊下に鳴り響く。
宍戸は廊下の窓に映る激しい雨に視線を向けていて、二人の間に会話なんて、ひとつもなかった。
おかしいよ。
おかしい。
みんなおかしい。
僕も、おかしい。
みんなみんなおかしくて何だか変だ。
がいなくなって、僕達はまるで生きた屍のような毎日を過ごしている。
こんなのおかしい。
、君はこのままでいいの?
君の大好きだった氷帝学園テニス部は、いつしかこんなにも重く、輝きを失ってしまったよ。
君が望んだテニス部は、こんなものだったのかい?
が僕にもマスコット作りを手伝わせ始めた頃。
ふと、真剣に針と闘うを見て意地悪を思い付いた僕は針を針山に戻し、の名前を呼んだ。
「ねえ、僕の分はないの?」
「萩の分?ないよ?」
「・・・へえ、ずいぶんとはっきり言うね。」
は僕の方を見もせずに針でチクチク縫い続けていた。
少し、ムッとする。
「だって萩レギュラーじゃないじゃん。」
「そんなキツイこと言うようになったのはこの口?」
「いひゃっ、いひゃいいひゃいいひゃいいひゃい!!」
ムカついたからおもいっきり頬を抓って捻ってやると、驚いたは縫っていた針で自分の指を刺し、涙目になって叫んだ。
あまりにも痛そうだったから放してあげる。
の頬は赤く腫れていた。
「何すんのよ!萩のバカ!」
「が無神経なこと言うから悪いんだろ。」
僕がギロリと睨むと、は目を見開き、大きく丸々とした目を瞬かせた。
僕は、甘えてたんだ。
宍戸に負けてレギュラー落ちしたあの日から。
弱い自分に、甘えてたんだ。
もうレギュラーに戻ることはできないと。
だけどそんな僕を、君は・・―――――
「だったら、レギュラーに戻っておいでよ。」
容赦なく突き放した。
「そしたら作ってあげる。萩の分もちゃんと、作ってあげるよ。」
突き放して、希望をくれた。
頑張れと、言われているような気がして。
僕は何も言えなくなった。
家庭科準備室の前まで来て足を止める。
鍵が掛かっていないそこは、ドアノブを回せば簡単に開いた。
少し後ろに立っていた宍戸から「あ、」と言う声が漏れた。
入ってすぐ明かりをつけるためのスイッチを押す。
電気がパッとついたかと思うと、目の前にある机の上にはあの日のままのソーイングセットが散らかっていた。
が、まるで今でもそこに座っているような気がした。
「・・・片付けも、しないで。」
あの日、はまたここへ来るつもりだったから。
その時に片付けをして、そこの隅に置いてあるみんなへのプレゼントを持ち出すつもりだったから。
それが出来ずに死んでしまったは、全てをそのままにしてこの世を去った。
だから全て、あの日、僕とが出て行ったあの時のままの姿で残っていた。
僕は机の上に転がったままの針をケースにしまうと、いつもはが座っていた椅子に腰を下ろす。
宍戸は机の前で突っ立ったまま、初めて入るこの部屋を黙って見回していた。
「・・・ここで、は・・・何作ってたんだ?」
「さあ、何だろうねぇ。」
知ってるけど言わない。
言えない。
僕から言うべきことじゃない。
僕は言うことなんてできないよ。
だけど、君が残したこのマスコット達を、ずっとこのままここに置いとくわけにもいかないから。
だから代わりに僕が渡してあげたっていいよね?
僕も貴重な練習時間を削ってまで手伝ったんだ。
それくらいさせてくれたって、いいじゃないか。
僕は足元に置かれたみんなのマスコットが入ったスーパーの袋を持ち上げ、それを机の上に乗っけた。
一番上のラッピングされた袋が飛び出して転がった。
「の、願いがこもった・・・みんなへのプレゼントだよ。」
「・・・・滝は、中が何か知ってんのかよ。」
「うん。僕、こっそり手伝ってたから。」
宍戸は一瞬目を見開いて、「そっか。」と小さく呟いて転がった袋を手に取った。
外から見て中に何が入っているかはわからない。
封を開けずにラッピングに見入っている宍戸を横目に、僕は机に顔をつけてもう一つのマスコットを指で転がした。
その袋には跡部という名前が油性ペンで走り書きされている。
きっと、マスコットにに力を入れすぎて名前を書くことに対しては大雑把になってしまったんだろう。
いかにもらしい。
この中には、あの時見た跡部のマスコットが入っているはずだ。
「、みんながね、おかしいんだ。」
君がいないから。
みんながおかしい。
「のせいだよ・・・バカ。」
そう独り言のように呟くと、今度は宍戸にも聞こえるように胸の内を話すことにした。
ずっと、あの日から自分の中で思っていたこと。
僕の、思い。
「・・・・さ、あの日、やっと作り終えたんだよね。」
「これを、か?」
「そう、これを。・・・帰りに渡すって・・・嬉しそうにここを出た。」
まさかそれが渡せなくなるなんて、
一体、誰が想像できただろう。
「がこれを作り始めた最初の日、はみんなに内緒でこれを作ってて、僕は知らずにここへ入ったんだ。」
『?』
『は、萩!?』
『何作ってんの?』
『きゃー!見るな見るな見るな見るなー!』
自然と口元が緩む。
今もなお指で転がる跡部のマスコットが何だかか滑稽だった。
今の体勢からでは宍戸の表情は見えなかったけど、きっと酷く歪んだ表情をしていると思う。
「初めはすごく怒られて、だけど気がつけばは僕に内緒だって言って快く受け入れてくれるようになった。
・・・いつしか手伝いまでさせてくれるようになったんだ。」
『萩、器用だね。』
『くす、と違ってね。』
『アンタのその手、針山代わりに使ってやろうか。』
『やめてよ。この手は商売道具なんだから。』
『しょ、商売道具って・・・』
「僕の分はなかったけど、みんなの勝利を願って、手伝った。」
「え?」
「・・・・羨ましかった。これを手伝うにつれてレギュラーであるみんなが、にこんなにも想われてるみんなが・・・僕はすごく羨ましかったんだ。」
宍戸は目を瞬かせて大きく見開いた目をラッピングされたマスコットから僕へと向けた。
何か言いたげに首を傾げた宍戸に、僕までも首を傾げて眉を下げた。
「でもこれ、名前が萩って書いてあるぜ。」
「え?」
ほらよ、と言われて投げられたマスコットを手に取る。
ラッピングの中央には跡部と同じ油性ペンで萩と書かれてあった。
確かに、萩と、僕の名前が。
『萩の分?ないよ?』
ラッピングを開ける。
開けている手が、指先が小刻みに震える。
喉が、熱い。
「―――――・・ッ」
マスコットのユニホームの背中には、みんなのには必勝祈願と縫い付けてあったはずなのに、
何故か今手の中にある僕の顔をしたマスコットの背中には復活祈願と書かれてあった。
頬に、温かい何かが落ちる。
視界が揺らいで、マスコットを握った手に力が入る。
初めて人前で泣いた。
こう見えて負けん気の強い僕は、人前で泣いたことなんてなかった。
君が死んだ時だって、堪えて堪えて堪えて。
一人になってこっそり泣いたんだ。
「・・・ズルイ女。」
ねえ。
僕は今、このマスコットと同じように、
優しげな表情で笑えていますか?